4‐6 禁忌級聖魔法
俺たちは学校を出ると、キャリアンに続いてラディンガルの街を歩いていた。大通りから少し離れた住宅街。やけに広い道幅の両端に、白い壁が完璧に磨かれた家々が並んでいる。これがいわゆる、高級住宅街というやつだろうか。そこを歩いているだけで、自分が品のある人間に思えてくる。
キャリアンたちと横並びで歩いていると、とある家の前でキャリアンが足を止めた。
「ここが、アルト君のお家よ」
そう言って指を差した家は、他と変わり映えのない二階建ての一軒家だった。お隣とは石積みの塀で空間を区切っており、奥には庭もあるようだ。かろうじて他と違いがあるとするなら、屋根が赤ではなく青いことだけだ。
「早速中へ入りましょうか」
そう言ったキャリアンを先頭に、俺たちもドアの前まで歩いて行く。表札も呼び出しベルもないその家に、キャリアンが手を伸ばし、ノックの音を二回鳴らした。そうしてしばらく中からの反応を待ってみたが、いくら経っても人が出てくる気配がしない。
「うーん。寝ているのかしら? アルトくーん」
キャリアンがもう一度ドアを叩く。だが、やはり返事はない。それどころか、家の中から物音一つしなかった。
「返事がないわね。どうしましょう?」
キャリアンが首を傾げる。ここまで来て帰るという選択肢もないだろう。アルトには聞かなければならないことがあるのだから。そう思った俺はドアに手を伸ばし、開いているかどうか確かめようとした。
「開いてたら、勝手に中に入ってもいいんじゃ――」
指先がドアノブに触れようとした、まさにその時。
「うがああぁぁ!!」
突然の大声に指がビクッとして止まる。聞こえてきたのは、悲痛に叫ばれたような悲鳴で、それもどこか遠くから聞こえてくるような、くぐもった音だった。
「今の声は、まさか!?」
嫌な予感がした俺はすぐにドアノブを回してみる。するとドアはすんなり開き、俺たちは急いで中へ入っていった。
「アルトー!」
「アルト君!」
「どこにいるのー!」
セレナとキャリアンと一緒に叫んでも、返事はどこからも返ってこない。さっきの悲鳴が常に頭に残っていると、俺は焦りを隠せないまま家の中を探していった。リビングにキッチン。洗面所からお手洗い。二階にある部屋まで、セレナとキャリアンと手分けして見ていく。しかし、そのどこにもアルトの姿はなかった。
「そんな。どこにもいないなんて……」
一階の居間に三人だけ集まると、セレナが肩を落とした。だが、アルトは確実にどこかにいる。さっき聞こえた悲鳴は絶対にアルトの声だったからだ。
どこか見落としていないか。その思いで家中を見回していくと、リビングの奥にある裏庭が目に入った。
「あっちは、まだ誰も見てないよな?」
俺の問いかけに、セレナとキャリアンはうなずいた。家の中にいなければ、もう裏庭しか残っていない。窓ガラスからでも庭の大体が見えていたが、俺は願うように窓を開けて裏庭に出た。
茶色の土が敷かれた裏庭。端には綺麗に手入れをされてる小さな花壇に、いくつか花の芽が生えてるが、それ以外はもぬけの殻で、肝心のアルト本人もどこにもいなかった。
「ここにもいないのかよ……」
裏庭の真ん中まで歩いてみても、当然見つかるはずはなかった。俺は仕方なく二人の元へ戻ろうと振り返る。すると、進めた足に違和感を感じた。さっきまで柔らかい土だったのに、この一部分だけ異様に固い感触がする。試しに足元を二回踏んづけてみる。やはり固い。ここだけ岩でできてるようだ。俺はその場に座り込むと、今度はそこを手で叩いてみた。すると返ってきた感触は土ではなく、まさかの鉄の感触だった。
「何してるんですか、ハヤマさん?」
セレナが俺を気にかけてくる。
「ここだけ鉄でできてるんだ。変だと思わないか?」
「鉄? どうして庭の地面に鉄が?」
「分からない。こんな庭に鉄なんて似合わないしな」
そう言って俺は地面を凝視し続けた。どう見てもそこは、なんの変哲のない土の地面。だが、明らかに他の土とは踏んだ感触が違う。それはまるで、ここに何かを隠しているように思えてしまう。そう思っていると、セレナが近づいてきた。
「ちょっといいですか?」
セレナが右手に茶色の魔法陣を作り出す。外で寝る時によく見る土属性の魔法だ。一目見てセレナのやりたいことが分かると、俺はその場から退いた。次第に魔法陣が光っていき、徐々にその場の土を端によけるように動いていく。キャリアンも裏庭に下りてきて、そこにあるものを確かめようとすると、そこに一つの鉄扉が正体を現したのだった。
「扉だ。庭の中から、まさかの扉が出てきたぞ」
「もしかして、この中にアルト君が……」
キャリアンはそう呟くと、魔法陣を消すセレナの横を通り、その扉に手をかけた。扉は思ったより薄く、力を込めることなくあっけなく開いた。するとそこには、真下に続くはしごがついていた。
「地下に繋がってるようね」
キャリアンがそのままはしごを使って降りていき、俺とセレナも後から降りていく。それほど長くないはしごを最後まで下り切ると、家があった方向に向かって一本の狭い道が続いていた。明らかに人の手で作られたでこぼこ道。その先にランプのような淡い光が見えると、俺たち三人はそこに進んでいき、微かなうめき声を聞いた。
「うう、くう……」
痛みをこらえるような、喉奥から搾り出てくるような声。俺たちはそれがすぐにアルトの声だと分かると、キャリアンが我先にという勢いで走り出した。
「アルト君!」
俺とセレナも急いで後を追う。淡い光がだんだんはっきり見えてくるにつれ、酷く腐った鉄のような、濃い血の臭いを感じていった。そして、小さく広がった一室の部屋。一つのランプが垂れ下がるその周りに本棚や机がある中、俺の意識を真っ先に奪ったのは、右腕から大量の血を流すアルトだった。
「アルト!? お前、どうしたんだそのケガ!?」
「ハヤマさんにセレナさんまで!? どうしてここに!」
「大丈夫なの、アルト君?」
キャリアンがそう声をかけながらアルトに近付こうとすると、アルトは右腕を抑えたまま、一歩身を引いた。
「来ないでください! 僕なら大丈夫です。これくらいの傷で、怯んでる場合じゃないので」
赤黒く染まった右腕。とてもこれくらいでは済まされない出血量に、セレナが苦言する。
「これくらいって。その量はさすがに危険です! すぐに治療しないと!」
「これくらいじゃ、まだ足りないんです。だから、何も、問題は……」
どうしても譲れないのか、アルトは訳の分からないことを口にする。キャリアンはそれを無視して問答無用で近づこうとしたが、アルトは傷口から手を離し、すかさず裏の机に置いてあった血まみれのナイフを向けた。
「来ないでください、キャリアン先生!」
「アルト君!? どうしてそこまでして……ん?」
キャリアンの言葉が不自然に止まると、その目がアルトの背後にある机に向けられていた。俺もつられて机の上にあったものを見る。それがものなんかではない、全く予想だにしてなかった存在であると、俺は全身から血の気が一気に引くのを感じた。
「人間!?」
机の上には、一人の女性が寝かされていた。長い赤髪の、かなり顔立ちのいい女。だが、全身の皮膚には氷が張り付いていて、息をしているようには見えない。
「お前まさか!? いや、一体、何を考えて――」
「違います、ハヤマさん! 僕がやりたかったことは、その逆です! ッハ!?」
口を滑らせたその言葉を、俺たちは当然聞き逃さない。
「逆? 逆って、どういう意味だ、アルト?」
すぐに問い詰めていく。今、彼から出てくる言葉を、何でも聞き逃してはいけない。血まみれの自分と、息をしていない女性。焦って勘違いをする前に、この状態をしっかり説明してもらわなければ。
「それは、その……」
「言ってくれアルト。俺たちに、隠し事をするつもりか?」
ナイフを持つ腕を震わせながら、アルトが苦しそうに唇を噛む。どうしても口を割らないつもりだろうか。すると、キャリアンの口から、衝撃的な事実が告白された。
「アルト君。その女性の人……エスティータ先生、よね?」
アルトが顔をハッとさせる。俺も耳を疑うと、その女性をよく見てみた。赤色の髪に、小さめな顔の形や鼻の出来具合なんかが彼と似ている。どうやら間違いないみたいだ。
「ち、違う。違います。これは、僕のお母さんでは――」
「アルト君」
キャリアンがアルトの言葉を遮り、片腕をアルトにすっと突き出した。それにアルトが急いでナイフを向けると、キャリアンはそこに黄緑色の魔法陣を作り出した。
「ヒール」
優しい呟きと共に、アルトの傷口が黄緑色の光に包まれていく。それが癒しの魔法、聖属性なのだと気づくと、その傷口からの流血がピタリと止まっていた。
「キャリアン、先生……」
「落ち着いて、アルト君」
アルトの青白い顔色が戻っていき、ナイフを持っていた手もゆっくりと下がっていく。そして、最後にその手からナイフを離すと、悔しそうに握りこぶしを作り出した。
「僕は……僕は、お母さんを……助けたかったんです」」
喉奥に引っかかっていたものを、無理やり引き出すかのように震えた声。彼の目に涙が浮かび上がっていると、俺は今、アルトがホッとしているのか、それとも悔しがっているのかが分からなかった。
「助けたかった? どういうことなんだ、アルト?」
「僕のお母さんは、偉大な魔法使いでした。最年少で教授の地位について、魔法の研究でも、色んな成果を出して、本なんかもたくさん出していて……僕の自慢の存在だった。僕もお母さんのような魔法使いになりたいって、心の底からそう思っていました」
話しが進むにつれ、アルトの声がどんどん震えていく。
「けど、そのお母さんはもういない。あの日。一年前、魔王がこの街に現れたあの時。お母さんは死んでしまった……それも目の前で……僕なんかを庇ったせいで!!」
最後の一言だけ、彼は怒りを表すように叫んだ。それが今までの彼と全くの別人に見えて、思わず俺は体が委縮してしまっていた。
「僕は、お母さんに生きていてほしかった……。生きて、僕と魔法についてもっと話してほしかった。もう学校にいても、家にいても、自慢のお母さんはどこにもいない。僕のせいで、僕の、せいで……」
「寂しかったんですね、アルト君は……」
セレナが目に涙を浮かべながらそう呟く。キャリアンも口元を抑えて目元を震わせていると、なんとかこらえようとする声でこう言った。
「お母様のこと、そんなに思ってたのね……けれど、アルト君が傷つく必要なんて……」
最後の言葉が出てくるよりも先に、アルトが答える。
「僕は三年前、学校で、優秀な生徒だけが立ち入れる第二図書館から、ある本を読んでいました。その中で僕は見つけたんです。禁忌級聖魔法、リザレクション。死者を蘇生できる魔法を――」
全員の目がパッと開かれる。禁忌級。発動に代償を求めるその存在を耳にした時、俺は瞬きするのを忘れてしまうほど呆然としてしまった。
「アルト君……あなた、まさかそれを!」
「禁忌級には代償が必要になる。キャリアン先生は知ってましたか? 禁忌級聖魔法で必要な、魔法使いの代償を」
アルトの目がキャリアンに向けられる。
「リザレクションの代償……それは、生者の命……つまり、自分自身の、命……」
それを聞いてまた全身が寒く感じてしまう。血の気が引くのは一体何度目か。冗談ならもう早くそうだと言ってほしい。
「そ、それじゃ、アルトが今さっきやろうとしてたことってのは、まさか、だよな?」
俺は懐疑の目をアルトに向けると、彼はもう塞がっていた傷口を抑えながらこう答えた。
「そうです。僕は、自分の命を使って、お母さんを生き返らせようとしました」
「マジ、かよ……そのために、自分の体を傷つけたってことか」
「今の僕には、禁忌級魔法を発動できるほどの魔力が足りない。昨日からどんなに発動しようとしても、全部失敗してしまう。そんな時、セレナさんに気づかされたんです。成長という贈り物。形のないそれで、その人は喜ぶかどうかは分からない。けど、形あるものをあげれば……僕の心臓をお母さんにあげれば、きっとそれは成功につながるはずだって」
「お前が贈りたかったものって、自分の命だったのかよ……」
昨日の自分に腹が立つ。どこか怪しい雰囲気を察しておきながら、わざわざ隠そうとする理由を考えなかったのはどうしてだ? どうせ彼のことならなんでも分かると思っていたつもりか?
「氷魔法はとても便利でした。遺体を腐らせないのに、とても役に立つ魔法だったので」
「そこまでして……アルト。自分の命は自分のものだ。誰かに渡すなんて駄目に決まってる」
「いけないことだとは、僕も分かってます。それでも、僕はお母さんに生きていてほしかった。その思いが昨日、セレナさんと話しをして、はっきり分かったんです。僕が贈りたいものなら、きっとお母さんは喜んでくれる。だから、一刻も早く、それを贈ってあげようって」
セレナとの微笑ましかったはずの会話が、彼のやる気に火をつけていたとは。ここで食い下がったら、いよいよ彼は止まろうとしないかもしれない。そう感じていた時、涙を払ったキャリアンが一歩前に出た。
「ねえアルト君。エスティータ先生の遺体を、元に戻してあげましょう。こんなこと、きっと先生は望んでいないわ」
「キャリアン先生、ごめんなさい。僕はもう決めたんです。大好きなお母さんに、僕の命という、最高の贈り物をしてあげるって」
「でもそれじゃ、あなたが死んじゃうのよ?」
「分かってます。でも、それでいいんですよ先生。だって、お母さんは僕を庇っていなかったら生きていた。あの時死んでいたのは僕だったんです。だから、僕はそれを返してあげたい。ただそれだけなんです」
「アルト君に魔力では、禁忌級の発動には不十分なのよ。無駄死にになったらどうするつもりなの?」
「先生。ある書物には、こう書かれていました。自分の身を代償とする魔法の場合、代償となる部分にすべての魔力が集中する。その量が絶大なものだからこそ、その体の部位は代償となって動かなくなるんです。この理論が本当だったら、僕自身が心臓に魔力をかければ、きっと成功できるはずです。直接手に取って、すべての意識をそこに集中させればできるはずなんです」
「それは……」
キャリアンが言葉を詰まらせてしまう。彼の本気の思いに返す言葉を見失っているようで、急いで俺が口を挟んだ。
「いいのかアルト。母親がお前を庇ったんなら、お前に生きていてほしかったんだと思うぞ。その思いを踏みにじる気か?」
「ハヤマさんはそのことを、直接お母さんに聞いたんですか?」
「え? い、いや、それはさすがに……でも、そう思わないと誰かを守ろうとしないだろ?」
「お母さんが僕を守りたいなら、僕はお母さんに生きていてもらいたい。お母さんの思いが本物でも、僕のこの思いだって本物ですよ」
「そ、そうだとしても……」
いまいち頭が回らない。そもそも俺は、自分の母親を好きになれないような男だ。もうどこに行ったのか、知ろうとするほどの興味だってないのだ。度が過ぎた人間嫌いな俺に、アルトの気持ちなど分かるはずがない。母を大事に思う、アルトの気持ちなど。
「僕にしか分からないんですよ。だってこの命は、僕のものじゃなくて、お母さんのものだったんですから」
そう言い切られてしまうと、俺にはもう何も言い返せなかった。自分の命を無碍にする人は好きになれないが、彼は決して無碍にしているわけではない。この命を持って、大事な人を蘇らせてあげたい。アルトが本気でそう思っているのは確かで、人の命の在り方がどうあるべきかなんて、俺には知る由もない。だからもう、俺には彼を止められない。何を言っても、俺の言葉では引き留められないのだ。
「ハヤマさん。セレナさん。キャリアン先生。お願いします。ここから、出ていってくれませんか」
アルトが俺たちに頭を下げてくる。人が、アルトが死ぬと分かっていて、それをみすみす見逃せるわけがない。それなのに、俺の口からは何も出てこない。
諦めるしかないのだろうか。そう思ってしまった時、固く閉ざされていたセレナの口が開いた。
「お母さんの、命、ですか……」
それまで顔を俯かせていたセレナは、俺たちにその表情を見せないでいると、ゆっくり確実にアルトの前まで近づいていった。