6‐3 君が憎むべき人間は、ただ一人だ
涙を拭うミツバールに、ヴァルナ―が唇をかみしめて、悔しそうな表情を見せる。それを目にした俺はふと、ミツバールに会う前にヴァルナ―が口にした言葉を思い出した。
――でも彼らは、きっとそれ以上に辛かったはずだ。
俺には、どう見ても残されてる彼らの方が辛いようにしか見えない。それはもちろん、戦争をこの目で見ていないという理由もあるだろう。だが、二年間の戦争が終わったというのに、彼らは未だにこうしていがみ合っている。許せない思いが絡みに絡まり、いくらほどこうと引っ張っても、決して千切れないほどに、わだかまりは深くなっているのだ。
俺の視界に心配そうに二人を見つめるセレナが映る。涙を拭うミツバールに近付こうにも、ミツバールに押しのけられて前に出れない状況らしい。そのまま俺の目を見つめ返してくると、まるでどうにかしたいと訴えてるようにしか見えなかった。
そんな目を向けられたところで、俺にも方法は何も思いつかない。今のこの状況は、ミツバールがヴァルナ―を許せないからこそ生まれているのだ。ヴァルナ―を許せない限り、ミツバールは人間を許せないだろうし、人間を許せなければ、俺たちの言葉にも耳を貸さないはず。考えが行き詰って俺は一度頭をかく。ただミツバールが泣いているこの状況も、かなり居心地が悪い。駄目かもしれないとしても、今のまま時間を過ごすのはシンプルに心に負担がかかった。
本当にどうにもできないものなのか。俺はふとアトロブの花を見つめてみる。俺たちだけで話しができないなら、他のものでも使って別の話題を作るしかないか。とりあえず花に近づいていくと、俺は腰を屈めて手を伸ばし、一つの花を茎の根本からちぎり取った。指先に血が飛び散る。
「花って見てるだけで穏やかになれるけど、荒々しい戦争とは正反対のものなんだよな。よくもまあそんな所で咲こうとしたもんだ」
ちらりとミツバールとヴァルナ―を見てみる。二人はその場に立ち尽くしたまま、目線が地面に落ちたままだった。こんな適当な話しでは状況は変えられないらしい。焦りを感じた俺は、額に嫌な汗を流しながら話しを続けた。
「で、でも、寂れた所に咲くからこそ、より華やかさが際立つのかもしれないな。もしこの花がここを一杯に埋め尽くした時には、きっと平和の象徴みたいな、少なくともいい観光地にはなりそうだよな。俺の元いた世界にも、被爆地とかがそう言う感じになってたりするし」
「棒読みが過ぎますよ、ハヤマさん……」
セレナに指摘されるが、俺自身どう話しを転がせばいいか分からないのだ。
「そ、そうは言われてもだな……」
俺は深いため息を吐き、茎を掴む指でアトロブの花をくるくる回してみる。
「……慣れないことは、するもんじゃないな」
「でも、その花が平和の象徴になったらって言うのは、私もいいなって思いましたよ」
意外にもセレナが声を上げると、この場の全員に聞こえるようにはっきりと喋り出した。
「この花が咲いたのは、ただの偶然なのかもしれません。でも、争っていた人間と獣人が一つになって、こうしてたくさんの花を咲かせたって考えると、なんだか、優しい気持ちになれるんです。いつの日かここに、人間と獣人の皆さんがやって来て平和に花を育てる。そんなことがあったら、とてもいいと思うんです」
その思想にすかさず俺も乗っかる。
「それがお前の言う平和の象徴ってことか。人間と獣人が分かり合うために、このアトロブの花が残り続ける。確かに本当にそうなったらいいかもな」
「とても難しいことなのかもしれません。きっと私には分からない、複雑な事情が絡み合っているのが、多分戦争なんですよね。でも世界には、人間と獣人が争うことを望んでいない人が多いと思います。だからきっと、このプルーグ中の人たちが互いに分かり合える日が――」
「来ないわよ」
きっぱりそう言い放ったのは、厳しい目つきをしていたミツバールだった。
「人間の癖に勝手なこと言わないで。私が人間と分かり合えるわけがない。お兄様を奪った人間と、私が一緒になんて、考えるだけでも反吐が出るわ」
「ミツバールさん……」
「嫌いよ、あなたのその考え。大事な人を奪われたというのに、分かり合えですって? きっとあなたは、大事な人を殺した殺人鬼が相手でも、友達になれちゃうんでしょうね。そんな頭、医者にでも言って取り換えてもらったら?」
「わ、私は、そんな……」
セレナがうろたえている間にも、ミツバールの怒りは積もり続けていく。目から再び、涙が溢れそうになるほどに。
「あり得ないのよ。争いを起こした私たちが分かり合うだなんて。そうよあり得ないのよ、私とあなたが仲良くなるだなんてこと。そんなこと……絶対に!」
最後にセレナを見つめた時、そこには涙と怒りの表情が混ざった顔があった。自分でも気持ちがぐちゃぐちゃになっている様子。その調子のまま、ミツバールは背中の矢筒から一本の矢を手に取ると、今度は大声で叫んだ。
「絶対に、あり得ないのよ!」
「ミツバールさん!?」
鏃をセレナに向けて、ミツバールが一歩踏み出してしまう。俺は急いでそれを止めようとしたが、それより先にヴァルナ―が前に現れると、セレナに向けていた鏃を直に掴んでいた。
「ミツバール。武器を収めてくれ」
手からじわじわと血を流すヴァルナ―が、至極落ち着いた声でそう訴える。それに対し、ミツバールは大声で騒いだ。
「私からすべてを奪った人間! あなたはお兄様を殺しときながら、私からは、誰かを殺す権利を奪うつもりなの!」
「この地に、彼らが眠るこのアトロブに、もう誰かの血は流させない。それだけは、俺が絶対に許さない!」
「あなたの許しなんて知らないわよ! すべてを奪おうとする、あなたの許しなんて!!」
「ミツバ―ル!!」
思わず背筋がピンと立ってしまうような、それほど大きな声がヴァルナ―の口から響く。荒れていたミツバールもその目を見開いていると、ヴァルナ―は静かに強くこう言った。
「武器を向ける相手を、間違えるな!」
ヴァルナ―の手が動き出し、空いていた片方の手で、矢を握るミツバールの羽の手を上から覆うように握る。
「何をするの!?」
ミツバールが抵抗するようにそう叫ぶと、二人に掴まれた矢がカタカタと音を立てながら揺れ始めた。その矢の方向が完全にヴァルナ―に向けられてるのを見て、まさかと思った俺は「おい!?」と声をかけた。だが、ヴァルナ―はそれを完全に無視した。
「君が憎むべき人間は、ただ一人だ」
きっぱりそう言い切るヴァルナ―。真っすぐミツバールを見つめたままでいると、矢を握った手に強い一押しが込められた。その鏃が一瞬で彼の胸の真ん中に刺さると、金属の刃が見えなくなるほどそれは深く突き刺さってしまった。
「ヴァルナ―さん!?」
叫んでしまったレナは当然、俺も、ミツバールでさえも、顔から血の気を引かせていた。血が鎧の上を流れ始めても、ヴァルナ―はまだ手を離さない。口からも一筋の血が溢れて出てきても、依然ミツバールを見つめたままだった。
「どういうつもり?」
「我々には戦士には誇りがあり、戦場には意義がある。国の威信や家族、仲間を思った兵士たちが、その思いを胸に散っていく場所。それが戦場だ。守るべきものだった国の人間に、倒れてもらうわけにはいかない」
「散っていくって。馬鹿じゃないの? 散ったらもう終わりなのよ。威信も、家族も、仲間も、死んでしまったら守れないじゃない」
「三英雄ゼインは、君を守り切った。君や、もっとたくさんの獣人を、彼の武勇が守ったんだ」
「守られたって、帰ってこなかったら意味ないじゃない! 隣にいてくれなかったら、意味ないじゃない!」
目に涙を浮かべたミツバールが、感情的になってそう叫ぶ。ヴァルナ―の胸を流れる血の流れも、四本から枝分かれして五本に増えていくと、話そうとする口も震えだした。
「戦争なんて、無意味な争いだ。だが、俺たちは、無意味な争いでも、誇りを捨てることができない。無意味だと分かっていても、死ぬと分かっていても。守りたい思いまでは、曲げられないんだ……」
「お兄様も……そうだと言うの?」
「そうだとも……君は、俺に名前を名乗ったことが、あったかい?」
「え?」
「俺は、君の口からは、名前を聞いていない。君を知ったのは、ゼインが喋ったからだ」
「そんな!? どうしてお兄様が、あなたに名前を……」
「……止めを刺す、最後の瞬間。その時聞いた言葉を、俺は今日、やっと君に伝えられる」
そこで言葉を区切ると、ヴァルナ―は苦しそうに咳込み、地面に血反吐を吐いた。そこに咲いていた一輪の花が真っ赤に染まる。俺は間に割って止めようとしたが、ヴァルナ―は矢を持つ手を強めると、片手を伸ばして俺とセレナを動かないよう制してきた。
「ゼインの……偉大な戦士の、最後の言葉……君の、幸せな人生を、ずっと見守ってる。愛しき我が妹、ミルの幸せを……」
ミルの幸せ。最後のその言葉を聞いた瞬間、ミツバールが目を細めていた。
「その呼び方は!? お兄様だけの……」
ヴァルナ―の手から力が抜けると、ミツバールの羽の手がそこから落ちるように離れた。次第に溢れる出る涙をその手で拭っていく。ヴァルナ―は自分の手を矢に置いたまま、その涙を見つめ続けていた。
「ゼイン……約束、遅れてすまなかった……」
「約束って……あなた!? まさかそれを伝えようと、今日まで?!」
「男の、約束、だから、な……」
紫色に変わった口から途切れ途切れにそう言うと、ヴァルナ―は体をふらつかせながら、とうとう背中から倒れてしまった。足下の血だまりが、いつの間にか人間の頭より大きくなっている。
「ヴァルナ―さん!?」
慌ててセレナが近づき、俺も傍に座り込んで心臓の音を聞こうと、血を気にせず胸に耳を立てた。とても微かに脈打つ音が聞こえてくる。
「……まだ生きてる。どうにかして止血できれば」
方法を考えようとすると、涙を払ったミツバールが俺たちの前に立った。
「近くの村に私の家があるわ。彼をそこまで運ぶから退いて」
「え? お前が?」
「いいから早く!」
まさかの発言に驚いて顔を上げたが、そこに本気の目が映っていると、俺は急いでその場を退いた。ミツバールはヴァルナ―の傍に近付き、足を使って両肩を掴むと、翼を広げてそのまま羽ばたこうとした。
「私たちも地上からついて行きます!」
横からセレナがそう言うと、ミツバールは「勝手にして」と言って空へ飛び立った。あっという間に手の届かない高度まで行ってしまうと、セレナが「行きましょう!」と言って走り出した。俺もミツバールの行く先を確認しながら後を追いかける。背後から馬の鳴き声も聞こえてくると、ヴァルナ―が乗っていた馬が、俺たちの横を通り過ぎていった。真っ先に走り抜け、俺たちを乗せてくれない素振りに、俺は小声で「可愛くない馬め」と呟いたが、しばらく二人と一頭でミツバールの住む村目指して走り続けるのだった。