1‐4 私と一緒に、旅に出ませんか?
「……本当に嘘だったんですね」
小さくなっていくモグリの背中を眺めながら、セレナがそう呟く。
「俺の言った通りだったろ」
「そうでしたね。全く気づきませんでした」
「いや、あれくらい気づかない方がおかしいって……」
俺は心配するようにそう言ったが、セレナはやはり理解できないのか、何食わぬ顔をしたままだった。
「ハヤマさんは、嘘を見抜ける才能があるんですね」
「才能、ね。嘘ってのは基本、人の顔を見てれば気づけるもんだよ」
「本当ですか?」
「ああ。さっきの奴もそうだった。心からのお願いなら、目元しか笑ってないのは不自然だし、目の動きも、喋る度にしょっちゅう左上に動いてたしな」
「左上?」
「多分あいつ、右利きなんだよ。袋を持つきとも、右手で取り出して掴んでいたからな」
「右利きの人が左上を見てたら、嘘だって分かるんですか?」
「俺の経験上、利き手と逆の方を見ている時は、嘘をついてることが多いんだよ。あくまで俺個人の見解だから、論理的な根拠とかはないんだけど、予想では多分、次になんて言葉を言うのか必死に考えてたら、自然と目が動くんだと思う」
「経験上って。一体どんな経験をすればそんな……」
そうセレナに引き気味に聞かれると、俺の頭の中にはとっさに、ある光景が浮かんだ。
のっぺらぼうな顔に、口だけをつけた人間。そいつが俺の真正面に座っていると、その口を開いて嘘を吐いてくる。見知らぬ赤の他人が、ずっと俺に向かってずっと虚言を呟く様子だ。
忘れようとした現実。その光景は、俺の脳裏に強く残っているものだ。
「ハヤマさん?」
名前を呼ぶ声でハッとすると、不穏な気配を感じたようなセレナの顔が映った。
「……俺は元いた世界で、いろんな人に嘘を言われたんだ。そうしていつの間にか、人より嘘に敏感になってた。それだけだよ」
「そ、そうだったんですか……」
セレナがなぜか申し訳なさそうな顔をする。いたたまれない気持ちにでもなったのだろうが、どうやら肝心な何かを忘れているようだ。
「ところでいいのか?」
「え? 何がですか?」
「お金、返してもらってないぞ」
「お金?」
セレナが手に持っていた小銭入れに目を落とす。
「……ああ! 私のお金!」
唐突に響き渡る声。袋に入れたセレナのお金は、モグリの手にあるままだった。
「忘れてたのかよ……」
「そうでした! 待ってくださーい!」
セレナが急いでモグリの後を追いかけていく。モグリはとっくに遠くまで逃げていて、さすがにその距離は中々縮まる気配がなかった。だが、セレナが走りながら片手を突き出すと、そこに緑色の魔法陣を浮かび上がらせた。
「止まってぇ!」
そう叫びながら魔法陣が光ると、そこから勢いよく風の衝撃波が飛び出した。透明ながらガラスのようになんとか視認できるそれは、まるで飛ぶ斬撃のようだった。それが勢いを止めることなく真っすぐ突き抜けていくと、モグリの背中に見事直撃し、ここまで「う゛!」という声が聞こえてくると、その体が勢いよく地面に倒れた。
「け、結構強引な奴……」
思ってもなかった方法に俺は困惑する。今撃ったのが魔法なのは分かる。それを詐欺師に撃つのも理解できる。だがそれを、まさか嘘を信じ込むような純粋な彼女がするとは思わなかった。
セレナが倒れたモグリの元までたどり着くと、モグリは慌てた様子で起き上がり、持っていた袋をセレナに渡して、さっさとそこから走り去っていく。その場でセレナは袋の中を開けて確認すると、一安心するような表情を見せ、走って俺の元まで戻ってきた。
「なんとか返してもらいました」
「そ、そのようだな……なんとか、って言うより、だいぶ力技だったような……」
「次からは、ちゃんと気を付けないといけませんね。きっと世界には、あんな嘘つきな人も他にいるでしょうし」
「まあ、これからは気をつけような。……って、村を出ることなんてあるのか?」
ふとその部分に引っかかって聞いてみると、セレナはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに手を打った。
「そうなんです。私、さっきのモグリさんの話を聞いて、あることを思いついたんですよ。ハヤマさんを元の世界に帰す方法。それも、私の力でできるかもしれない方法です」
「あいつの話でか。一体どの部分を聞いて思いついたのか、それはそれで気になるな」
大した期待もせず、適当にそう返してみる。するとセレナは、わざわざ俺の真正面に立って向き合うと、「コホン」と咳払いをしてみせた。その素振りに一瞬嫌な予感を感じる。これから、とんでもないことをお願いされそうな、そんな気がしてならなかった。そして、セレナは柔らかに微笑んでこう言ったのだった。
「私と一緒に、旅に出ませんか?」
「……へ?」
何を言ったんだ、彼女は。旅? 旅と言ったか?
「旅って、ようはこの世界を回るってことだよな?」
「はい」
「私とってことは、俺も行くってことだよな?」
「はい」
「俺とお前で?」
「はい」
「二人で?」
「はい」
「世界中を?」
「はい」
「歩いて回ると?」
「そうです」
最後の受け答えには丁寧にうなずいてくる。俺と旅に出ませんか、だと? いやまさか、本気なわけがないだろう。
「……オーケーオーケー、完全に理解した。さてはさっきの嘘が衝撃的で、まだ混乱してるんだな。だからこんな面白い冗談を言えるわけだ」
「冗談なんかじゃないです」
「なんてこったこれは重症か? もう助からんかもしれんな」
「むう! いい加減にしてください! 私は本気で話してるんです!」
さすがに怒鳴られた。どうやら本当に本気らしい。思わず「マジか……」と呟いてしまうと、困惑のあまり頭をかいた。
「だったら教えてくれ。何を思ったら、俺と旅に出ようなんてことになるんだ?」
「この世界を回れば、きっと転世魔法について何か分かるかもしれないじゃないですか」
「まあ、書物とか探せばあるだろうし、詳しい人もいるだろうな。なんなら、使える魔法使いがいたら、その人に頼めるかもしれない」
「いえ、あくまでも私が習得しますよ。私が召喚したんですから、私がしっかりお返ししないと」
「ああそう……」
謎に高いプライドを不思議に感じ、俺にはセレナの動機を理解できなかった。
「でも、どうしてそんな本気なんだ? 俺は帰らなくていいって言ってるし、焦る必要だってない。なのに、旅に出るほどの理由があるのか?」
その言葉に、セレナは少しだけ表情を曇らせながら口を開いた。
「思ったんです。お母さんを亡くしてからの一週間、ここにいるだけじゃ、私は何も変われないし、何もできないなって」
セレナが右手の握りこぶしを胸に置く。
「私が使おうとする転世魔法は、お母さんから受け継いだようなもの。とっても大事な魔法なんです。お母さんがいなくなったのが悲しくても、私が立派に転世魔法を扱えれば、お母さんが今も一緒にいてくれてるって、私の中に残ってるっていう、なによりの証になると思うんです」
セレナは最後には笑ってみせ、少し得意げな顔を俺に見せてきた。亡き親を思うその志に、当然俺は何も返せなかった。
たとえあの世に行ったとて、本当の家族だったらこう思うのが当然なのだろうか。俺には分からない。分からないが、ここまで純粋な笑みを見せられれば、そうなんじゃないかと思ってしまう。
「一応あてというか、それなりの検討もつけてますよ」
今度は表情を戻して口を開くと、セレナはそのまま話を続けて詳しい説明をした。
「この世界には魔法学校と呼ばれる、魔法を学ぶ場所があるんですが、そこには、魔法を研究する教授さんとかがいて、魔法の専門知識が学べる場所なんですよ。そこに行けば、転世魔法についても何か分かると思うんです」
「学校か。確かにそういうところに行けば、何かしら手がかりはつかめるかもしれないな。一応聞いとくが、この村で魔法に詳しい人とか、書物なんかは残ってないのか?」
「いいえ。転世魔法は私とお母さんだけが扱える魔法ですし、先代の方が使ってたという話も、聞いたことないです」
「まあないか。とりあえずの話は分かった。お母さんと果たせなかった転世魔法習得を、旅に出てまでなんとかしたいのもまあ分かる。それでだ。俺がお前についていく理由はなんなんだ?」
「暇じゃないですか」
「即答で言うのがそれかよ……」
俺にとっては一番大事な質問だったのに、足蹴にするように返されてしまった。
「自分の父親とか、もっと頼りがいのある人を誘ったらどうだ?」
「お父さんは無理ですよ。村長として、この村を守るっていう役目がありますから」
「村長だったのか、あの人」
「他の人を誘おうにも、子供がいる方だったり、まだ幼い年齢な子供ばかりで、気軽に頼める人も中々いないんですよ」
「一番気軽に誘えるのが俺だったってか。一人で行くっていう選択肢はないのか?」
「それはさすがに心細くて……。それに多分、もしそうしようとしても、お父さんが許さないと思います。魔王は倒されたとは言え、世界にはまだ危険が残ってるでしょうからね」
「だからって俺を誘われてもな。引きこもりで外が嫌いだし、大して力があるわけじゃないし…… そもそも俺とお前の二人旅なんて、あの親バカな父親が許すわけないだろ。年頃の男と女二人なんて、絶対色々言われるぞ」
「色々?」
セレナは気づいていないかのように首を傾げたが、すぐにピンときた顔をすると、自分の胸を守るように両腕で覆った。
「まさかハヤマさん。私をそんな目で!?」
「見てない。見れない。見たくない」
変なノリに付き合うつもりはない。そう示すように適当に答える。
「そんなこと言って、前も私を見るや否や、おでこを突き合わせたり胸を触ろうとしたじゃないですか!」
一週間前の出来事を言及され、俺もその瞬間を思い出し、まさしくギクッと体を震わせた。夢だと思ってあんなことをしてしまったが、あれはどう見てもセクハラというものだ。罪が這いよる感じが背中に伝わる。なんだかサウナにいるかのように、一気に頭が火照っていく。
「あ、あれはだな! いきなりのことで夢だと思い込んでたんだよ! 全然覚めねえから、なんとかできねえか考えたら、直接他の人に殴ってもらうしかねえって思って!」
「だからって急にセクハラする人がいますか? 普通だったら話をしてみると思いますけど!」
「うぐっ!? そ、それは……」
つい言葉を見失ってしまう。敵わない。今の状況を裁判所なんかで再現されたら、俺は絶対に敵わない。このまま罪を重ねるよりも先に、俺は急いで膝を折っては、頭の額を地の面にくっつけた。
「すみませんでした!」
「そ、そこまでして謝らなくても……」
俺の土下座にセレナは若干引いているようだった。思えば土下座の文化は、俺のいた国にしかないのだと思い出す。
「謝罪の意を示すには、こうするのが誤解を生まないって教えられたんです。プライドも何も捨て、相手の足よりも下に目線を置く。この通り、さっきの件についてお許しを。どうか変態呼ばわりだけは!」
自分に変態のレッテルを張られるのはさすがに堪える。そんな思いで、必死になってお願いすると、セレナは動揺したまま口を開いた。
「わ、分かりました。分かりましたから顔を上げてください。謝られてるこっちが恥ずかしいですから」
言われた通り頭を上げ、セレナを見上げる。
「許してくれるのか?」
「許します。あ、やっぱり許してほしかったら、私と一緒に来てください。そうしたらいいですよ」
それを聞いた瞬間、俺の体は氷のように固まった。まさかこのタイミングでぶっこんでくるとは。それも、なんだか弱みを握られてるような状態を利用して。
「せ、性格、悪いんですね……」
「べ、別にそういうつもりじゃ……私としては、お父さんに納得してもらえる理由がほしいだけですから。ハヤマさんだったら男ですし、異世界から来ている分、誰かの迷惑にもならないかなぁと」
「まるで都合のいい男を探す悪女だな」
「変態さんに言われたくないですって」
「うぐ……」
やはり俺に勝ち目はない。痛恨のミスで弱みを握られてしまい、まさかこんなことになってしまうとは。追い詰められた俺は、もう諦めるしか選択肢がなかった。
「……分かったよ。一緒に行くよ」
「本当ですか!」
「ああ、本当だ。転世魔法を習得するまで、適当に後ろついていけばいいんだろ。それでセクハラ行為が許されるなら、やるという選択以外にないわな」
「ありがとうございます、ハヤマさん!」
そう言ってセレナがお礼を言うと、改めて俺を見下ろし、膝をついていた俺に向かって手を伸ばしてきた。俺は一度地面につけた手を軽く払い、その手を掴んで体を起こしてもらった。するとセレナは俺の手を握ったまま、もう片方の手を握手するようにそこに合わせた。
「これからよろしくお願いしますね!」
嬉しそうに笑う彼女に、俺は少し気恥しそうにこう返した。
「あ、ああ……ほどほどにな」