8‐4 バックグラウンド
壁に松明が飾られた、がれきのような石の通路を、五百人を超える参加者と共に進んでいく。いよいよコロシアムの中へ足を踏み入れた俺は、途中で待ち構えていた獣人と会い、それぞれ自分の武器を渡すよう指示された。周りの参加者も同じようにしてるのを見て、俺もすぐに腰のサーベルを外し、係として働いている犬の獣人に渡す。その裏にある部屋の中に俺のサーベルが持ち運ばれていくと、代わりに係の獣人は一本の模擬剣を手に戻ってきた。
木でしっかり彫られて作られたそれを手渡される。持ってみると、扱いやすい長さに程よい重さのだ。また係の指示されると、俺はそれを手に持ったままコロシアムの試合場へ再度足を進めた。
右も左も、前も後ろも人だらけ。常に隣に誰かがいるこの雰囲気に拒否反応を示そうとする体に、前に比べれば随分と歩けるようになったものだなと鼓舞して進んでいく。なんな時、すぐ目の前を歩いている人間が、見覚えのあるフードを被っていてつい凝視した。その彼が俺の気配に気づいたのか、顔を振り向いてくると、やはりそれは片目を隠した赤目の彼だった。
「お! やっぱりラシュウだったか。奇遇だな」
深く被ったフードの切れ目から、黒い目を隠した赤目の戦士ラシュウ。「あ! ハヤピー!」と聞こえると、両隣りには紫髪のネアと、猫を被ったユリアも一緒にいる。彼らとはラディンガル以来での再会だ。
「お前らも祭りに参加するんだな」
「こいつのせいで、無理やりな」
ラシュウがネアを見ながらそう言う。
「だって祭りだよ! しかも賞金のかかった大きな祭り! 参加しない方が損だよ、こんなの!」
なんだかセレナと通ずるところがあるような気がする。とりあえず「ネアらしいな」とだけ呟いておくと、ユリアは無口のままただ顔をうなずかせた。
「ネアは勝てなくても、ラシュウとユリアならきっと予選突破できると思うんだ。絶対に手抜いたら駄目だからね。ラシュウ分かってる?」
「分かってるって。何度も言うなよ」
相も変わらず苦労してそうだな、とラシュウに同情の念を送る。すると次第に、歩いていく方向から明るくなっていき、やがて強い光が差し込んできた。いよいよ試合場へとたどり着く。その認識から、ネアたちとの会話で緩和されていた緊張が再び俺の体を支配していく。早まる鼓動を抑えようと胸に手を当てる。周りは見た目からして強豪ぞろい。それでも俺は今日、できる限りのことをする。大丈夫だ。今までの経験と昨日の猛特訓。それがあれば、何かしら結果は残るはずだ。
――少なくとも俺は今、昔の俺ではない。
「「「ウオオォォ!!」」」
コロシアムのメインステージに出てまず分かったこと。それは、聞きなれていた観客の歓声が、この場所ではさらに太くうるさく聞こえてくることだった。彼らの声だけでこのコロシアムが崩れてしまうんじゃないかと思うほど、観客たちの熱気がビシビシ伝わってくる。その熱に当然俺は委縮してしまい、再び胸に手を当てて深呼吸をしていった。大丈夫だ、なんとかなるはずだ。そうして俺が落ち着くよりも先に、アガーの声が響き渡っていった。
「お待たせいたしましたあ! 皆さま待望の、決闘祭りのメインイベント! 五百五十五人の中から一人の最強を決める、最強決定戦!! ただいまより開幕ですっ!!」
高らかな開催宣言に会場が更に盛り上がる。それに地面が揺れるような錯覚を感じてしまうと、俺は深呼吸するペースを早める。
「まずは予選です。ルールを説明する前に、まずは舞台を整えましょう!」
舞台? どういう意味かピンとこなかったが、突然俺たちの足下で、試合場を埋め尽くすほど大きい茶色の魔法陣が浮かび上がった。不思議にそれを眺めていると、次の瞬間、今度は本物の地面の揺れを感じ、だんだんとその地面がせり上がっていくのだった
「うお!?」
ガクガクとした動きに思わず膝をつく。ラシュウやネア、ユリアに周りの参加者もそうしていると、ガガガッという地響きがやっと収まった。何が起きたのか見回し、俺は試合場の壁の間に、大きな溝が出来ているのに気づいた。
「これは……中央だけせり上がったのか!」
どうやら試合場に陸の孤島が生まれたらしい。試しに崖際に近づいてみると、下の地面まで二メートルほどせり上がっていて、今立っている足場は、試合場の元の大きさに比べて半分くらい。おかげで腕を伸ばせば誰かに当たりそうなほどの人口密度だ。
「ルールは簡単。魔法でせり上がった足場から相手を落とし、最後の十六人に残れば予選突破です。参加者の装備は模擬剣一本のみ。当然、格闘術で落とすのもオーケー。ですが、魔法の使用は禁止とさせていただきます。たとえボコボコにしてしまっても、優秀な医療班がいることをお忘れなく」
この足場から落ちたら敗退。そのルールを聞いた時、試合場では参加者たちが中央に寄ろうと各々動いていた。制限された試合場は、およそサッカーフィールドほど。落ちなければ予選突破になる。その理屈を全員が理解したのだろう。中央に群がる参加者全員からは勝利への執念を感じられた。
「みんな必死だな」
そう呟いていると、無口のせいで存在感の薄いユリアもそこに向かって歩き出していた。
「ネアも真ん中行こっと! ハヤピーも一緒に行かない?」
まるで打ち上げに誘ってくるようなノリでネアがそう聞いてきたが、俺は首を横に振って断った。
「いや、俺には俺のやり方があるから、ここでいいや」
「そっか。そしたらここでバイバイだね。お互いに予選、突破できたらいいね!」
そう言ってネアがユリアを追うように、真ん中へ走っていく。ラシュウだけがこの場に残っていると、彼は俺に奇異な目を向けていた。
「端に残るって、お前はすぐに脱落するつもりか?」
「いやいや、さすがにそれはしないさ。これでも色々準備してきたんだ。自滅だけはしない。そう言うお前は、本当にやる気があるのかよ」
「俺は……」
口ごもったラシュウが中々答えずにいると、フードから見せる右目が、遠くの誰かを見つめているように見えた。試しにその視線の先を追ってみると、そこには青い兜を被った男が見えた。目元を完全に覆った兜に俺は見覚えがあると、昨日の出来事が自然と蘇った。
「お、あいつ、昨日俺に武器を向けてきた奴じゃねえか」
昨日セレナと行った決闘祭りの受付。そこで俺の背後から、三尖刀という武器を顔面に突きつけた男がいたが、それが今見えている、目元を完全に覆い隠すようにできた兜の男と同一人物であった。
「あいつを知っているのか?」
そう聞いたラシュウは、俺の気のせいか、少し勢いのある聞き方をしていた。
「知ってるというかなんというか。昨日なぜか武器を突き付けられてな。なんでも強い殺意を感じたらしい。全く失礼なこと言うよな」
「その顔じゃ仕方ないだろ」
「お前も言うのかよ!」
まさかの返しに俺は声を荒げる。そんなに俺の顔は険悪で犯罪者顔だろうか。こんな顔にした両親を恨む気持ちになったが、肝心のラシュウの答えを聞けてなかったことを思い出すと、それを遮るようにアガーの声が入る。
「さあ参加者たちも配置についたところで、いよいよいってみましょう! 最強の名が欲しければ、他をなぎ倒し、最後まで生き残ってみせよ! 最強決定戦予選。地獄のバトルロイヤルが今、開始です!」
いつの間にアガーの横に置かれていた銅鑼。その前にウグーが撥を持って立っていると、それを鳴らそうと体に見合わない撥をよれよれと持ち上げ、必死過ぎるあまり目を瞑りながらもそれを思い切り振り切った。
――ブオーン!!
銅鑼の音が重苦しく響き渡る。会場全体にその轟音が広がっていくと、決闘祭りの予選は、観客の盛大な盛り上がりと共に始まった。
「うおりゃあ!」
「てやあ!」
「どりゃあ!」
屈強な参加者たちが、一斉に模擬剣を振り回し始める。中央にぎっしりと集まっていた彼らだったが、この試合場に合計五百人もいるとなると、その密集は化学反応を起こすように瞬く間に広がっていった。
「こんちくしょうが!」
「どうだ!」
開始十秒で、どこもかしこも人が入り乱れる混戦状態と化す。それは予想するに簡単な光景だったが、鋭いガンが飛び合う恐怖と、目が合った相手同士でぶつかり合う彼らの迫力だけは、全くの予想外だった。誰もが全力で模擬剣を振るい、力の限り相手を押していこうとしたり、相手が格上だと判断して逃げ出そうとしても、その相手に背中を見せれば、彼らは猛獣のように追いかけていく。みんな死に物狂いの戦いを繰り広げているここは、まさしく戦場のようだ。
「すっげえ迫力だ。本物の戦争かよ」
呑気にそんなことを言ってる間に、いよいよ端の方に立っていた俺とラシュウの場所も危険になってきた。それにラシュウは中央に向かって一歩踏み出す。
「そろそろここを離れるべきだな。俺は一人で戦わせてもらう。お前はどうするんだ?」
目を向けられて聞かれたことに、俺は答えようとした。だがその時、試合場中央から爆発するような暴風が吹き荒れると、驚いてそこに目を向けた時、そこには天変地異な光景が広がっていた。
「おいおい……なんだよこれ!?」
空中に吹き飛ばされた五十数人の戦士たち。そう。試合場中央で、戦士たちが空中に吹き飛ばされているのだ。屈強な体つきをした人や、おっかない顔をした肉食の獣人。ちゃっかりチャルスもその中に含まれていると、彼らはすぐにちり紙のように場外まで落ちていった。
突然起きたその現象に、アガーや観客たちもどよめいたのが聞こえてくる。この場の全員が驚愕している中、俺は冷静に爆発の発生源に目を落とした。そこで模擬剣を振り切っていたのは、あのミスラさんだった。
「ミスラさんかよ! この元凶!」
度が過ぎた実力に唖然としてしまう。
「……あいつもいたのか」
横からラシュウがそう呟いたのが聞こえると、俺は昔を思い出し、すぐに我に返った。
「ああ、そういえばラシュウはミスラさんの敵側だったか。ところでお前、あの中に突っ込んでいくつもりか?」
俺の言葉にラシュウが中央を見る。その剛腕で何十もの強者を同時に吹き飛ばしたミスラさん。その後も物好きな戦士たちが立ち向かっていっては、一振りであしらっていくその光景に、ラシュウは戸惑いを振り払うように足を踏み出していった。
「どちらにせよ、ここにより中央のが安全だ」
それだけ言い残して前へ進んでいくと、ラシュウも他の戦士に目をつけられ、早速戦闘体勢に入る。そのまま模擬剣を振るって中央に近づいていくと、とうとう背景の一つとなって俺の視界から消えていった。
そうしてその場に残った俺は、今一度辺りを見回してみた。ミスラの豪快な攻撃で一瞬静まっていたが、既に彼らは血気盛んな獣に戻っている。脱落した数はまだ全然で、やっと五百人の数が変わった感じはしない。戦いに不慣れな自分が、この乱戦の中で生き残るのは到底無理な話しだ。
「ここいらでいくか。俺のとっておきの秘策」
俺の秘策。前持ってセレナに言っておいたそれは、俺が元いた世界で唯一努力で積み上げてきた秘密の特技だ。もう当分発動はしていないが、実績だけは確かなはず。俺は振り返り、試合場の端も端の部分に立とうとする。
これを初めて編み出したのは、小学生の時。俺が元いた世界では、ドッジボールというスポーツが存在する。一つのボールを投げて、相手を全員アウトにさせるシンプルなルール。その世界では馴染み深いそれは、当時小学校に通っていた俺の周りでも大人気だった。だが、俺はそれが大嫌いだった。理由としては三つ。
一つ目はチーム戦であること。協調性のない俺が、チーム意識をもって何かをするのは苦痛でしかない。
二つ目は当てられると素直に痛いこと。特に野球をやってる奴の剛速球は、絶対に顔面セーブしてはいけない。
そして三つ目は、最後の一人まで残ると注目されることだ。大してうまくもない奴でも、最後まで生き残ってしまえば、そいつは理由もなく期待のまなざしを向けられてしまう。当時から目立つのが苦手だった俺に、そんな視線が集まるのはまさに地獄でしかない。
それだけ大嫌いなドッジボール。周りの空気や流行りに乗り遅れた者は、それだけで迫害対象になりかねないため、俺は嫌々それに顔を出すしかなかった。だから俺は身に着けるしかなかった。あの悪夢の時間が訪れても、うまくやり過ごせる方法を。
俺は昔のやり方を思い出しながら、試合場の端に立って中央に体を向ける。周りに俺を見ている人がいないかを十分に確認してからやり始める。目は試合場の向こうを見つめ、その間にどれだけ人が映ろうが、一点に見つめた壁から視点を決してずらさない。鼻から一回、深く息を吸い込んでから薄く長く吐き続け、全身をなるべくリラックス状態に保つ。
そして最後に、頭の中の邪念を振り払って空っぽにしていく。何も考えない。ただただ無心でいる。念じていいのは、俺は背景という言葉だけ。そうすることで初めて、俺の秘策は完成する。
俺は背景。俺は背景。俺ははいけい。
一人の人間が俺の目の前を通り過ぎる。また一人。また一人。人間を追いかけまわす獣人も、隣で押し合う二人の人間も、俺に気づかず通り過ぎていく。
背景……。はいけい……。はい……けい……。
――――――
「どこもかしこもごっちゃごちゃ。ハヤマさん、まだ残ってるでしょうか」
私は心配するようにそう呟く。ハヤマさんと別れた後、私はキョウヤさんとヤカトルさん。そして、たまたま出会ったグレンさんとフォードさんと一緒に、参加者専用の観客席で試合を見物していて、隣にいる皆さんもそれぞれ、自分たちの仲間を必死に探しているように試合を眺めていた。周りの席は五百人分は空いていて、とてもガラッとしたようだったが、試合場では壮絶な戦いが繰り広げられていて、ハヤマさんが見つからない私はどこか落ち着かない様子だった。
「うーん、どこにも見つからない……」
どこを見渡しても見つからないと、ヤカトルさんが不穏なことを喋ってきた。
「もしかしたらハヤマの奴、もう落ちてるのかもな」
「そ、そんなことは……あるかもですね……」
反論しようと口走った言葉が、あえなく別の言葉に置き換わってしまう。なにせ、参加人数は全部で五百五十五人。その中の十六人になるだなんて、あのハヤマさんができるようには思えない。応援するとは言っても、ミスラさんがド派手に暴れたのを見てしまっては、どうしても勝ちあがる未来が見えないでいた。そう思ってがっくり肩を落とすと、キョウヤさんが微笑んできた。
「まだ諦めるのは早いですよセレナ。見事に都を取り戻してくれたハヤマです。彼ならきっと、成し遂げてくれるに違いありません」
その自信がありそうな言いぶりに、私はまさかと思ってこう聞いてみる。
「もしかしてキョウヤさん。未来予知で何か見たんですか?」
「フフ、まさか」
その含み笑いが一体何を意味するのか。わずかな可能性を感じた時、反対側の席からグレンさんが声を上げた。
「お? ハヤマがいるじゃないか」
「え?! どこにですか?」
「あそこだ」と腕を伸ばすグレンさん。その指先を追っていくと、試合場の端を指差していた。
「……ん? どこにもいませんけど」
「よーく見るんだ。一人棒立ちの男がいるだろう?」
グレンさんの言う通り、私はなんとか見つけようと凝視してみると、既にハヤマさんが目に映っていたのに気づいた。
「あっ! 見つけました! まだ残ってたんですね。……というか、なんで棒立ち?」
土埃が舞う中、なぜか棒立ちで立ち尽くしているハヤマさん。ただ、何かが変だなぁと感じると、私は目を凝らして見つけたのを思い出してハッとした。感じていた異変。それは、ハヤマさんに気づいている人が他にいないということだった。
――――――
成功だ。自分の存在を限りなく無に近づけ、誰にも気づかれないようにする秘策。まるで自分の体に背景を纏わせるようなこの技。異世界風にカッコつけるなら、必殺バックグラウンド! 今の俺はただ一点だけを見つめる壁であり、周りからは俺が見えても存在が認知されない、透明人間も同然の存在になっているはずだ。ドッジボールの中で見出した必殺技。エリアの角っこに立ち、さもここにいるのが当然のようにい続ける。その戦法が、ここに来て役に立つとは。
一見、こんな姿はすぐにバレるように思えるだろう。だが、これが意外と効果がある。証拠として、俺はこの必殺技を発動している時、外野の人間が俺に近づいては、全く気づかずに目の前を通り過ぎていくのを何度も経験してきた。人目につかない角に立ち、そこで極限まで存在感を消す。そうすることで、周りの人が俺に目を向けても、あたかもそこにいるのが自然なのだと錯覚し、認識されなくなるのだ。保証として、当時この必殺技を極限まで極めようとした時、最終的に俺は、自分が残っているにも関わらずゲームが終了するまでに至ったことすらある。
存在感を限りなく無に近づけるこの必殺技。その完成度には自信がある。久々であれ、俺がこれを失敗することなんてありえないのだ。
ドッジボールの話しは作者が経験済み。90%の確率でやり過ごせますのでお勧めです!(ただし一度バレたらもう無理。顔面やったあの野球小僧は今も忘れない)