9‐2 理魔法
「お待たせしましたぁ」
しばらく待っていると、ソルスが手に二種類の代物を持って帰ってきた。それが異様な雰囲気を放っていて、俺は思わず目を細めてしまう。試験管のようなガラス瓶に入った、黒く濁った謎の液体と、真緑のチョコチップみたいなものが詰まった、スコーンのようなお菓子。木のお盆に載せたそれらを、ソルスはテーブルの上に置いた。
「もしかして、これが理魔法か?」
俺の問いかけにソルスがエッヘンと胸を張って答える。
「これは理魔法を使うための元素。その名も、理グルメです」
「グルメ?」
俺はもう一度異色な料理もどきを見てみる。焦げたように真っ黒な液体と、毒のような緑が染色してる肌色の菓子。食べれるものかどうか怪しい。そう思っているのをよそに、ソルスは気取ったような演説を始めた。
「エング先生は長年、あることについて疑問を抱いていました。どうして魔法は、魔力がなければ使えないのかと」
じろりと目をやるエング。構わずソルスの一人芝居は続く。
「人間が魔法を使うには、体内にある魔力を自然の力を連結させる必要がある。故に人は、魔力がなければ魔法を使うことができなかった。ですが、エング先生はその疑問に真正面から向き合いました。自然と魔力の連結で魔法が生まれるのならば、その自然と魔力を、別のものに補うことができるのではないかと」
「補えたってのか?」
「エング先生の研究は長く続きました。あらゆる魔法を調べ、妖精の特性を学び、いくつもの書物を読み漁って。そうしてようやく、一つの答えにたどり着いたんです。魔力を代わりに身に宿せる方法。そんな常識を覆すような方法が、『理魔法』なんです!」
「おお。それじゃ俺みたいに魔力がない人間でも使えるのか?」
期待をこめながらそう聞き、ソルスはうんうんとうなずいてくれた。
「その通り。そして、エング先生の理魔法をより実感的に使えるよう、僕が工夫して作ったこれこそが、『理グルメ』なんです! 食欲は誰にでもあるもの。僕はそこに着目して、理魔法を馴染みやすいように改良したんです! これを食べれば、ハヤマさんでも魔法が使えるはずですよ」
「凄い発明だな。俺がとうとう魔法を使えるってことか。けど……」
言葉を区切ってしまうと、ついこの目が禍々しい理グルメたちに向いてしまう。見方を変えたら、黒ゴマのジュースとグリンピースのスコーンとかに出来るだろうか。……いや、どう足掻いても泥水と苦い薬が入ってそうなゲテモノだ。食べたい決心がいまいちつかないでいると、エングが口を挟んできた。
「食欲のそそる見た目ではないだろうね」
「そ、そうですね……」
「けれども、これらの効果は絶対だ。試しに一個、勇気を出してみるのはどうかな?」
「そう、ですねぇ……」
エングにも勧められてもためらってしまうと、ソルスが「ぜひぜひ」と黒い液体の試験管を差し出してきた。詰め寄られたからには受け取らないわけにはいかず、俺はそれを手に取って、塞がっていたコルクをポンッと取り外した。
「それは水魔法がちょっとだけ使えるようになる、理グルメです。ささ、遠慮せずに」
ソルスに催促される。近くで見てみると、黒い中に小さく白い粒々が微生物のように浮いている。おまけに生魚のような臭さも鼻をついてくる。
「なあこれ、飲んでも死なないよな……」
「死にませんよ。むしろ元気になります」
「本当かよ……」
「ささ。グイッと一発」
にわかに信じ難いことだが、少し期待しているのも事実。ここで飲まないでいるのもと思い、俺は試験管に唇を触れさせ、一気に中身を中に流し込んだ。砂のようなザラッとした歯触りと、好奇心で口にしたアルコールの苦味が広がった。
「むはぁ。意外と苦いな、これ」
試験管が空になったのを見てると、セレナが聞いてきた。
「何か変わりましたか?」
「うーん。特になんとも。いや、待てよ」
自分の右手が、急激に冷たくなっているのを感じて、手の平を上げてみる。パッと見、特別な変化はない。気のせい、ではない。確かにこの手だけ冷えている。試しに一回握りこぶしを作ってから、パッと指を広げてみた。すると、
「ふぶぉ!?」
その手から水の塊が現れ、俺の顔面目掛けて飛び出してきたのだった。
「おお! ハヤマさんの手から、水魔法が出ましたよ!」
俺よりも歓喜するセレナ。気にするのは顔じゃないんだな。
「水が、出たな……」
「どうです? すごいでしょ! こっちデザートはもっとすごいですよ!」
セレナに渡されたタオルで顔を拭いていると、ソルスはもう一つの理グルメを手に持った。俺は吹き終わったタオルをソファにかけてからそれを受け取る。
「ドリンクの次はデザートか……。ちなみに、これを食べたらどういう魔法が使えるんだ?」
「それは食べてからのお楽しみです」
三角の形をしたパン生地に、粒々の真緑色の何か。臭いは鉄のような、いや、血のような……。まさかと思いながらも、期待のこもった目をソルスに向けられ、俺は覚悟を決めてそのお菓子を噛みちぎった。
「うわ。思ったより苦い! ってか、かなり苦い!」
口の中に広がったのは、甘そうなお菓子とは裏腹の、まるで人工的な苦味だった。風邪薬とかより数倍苦い。
「ちゃんと全部食べてください。じゃないと、魔法は発動しません」
「マジかよ……ちょっときちいな、これ」
噛んだ後のスコーンは、緑の粒がグロテスクに辺りを染めていて、俺から更なる食欲を奪ってくれた。思わず手が進まずにいると、ソルスが俺の手にヤギの手をかぶせてきた。
「食べれないなら、お手伝いしますよ」
「ま、おま――!?」
強引に口の中にねじ込まれる。ネジを口にしたような食感。吐き出したい気分というより、不愉快な気持ちが募ってきた。極力舌に触れないように意識し、なんとかすべてを胃の中に送り込んでやる。
「はあ、全部食えた……」
「今度はどんな魔法でしょうか?」
能天気に聞いてくるセレナ。当事者である俺よりも楽しんでないだろうか。
「俺の心配はナシかよ……って、ん?」
セレナの背後に目がいく。彼女の背後に忍びよる存在。さっきまでいなかった、俺たち以外の全くの別人。しかも、しかもだ。
……。俺は目をよーくこすって、もう一度そこを見てみた。彼(?)はやはりそこにいる。俺を見ている。
「……これってもしや、幽霊、てやつか……?」
「え?」
一瞬で顔を青ざめたセレナが、俺の視線を追って後ろに振り向いていく。彼女の後ろで俺を見ていたヤギの獣人。老眼鏡をかけている辺り老婆だろうか。全身が青く半透明に透けていて、向こうの壁まで見えてしまっている。
「ハ、ハヤマさん。じょ、冗談なんて珍しい、ですね」
カタコトに話してくるセレナ。その間に、幽霊は変顔とダブルピースをしてみせる。
「随分と間抜けそうな幽霊さんだ」
「……本当に、見えてるんですか?」
「うん。しっかり見えてる」
しっかりうなずいて答えると、セレナは俺の背後に瞬間移動してきた。服の袖を掴まれ、だらっと冷や汗をかいていると、何も気にしていないソルスが喋ってきた。
「それは幽霊が見えるようになる理魔法なんです。死属性魔法の応用なんですよ」
「はええそうなのか。死属性は死に関する魔法だから、死者である幽霊が見えるって感じか」
「な、ななななんで、こんなところに幽霊がいるんですか!?」
全身を震わせて酷く怯えるセレナ。こういうものは苦手だったのか。
「お前、幽霊苦手なんだな」
「ハ、ハヤマさんはへへ、平気なんですかか?」
「うーん、どうやらそうっぽい。というか、こいつが結構愉快そうな奴っていうか。今もお前のビクビクした様子を見て笑ってるぞ」
「ヒッ!?」と悲鳴を上げるセレナ。声もなくケラケラと笑っていたヤギの幽霊は、いたずらっぽい笑みから顔を戻すと、部屋の壁をスッと通り抜け、その場から姿を消した。
「あ、消えてった」
「ほ、本当ですか……」
「泣きそうにだな……本当だよ」
目元に涙を浮かべていたセレナは、出ていた鼻水をすすった。
「ズズッ。ずみません。オバケとかはどうしても苦手で……でもすごいですね。食べるだけで魔法が使えるなんて」
「そうでしょそうでしょ。エング先生発案の理魔法、すごいでしょ?」
自分のことのように誇らしく語るソルス。セレナが俺に「これで、ハヤマさんも魔法使いになれますね」と話してきたが、それにエングが口出ししてきた。
「いや、残念ながらそうはなりません」
「え? そうなんですか?」
「理魔法はまだ開発途中。魔法が使えても、それは一時的なものなんですよ」
それを聞いた俺は試しに、右手をさっきと同じように握って開いてみた。いつの間にか冷えていたのが戻っていると、手の平から水はもう出てこなかった。
「本当だ。もう使えなくなってる」
「今の研究段階では、短い時間でしか発動できないんです。これからの研究で、長時間の発動を可能にしていくつもりですけど、これが中々上手くいかなくて」
「色々と難しそうですね」俺はそう感想を語る。エングは話しの続きにソルスを横目で見た。
「こいつに至っては、『材料を増やせばその分時間も増えますよ』とか言って、とんでもないパイを作り上げてしまって」
「だからって捨てるなんて言って、引っ張らなくてもよかったじゃないですか」
「バカ野郎。あれを食べて体の具合でも悪くなったらどうするんだ。研究で分からない以上、むやみなことを試そうとするな」
唐突にいがみ合う二人。パイと引っ張り合ったという行動に、俺はもしやと勘付いた。
「もしかして、俺に飛んできたパイってそれなんですか?」
それを認めるようにエングが申し訳なさそうな顔をする。
「それに関しては本当に申し訳ありませんでした。ソルス、お前も同罪だからな」
「ごめんなさーい」
特に悪びれないような声色でソルスは謝る。
「いやいいんだ。体は至って健康だし、特に不便になってる訳でもない。ただ鼻がよくなっただけみたいだ」
「そうですか。恐らく鼻が利く魔法も、近いうちに消えるはずです」
納得の表情をエングに見せる。今でもソルスの獣の匂いと、家の木材、あと、外から漂ってくる潮の匂いがしているが、気になるほどではなかった。彼らの謝罪よりもと、俺は新たな発明の話題に戻そうとした。
「それにしても、どうやって理魔法を作ったんですか?」
「魔法、なんて言葉がついていますが、魔力を使わない以上、これは実際の魔法ではありません」
「魔法じゃないんですか?」
「理魔法は、魔力と自然の力を全く別のもので補っているんです」
「ああ、さっきもそう言ってましたね」
「例えば、ハヤマ君がさっき飲んだ黒い液体。あれは、ビットウォープという植物を使っているんです」
「ビットウォープ?」
「スレビストの砂漠地帯に咲く花です。その花の特徴は、砂漠の中でも生きていけるよう、黒色の茎の中に水を生み出すんですよ」
「自らの体の中に水を作るんですか?!」
「植物も生命体の一種。置かれた環境の中で生き延びるために、そう進化したと言われてます」
「進化……」とセレナが復唱すると、ソルスも説明を付け加えてきた。
「砂漠の遭難者が、その水を飲んで助かったこともあり、『オアシスの花』とも言われてますよ」
「うわあ、なんだかかっこいいですね」
セレナが感激し、再びエングの説明に戻る。
「自主的に水を生み出せる植物。私は研究に研究を重ね、その特徴を引き出すことに成功しました。そしてそれこそが、自然の力の代用になっているわけです」
「ふむふむ。そしたら、魔力は何で補ってるんですか?」と俺は聞いた。
「魔力に関してはシンプルです。魔法使いの血液で補っていますよ」
「へえ、なるほどな――へ?」
単語の意味を遅れて理解すると、俺は全身の血の気が一気に引いていくのを感じた。聞き間違えかどうか確かめるために「あの、最後になんて……」と聞きなおす。
「魔法使いの血って言ったんだが」
聞き間違いではなかった。血とは、あの赤黒い液体。あれが、さっきの理グルメの中に。そして、エングの血が俺の中に……。
「「ええ……」」
とっさに出た言葉がセレナとハモる。人の血を飲ませたなんて、誰もがドン引きする内容だろう。途端に胃の中がぐるぐると気持ち悪くなっていく感じがする。そうとも知らずにエングは、道徳感が麻痺しているのか平然とした口調で説明を続けてきた。
「不思議なことに、本来体内にしかない魔力は、その血液の中に強く残っているのが研究で分かったんです」
「さ、左様ですか……」
「その魔力を生きたまま取り出し、特殊植物のビットウォープに反応するよう改良。そうすることで無事、理魔法を生み出すことができたわけです」
「あの、野暮なことをお聞きますが、あのスコーンみたいなものの中にも……」
「血が混じってますよ」
言い淀んだ俺に向かって、エングははっきりとそう答えてくれた。俺は何も言えないまま口をあんぐり開けてしまう。同じく顔を引きつらせていたセレナが「ドンマイです……」と哀れみながら俺の背中をさすってくれたが、しばらくこの硬直から俺は脳が働かなかった。そんな時だった。
「エング先生~」
突然、家の外からくぐもった様子で、可愛らしい子どもの声が聞こえた。自然に顔が窓ガラスにいく。するとそこには、ウサギにカワウソ、鹿やアライグマといった、多種多様な獣人の子どもたちが、五人集まっていた。背丈的にも十にも届いてないだろう。残りの一人はもこもことした毛をした獣人は、間違いなく羊の獣人だ。やっとヤギと羊の区別がはっきりすると、彼らは窓に見えるエングたちに手を振っていた。
「子ども?」と不思議そうに呟くセレナ。彼らに気づいたエングはハッとする表情を見せた。
「もうそんな時間だったか。ソルス、先に連れていっておけ」
「はーい」
ソルスが一人でログハウスの玄関に向かっていく。エングはその場に残っていると、状況を飲み込めていない俺たちにこう話してきた。
「申し訳ありませんが、転世魔法については一旦後にしてもいいでしょうか? これから授業がありますので」
「「授業?」」
意外な一言に、また俺とセレナはハモっていた。