6‐1 可愛い女の子を弄ぶのがそんなに楽しいか!
緑が広がっていたはずの平地に、黄土色の土が混ざってくる。王都から続く一本道をずうっと進んでいたが、俺たちの周りの景色は徐々に白黒なものに変わりつつあった。
「結構歩いてきたな」
後ろを振り返れば、もうラディンガルの城壁が豆粒にしか見えない。
「出発して、まだ一時間ぐらいですけどね」
そう言ったセレナの手には、この世界、プルーグの地図が広げられていた。大陸にある三つの国の一つ。獣の国とも呼ばれるスレビスト王国の真ん中に、俺が読めない異世界の文字があると、そこに赤い丸がついている。
「目的地までまだありそうだな。でも良かったのか、スレビスト王国に変えて? フェリオンとは遠ざかるだろ?」
地図で見れば、俺たちが出てきたラディンガルから、スレビストは左にあるのに対し、本々の目的地だったフェリオンのコルタニスは真上にある。
「まあ距離は遠くなっちゃいますけど、でも転移魔法だけではどの道、転世魔法にはなりませんし。今は少しでも多く情報が欲しいですからね。それに、ぐるっと一周するように回れば、コルタニスにも次期に行けますよ」
「まさしく大陸一周ってことか」
「まあ旅をするんですし、色々見て回れていいじゃないですか? スレビストには、コロシアムとかがあるみたいですし」
「へえ、そんなのがあるのか。しかし、これを全部回り切るのに、果たしてどれくらい時間がかかるやら」
「あれ? 引きこもりのハヤマさんは、時間なんて関係ないんじゃなかったんですか?」
「誰が暇人だ」
「いや、暇じゃないですか……」
他愛もない会話をしながら俺たちは足を進めていく。日が落ちて夜が訪れては、そこで食べて寝てを過ごし、朝日が昇ると共にまた起き上がって歩き出す。約一ヵ月ぶりの、懐かしい習慣が戻ってきていた。さらに時は流れて次の日。丸二日間歩き続けた俺たちは、いよいよスレビスト王国への第一歩を踏み出そうとした。
「本当にここが、境界線なのか?」
「そう、だと思いますけど……」
セレナの声が不安と共に小さくなる。俺たちが立っているこの場所は、緑なんかは一切見えない、ただ灰色の地面が続く荒野だった。ところどころに黒く焦げたような跡があれば、へこんだ地面や人を覆い隠せるほど盛り上がった土。それに、血と鉄の臭いが微かに漂っている気がする。青い空に対してそこは、酷く荒れていてとても寂れた土地だった。
「なんていうか……静かだな」
「そうですね……今までとは雰囲気が全く違います。空気も重たい気がしますね」
「臭いもするよな。なんというか、血と鉄が混ざったような感じの、嫌な臭いだ」
そう話しをしていると、俺の足下の土がわずかに盛り上がった気がした。歩くのを止めて目を落としてみる。すると、地面の中で何かがうごめいているのか、地面の盛り上がりが一筋に伸びていた。
「何かいるぞセレナ」
サーベルに手をかけながらそう伝え、俺は動き続ける土を見つめ続ける。セレナもそれに気づいて意識を集中させると、俺たちの前で、土の盛り上がりが忽然として止まった。しばらく静寂の間が挟まると、次の瞬間、中から異形のムカデが飛び出してきた。一メートルある黒光りの体から、真っ赤な口に生えた無数の牙。一目見てそいつが魔物だと分かると、魔物は俺に噛みつこうとしてきた。
「っぶね!」
慌てて背後に飛び退いて避ける。通り過ぎたムカデは、そこでまた頭から地面を掘って、体をくねらせながら潜っていく。
「なんだこの魔物は!?」
「ビッグワームです! 地中からまた出てきますよ!」
セレナの注意から、俺は周りの地面をぐるりと見回す。どこを見ても土は動いていない。それほど深く潜ったのだろうか。そう思った時、セレナの背後の土が徐々に盛り上がっているのが見えた。
「後ろだ!」
俺がそう叫んだ瞬間、地面からビッグワームが再び姿を見せてきた。セレナが振り向いた時には、その牙が頭上に迫ってきていた。
走り出しても間に合わない! そう諦めかけた時、背後から馬が駆けてくる足音と共に、男の叫び声が聞こえてきた。
「土拳グラウンドアッパー!」
俺の目の前に一頭の馬が駆けてくると、両前足を上げた馬と、そこに乗っていた金髪の男が、高々と左手を突き上げた。同時に、口を開けたビッグワームの下から、土が拳を作って勢いよく突き上がる。ビッグワームがその拳に吹き飛ばされると、地面に背中から落ち、最後は力なくぐったりと倒れた。
俺はもう一度馬に乗ってきた男に目を向ける。青いマントが目立つその男が馬を止めると、すっと降りてきて俺たちに振り向いてきた。金髪の頭にちょっと口ひげが生えた顔。体は鉄の鎧に覆われている。騎士のような見た目をした彼が、丁寧な歩き方でセレナに近づいていくと、その場で片膝をつき、妙に色気を意識してるような声を出してきた。
「ケガはないかい、お嬢さん?」
「は、はい。あなたが助けてくれたんですね。ありがとうございます」
「困った女性を助けるのは、男として当然のことです」
「はあ……」
セレナが困ったような反応をすると、男は自分の胸に手を当てて名乗った。
「私の名前はヴァルナ―。よければ、あなたのお名前を聞いても?」
「私はセレナと言います。あちらはハヤマさんです」
ヴァルナ―と名乗った男が俺を見ると、まるで感心がないようにすぐセレナに顔を戻した。
「それにしても、中々可愛いお姿をした女性だ。どうですか? あんな冴えない顔した男より、私を選んでみては?」
「いえ。そういう関係ではないですし、ヴァルナ―さんともまだ出会ったばかりなので、そういうのはちょっと……」
「ふむ……そうですか。さては、あのハヤマという男に弱みを握られてますな?」
急に変わった声色と唐突な流れに、俺は思わず「は?」と声が出る。
「いえ、別に握られてるとか――」
「いいんですよお嬢さん。自分の口では言えないのでしょう。でも、このヴァルナ―が来たからにはお任せあれ。こんな可愛らしい少女をいたぶる野郎を、容赦なく叩きのめしてみせよう!」
「だから、そういうのじゃ――」
セレナがいくら止めようとしても、喋り方まで変わったヴァルナ―はブレなかった。次にその場にすっと立ちあがると、地声を出しながら俺に向かって走ってくるのだった。
「こんな可愛い女の子を弄ぶのがそんなに楽しいか! この男のクズめ!」
ヴァルナ―が俺の顔面を殴りかかってくる。俺はつい反射でそれを避けていた。
「待て待て待て! 俺は別に弄んでなんか!」
「なら本気で彼女と付き合ってるとでも言うつもりか!」
「そ、そういうわけでもないが!」
「結局遊びと言うことか! 男として恥を知れ!」
そう言ってヴァルナ―が拳を引くと、左手から茶色の魔法陣を作り出した。それが光を放った瞬間、ヴァルナ―が拳一つ分腕を伸ばし、なんとその魔法陣を握り潰した。一体何をするのかと警戒すると、俺は背後から大きな揺れを感じ、慌てて振り返った。そこには、さっき見た巨大な土の手が迫っていたのだった。
「なんだあ!?」
全身が影に覆われ、逃げ場を失った俺は、そのまま土の手に体が掴まってしまう。そこから出ようと必死にもがいてみるが、固く閉ざされた土の手はビクともしない。その様子をヴァルナ―は笑いながら眺めていた。
「ハッハッハ! どうだ俺の土魔法と拳の合わせ技、土拳グラウンドアームは! 土の重みでそこから逃げられないだろう!」
魔法陣を出していたはずの左手に、握りこぶしの間から茶色の光が漏れているの見える。どうやらこれは彼の魔法のようだ。
「クッソ! こんな魔法もあるのか!」
「さあ白状しろ。お前は少女をたぶらかし、どんないけないことをしでかしたんだ!」
「何もしてねえよ! ただ一緒に旅をしてるだけの仲だ!」
「こんなかわいい子を連れて旅だぁ? そんな顔でふざけたこと言うんじゃねえ! どこかでたぶらかして連れてきたんだろ?」
「顔で判断するなよ! そりゃまあ、こんな指名手配されてそうな顔なのは認めるが、でも、神に誓って一切怪しいことはしてねえ!」
「本当か?」
「本当だ!」
「男としてそう言い切れるんだな?」
「ああ。俺は生涯、絶対に嘘をつかない男だ!」
その言葉にセレナが白い目を向けていたが、ヴァルナ―はじっと俺の目を見つめ続けてきた。俺も真正面からそれを見つめ返していると、ヴァルナ―が左手の拳をスッと開いた。それと一緒に、俺を掴んでいた土の手も開き出し、俺の体を地面に戻してくれた。
「お前の言葉、信じてやろう。男として、真っすぐに言い切ったその信念に免じてだ」
「お、おう。とりあえずありがとう」
俺はお礼を言いながら、単純な彼にある思惑がよぎる。さてはこの男、馬鹿だな、と。
「しっかし、いい女を連れて旅してるもんだな」
「そうか? 色々と面倒事に首を突っ込む厄介な奴だが」
セレナが「んな!?」と反応していると、ヴァルナ―が俺の首に腕を回してきた。
「分かってないなぁお前は。ほれ、ちゃんと見てみろ」
そう言われて俺はセレナを見てみる。二人でじいっと見つめていると、セレナが恥ずかしそうに頬を赤く染めていく。
「……一体どこを見ればいいんだ?」
「お前にいいことを教えてやろう。どうして男には、目ん玉が二つついていると思う?」
「いや、女も二つついてるだろ」
「屁理屈はいい。俺の目の先を追ってみろ」
言われた通り、俺はヴァルナ―の目線をゆっくり、正確に追っていく。徐々にセレナの姿が視界に映ってくると、最後には胸の小さなふくらみにたどり着いた。
「目ん玉が二つある理由。それはな……夢を見るためさ……」
「ただの変態じゃないですか!!」
胸を隠しながら叫んだセレナ。ヴァルナ―はそれを微笑みで受け流すと、俺から離れてセレナに近づき、また前に立って立膝をついた。
「恥ずかしがることはありませんよ、お嬢さん。あなたはきっと将来、大きな夢を胸に詰められるはずだ。だから私と、どうか――」
「余計なお世話です!!」
ヴァルナ―が手を伸ばしたのに対し、セレナが右の平手を頬に思い切り振り切っていた。パアン! と見事な音を響かせると、ヴァルナ―の口からは「アフリカン」という訳の分からない断末魔が飛び出た。どうして俺はセクハラ現場を眺めているのだろう。阿保らしくなってため息を吐く。頬を思い切り叩かれたヴァルナ―は、なぜか誇るような顔をしていると、赤くなった頬を抑えながら立ち上がった。
「フラれてしまったか。だが、このビンタは愛の鞭。次に繋がるための活力になるはずだ……」
そう呟いて、ずっと待っていた馬に近づいていく。そこで何かを思い出したのか、急に色気のない元の声で振り返ってきた。
「あそうだ。俺はこの先に行くんだが、よかったら一緒にどうだ? お嬢さんも、もしも魔物が現れた時、俺がいた方が頼もしいだろ?」
諦めの悪い提案に、セレナは一瞬嫌そうな顔をする。そのまま断ろうとするセレナに代わって、俺は先に口を開いた。
「いいんじゃないか? どうせどこかで別れるんだ。またさっきの魔物に襲われたらたまらないし、少しの間くらい、頼もしい護衛がいた方が身のためだろ?」
「それはまあ、そうですけど……」
「それに多分、そんなに悪い人じゃなさそうだぞ。自分に正直な人間だ。見た目も騎士みたいだし、しっかりしてる部分はある……はずだ」
どうしても不安を残すような一言が最後についてしまったが、セレナはよーく考え込んでから結論を出した。
「……分かりました。でも何かあった時、ハヤマさんがどうにかしてくださいよね」
「まあ、善処はする」
会話を聞いていたヴァルナ―がうなずくと、俺たちはしばらく、ヴァルナ―と行動を共にすることになった。ヴァルナ―はセレナを馬に乗せようとしたが、セレナは「いいです」の一言ですっぱり断る。ヴァルナ―は残念そうに肩を落とすと、俺たちと歩みを共に進めるため、自分も足で歩くことを決めた。そうして荒野に三人、俺たちは乾いた空気の中を進んでいくのだった。