6‐2 アトロブの花
荒れ果てた灰色の大地を、三人と一頭が歩き続ける。周辺の異様な空気感に、俺は相変わらずなじめずにいたが、それよりもまず、ヴァルナ―の身なりについて聞いてみた。
「なあ。ヴァルナ―は国の兵士か何かなのか? 馬も引き連れてるから、結構いい身分の人間だと思うんだが」
「ああそうだ。俺はこう見えても、ログデリーズ帝国皇帝の側近なのさ」
「「側近!?」」
まさかの一言に、俺とセレナは同時に驚く。軽く口にしているが、嘘の気配なんてどこにも漂っていない。
「本当なんですか!?」
「ああ本当さ」
「それは予想以上の地位だな」
「意外だったろ? 態度は軽いのは自分でも知ってるんだが、これでも国王様への忠義とかは、誰よりも厚い自信があるんだぜ」
自信に満ちたようにそう言うと、セレナが当然の疑問を抱く。
「そしたら、どうしてこんな所に来てるんですか? 側近なら、ずっとお傍にいるものでは?」
「こいつは日課なんだ。皇帝陛下からも許可は頂いてる」
「日課、ですか?」
「そう。俺は定期的にこうして、ある場所に向かってるんだ。そろそろ見えてくると思うんだが……あ。見てみろよ向こう」
ヴァルナ―が進む先を指差す。それを追って見てみると、そこには目を疑うような景色が広がっていた。灰色の汚れた荒野の中に、純白に開いた白い花。地面を覆う絨毯のようにそれらが咲き誇っている、なんとも異質な花畑だった。
「こんな荒野に花畑?」
「あの花畑に行くのが、俺の日課なんだ」
俺たちは花畑まで近づいていく。足くらいしかない花は辺り一面に、色黒い土が見え隠れするくらい点々と咲いていて、なんだか泥中の蓮という言葉を思い出す。その光景にセレナも歓喜の声を上げる。
「うわあ……綺麗な眺めですね」
膝を曲げてよく見てみる。花弁に繋がる茎の部分は、花の白に対して真っ赤な色に染まっている。花弁は大きめで六枚ついており、先まできっぱりではなくも、優しい感じでぱあっと一杯に開いている。なんとなくスミレの花に近いだろうか。赤い体に白い顔という色合いは、なんとも魅惑的だ。
「不思議な花だな。茎が真っ赤だ」
セレナも膝を曲げて一輪の花を観察してみる。
「花が真っ白で美しいですね。あれ? なんだか魔力の感じもしてるかも?」
「お、セレナちゃんは魔法使いなのか。ご名答。その花には魔力が入っているんだ。不思議だろ?」
「そうなんですか。そんな花があるだなんて、初めて知りました」
俺には感じられない魔力がこの花に。意外な特徴を知ると、ヴァルナ―が再び口を開いた。
「でもセレナちゃん。その花、そんなに綺麗か?」
「え? とっても美しくて綺麗じゃないですか」
そのやり取りをする中、俺はヴァルナ―の声色が少し、神妙なものになっている気がした。
「そうか。そう見えるのか。君には……」
静かにそう呟いたヴァルナ―。顔を上げ、その目で遠くに咲く花まで眺めていると、まるでさっきまで男とか叫んでいたのとは、別人のような哀愁を表情から醸し出していた。さっきまでとの温度差に、俺とセレナが思わず顔を合わせる。意味深な雰囲気にお互い何も言えずにいると、ヴァルナ―がそっと口を開いた。
「ここはアトロブ。つい最近まで、戦場になっていた場所だ」
「……戦場?」
俺は立ち上がりながら聞き返す。
「洗脳大戦って聞いたことないか? ダファーラ前国王が引き起こした、二国間での大戦争」
俺はつい最近、アストラル旅団のグレンたちと一緒に行った王家の墓所で、一つだけ荒れていた墓を思い出す。
「洗脳大戦。ダファーラ王が魔王に洗脳されて起こった、人間と獣人の望まぬ戦争だろ?」
「そう。その魔王の陰謀で起きた戦争が、ここであったんだ」
「マジか! この花畑が戦場だったのかよ!」
「厳密に言えば、花畑になる前。この花が、こんなに咲き誇る前にな。そして、国に仕えていた俺も当然、洗脳大戦の経験者だ」
戦争の経験者。その言葉を聞いて、俺はすぐにヴァルナ―の表情を理解した。倒すための魔王に一杯食わされ、想定されてなかった多くの命が、無益に犠牲になっていった。誰でも分かる話しに、俺はなんとなく悔しさを覚えてしまう。
ヴァルナ―はその場に立膝をつき、足元にあった一輪の花をちぎり取る。すると、真っ赤な茎の中から更に赤い、本物の血のような液体がドロッとこぼれ出てきた。座ったまま真横で見ていたセレナがそれに驚き、ヴァルナ―が俺たちに花が見えるように持って立ち上がる。
「これはアトロブの花って名前だ。セレナちゃんもさっき言った通り、この花には魔力が含まれている。他のどの花を探しても、魔力がある花は、ここに咲いているアトロブの花だけだ。どうしてそんな花がここに咲いているのか。その答えは、この花がここでしか咲かない、決して他の場所では、咲くことがない花だからだ」
セレナも立ち上がると「どういうことですか?」と聞いた。
「アトロブの花はとても怪奇的な花なんだ。この赤い茎の中に、何が詰まっていると思う?」
「ええっと、お水とか養分とか、栄養になるものじゃないんですか?」
「栄養が流れているのは確かだ。だけど、この花に必要なのは、水なんかじゃない。獣人の血と、人間の魔力なんだ」
それを聞いて俺は少しギョッとする。
「獣人の血と、人間の魔力って。なんちゅう栄養素を求めてるんだ、その花」
「俺にも詳しくは分からない。前皇帝の死で洗脳大戦が終わった時、突然ここに花が咲き始めたんだ。この地面の下には、血と魔力が色濃く残っている。戦場だったここには、こいつの栄養源があるんだよ。大量にな……」
「だからこんなに咲いたってことか……」
何百、何千にも咲き誇るアトロブの花たち。遠い、遠いところまで咲いているこの白い花弁は、それだけここで、戦争で多くの命が散ったということを示しているわけだ。
「戦争から三年。あれから咲き始めたこの花には、無情に流れ続けた血と、忘れてはいけない光景が残されている。俺はいつもここに来ては、亡くなった仲間たちと、皇帝に逆らえず、殺してしまった獣人たちのことを、ずっと思い出してるんだ」
重たい口で、ヴァルナ―は懸命にそう話す。その横顔は、本物の戦争経験者のように怖く、それでもどこか、やるせない気持ちでつまった、切ない表情が浮かんでいた。
「辛くないのか? いつもそんなことを思い出して」
「辛いさ。でも彼らは、きっとそれ以上に辛かったはずだ。魔王討伐という同じ目的で手を取り合ったのに、それを裏切られてしまったのだから」
そう返されると、俺は言葉を失うしかなかった。セレナも申し訳なさそうに顔を俯かせている。そんな気まずい空気に気づいたのか、ヴァルナ―がハッとして表情を変えた。
「あっとすまない。雰囲気を暗くしちまったな。戦争に関係ない二人にこんな話しをしても仕方ないのにな。失礼失礼。俺はこの辺でおいとまするよ。城でも仕事が残ってるから……と」
ヴァルナ―が不自然な言葉の切り方をしていると、遥か上の空を眺めていた。俺とセレナも一緒になって眺めてみると、そこには鳥の獣人が俺たちの元に降りてこようとしていた。
月の光のような水色の羽を丁寧に振って風を起こし、地面に立派なかぎ爪を立てて、獣人は俺たちの前に降り立つ。背中には木彫りの弓を備えていて、胸を張って顔を上げると、俺よりも身長が高かった。やけに長い肌色の脚に下向き尖った嘴、そして、騎士であるヴァルナ―と同じくらいの体格をした姿は、まるで大きな鷲のようだった。
その獣人の目つきが異様に悪いと思っていると、なぜかヴァルナ―のことを睨んでいるようだった。
「よ、よう。また会ったな、ミツバール」
当然ヴァルナ―が話しづらそうに声をかけると、ミツバールと呼ばれたその獣人は、意外に若い女性声でため息を吐き出した。
「はあ……どうしてあなたは、いつも私の前に現れるのかしら?」
「そうだな……これはもしかしたら、一つの運命なのかもしれな――」
「口をそいで脳みそを見てあげましょうか?」
「冗談だ冗談。落ち着いてくれ」
いきなり飛んできた毒舌に、ヴァルナ―が両手で気を抑えてくれと訴える。その様子に、ミツバールは呆れるように首を振った。
「全く。あなたの顔なんて見たくないの。早く帰ってくれないかしら? できれば、そこに連れてる人間二人も一緒にね」
人間二人とは、俺たちに向けて言われた言葉だった。いけ好かない言われようにセレナがむすっとする。
「私たちは、この先のスレビスト王国に用があるんです。帰る訳にはいきません」
「あっそう。なら先に進めば? とにかくここからいなくなってちょうだい。私、人間の顔が嫌いなの」
「な、なんですかその言い方?! ヴァルナ―さんはともかく、初対面の私たちにそんなこと言いますか?」
裏でヴァルナ―が「ええ!?」と言って驚いていたが、ミツバールは自分より背の低いセレナにグイッと顔を近づけた。
「何よ! 私はとても人間が嫌いなの。たとえあなたとは初対面だとしても、あなたが人間だったら気に食わないのよ!」
「どうしてそんなに人間が嫌いなんですか! あそこにいるハヤマさんも自称人間嫌いですけど、そんなに悪態ついたことはないんですよ」
「自称じゃないぞ」と一応返すが、顔を離した二人の耳には届かなかった。
「関係ないわよ、人のことなんて! 私が嫌いと決めたら、あなたたち人間は憎くて嫌な存在なの! 話しかけられるのも不快よ!」
「何が憎いんですか! 人間の、私たちのどこがそんなに気に食わないんですか!」
「あなたたち人間に、私のお兄様が殺されたからよ!」
このアトロブに、ミツバールの特大の叫びが響いて消える。まさかの事実に、セレナの顔からもしわがなくなっていた。
「お兄様が……」
「ええそうよ。それも、すぐ目の前にいる、この金髪にね」
ミツバールの鋭い眼光が、ヴァルナ―に向けられる。何も言おうとしない彼に、俺は「本当なのか?」と聞くと、ヴァルナ―はうなずきながら顔を俯かせた。
「そうだ。彼女の兄さんは俺が殺した。この戦場でな」
その一言に、俺はミツバールの顔に振り返られなかった。セレナもしんみりとした顔をしながら俯く。
「ごめんなさい、ミツバールさん。私、何も知らないのに色々とうるさく――」
最後まで言い切る前に、ミツバールが言葉を差し込んでくる。
「別にいいわよ。あなたが謝ったって、お兄様が帰ってくるわけじゃないんだし」
そう言い切ると、ミツバールはヴァルナ―に近づいた。
「あなたは私から、一番大切なものを奪っていった。私にとってすべてと言ってもいい存在を、あなたたち人間が奪ったの。……絶対に許さないわ。兄の命を奪ったあなたを、あなたと同じ人間たちを、絶対に」
ヴァルナ―はゆっくりと顔を上げ、彼女の目を見据えながら言葉を返す。
「君の気が済むのなら、俺はいくら罵倒されても構わない。唾をかけられたって、頭を踏みにじられたって、顔面をぶたれたっていい。だが、二人は無関係な人間だ。彼らまで拒絶しないでくれないか?」
「知らないわよ。私はたった一人だけの家族を奪われたのよ。唯一の生きがいだったお兄様が……私からいなくなったのよ……」
ミツバールの声がだんだんと揺れ始めていく。次第にその体も震えだすと、悲しみと苛立ちが混ざった声で続けた。
「私からすべてを奪った人間を、私は絶対に許さない。絶対に、許せない……」
「本当に、申し訳ない……」
ミツバールはヴァルナ―の言葉を無視して花畑の前に片膝をつくと、左右の羽の先端部分を人間の手に見立て、顔の前で合わせて目を閉じた。俺たちがやるような黙祷と同じ格好だ。その目にうっすらと透明な涙が見えていると、ヴァルナ―が俺たちに小声で話してきた。
「場所を変えよう。君たちを巻き込んで悪かったな」
そう言ってヴァルナ―がミツバールに背を向けると、俺もその後を追おうとして歩き出した。セレナも後から来るだろうと思っていたが、一向に来る気配を感じないと、セレナはその場にとどまったまま、ミツバールのことをずっと眺めていたのだった。
ヴァルナ―の声が聞こえなかったのだろうか。そう思って俺が声をかけようとしたが、セレナはミツバールに歩み寄っていくと、その隣に腰を下ろしていった。
「……どういうつもりかしら」
目を開いたミツバールがセレナにそう聞く。
「私も弔ってあげたいなと思って。ミツバールさんのお兄さん、どんなお名前なのか教えてくれませんか?」
その言葉にヴァルナ―の足音も止まると、ミツバールは素っ気ない態度を取った。
「嫌よ。名乗りもしない人間なんかに、教える訳ないでしょ」
「あ、すみません。私はセレナって言います。あっちはハヤマさんです」
「どうでもいいわ」
「……さっき言ったことは、全部謝ります。本当にごめんなさい」
セレナは立ち上がって深く頭を下げたが、同じく立ちあがったミツバールの態度は変わらない。
「さっきも言ったわよね? 謝ってもお兄様は帰ってこない。あなたの謝罪には、なんの意味もないのよ」
「ですが私は、さっきミツバールさんのことを悪く言いました。お兄さん想いでいい人なのに、それを勘違いしちゃって。その分だけでも、謝らせてください」
もう一度セレナが頭を下げる。それでやっと、ミツバールも面倒くさくなって折れた。
「はあ……面倒な人間。分かったわよ。さっきの言葉は許してあげる。でも、あなたたち人間が憎いのは変わらないわ」
「それでも十分です。ありがとうございます」
そうしてセレナが頭を上げる。しばらくミツバールのことを眺めていると「何よ?」と聞かれた。
「いえ。お兄様のお名前が聞けないなら、どうしようかなって思って……」
「何よそれ」
あくまでも冷たく接するミツバール。セレナの意地っ張りが発動したのを理解した俺は、横から助け船を出すことにした。
「名前が分からないなら、獣人全員のことを思えばいいだろ」
「あ、それはいいですね。ついでに人間の皆さんも含めて、亡くなられた方全員のご冥福を願いましょうか」
「それがいい」
俺がそう返してる間にも、セレナはアトロブの花たちに向かって手を合わせ、念じるように両目を瞑った。さっきミツバールがやったのとそっくりに、セレナが願い続ける。少し沈黙がむずがゆく感じられてもセレナはじっとしていると、やがて「よし」と目を開けてやっと立ち上がった。そこにミツバールが冷めた目を向ける。
「あなた、本当に戦争と関係ない人間なのよね?」
「ええ、そうですけど」
「ならどうして、そこまでして死んだ人たちを思えるの? 私に同情でもしてるつもり?」
「同情というかなんと言うか、私もミツバールさんと一緒で、大事な人を亡くしましたから」
「え?」
「気持ちは分かるんです。大好きだった人がいなくなるのは、自分の中から世界が消えちゃうような、すべてがどうでもよくなっちゃうような、それだけ深くて悲しい気持ちを背負うことだって。それだけは、私も分かってましたから……」
母親アンヌを思った言葉は、やはり寂しげで、聞いてて気分のいいものではなかった。
「……そう。あなたも失ってたのね。でも、私はあなたとは違うの。知ってる? 私のお兄様は国一番の弓使いで、兵士たちの中でも一二を争うほどの戦士だったの。スレビストの三英雄とも呼ばれるほどのね」
「三英雄、ですか?」
セレナが知らない素振りを返すと、ミツバールはヴァルナ―に目を向けた。
「あなたの方がきっと詳しいはずよね。実際に、戦場で戦って殺した相手ですもの」
強調された嫌味に息を詰まらせながらも、ヴァルナ―がゆっくりと説明を始めていく。
「三英雄の一人、蒼鳥のゼイン。青色の体毛からそう名づけられた彼は、大空を支配する鷲の獣人で、空を飛んではその足でいくつもの弓矢を放ってきた。その素早い動きは、どんな弓使いや魔法使いの攻撃もかすりもしない。俺たちが苦戦を強いられた戦士の一人だ」
「そう。お兄様は勇敢で強い戦士だった。だから国が魔王に襲われても、必ず私のところに帰ってきてくれた。不安を胸に抱きながらも、私はお兄様の帰りを待ち続けたわ。お兄様はいつも私のところに帰ってきてくれると、傷一つついていない体を見せて私を安心させてくれた。それなのに……あの日だけは、帰ってきてくれなかった……」
ミツバールがとうとう涙を流すと、ヴァルナ―が地面に目を落としていた。その手には握りこぶしが出来ている。土魔法で魔物を圧倒していたその手が、今ではただ、悔しい気持ちを押し殺すためのものでしかなかった。
彼女の涙は、かつて出会った孤高の変人、アルトに似ている。だが、アルトとは決定的に流してる意味が違う。ただ母親を思っていた彼とは違い、ミツバールの涙には、人間への憎しみが含まれているのだから。