1‐6 行きましょう!
ひょんなことから二人旅をすることになった俺とセレナ。あれから家に戻ってくると、セレナが一枚の地図をテーブルに広げていた。それを眺めてみると、そこには台形をおおまかに形作った大きな大陸と、ところどころに見慣れない文字が、その土地を表すようにいくつも書かれていた。
「この世界の地図か?」
「この世界、プルーグ大陸の全体図です」
俺の質問にセレナがそう返してくる。このプルーグ大陸は、中央を点集合にYを描くような太い線が引かれ、大きく三つの隔たりを作っていた。
「これが国境線か?」
「そうです。プルーグ大陸には、三つの国があるんですよ」
「三つか。簡単でいいから、一つずつ教えてくれないか?」
俺がそう聞くと、セレナは予めテーブルに置いていた本を手に取って、適当にページを開いていった。
「そうですね……まずはここですかね」
三分割された大陸の右下にある、一番大きく見える国が人差し指で示される。
「ここがログデリーズ帝国。通称人の国とも呼ばれていて、私たちのいるカカ村もこの国にあります」
「人の国? どういう意味だ?」
「この世界には、人と獣人がいるんですよ。あと、妖精も」
「獣人と妖精か……なんとなく分かる気がするが、そいつらはどんな生き物なんだ?」
「獣人はその名の通り、ライオンとかトラといった、獣の姿をしてる人間のことです。妖精は前も言った通り、小さな小人みたいな生き物で、私たちに魔法を使える能力を与えてくれるんですよ」
「妖精との契約だったな。契約しなきゃ使えないって、やっぱり不便だよな」
「元々魔法は妖精だけが扱ってた、特別な力でしたからね。言い伝えでは、まだプルーグが繁栄する前の時代に、妖精に近付いた一人の人間が気に入られて、人間と契約結ぶようになったと言われてるんですよ」
「へえ。面白い話だな」
何気なくそう感想を呟くと、セレナが再び本に目を戻した。
「話を戻しますね。ログデリーズ帝国は、歴代の王たちが国を繁栄させてきたおかげで、三国の中で最も大きい国に育っているんです。都や村の数は他の国より最も多く、そこに暮らす人も一番多いそうです。それぞれに王や村長なんかがいる中、それらを束ねる一番の王様が、首都であるラディンガルにいるそうです。ちなみに、人の国と呼ばれているのは、歴代の王様たちがみんな人間だったからって書いてあります」
「ふうん。要は一番栄えてる国なんだな」
適当にそう相槌すると、セレナの指が左下の国に移動した。
「ここがスレビスト王国。通称獣の国と呼ばれていて、人口のほとんどが獣人だそうです。ここは完全に一人の王様が国を治めていて、村や集落はあれど、目立つような都は王都のベルディアだけだそうです」
「王政国家ってことか。獣人は見たことないから、ちょっと楽しみだな」
セレナの指が最後に残った上の国を示す。
「そしてここがフェリオン連合王国。いくつかの小国が集まった国で、通称中立の国と呼ばれています」
「あれ? 人の国、獣の国ときて、妖精じゃないんだな」
「妖精は私たちと違って、文明とかとはかけ離れた存在ですからね。国なんかは持たずに、世界の至るところで、自由気ままに生きてるんですよ」
「そうなのか。じゃ中立ってのは、どういう意味があるんだ?」
セレナがページを何枚かめくり、とあるページで手を止める。
「ええっと、その昔、プルーグ大陸が三つの国に分かれる前、人間と獣人が戦争を起こしたことがあった。その時、戦争をする意思を示さなかった地域が存在し、それが後のフェリオン連合王国になった、と書かれてますね。どちらの国にも協力しなかったということで、中立の国って呼ばれるようになったそうです」
「なるほどね。平和主義ってことか。どこの世界も戦争で歴史が変わるんだな」
皮肉混じりにそう言ってみると、セレナが本を閉じた。どうやらプルーグ大陸に関する大まかな説明が終わったらしい。
「大体こんな感じですね。それで、私たちが最初に目指す場所なんですけど……」
セレナがログデリーズ帝国に手を置くと、国境線の付近にあった、都の名前らしきものを指差した。
「ログデリーズ帝国の王都、ラディンガル。ここにある魔法学校が、この世界で一番大きい魔法学校だそうですよ」
「ラディンガル魔法学校……一番の名門だったら、確かに転世魔法について知れるかもな。こっからそのラディンガルまで、どれくらいかかるんだ?」
セレナがログデリーズ帝国の右端の、小さな集落のような場所を指差す。
「ここが私たちのいるカカ村ですから――」
そこから王都のラディンガルまで目で移動してみると、結構な距離があった。
「そこからか。ずっと歩いていくのは、中々しんどそうだぞ」
「それもそうですね……そしたら――」
セレナが置いていた指を、そのままラディンガルに向けて真横に動かしていった。
「ところどころに色んな村がありますから、そこに寄りながら行きましょうか。休み休みに行けば、時間がかかってもちゃんとたどり着けるはずです」
「うーん、まあそれしかないか」
特別な方法も思いつかず、俺もそう納得すると、セレナの指がカカ村とラディンガルの間の都に止まった。
「あ、村以外にも大きな都が一つありますね。時の都ジバ、だそうです」
「時の都? なんだか随分神秘的な響きだな」
「そしたら、まずはここを目指しましょうか。丁度真っすぐ行けばたどり着く場所ですし」
そう言って地図を畳み始めるセレナ。これから本格的に旅の準備に入るのだろうが、俺は一つ気になることがあった。
「なあセレナ」
「なんですか?」
「この世界を脅かしていた魔王は、本当に死んだんだよな?」
「そうですよ。ハヤマさんも見ましたよね。アストラル旅団が放った、空を照らす赤い矢を」
立ち込めた暗雲を、爆発のような光で一瞬にして払った赤い矢。あれは確かに空にはびこる邪気を払っていた。
「アンヌさん曰く、魔王は五年この世界を支配してたんだってな」
「そうですけど、それがどうかしましたか?」
テーブルに頬杖をついてセレナから目を離す。ただテーブルの木目を眺めていると、俺は何気なくこう呟いた。
「……魔王が生きていた異世界。面倒事に巻き込まれなければいいんだがな」
――――――
旅立ちの時が近づくにつれ、俺たちの旅にでるための準備が淡々と進んでいった。現実世界から召喚され、何も持っていなかった俺は、ほとんどの荷物をグルマンから借りた。背中が隠れるくらい大きいバックパックに、黒緑色の服もすべてグルマンのものだった。
外で寝るための寝具や代えの衣服など、他に必要な旅道具で足りなかったものは、セレナの提案で村人たちにお願いして回り、それぞれ必要な分をそろえていった。それを村人から受け取る都度、誰もが「頑張れ」という言葉を残し、快く譲ってくれた。セレナも俺と同じように、足りなかったものを村人たちからありがたく頂きながら、俺たちの荷造りは進んでいった。
代えの服に寝具。保存のきくパンやカンテラ、金貨の入った袋に村人から頂いたクッキーなど、それらの荷物がバックパックの中に詰められる。大方必要なものが入ったと確認すると、思っていたよりも荷物の量は少なく、背負っても大した重みは感じられなかった。
忘れ物がないかの確認も終えると、俺とセレナはバックパックを背負って村の広場へと向かった。そこで数十人の村人たちが揃っていると、セレナはわざわざ丁寧に、村人ひとりひとりに別れを告げていった。俺は当分かかりそうだなと思ってそれを眺めていると、隣にグルマンが並んできた。
「小僧、忘れ物だ」
突然そう言われると、グルマンは手に持っていた武器を渡してきた。
「これは? 剣?」
両手でそれを受け取ると、グルマンが手を離した瞬間、ずしっとした重みがのしかかった。それに腕が持ってかれそうになりながらも、俺は慌てて力を入れ直す。
「ワシが昔使っていたサーベルだ。お前がビッグワスプを倒した時、斧よりもこっちのが合うと思ってな。念入りに研いどいたから、切れ味には問題ないはずだ。もっとも、お前がちゃんと使えればの話だがな」
「ありがとうございます。わざわざ研いでくれたんですね」
「馬鹿野郎。最低限セレナを守れるようにするためだ」
グルマンの話を聞きながら、俺は試しにそのサーベルを鞘から抜いてみた。俺の腕ほどある刀身に、二つに割れた刃先。その刃が微妙に反るように曲がっていて、片手で柄を握って持ってみると、まるで海賊映画のキャラクターになった気分になった。
「実際に魔物に出会ったら、そのサーベルを真っすぐ、確実に振り切れ。それがこの武器の一番の使い方だ」
魔物という単語を聞いたからか、実際に武器を手にした俺は、それを鞘に戻しながら再び不安を煽られた。
「グルマン村長。セレナと二人で旅をするのは、やっぱり危険じゃないですかね? 今日倒せた魔物よりも強いのが出てきたら、すぐにやられたりとかしそうな気が……」
「弱音を吐くな、みっともない。大抵の魔物はダンジョンに潜んでいるから、そうそう遭遇するものじゃない。それに強力な魔物というのは、王都とかにいるギルドという賞金稼ぎたちが討伐している」
「あ、討伐隊がいるんですね」
「魔物の数も魔王が死んだ日から減っているはずだ。この村に魔物の襲撃が忽然と消えたのが、何よりの証拠だ。お前たちが出会う魔物は、所詮ダンジョンに居場所を失った腑抜けか、ギルドが打ち漏らした雑魚くらいなものだ。セレナも魔法が使えるわけだし、命の危険はそれほどないはずだ」
「そうですか。まあ、最悪は倒さず逃げればいいわけだし、そう考えたら大丈夫かも」
そう呟きながら、サーベルについていたベルトを腰に回し、腰の辺りに鞘が留まるように固定する。なんだか一キロほどの米をつけているような感じがして、腹にくっつくベルトが強く締め付けてくる感じがした。不便に感じてしまうが、これには慣れていくしかないだろう。そんな時にセレナが近づいてくると、グルマンがすぐに優しい声で反応した。
「おうセレナ。村のみんなへの挨拶は済んだのか?」
「うん。みんなに頑張るって言ってきたよ」
「そうか。そしたらもう、出発の時間が来てしまったみたいだな」
グルマンがそう言うと、セレナは顔を俯かせた。
「少しの間、お別れだね。お父さん」
寂しそうに呟かれた一言。グルマンは腰を屈めると、セレナの顔が見えるように目を向けた。
「父さんや村のことなら問題ない。だからセレナは、何も気にせず行ってこい。お前ならきっと、転世魔法を完全に習得して、立派な姿で帰ってこれるはずだ」
セレナが顔を上げると、そこに頑張って笑おうと吊り上がった口を見せながらも、少し物寂しそうな名残を残していた。
「うん。私、頑張るよ。お父さんや村のみんな、それに、お母さんのためにも」
「よし、その意気だ」
グルマンがそう言って立ち上がると、セレナの体を抱き寄せてハグをする。これからしばらくは訪れない家族の時間。俺や村の人々はそれを黙って眺めていると、お互いの気が済むまで待っていた。
真っ白な太陽が大地を照らす。その真下に俺とセレナは並んで立っていると、村の入り口で振り返り、村人たちの出迎えに手を振って応えていた。
「皆さーん、行ってきまーす!」
「「「行ってらっしゃーい!」」」
セレナの声に全員がそう返してくる。
振り返って足を踏み出せば、いよいよ旅が始まる。転世魔法を習得するための。この異世界を巡る旅が始まる。
俺は軽く振っていた腕を下ろすと、セレナもそれに続いて腕を下ろし、目を向けてきた。そこに一抹の不安も感じさせないほど、期待に満ちた表情が映っていると、セレナはその口を大きく開いた。
「行きましょう!」
子供のような無邪気な言葉に、俺も適当に笑ってうなずいた。
「行くか」
振り返って一緒に歩き出す。これが最初の一歩だった。
世界を救うために呼ばれた俺が、勇者ではなくただの同行者として行く冒険譚。セレナがただ一つの魔法を習得するための、保護者のような付き添いの旅の始まりだ。
魔王が死んだことで、大した出来事なんかは起こらないだろう。この時の俺はまだ、そんなのんびりとした散歩気分でいたのだった。
だが、いつか俺は出会うことになる。異世界プルーグ。魔王が生きていたこの世界にいる、それぞれの意志を持った人たちと。
亡き親のために玉座についた女王や、魔王討伐の裏で実験場に連れられた被検体。古戦場で平和を伝える戦士に、新たな道を模索する魔法使い。魔王に狂わされた者に寄り添う修道士に、祖国を裏切った兵士。そしていずれかは、魔王を倒した勇者とも……
魔王が死に、決して勇者や英雄なんかになれない物語。そんな運命が既に定まっているこの異世界を、俺は彼女の隣について歩いていく。
問題だらけの異世界巡りの始まりだ。
一章 魔王が死んだ世界でどうしろと?
―完―
これにて一章は完結となります。長々とした説明でしたが、お時間の許す限りこの物語を読み進めていただければと思います。評価、ブックマークをされたら光栄です。
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