4‐5 アルト君の母親は
静寂の夜を迎え、時が流れていく。王都でも夜になれば、街の電気はほとんど消えている。そういうところは、俺のいた世界の都会なんかと違って、落ち着いた雰囲気があって気に入っていた。
そして朝の陽ざしを窓から感じると、ボサボサの天然パーマに手を触れないまま、服だけ着替えて準備を済ませた。護身用のサーベルを腰につけて部屋の扉を開ける。丁度同じタイミングで隣の部屋が開くと、中からセレナが顔を見せてきた。
「あ、おはようございます、ハヤマさん」
「ああ。おはよう」
いつもの軽い挨拶を済まし、お互いに扉を閉める。そうして廊下を歩いて行くと、セレナが話しかけてきた。
「今日はどこで時間を潰しましょうか?」
「うーん、どこかのんびりできるところで」
「いつもそう言ってますよね……」
ちょっとの会話を挟むと、俺たちは宿の出入り口へと向かって行った。
ラディンガルに着いてから約二週間。そろそろ街の道も覚えてきた今日。俺たちは適当に時間を潰した後で、魔法学校に向かっていた。朝見えた青空が美しいオレンジ色に染まっている。
恐らく今日が最後になるだろう。アルトから情報を貰ったら、今度はそこが目的地になるはずだ。ジバといいラディンガルといい、ここいらで人が少なく、なんとなくいい感じの場所を示してほしいものだ。
いつもの銀柵が見えると、俺とセレナはその扉を開けて中へ入っていった。敷地の芝を踏むと同時に、いつもの場所に目が動く。孤高が好きな変人が今日もそこにいるだろう。セレナも俺と同じでそっちに目をやっていた。だが、そこにいつもの姿はなかった。
「あれ? アルト君いませんね」
「珍しいな。いつもいるわけじゃないのか」
「もう教室で待ってるのかもしれませんね」
セレナの言葉に納得すると、俺たちは本校舎の中へ入っていった。
講義があった日とはいえ、それが終わった後の学校はいつもと変わらず静かだった。昨日と同じ廊下を歩いて行き、既視感の強い教室の前に立つ。俺が扉に手をかけ、この先にアルトたちがいるだろうと思いながら開けるが、教室の中には誰一人としていなかった。
「あれ? 教室間違えたか?」
「いえ、ここで合ってるはずですけど……」
俺たちが戸惑っていると、廊下から誰かの足音が聞こえてきた。そっちに顔を向けてみると、そこにはキャリアンがいた。
「お、キャリアン先生」
「あら。二人とも早かったわね」
キャリアンがそう言うと、セレナが心配そうに口を開いた。
「もしかして、忙しかったですか?」
「ちょっと教室の片づけを手伝ってただけよ。一人の生徒が誤って水魔法を暴発させちゃって」
「そうだったんですか。私はてっきり無理をしてるのかと」
「そんなことないわよ。さ、教室に入りましょう」
キャリアンに誘導され、俺たちは教室の中に入っていった。いつものように、一番先頭の机にイスを動かしてくると、俺とセレナはそこに座った。向かい合う所にキャリアンも座ると、俺はアルトについて話しを聞いてみた。
「キャリアン先生。今日アルトがいつもの場所にいなかったんですけど、どこにいるか知ってますか?」
「実は今日、アルト君学校を休んだの」
「休み、ですか。どこか具合が悪いとかですか?」
「そうみたい。今朝アルト君のお父様から、そう連絡を頂いたわ」
「そうですか。よりによって今日か」
「とても急ですね。昨日はあんな元気に、お母さんの話しとかしてたのに」
セレナがそう話すと、その言葉にキャリアンが興味を示してきた。
「あら? アルトのお母様について話しをしたの?」
「あ、はい。お母さんが好きとか、そんな話しをしてましたよ」
「そうだったの。ちょっと意外かも。アルト君がお母様のことを。へえ」
キャリアンはそう言って一人で納得すると、こう続けてきた。
「実はアルト君のお母様って、元々、この魔法学校の教授だったのよ」
「そうだったんですか?」
「ええ。それで私はアルト君のお母様、エスティータ先生から魔法を教わってたのよ」
「へえ! 意外な話しですね」
セレナが感激するなか、俺も隣で驚いていた。まさか、キャリアンがアルトの母親の教え子だったとは。
「もう十年も前の話しよ。エスティータ先生は若くして教授になった、とても優秀な先生だったの。教え方は上手だし、気安い性格で私たちに優しくしてくれてたわ。あ、実は私、エスティータ先生に恋の相談をしたこともあるのよ」
「そうなんですか!」
唐突な恋バナに隣の女がすぐひっつく。
「好きな男の子ができてね。どうやったら付き合えるか、話しをきかせてもらったの」
「その人とは結局、どうなったんですか?」
「フラれちゃったわ。自分には今、恋愛に使える時間はないって」
「ええそんな。酷いフラれ方ですね」
「フフ。それだけ自分の夢に、真っすぐな人だったのよ。でもエスティータ先生に後押しされてなかったら、私は自分の気持ちを伝えられなかったと思うわ。その後もよく頑張ったじゃんって励ましてくれて、私、頭をなでられながら子供みたいに泣いちゃって」
「優しい方だったんですね。エスティータ先生」
「そうね。とても優しかったわ。才能もあって性格もいい。あと顔も美人だったから、男子生徒から告白されたこともあったわ。自分は既婚者だって言うのにね」
そう話していくキャリアンはとても楽しそうで、それだけエスティータとの思い出が深いのだと知る。聞いてるこっちも楽しい気分になってくると、ふとアルトのことが頭に浮かんだ。才色兼備の母親からあんなのが産まれたなんて本当なのだろうか。
「なんだかアルトがその先生の息子だなんて、信じられねえな」
「一目見ただけじゃそう思うかもしれないわね。でも、アルト君はちゃんとエスティータ先生の息子さんよ。あの赤髪もそうだけど、氷魔法の才能はお母様によく似ているわ。エスティータ先生も氷魔法を一番得意とされていたのよ」
「なるほど。才能はちゃんと受け継いでるってことか。そう言えばあいつ、中級氷魔法と上級聖魔法が使えるって言ってたな」
「へえ。上級までいってたのね」
キャリアンは知らなかったのか、そう感心しながら言葉を続けた。
「アルト君は今十歳だけど、その若さで上級まで使えるのは、多分千人、いや一万人に一人の割合じゃないかしらね」
「一万人に一人! すげえなあいつ」
「そうね。ああ見えても周りからは神童って呼ばれていて、一目置かれているのよ。将来はきっと、お母様と同じくらいの歳で教授になることもできるでしょうね」
俺の中でアルトの見方が変わっていく。ただ憧れ一点に突き進む変な奴かと思っていたが、その裏にはちゃんとした才能と実力があったとは。
「でもどうしてアルト君は、氷魔法よりも聖魔法を極めてるんでしょうか?」
ふとセレナが投げかけた言葉に、キャリアンが首をひねった。
「うーん、そうね。アルト君は元々、聖魔法に関してはほとんど能力がなかったのよね。契約だけはしてても、学校に入学した時からはずっと氷魔法を極めてたわ。でも、ある日急に聖魔法に熱が入ったのよね。なんの前触れもなく、急に」
急な変わりようなら実際に身に覚えがある。
「アルトのことだから、孤高に憧れたように、また変なのに憧れたのかもしれませんね」
「そうなのかしらね。まあ一人でいるのは、入学当時から変わってないのだけれど」
「最初っからあんなだったのか……キャリアン先生も苦労してるんでしょうね……」
あんなマセガキの相手をし続けるなんて、想像するだけでも疲れそうだと思ったが、キャリアンは俺の言葉に「フフ」とほほ笑んでいた。
「でも最近、あなたたち二人と出会ってから、アルト君は別人のように明るくなったわ。先生としては、いつも会ってくれてありがとうって気分よ」
突然のお礼にセレナが恐縮と言わんばかりに縮こまる。
「そんな。私の方こそ、キャリアン先生とアルト君に感謝の気持ちがいっぱいです。突然押しかけてきて二人の手をわずらわせてしまって。キャリアン先生には、仮説や代案まで作っていただいたわけですし」
「ウフフ。そう言ってもらえると私もやった甲斐があったわ。でも、今日はどうしましょうかね」
キャリアンがそう言うと、俺たちの話しが一瞬で当初の目的に変わった。
「転移魔法の妖精分布を知るために来てもらったのに、それを調べたアルト君がお休みじゃねぇ……一応、分布を調べるだけなら、すぐにできないこともないけれど……」
最後の言葉に俺とセレナはすぐに返事を返せなかった。確かに目的は妖精の居場所を知ることだ。それさえ教えてもらえれば、俺たちは次の目的に向かって行ける。だが昨日、アルトがやりたいと言ったその言葉が、俺たちの賛成に待ったをかけていて、セレナも「うーん、せっかくアルト君がやるって言ってくれましたし……」と呟いたのだった。
「そしたら、また明日来るか」
「そうしましょう。どうせ私たち、急いでいるわけでもありませんしね」
俺たちがそう決めると、キャリアンは嬉しさを隠せないように微笑んだ。きっと彼女も、その答えを俺たちに臨んでいたようだ。
「それじゃ、私が出る幕はありませんね」
「あ、すみません、キャリアン先生」
俺はそう謝る。
「構いませんよ。アルト君が頑張る姿を、私も応援してあげたいですから」
「そうですか。でも、私もそうしたいです。アルト君がいつか、エスティータ先生みたいな人になってくれたらなって、そう思いましたから」
「セレナちゃん……」
セレナの言葉に胸打たれたのか、キャリアンが感激の声をこぼしていた。キャリアンは本当にアルトと、その母親のエスティータが好きなのだろう。ふと、アルトがこの場にいないのに、すっかり彼にまつわる話題で盛り上がってるのに気づくと、俺はおかしさを感じた。
「なんだか、あいつがいないのに、あいつの話しをしちゃってんな。いつもは面倒な奴だと思ってたが、いないといないでこんなに口にするだなんて」
それにセレナが同意してくる。
「フフ、確かに。アルト君がこの場にいれば、もっと色々な話しができたんでしょうね」
「色んな話しな……そう言えば俺、今日あいつから聞こうとしたんだった」
「何をですか?」
セレナがそう聞いてきて、俺は素直にこう答えた。
「昨日言ってたやつ。母親への贈り物のことだよ」
そう言い切った瞬間、横目に映っていたキャリアンの表情が、一瞬固まったように見えた。セレナが「あー」と納得している間に、俺はキャリアンへと目を移す。するとキャリアンは、俺たちを不信がるような目で見ていたのだった。
「どう、したんですか、キャリアン先生? 急に変な顔をして……」
恐る恐るそう聞くと、キャリアンはハッとして目を泳がせ、しばらく悩みこむように黙ってから、その口をゆっくりと開いた。
「いえ、ちょっとびっくりしちゃって。その、贈り物って……それは、本当のことなの?」
「え? 本当、ですけど……」
「エスティータ先生に?」
「はい……」
不穏な空気を察して言葉が詰まって出てくる。キャリアンのその表情からは、嫌な予感しか漂ってこない。何か余計なことを言ってしまったのだろうか。その考えが俺の頭の中を埋め尽くしてくると、キャリアンは「そんな……」と小さく呟いた。
「アルト君の母親は。エスティータ先生は、もう亡くなってるのよ……」
衝撃的な告白に悪寒が全身を巡る。もう亡くなっている? 贈り物をあげたいと言っていた相手、母親のエスティータが、亡くなっているだと?
「本当なんですか、それ?」
「本当よ。つい一年前、魔王の攻撃を受けてやられたって……」
キャリアンの顔をしっかり見てみる。自分でも信じられないというような顔は、嘘をつく余裕なんて感じられなかった。
「でも、それだとおかしいですよ」
セレナがそう切り出す。
「アルト君は昨日、お母さんのことが大好きだから、それを示すためにも贈り物をしたいって言ってました。なのに、お母さんはもう亡くなってるって……」
俺もその理由を知ろうと思考を働かせる。亡くなっている相手に贈り物。一体、何が言いたかったんだ、あいつは。
「亡くなってる人間に贈り物……なあセレナ。この世界に、お供えするって言葉は存在してるよな?」
「はい。お墓の前に物を捧げることですよね。でもアルト君が言ってたのって、そういうことなんでしょうか?」
その言葉に俺の顔は動かなかった。断言できない。アルトの言ってたことがそんなことだったのだろうか。十歳にもなれば、それくらいの言葉は知ってるはず。あんな性格でも、俺たちに対して含みのある言い方をするとは思えない。
考え過ぎだろうか。真実に近づいてる気がしない。そもそも、真実がどこにあるのか分かってないのだから当然だ。しかし、この場にアルトがいないことが、俺たちに余計な不安を煽ってくる。彼の言葉を疑わずにはいられないのだ。
「……なんだか、嫌な予感がするわね」
黙っていたキャリアンがやっとそう呟くと、俺たちにある提案をしてきた。
「ねえ二人とも。もし時間があるのなら、ちょっと付き合ってもらえないかしら?」
それにセレナが「時間ならありますけど、何をするつもりですか?」と勝手に答えた。それを聞いてキャリアンがイスから立ち上がる。
「アルト君のお父様は城の兵士だから、多分今、家にはアルト君一人だけなの。だからちょっと、お見合いをしに行こうかなって」
顔は微笑んでいるが、キャリアンの目は笑っていない。気がかりでないその心情を察すると、俺とセレナは一緒に立ちあがった。
「私たちも行きます。ぜひ連れて行ってください」
キャリアンは納得のうなずきを一つすると、すぐさま教室の扉に手をかけた。