2‐1 引き返すって言葉、知ってるか?
主人公苦戦描写あり。苦手な方はスルー推奨。
なお、二章二節、三節ではその分、主人公を活躍させたお話しとなっております。
「村、見えなくなりましたね」
カカ村を出発してから数時間。セレナが立ち止まり、背後に振り返りながらそう呟いていた。俺もそれにつられて足を止める。
「本当に始まったって感じだな」
進む先は、地平線の彼方まで続いているような眺め。一本の道の左端には、悠然と緑が広がった平原が、右端には新緑の木々が生い茂った林という、緑一色が広がったこの光景が、俺たちに旅の始まりを示唆してくるようだった。
「ちょっと寂しいですけど、でも、そうは言ってられないですよね。もう出発してしまった以上、村に帰った時は立派な魔法使いになっていないと」
そう言ってセレナが再び歩き出し、俺もその隣をついていく。
「立派、ね。まあ、気負い過ぎず適当に頑張ればいいじゃねえか。どうせ俺たちには時間の制限がないんだし」
引きこもりの俺に制限時間はない。いくらでも付き合えることをそう伝えると、セレナは背負っていたカバンを左肩から外し、中に手を伸ばして一枚の地図を取り出しては、それを広げて目的地を再確認した。
「私たちが向かうべき場所はここ、ログデリーズ帝国の王都、ラディンガルです。ここにあるラディンガル魔法学校に行って、情報収集するのがとりあえずの目的ですね」
「んで、そこに行くにあたって、途中にある村や、ジバっていう都に寄りながら進んでいくっていう話しだったな」
俺も話した詳細を思い出しながら補足を付け加えると、セレナが地図に指を置き、端にあるカカ村から一番近くにある異世界の文字に手を止めた。
「ここから近い村だと、明日にはたどり着けそうですね」
「明日か。一日中歩くんだな。体力が持つかどうか」
「私もこんな距離を歩いたことがないので、休み休み行きましょう。ラディンガルまではもっと遠いので、無理して足を痛めるわけにもいきませんからね」
そう言って地図を畳み始めるセレナ。それをバックパックに詰め直すのを横目で見ていると、彼女は重むろに「楽しみですね」と切り出し、話しを続けた。
「あまり後先考えずに始めちゃいましたけど、今こうして歩いてみると、世界がとっても広く見えます」
バックパックを正しく背負い、前に向き直ったセレナ。その目が異様に輝いているように見える。
「その言い草だと、村を出るのは初めてみたいだな」
「そうですね。生まれて十四年。村を出る機会はなかったかもです」
俺の口から「え?」と声が出てきてしまった。それは村を出たことがないという事実とは、また別の部分に驚いたからだ。
「お前、十四歳だったのか。意外といってるんだな」
「幼く見えてたってことですか! 失礼ですよ!」
「いや、そう言われても……でもそうか。十四の女って、こんな感じだったけか」
「バカにしてますよね?」
セレナの顔にむすっとした表情が一瞬で作られると、立て続けにセレナが俺に聞いてきた。
「そういうハヤマさんはいくつなんですか?」
「十七だ」
「あ、思ったより若い」
キョトンとした顔でそう言われると、本当にそう思っていたように見えてしまった。
「なんだよその反応。老けて見えてたって言いたいのか?」
「あ、いえ。仕返しするつもりで聞いたのは確かですけど、でも、本当に意外だったというか。ハヤマさんの顔、目が細かったりしてちょっと怖い感じなので。もっと歳がいってるものかと」
「マジな感じで言うなって。なんか普通にへこむんだが……」
一切容赦のない感想に、俺の肩が勝手に下がってしまう。年齢にふさわしくない顔なのは自覚できるが、若く見えないと言われるのは、結構精神的にくるものがあった。
そうこうしながら俺たちは道を歩き続ける。会話はとても穏やかではないにしろ、とても平和な旅立ちだった。行く先に人がいなければ、魔物なんかもいそうにない雰囲気。道の隣に生い茂る木々たちからも一切音が聞こえず、動物なんかの気配も微塵も感じられなかった。
この異世界に魔物がいると聞いたときは、本当に大丈夫なのかと強い不安があったが、旅立って一度も会っていない今となっては、もうそんな気持ちも薄れていた。
「それにしても平和だな。魔物を目の前にした時はどうなることかと思ったけど、意外に会わないもんなんだな」
「多分、魔王が死んだことで、魔物も新たに現れなくなったんだと思います。元々魔王の作った兵士のような生き物でしたから」
「なるほど。生み出す元凶が死んだんなら、数が減るのも時間の問題ってことか」
そう口にして歩き続けていると、それは突然訪れた。
「キュルルル……」
どこからともなく、気味の悪い虫のような声が俺の耳に入ってきて、まさかと思い俺は足を止めた。
「セレナ、今何か聞こえなかったか?」
「ん? 何か聞こえたんですか?」
セレナは何も聞こえなかったのか、首を傾げながらそう聞き返してくる。なるほど。だったら、何か聞こえたのは気のせいだ。そう即決した俺は、嫌な予感が当たる前にさっさとそこから離れようとした。
「いや、俺の気のせいだったかもしれん。先を急ごう」
だが、その行く手を阻むように、小さな黒い影が木々の中から道に現れた。
「ギュルルル!」
逃がしはしないと言わんばかりに飛び出してきたのは、人の両手で抱えるのがやっとそうなほど大きい、一匹の黒い蜘蛛だった。
「う!? やっぱりかよ」
体から伸びたふさふさの八本足に、血のような赤い目で俺を見てくる姿に、俺は一歩身を引いてしまう。その隣で、セレナは慌てることなく手を胸まで上げて構えようとしていた。
「リトルスパイダーですね。油断しなければ、私たちでもなんとかなる相手ですよ」
そう言って両手を突き出したセレナは、さっそく宙に緑色の魔法陣を浮かび上がらせようとしたが、そうはさせないと俺は声を張る。
「ちょっと待ってくれ、セレナ」
「はい?」
魔法陣がしゅんと消えると、セレナは両手を下げて俺を見てきた。
「いや、試したいことがあってな。俺が戦えるのかどうか、はっきりさせときたいんだ」
「はっきり?」
「昨日倒した蜂の魔物。確かビッグワスプだっけか。あれを倒せたのが偶然だったかどうか、今一度確かめときたいんだ」
切った感触もなく、目を瞑っていたにも関わらず転がっていたビッグワスプの死体。本当に俺が倒したというのなら、この魔物だって一撃で倒せるはずだ。自分の力を試すためにも、俺はセレナに真剣な顔を向けながらそうお願いしたのだった。
「まぁ、そこまで言うのなら、別にいいですけど、でも……」
「でも?」
セレナは一度言葉を区切ると、頭を下げて俺の足元を見た。
「すでに危ない状況なような……」
セレナの目線につられて、俺も自分の足元を見てみる。そこには、蜘蛛の糸が何重にも重なって、俺の両足をぐるぐる巻きにして縛り上げている光景があった。
「――はっ!?」
俺は急いでそれを振りほどこうとしたが、それより先にリトルスパイダーが口の糸を引っ張ると、俺は体勢を崩して顔から地面に倒れてしまった。
「――っぐ!」
手で受け身を取り損ね、鼻を中心に顔に打たれたような痛みが走る。それを感じている間にもカサカサという足音が聞こえると、顔を上げた目の前には、口の糸を噛みちぎり、俺の顔を食らおうと口を開けるリトルスパイダーがいた。
「ひいいぃぃぃ!?」
小さな牙にねっとりついた糸の残りと、真っ暗な喉元から漂ってきたアンモニウムのような異臭に、俺は思わず情けない声で叫んでいた。
死んだ! 確実に死んだ! 頭を噛まれて俺は死ぬんだ!
「ウインド!」
死を間近に何も動けずにいると、セレナの声が響いていた。それと同時にうねるような風音が鳴ると、リトルスパイダーの口に風の衝撃波が直撃し、その体が出てきた木々の中へと吹き飛んでいった。
「大丈夫ですか?」
背中ごしからセレナが話しかけてくる。彼女の風の魔法で、また助けられたようだ。
「こ、怖かった……」
救われたことで緊張が緩み、素直な感想をつい口にしてしまう。
「完全に不意を突かれちゃってましたね」
そう言いながらセレナは、予めバックパックから小さなナイフを取り出しており、俺の足元に絡まった糸を丁寧に切ってくれた。両足の自由を取り戻した俺は立ち上がろうとしたが、地面につけた両手がまだ震えているのに気づき、同時に何もできなかった自分が情けなく思えてきてしまった。
「なあセレナ。聞いてもいいか?」
「なんですか?」
俺は地面に目を向けたままこの質問を飛ばす。
「今さっきの俺は、前にビッグワスプを倒した俺と同じ人間に見えたか?」
「へ? そ、それは、まあちょっと別人でしたが……」
セレナは白々しくそう返答したが、苦い返答であるのに変わりはなく、至極当然の反応でもあった。やはりと言うべきか、俺の戦闘力は一般人以下ということが証明された。村で倒せたあの出来事も、本当に偶然だったのだろう。とても魔物を倒せるビジョンなんか見えず、むしろ逆に恐怖の悲鳴をあげていたのだから。俺はそこでやっと立ち上がると、脱力するように天を仰いだ。
「セレナ。引き返すって言葉、知ってるか?」
ポツリとそう呟いた瞬間、セレナはあわわと手を動かした。
「ああ諦めないでくださいハヤマさん! 旅は始まったばかりなのに、今すぐ帰るなんてできませんよ! そうです! ハヤマさんも一緒に強くなりましょう! ほら、最初は倒せなくても、きっとハヤマさんには才能があると思いますし、慣れていけばきっと、リトル級は安定して倒せるようになるはずですよ。なので、ね? もう少しだけでも頑張ってみましょう、ハヤマさん」
「そこまで言うか……」
顔を下ろしてセレナを見つめる。その顔は必死そのもので、どうしても引くわけにはいかないという意志を感じた。
「どんだけお母さんのことが大切なんだ。そう思えるお前が、俺は凄く羨ましいよ」
「そんなの、十四年も大事にしてくれたからに決まってるじゃないですか」
「そうすぐに答えられるのも羨ましい限りだ」
俺はそう適当に返すと、リトルスパイダーが飛ばされていった林から、ガサガサと草木が揺れる音が聞こえた。一瞬でそこに目を向いたが、中から何かが出てくる気配はなかった。それを気味悪く思った俺は、すっと前に向き直って先に歩き出そうとした。
「さっきの引き返すってのは冗談だから、さっさと行こう。魔物が倒せなくても、魔物と出会わなければいい話しだしな」
そう言って早足でそこを離れていくと、後ろからセレナが「そんなに怖がらなくても……」と呟きながら近づいてきた。
それから時間は過ぎ去り、日が完全に沈み切った頃。旅を始めてから最初の夜が訪れた。俺たちは歩いてきた土の道から横の草木に外れて、地べたに明かりになるランタンを置き、座って休みながら、村から持ってきたパンと、簡易的な野菜スープを食べて丁度腹を満たしたところだった。
「今日はここで寝るしかないですね」
後片付けを終えたセレナが俺にそう呟いてくる。
「そうだな。でも大丈夫なのか? さっきも魔物に襲われたし、寝ている間に来たらたまったもんじゃないぞ」
ランタンの明かりが光るだけで、周りはとても真っ暗で何も見えない。道沿いに生えている木々もここまで続いているし、とても安心して眠れる環境ではなかった。
「そのことなら心配ありません。私には、もう一つの魔法がありますから」
セレナは自信ありげにそう言うと、その場に立ちあがり、足下の先の地面に向かって両手を伸ばした。いままでだったら緑色の光だったのが、今回は茶色の光がすっとそこに現れると、それは線となって伸びていき、丸い円を描いていった。円を描き切った線が、今度はその内側に複雑に絡むように伸びていくと、次第に魔法陣を浮かび上がらせていく。
「土魔法。アース」
セレナが魔法を口にして唱えると、完成した魔法陣が光を放った。すると、セレナの手の先にあった地面が、不自然に隆起し始めた。
「なんだ?!」
その一旦以外にも、座っていた俺の背後や、セレナのかかと方向にあった土も動き出し、気が付けばランタンを中心にぐるっと円形に土が動いていた。それらが徐々に徐々に盛り上がり、次第に壁のようになっては、俺たち二人を包み込むほどにまでせりあがっていくと、最後にセレナの頭上でそれがくっつき、外の世界と隔離された土のドームが出来上がった。
「おお、すげぇ!」
「こうして土魔法を使えば、夜の睡眠も心配ご無用です」
魔法を発動し終えたセレナが、自慢げにそう言ってみせる。
土のドームはかまくらほどの大きさで、実際に壁を叩いてみると、石砂がちょっとだけ崩れるだけで、ちょっとやそっとの力では崩れなさそうだった。厚さもそれなりにあるようで、まさに壁と呼ぶにふさわしい頑丈さだ。
「すごい魔法だな。こんな簡単に安全スペースを確保できるなんて」
「土魔法はその名の通り、土を操る魔法なんです。頑丈である特質を生かして、こうして壁にしたり、大きな石塊を作って攻撃、なんかもできるんですよ」
「土魔法か。これなら魔物が出てきても安心だな」
「私の場合、風魔法ほど得意じゃないので、戦闘で使うのは難しいですよね。今のが全速力だったんですけど、実際にやったら、その間に襲われてしまいますし」
「そうなのか。使い分けてるんだな。――というか、魔法にも得意不得意があるんだな」
セレナがバックパックから寝袋を取り出していたのを見て、俺はそれを真似しながらそう聞いてみる。
「魔法にも相性がありますからね。イメージしたものを具現化させる。その感覚は、魔法の属性ごとによって違いますから」
「イメージを具現化? よく分からんが、魔法は感覚が大事ってことか?」
寝袋を広げながらセレナが答える。
「そうですね。ボールを投げたりするのも、感覚で投げますよね。それとおんなじ感じです」
「へえ。意外と単純だな」
「まあ、運動能力と大して変わりはないでしょうね。熟練の魔法使いほど、より強い魔法を使えるわけですし」
「なるほど。使えば使うほど上手くなるってことか」
俺も寝袋を広げ切ると、セレナは既に中に入りながらあくびをこぼしていた。
「ふあぁ……それじゃ、私たちの間にも壁を作りますね」
セレナが茶色の魔法陣を片手に浮かばせ、俺たちの間の土を盛り上げていく。
「語弊のある言い方するな……」
「襲われたら困りますからね」
「何があってもないだろうな」
俺も寝袋の中に入ると、俺たちの間にも壁が出来上がっていくのを眺めた。そうして土が天井にくっつく前で止まると、その隙間からセレナの声が入ってきた。
「明日は近くの村に着けるといいですね」
「そうだな」
腕を伸ばして体の力を抜いていく。歩き続けていた疲れを一気に解放していくと、セレナのふっと放った息と共に、天井の隙間から微かに映っていたランタンの明かりが消えた。