9‐4 時空を操る魔法
「最上級水魔法~タイダルウェイブ~」
お気楽な感じでソルスがそう唱え、青色の魔法陣から怒濤の勢いで水が溢れていく。それが洞窟のダンジョンの、一つのフロアすべてをのみ込んでいき、中にいたコウモリに似た魔物を巻き込んでいく。その圧倒的すぎる光景を、俺とセレナはしらけた目で見ていた。
「お前の実力だったら、もっと難しい依頼もいけたんじゃないのか?」
ギルド本部からの帰り道。これから一時間、荒野の道を歩いていくのを覚悟しながら、俺はソルスにそう聞いた。彼が手にしていた金貨袋には、空だった最初よりも半分くらいが詰まっている。
「確かにそうだけど、街はずれのギルドにくるのは、せいぜいビッグ級の依頼までだからね。エング先生と一緒に行っても、大抵僕一人で倒すように指示されるてるよ」
「ふうん。そういう問題があるのか」
会話の中にセレナも入ってくる。
「それにしても、魔法の研究に子どもたちへの授業、ギルドの活動までやってるなんて、色々と頑張ってるんですね」
「エング先生はそれだけ本気なんだよ。学校を建てるだけでも金はかかるし、教師と生徒も集めないといけない。まだまだやるべきことが山積みなんだよ」
「大変ですね」
率直な感想を一言でまとめるセレナ。そこまでする必要があるのかと、俺は疑問に思う。
「とてつもない熱意だな。途方もなさすぎて、俺だったらすぐ頓挫しそうだ」
「エング先生はその分、お腹の中にやる気が詰まってるから」
「あー、それであのふくよかな腹なんだな」
プッとセレナが吹き出し、つられてしまったソルスも、こらえきれないように笑い出す。俺も雰囲気に押されて口元が緩んでしまいながら、俺たち三人はログハウスに向かって歩き続けていった。
セレナの転世魔法の研究を続けてくれるエング。俺とセレナはその知らせを待つために、しばらくログハウスに寝泊まりすることになったが、たびたびこうして、ギルドの依頼を手伝ったりしていた。子どもたちの授業に関しても、面倒見のいいセレナは率先して彼らの輪の中へ入っていった。俺も時たま入りましょうよと誘われたが、子どもたちの俺の扱い方が結構乱雑で、なんとしても避けようと断っては、最悪はバックグラウンドを使ってその場をやり過ごしたりしていた。
エングは基本的に、二階の研究室にこもっていると、飯や授業の時間以外はほとんど顔を見なかった。たまにセレナや俺を呼び出して情報を聞いたりしてきたが、俺から答えられたことは、なんの前触れもなく突然魔法に巻き込まれた、ということだけだった。
日が昇って起き、授業を見守り、ギルドを手伝い、買い物に付き合い。そうして食事をして、エングからの報告がなく眠りにつく。
そんな生活が続き、二週間の時間が過ぎ去っていった。
どたどたと二階から騒がしい音。夜中なのに何事かと思うと、背後の階段からエングがせわしない様子で降りてきて、最後の一段をずるっと踏み外すと、突き出た腹からダイナミックに転げ落ちた。
「だ、大丈夫ですか?! エングさん!」
近くにいた俺は慌てて駆け寄ろうとする。しかし、エングはまるで晴れ晴れとした顔を上げると、後ろにいるセレナとソルスにも聞こえるような大きい声を出した。
「分かったぞ! 転世魔法の発動条件が!」
「本当ですか!?」
セレナが真っ先に反応する。エングは自力で立ち上がると、俺たちを自分の研究室に来るよう手招きした。
六畳間ほどある部屋が、ぎゅうぎゅうに敷き詰められた本棚に囲まれている。窓もなくこもった空気感を感じる研究室。四人が入るだけで隙間がなくなったそこで、俺たちは机の上にあるものを眺めていた。びっしりと使い古されたノートと、中央に置かれた謎の装置。大小さまざまにつけられたスイッチとレバーが、足の台に組みこまれており、その上につけられたガラスの球体は、いかにも電流が流れそうな形だ。
「これを見てください」
そう言って、エングは装置についていた一番大きなスイッチを押した。すると、ガラスのど真ん中に、赤くて小さい点が現れ、一定の距離を取った外側に青い光の層が映し出された。起動、発信します、というような雰囲気にセレナが驚きの声を上げた。
「うわあ! これ、なんなんですか?」
「これは理魔法を生み出す際に、私が作った研究装置です。これで転世魔法の研究をしてたわけですが、この赤い光に注目してください」
促された通り、俺たちは中央に留まっている丸点を見つめる。するとエングは、もう一度同じスイッチを押した。
「お? 動きました」
セレナの言う通り、赤い点はスッとその場から消え、少し右上にずれた場所にまた現れた。
「これは、転移魔法を使った時の動きを再現したものです。赤い光が魔法使いだと思ってください」
「魔法使い。それじゃこの赤い光は、転移魔法でワープしたってことなんですね。そしたら青い光はなんですか?」
セレナが立て続けに質問していく。
「青色は転移魔法で移動できる範囲で、いわば、このプルーグ全体を表しているものです」
青い光で囲われたのが異世界プルーグで、赤い光が魔法使い。想像上の中で緑の芝生大陸と、適当にセレナをお絵描きのようなクオリティで浮かべながら、その後のエングの説明を聞いていった。
「本来転移魔法は、このプルーグ大陸を瞬間移動できる魔法です。魔法使いの持つ魔力の及ぶ範囲なら、プルーグのどこまでも移動することができます。が、転移魔法で移動できるのは、あくまでプルーグの中だけ。セレナ君が言っている転世魔法とは全く異なる魔法です」
ポチポチとスイッチを押し、至るところに移り変わっていく赤い光は、どれも青い層、つまりプルーグ大陸を抜け出せないでいた。
「転移魔法だけでは、決してハヤマ君を元の世界に戻すことはできないだろうね」
「となると、転移魔法の習得は、やるだけ無駄みたいですね」
俺はそう断言したが、それにエングは首を横に振った。
「いや、そうとも限りません。転移魔法では無理だとしても、別の方法があるんです」
「別の方法?」
エングは机の奥に並べられて置いてあった試験管を適当に一本、中に鮮やかな水色の粉が入ったものを取った。そしてゴムの蓋をあけ、試験管を傾けて指に少しつけると、装置の適当なスイッチを一つ押してガラスが割れるように開き、中の赤い光にその指で触れた。光の色はすぐに粉に反応し、混ざり合うようにして紫色に変色する。
「もう一度、よーく見といてください」
俺たちに注目させてから、エングがガラスを元に戻し、もう一度大きなスイッチを押す。すると、光はさっきと同じように消え、今度は青い層の外側に現れた。
「「お?!」」と俺とセレナ、ソルスまでもが前のめりになる。紫になった点が青い層の外に。つまり、プルーグの外に魔法使いが出たということだ。すかさずソルスが「先生、これは?」と詳しく聞こうとした。
「見ての通りです。転移魔法にあるものを加えたことで、転世魔法が発動したんです」
「あるものって、さっきの水色の粉ですよね? 一体なんなんですかその粉は?」
ソルスに聞かれ、エングは粉の入った試験管を俺たちによく見えるように持ち上げた。
「これはある魔法がこもった特別な粉です。ハヤマ君、ちょっと手を出してくれませんか?」
「あ、はい」
エングの言葉に従い、俺は片手を開いて出した。そこにエングは青い粉を軽く降り注ぐ。
「舐めてみてください」
「舐める?! 大丈夫ななんですか! 舐めて?」
「大丈夫だ、体に害はない」
その言葉に怪訝な目で見つめるが、変わろうとしない表情に結局負け、意を決して粉をぐっと口に運んだ。ゴクリ、と音が鳴るほどしっかり飲み込んでみせると、エングが試験管とゴムの蓋を渡してきた。
「よし、そしたら、この試験管を閉めてください」
ちゃんと受け取って、ゴムの蓋を指でつまんで試験管に近づけようとする。だが、異様に体の動きが遅いなぁと感じていると、セレナが「あれ?」と声が出たのを聞いて、やはり異変が起こっていることに気づいた。
「なんだこれ、動きが遅いぞ」
「粉の持つ魔法の効果がかかっているんです。時間魔法という無属性魔法ですね」
「時間魔法!?」
やっと蓋を閉め終えた瞬間、聞き覚えのある言葉に思わず反応してしまう。といっても、魔法のせいで頭が持ち上がるまで一秒以上かかった。
「そうです。時の都、ジバの王家が代々継承していると言われている時間魔法です」
「私たち、実際に時間魔法を見たことがありますよ。人の動きを遅くしたり、止めたりできる魔法ですよね」
セレナの詳細な説明に、エングは感心するようにうなずく。
「その通り。時間魔法は時間を操ることができる魔法。ハヤマ君の動きが遅くなったのもそれが影響しています」
俺はうなずこうとしてまた時間がかかってしまう。やっと折り返したところでソルスが聞いた。
「その時間魔法が、転世魔法となんの関係が?」
「私の推論では、恐らく転世魔法は、時空を操る魔法なのです」
「「「時空?!」」」
三色の声が一緒に重なる。時空を操る魔法? そんな大層なものだったのか?
「本当なんですか! エング先生!」
セレナが食い入るようにそう聞く。
「異世界には、この世界とは異なる時間が流れ、まるで違う空間が広がっているはずです。転世魔法は、そんな異世界から人を召喚する魔法。転移魔法と時間魔法は、共に時と空間を操る魔法であり、この二つを同時に発動すれば、転世魔法と似た効果が見込めるということです」
「時空を操る……」
事の壮大さに感服するような様子のセレナ。「でもエング先生」とソルスが口出しし、新たな疑問をぶつける。
「それだとエング先生。二つの魔法を同時に発動することになりますけど、それって可能なんですか?」
「ソルスの言う通り、あくまで私の研究結果で分かったことは、転移魔法と時間魔法の同時発動なら、本物の転世魔法と同じ効果が得られるだろうという予測だけです。あくまで理論の話しだから、実際にできるとは限らない。仮に成功できたとしても、想定外のことが起こることだって十分あり得る。けれど――」
エングの目がセレナを正面から見つめる。
「セレナ君は実際に、転世魔法を発動した経験がある。その時はまぐれであっても、その実力はちゃんと持っているはずです。だから、成功のカギを握っているのは、セレナ君の頑張り次第だと思いますよ」
「私次第、ですか……」
静かにセレナは呟く。胸まで上げた両手にぐっと握りこぶしができる。
「頑張ります! やるって決めてここまで来たんですから、やれるところまでとことんやります! エング先生もありがとうございます! こんなに調べてくれて」
「構わないですよ。興味深い研究が出来て、私も楽しかったですから」
狭苦しい研究室を出て、一階のリビングフロア。エングは疲れきったようにソファにもたれ、ソルスは裏で皿洗いをしていると、俺とセレナはテーブルの上に地図を広げて、次への進行経路を模索していた。
「これからの目的としては、転移魔法と時間魔法の使い方を学ぶこと。転移はフェリオンのコルタニスに妖精が。時間はジバのキョウヤさんから教われますから、この二つに行ってみるのが一番でしょうね」
「コルタニスが右上で、ジバは真左の方角。俺たちが今いるのはどこだ?」
「一番左下の、ここら辺ですね」
セレナが指差したそこは、二つの都からとても遠く離れている。
「まるで逆方向ってか。じっくり行くしかなさそうだな」
「どうしましょうか。先に知り合いがいるジバに行くべきですかね?」
「うーん、いや、それよりかはコルタニスのがよくないか? 転移魔法ってワープができるんだろ? それを習得できれば、その後の移動がだいぶ楽になる」
「なるほど賢い! そしたら先に、フェリオン連合王国にある、コルタニスに向かいましょうか」
そう言って、セレナはテーブルに置いてあった羽ペンを取って、今いる位置からコルタニスまでのおおまかな道どりを辿っていく。俺はただそれを黙って見つめていると、横からエングの声がしてきたのに振り向いた。
「行き先は決まりましたか?」
「あ、はい。フェリオン連合王国のコルタニスに向かいます」
「そうですか。ここからだと、長旅になるでしょうね」
長旅。その単語を俺の頭は勝手に連想していき、ふと、なぜエングがここで魔法の研究をしているのかが気になった。
「ちょっと疑問なんですけど、どうしてエングさんはこんなところで魔法の研究をしてるんですか? スレビスト王国出身?」
「いや、出身はログデリーズ帝国のラディンガルです。スレビスト王国に来たのは、そうですねぇ……」
語尾を伸ばし、少し考え込むエング。線を引き終えたセレナも気になって顔を上げた時、その続きが話された。
「強いて言うのであれば、魔法の新しい可能性を模索したかったから、ですかね」