1‐5 その力、証明できるよな小僧?
これから旅が始まる。どんなことが待ち受けているのか、俺には想像もつかない。意外に長いものになるのかもしれないし、死ぬほど辛いものなのかもしれない。まあ、もしそうだとしても、元いた世界で既に人生を捨てていた俺には、失うものなど特にない。適当にセレナと歩調を合わせるだけでいいのだ。ただ自分の犯した(厳密には犯しかけた)罪の意識を心の中から拭えれば、それだけでいいのだから。
そう。たったそれだけ。旅に出る理由なんて、たったそれだけでいいのだ。
「ダメに決まっとるだろうがあ!!」
村の広場のど真ん中で、セレナの父親のグルマンの大声がうるさいほど響かせる。あまりの大声に辺りの村人たちも何事かと周りに寄ってくると、セレナは俺を隣に置き、一緒に旅にでたいことをグルマンに話していたのだったが、娘を溺愛している父親を相手に、その話はなかなか進まずにいたのだった。
「大体、お前みたいな小童小僧がセレナのことを守れると思っとるんか! 魔王は滅んだとはいえ、世界にはまだ魔物の残党どもが残っているんだぞ! 分かってるのか小僧!」
怒号が俺の耳を刺激してくる。セレナの提案だというのに、グルマンはなぜか俺ばかりを攻めてくるが、まあ納得いかない理由が俺なのだろう。
「お前はどうなっても知らんが、セレナと共に行く以上、最低限魔王は倒せるだけの力は必要だ! 貴様にそんな力があるのか?」
求めてくる力が世界を掌握しているんだが。
「それに、貴様が元の世界に帰ろうがどうなろうが関係ないし、すべてはセレナの魔法にかかったお前の責任だからな! 旅にでたければ、一人で勝手に行ってこい!」
とんでもない言いがかりだ。もはや話の意図すら変わっている。
そんなことより、グルマンが口にしていた魔物の残党が気になる。魔王という存在がいるからには、それの部下的なものとして、暴力を好む化け物みたいなのがいるのだろう。武術や魔法の心得がない俺なんかに、果たしてそれが相手できるだろうか。考えたところで不安しか湧き上がらない。
やはり断っておくべきだろうか。下手に旅に出て、村のすぐ目の前で死んでしまっては意味がない。襲われる恐怖を味わい、惨い死に方をするくらいなら、素直に変態呼ばわりされる方がまだマシかもしれない。
「戦う力ならちゃんとあるよ!」
そう叫んだのはセレナだった。
「私が呼んだハヤマさんだもの。戦う力だってちゃんとあるはず。それともお父さんは、私が召喚した人が、腰抜けの軟弱ものだって思ってるの?」
父親に負けないくらいの大声に、グルマンが途端に優しい口調に変わる。
「そ、そんなことはない。セレナが半端者を召喚するはずがないからなぁ」
そう言ってすぐに俺にきつい目を向けるグルマン。
「その力、証明できるよな小僧?」
「え? いや、さすがにそれは――」
「言ったな小僧! ちょっと待ってろ!」
「いや、まだ何も言って――」
俺の言葉を最後まで聞かずにグルマンはキョロキョロしだすと、ある村人を見つけて首を止めた。
「おい! さっき村近くで魔物がでたと言っていたな!」
「は、はい」
「どこで見つけた!」
「北の森にいました」
「よし!」
グルマンは予め手に持っていた木こりの斧を持ち上げると、示された方向に向かって全速力で走りだしていった。その背中が小さくなっていき、やがては奥の森の木々の中に隠れていく。するとそこで、いくつかの木々が些細に揺れ動いたかと思うと、グルマンは右手に自分より一回り小さい、蜂のような生き物をわしづかみにして戻ってきた。
「小僧!」
グルマンが蜂を投げるようにして俺の前に放す。蜂はグルマンに何かされたのか、フラフラと宙に浮かんでは目を回しているようだった。
「こいつを倒してみろ! もしお前が本当に強ければ、このリトルワスプくらい一瞬で倒せるはずだ!」
周りにいた村人たちが、何も言わずに一瞬で俺から距離を取って離れる。気が付けば俺は、ハチと真正面から対峙する形が出来上がっていたのだった。
「セレナ! 当然お前が手を貸すのは駄目だ! お前もちゃんと見ておけ! この男がちゃんと戦える人間かどうかをな!」
あまりにむちゃくちゃな方法に、セレナも呆れるように深いため息を吐き出す。
「はあ……まさかここまでするなんて……」
ため息を吐きたいのは俺も一緒だった。
「どうしてあんな大嘘ついたんだ。おかげで大変なことになってるぞ」
「ごめんなさい。ああでも言わないと聞かないと思って、つい……ですが、とりあえずリトルワスプも、って、あの魔物のことなんですけど、フラフラしていて結構弱ってるみたいなので、一発全力で殴れば、そのまま倒せると思います。だからお願いします、ハヤマさん。頑張って魔物を倒してください」
「頑張れって言われても、ええ……」
不安な気持ちだけが募っていた俺だが、それに構わずセレナはさっさと村人たちの中に混じっていってしまった。逃げるわけにもいかず、ちらりと蜂の魔物、リトルワスプを横目で見てみる。
「……マジかよ」
今もなおフラフラしながら空に浮いているリトルワスプ。黄色と黒の体は俺の知る蜂のようだったが、違いがあるとすれば、その図体がおよそ五十センチほどで、木の枝のように細い両腕が生えているくらいだ。体が大きい分、当然尻尾の針も際立って見える。
目にグルグルが渦巻いているように見え、混乱しているのは明白だった。本当に一発殴れば、呆気なく倒せそうではある。俺は向かっていくことに不安を抱きながらも、一度深呼吸をして冷静を保つ。そして、この拳で殴りかかろうと決意を固めると、慎重に足を前に出した。
「よし……おらぁ!」
リトルワスプの頭めがけて勢いよく右手を突き出す。こぶしが完全に頭部をとらえ、その頭を吹っ飛ばしたかと思った。だがその瞬間、一瞬にしてリトルワスプの目つきが変わったと気づくと、既にそこにそいつはいなかった。その代わりに耳が反応していると、背後からブブブと鳴る羽音が近づいていた。
――やられる!
振り向いた瞬間に尻尾の針が目に映り、思わずギュッと目を瞑ってしまった。もうどうすることもできないと、体が勝手に判断していたのだ。
その時、俺の耳に、ビュンと風が吹き抜ける音が通り過ぎていった。何かと思って目を開いてみると、俺の目の前にいた魔物は、なにかにぶつかったかのように、俺の横を通り抜けるように吹き飛んでいった。
突然のことに理解が及ばず、俺は呆然とそのまま立ち尽くす。すると、突然グルマンが大きな声が意識を戻してくれた。
「セレナ! なぜ助けた! あのくらいの雑魚魔物に背後をとられるくらいじゃ、この小僧を助ける価値なんぞない! あのままやられてれば、この小僧もあきらめがついたものを!」
俺の目が自然とセレナに向けられる。そこで突き出した右手から魔法陣が消えようとしていると、さっき風が吹くのを肌で感じたの思い出した。風の魔法だ。モグリに撃ったのと同じ、風の魔法をセレナが撃ったのだと理解する。
「いい加減にしてお父さん!」
グルマンよりひと際大きな声を出すセレナ。そのままグルマンに向かって歩いていくと、更なる迫力を声に表していく。
「ハヤマさんにお願いしたのは私なんだよ。私が無理を言ってお願いして、それをハヤマさんは了承してくれたの。だから、ハヤマさんが責められる理由なんてない。責めるなら私を責めてよ、お父さん!」
セレナの言葉に、グルマンが今にも目が飛び出していきそうな顔になっていく。
「なっ! 何を言うんだセレナ!? お父さんが世界一可愛い娘を責めるなんて、そんなことできるわけないだろ!」
「だったらいいよ。お父さん。私は一人で旅に出る。魔物だって魔法で倒せるし、一人でもなんとかやっていけるから。それで、転世魔法について色々探し回って頑張る。お母さんが残してくれたものを、私は絶対にこの手にしたいから」
頑固にそう言い張ったセレナに、グルマンが大量の冷や汗を流していた。小さな声で「これが、反抗期……」と呟いていたが、少し違う気がするのは気のせいだろうか。
とはいえ、このままでは本当に一人で行きかねない雰囲気だ。俺もお願いされた身として、少しだけ責任感を感じていたが、果たしてどうすればセレナを抑えられるのか。
ふと、さっき飛ばされた魔物、リトルワスプが倒れたままなのを目にした。体や羽は動きを止め、完全に息絶えている。セレナが一人で魔物を倒せるなら、本当に俺は必要なさそうだ。いよいよ二人で行く理由がなくなったんじゃないのか? そう呑気に思いながら前に向き直ったとき、二人の後ろにいた存在に、思わず口から大声が飛び出た。
「後ろっ!」
リトルワスプよりも一回り大きい蜂。そいつが二人の背後にいると、尻尾についた目をそのまま潰せそうなほど大きい針が、セレナの首を狙っていた。それが動くよりも先に、グルマンが俺の声に反応していると、見るや否や瞬時に状況を判断し、セレナの前に飛び出して庇った。
「うぐっ!」
「お父さん!」
胸の真ん中に針が突き刺さる。抜き取った反動でグルマンがよろめくと、そのままセレナにもたれるように倒れてしまった。その光景に村人たちも悲鳴を上げる。
「ビッグワスプだ!」
「なんだって!? リトルワスプの倍は強いじゃないか!」
「どうしてそんなのが今ここに!?」
ビッグワスプは宙に一度浮き上がり、新しい針を生やしてはなおもセレナを狙っているようだった。対してセレナは、グルマンの体を受け止めているせいで、魔法を撃てる手が空いていなかった。
「マジかよ!」
俺の体はとっさに走り出していた。考えてる暇なんてない。走りながらグルマンが落とした木こりの斧を両手ですばやく拾い上げると、魔物が飛んでいる上空へなりふり構わず振り上げた。
「どりゃ!」
突然斧に重みが伝わり、自分の腕が引っ張られる感触を覚える。見ると、斧の刃は針に当たらずとも腹部を切り裂き、そこから緑色の気味悪い液体が流れて出てくると、ビッグワスプはその身をひるませていた。
そのまま上空に飛んで距離を取っていくビッグワスプ。俺は振りかぶった斧を不器用に持ち直す。思わず前に出てきてしまったが、ビッグワスプにも睨まれてる以上、背中を見せるわけにもいかず、ただその場で注意深く凝視し続けた。
空中で傷口を見つめるビッグワスプ。すると突然怒りが湧いたのか、俺を睨むと同時に一直線に突っ込んできた。俺はタイミングを見測ろうと、腰を落として構えてみせる。だが、つい先端の針に目がいってしまうと、グルマンが刺された光景を思い出してしまい、内から湧き出る恐怖に背筋が凍っていくのを感じた。
恐怖が迫ってくる。死ぬかもしれない恐怖が、だんだんと。
頭の中では理解できているのに、体は汗をかくだけで全く動こうとしない。来ると分かっているのに、一切経験のない出来事に心臓の鼓動だけが早くなっていく。
鋭利に尖った針。殺されるかもしれない。体に、頭に、目に、あれが刺さってしまえば……。
倒さなければ、殺される。殺される!
殺さなければ、殺される!
ただただ血の気が引いていくのを感じていると、とうとう俺は目を瞑ってしまった。現実から目を背けるように、強くギュッと。恐怖も何も、見えないように……。
「――殺すんだ」
突然、頭の中から誰か人の声が聞こえた気がした。その声に俺はギョッとし、すぐに目を開いた。するとそこには、明らかにおかしな光景が広がっていた。
真っすぐ飛び込んできていたはずのビッグワスプ。そいつが空中ではなく地面に倒れていると、人間の子供ほどあった体は真っ二つに切れていた。そして、俺が手に持っていた斧の刃の先端は、緑色の血でべったり染められていたのだった。
「――なんだ、これ……」
背後から村人たちのどよめき声が響く。急になにかと振り向いてみると、彼らは俺に向かって拍手を送ってきていた。
「たった一撃で真っ二つにしやがった!」
「すげえ! 兄ちゃんすげえ!」
「そんな力があったなんて、驚いちゃった!」
なぜか賞賛の声をかけられたが、俺は全く今の状況を飲み込めずにいた。ハッとしてもう一度斧に目を向ける。銀色だった刃は変わらず緑色の液体を垂らしていたが、まさかこれを俺がやったとでも? だが、俺は体を動かした覚えなんかない。最後に覚えているのは、恐怖のあまりつい目を瞑ったあの瞬間までだ。
いや、思えば声も聞こえていた気がする。高さ的に恐らくは男性の声。けれど不可解なのは、耳から聞こえたというよりは、頭の中に直接響いたような感じだった。周りの村人たちを見てみても、誰かが叫んでいたような素振りはなかったようにも見える。
「小僧」
ふいにグルマンの声が聞こえると、俺は胸を刺されたことを思い出し、すぐに振り返った。グルマンは胸から少量の血を流しながらも、なんとかその場に立ち直っていた。
「大丈夫なんですか?」
「フン。ワシを誰だと思ってる。ビッグワスプの攻撃ぐらい、ワシにとっては大したケガにはならんわ」
「そ、そうなんですか。無事ならなにより」
グルマンが胸の血を腕で拭ってしまうと、既に血は止まっていた。がたいの良さからして、やはり体もタフなようだ。そこに村人の一人が包帯を持ってきては、すぐにグルマンの体にそれを巻き始めた。その間にセレナが俺に近寄ってくる。
「助けてもらっちゃいましたね。ありがとうございます、ハヤマさん」
「あ、ああ。偶然、なのか正直分からないけど、なんとかなったみたいだな」
「偶然? 偶然でここまで綺麗に切れるもんですか?」
セレナに言われて俺はビッグワスプの死体に目を移す。緑色の血で地面を濡らしていたそいつの体は、わずかなズレもない、まさに職人技のようなほど真っすぐ一閃に切れていた。
「なあセレナ。俺はこの斧をちゃんと振ってたのか?」
「え? 覚えてないんですか? 豪快に振り抜いて見事に倒したじゃないですか」
「そうだったのか。そしたら、誰かが叫んでいたとかそういうのは?」
「誰も叫んでませんでしたよ。村人たちの悲鳴はありましたけど」
「悲鳴だけか。実はさ、恐怖のあまり目を瞑ってたせいで、倒した瞬間を全く覚えてないんだ」
「ええ!? 目を瞑ってたんですか! 後ろから見てたんで全く気づきませんでした。てっきり、達人の集中力を発揮したのかと」
「俺が達人のわけないだろ。武術の心得なんて何一つ分からない男だぞ」
「小僧」
横からまたグルマンの声が割り込んでくると、包帯を巻き終えたようでそのまま会話に入ってきた。
「さっきの動き、ワシほどじゃないにしろ、悪くない動きだった。そんだけの実力持ってんなら、最初からしっかり倒せってんだ」
「いや、さっきのはただ運がよかったってだけで――」
「運がよかっただと? ッハ。こいつは結構な大物が来たのかもな」
「へ?」
予想外の一言に、ふいに間抜けな声が出てしまう。
「運がいいなんてよく言えたもんだ。分かるか小僧? その木こりの斧の切れ味は大したものじゃない。薪なんかは普通に切れても、このビッグワスプの体を切り捨てるのは至難の業だ。貴様はそれをやってのけた。実力を隠そうとしてもそうはいかんぞ?」
「ええ! そんなこと言われても、隠せる実力なんてどこにも――」
「ハッハ! こいつは面白い男だ。さすが、世界一のセレナが召喚しただけのことはある」
グルマンは勝手な理解を深めていくと、俺が何を言っても聞いてもらえる様子ではなかった。それにセレナが感化されてしまうと、期待を込めた声を上げた。
「そしたらお父さん。ハヤマさんの実力を認めてくれるよね?」
「ああ認めよう。こいつには、セレナを守れるだけの力があると」
大きくうなずいてしまうグルマン。
「いや、さすがに勘違いしてるんじゃ――」
「やりましたよハヤマさん! これで旅に出られますよ!」
間違いを正そうとする前に、セレナが歓喜の声を上げてしまった。
「ワシがワシが勘違いしていたみたいだ。セレナが召喚した人間が、弱いわけがないもんな」
グルマンもセレナの後押しをしてしまう。さっきまでの態度は一体どこにいったんだ。いよいよまずいかもしれない。俺はただ偶然魔物を倒せただけで、これから現れる魔物を倒せる保証はどこにもない。そんな状態で、旅に出られようものか。セレナを守るとか以前に、俺の命すら危うい。
「ってことだからな小僧、もしもセレナになにかあったら承知せんからな! たとえ魔王が襲ってこようが、お前が死にそうになろうが、何がなんでもセレナを守り切ると誓えるか!」
「魔王はさすがに……それに俺は――」
「誓えるよな!?」
グルマンが俺に顔をにじり寄せてくる。目力で圧倒してくる様子は、もはや脅迫だ。
「……はい、誓います」
「声が小さあい!」
この親バカは……。こうなればもうやけだ。
「誓います!」
「本当だな!」
「本当です! 何がなんでも守ってみせます!」
力任せにそう叫んでみせると、グルマンは納得の顔を見せた。
「よし。セレナもいいな。もし危ない状況になったら、すぐにこいつを捨てて、代わりに父さんを呼ぶんだ。どこにいようが、お父さんは真っ先に助けに行ってやるからな」
「フフ。もうお父さんったら。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。私だって魔法で戦えるんだから」
「お父さんのこと呼んでよ……」
グルマンは露骨に落ち込む。ゲリラのように急変した態度の変わりように、セレナは慌てて励そうとすると、その光景に俺は冷めた目を向け、村人たちは笑みを浮かべていた。