4‐1 何が悲しくてあんな所に
念願の宿を出てからはや五分。王都ラディンガルの通りを歩いてきた俺とセレナは、たった今、村からはるばる目指してきた学び舎、ラディンガル魔法学校を見上げていた。
俺たちのいる通りと、学校の敷地を仕切る銀の柵。入って最初の緑を進んだ先には真っ白な壁と、窓の数から五階分まで建てられた本校舎が、大きくそびえたっていた。それ以外にも、横や奥にまだ空間が続いているのが見えると、この大学のような魔法学校はかなりの大きさなのだと容易に理解できた。
「ここが、ラディンガル魔法学校! さすが世界トップの学校。結構大きいですね。なんだか緊張してきました」
「学校か。こんな場所に、まさか異世界で来ることになるとは」
「ん? 元いた世界でも行ってたってことですか」
「まあな。でも、俺は学校が嫌いだったな。嫌でも人と関わる場所だし」
「ああ……ハヤマさんはブレませんね……」
俺についてセレナも分かってきたのか、理解が早かった。もっと深く掘り下げれば、話しはまだまだ出てくるが、人に話すほどのものでもない。俺はさっさと中に入ろうと、銀柵の扉に手を伸ばした。
「とりあえず、中に入って人を探さねえとな」
そう言って先に門をくぐると、俺は学魔法校の敷地内に足を踏み入れた。緑の芝を踏んでいく。あとから来たセレナも横についてくると、辺りを見回していった。
「とても静かですね。誰かいるでしょうか?」
セレナの言う通り学校はすっかり静まり返っていて、窓から見える校舎の中には、まるで人の気配を感じられない。
「授業中とかかね? 校舎の中には、さすがに誰かしらいるだろ」
「ハヤマさん。あれ」
セレナに呼ばれると、指差していた方向に目がいった。そこは校舎とは真逆の、人気が寄らないような敷地の端っこ。イスと丸テーブルが一つだけ置かれたそこに、座って本を読んでいる赤毛の少年がいた。
「誰かいるな。それも、端の端に」
「一人なんでしょうか?」
隣の建物に仕切られたレンガの壁が、少年を影で隠すように映る。それはまさしく、教室のすみで、誰とも相手をされないような人間。言うならば、一人ぼっちの光景だった。
「何が悲しくてあんな所に」
「ちょっと話しを聞いてみましょう。中に人がいるのかどうかとか」
セレナはそう言うと、先にその少年のところへ向かっていった。俺も後からついて行くと、やがて少年は俺たちに気づいて顔を上げてきた。小学生くらいに見えるそいつの表情は、俺の予想通り、可愛さのかけらもない不愛想なものだった。
「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
セレナが腰を屈めながら少年に話しかける。すると、少年は明らかに俺たちのことを、面倒に思っているような声を出してきた。
「何ですか?」
「あ。いきなり話しかけてごめんなさい。私、セレナって言います。で、こっちはハヤマさん」
「こんにちは」
俺が挨拶したというのに、少年は無視するように何も言ってこなかった。会話のペースを乱されると、慌ててセレナが口を開いた。
「わ、私たち、この学校に用があってきたんですけど、今日って中に誰かいますか?」
「お客さんってこと?」
「え? まあ、そうなるのかな」
急に出てきた声、それも敬意のない言葉遣いにセレナが若干驚いていた。その声はまだ大人になり切っていない、成長段階の子供声だ。そんな彼が、生意気な口を利いたものだと俺も思っていると、少年は面倒臭そうに大きなため息をついた。
「っはあ……今日、学校は休みだよ」
「休みなんですか? あちゃー」
思わずやってしまったというように頭を抑えるセレナ。学校が静かなのも、休みだと言うのなら納得だ。
俺たちはそのまま帰ることもできたが、ここにただ一人でいる少年が、俺は気がかりでしょうがなく、セレナに帰ろうと言われる前に、俺は先に口を開いた。
「ところで。お前はここで何してるんだ? 学校が休みなら、別に来る必要ないだろ?」
「別に、なんでもいいだろ」
そう言い放った少年が、膝に置いていた本を持ち上げ、ページに目を向けた。
「やけに分厚い本だな」
「聖魔法に関する学術書だ」
「せい魔法? ああ。まあ、お前くらいの歳になれば、興味を持ち始める頃か」
「そっちの性じゃない! 回復に関する聖魔法だ!」
魔法に詳しくない俺に、少年は怒鳴って訂正してきた。俺は適当に「そうなのか?」とだけ返すと、少年は呆れたような態度でまたため息を吐いた。
「はあ……言っておくが、僕はこの歳で氷魔法の中級、そして、聖魔法の上級まで扱える魔法使いだ。周りからは、勝手に神童って言われるくらいにね。だから、あまり、馴れ馴れしくしないでくれ」
俺たちを突き放すように言った言葉でも、彼の声色で言われると、必死に背伸びしている子供のようにしか見えない。どこか無理をしているように感じてしまうのは、体や顔に似合わない、そのぶっきらぼうな態度のせいだろう。だが、彼の気安い人間が苦手なことは恐らく本心だ。そこは、俺と通じるところがあった。
「一人が好きなんだな。俺と同じだ。誰とも関わらず、ただ一人で自由にいられれば、それだけで、最高に楽しいよな」
俺がそう言うと、少年は本から目を離さないまま言葉を返してきた。
「……お前も、僕と同じ人間みたいだな」
「同じではないだろ。似ているだけだ、俺たちは。俺たちみたいな人間は、全く同じような人間を忌み嫌うもんだろ?」
そう言い切ると、少年は本を降ろして俺と目を合わせた。
「あんたみたいな人、初めて見た」
「あんたじゃない。ハヤマだ」
「変な名前だな……アルト。僕はアルトって名前だ」
彼はやっと名前を名乗ると、初めて素直な一面を見せているようだった。これを機に俺は一つ聞いてみる。
「なあアルト。学校が休みだから、この際お前に聞くけど、転世魔法って知ってるか?」
「転世魔法? いや聞いたことがない。なんなんだ、その魔法は?」
「え? 俺に聞かれても……まああれだ。異世界から人を召喚するって感じの魔法だ」
「異世界から召喚? そんな魔法、あるわけないだろ」
「そう言われてもだな……実際、俺はあの女に召喚されたわけだし」
後ろにいるセレナを親指で指差すと、アルトの顔がセレナに向いた。
「この女が? そんな大した魔法使いには、見えないけどな」
「んな!? 失礼な!」
「まあ、間違ってはないな」
「ハヤマさんまで! 自分でも分かってますよ、それくらい! だからこうして、情報を見つけようとここまで来たんじゃないですか!」
セレナが躍起になってそう言うと、突然アルトがイスから立ち上がり、本をイスに置いてセレナと向かい合った。
「お前の力、確かめさせてくれ」
「……へ?」
急に言われたことに、セレナは間抜けな声を出した。当然、俺も理解が追いついていない。
「どういうことだ、アルト?」
「そんな魔法を扱えるなら、お前は本物の魔法使いのはずだ。それなら、優等生の僕がその実力を確かめないといけない」
「いや、全然言ってる意味が分かんねえよ」
俺がそう言ってもアルトは気にも留めずに、さっさと両手を突き出した。そこから白色の線が円を作り、次第に魔法陣として浮かび上がっていくと、問答無用でそれを光らせていった。
「ちょ、ちょっと待ってください、アルト君!」
セレナが慌ててそう言っても、アルトはまるで聞く耳を持たない。さすがにセレナも危険を感じたのか、自分の前に緑色の魔法陣を作り出すと、アルトの魔法陣から氷のつららが三つ生み出されていた。
「中級氷魔法。アイシクル!」
このままでは間に合わない。俺がそう思った時には、セレナが思わず目をぎゅっと瞑ってしまっていた。だがその時、セレナの左腕につけてるブレスレットの宝石が、銀色に力強く光っていると、飛んできたつららを風魔法の衝撃波がすべて吹き飛ばし、勢いを落とさないままアルトに向かっていった。
「なに!?」
「お、おい!?」
アルトと一緒に俺も驚きの声を上げる。セレナから飛んできた風魔法はいつもより大きく、アルトの隣にいた俺にも当たりそうだったからだ。急いで避けようとしても距離が近すぎる。結局、風魔法から逃げられなかった俺とアルトはそれに吹き飛ばされると、すぐ裏にあった銀の柵に背中を打った。
「「っぐあ!?」」
打ち付けられた衝撃に声が出る。丁度後頭部に一本の柵が当たったようで、全身に痺れるような痛みが響いた。それを感じながら、俺の体はそのまま柵に沿って地面に落ちていく。
「ふ、二人とも、大丈夫ですか!?」
セレナが慌てて駆けつけてくると、俺は頭をさすりながら体を起こした。
「いってえ……容赦ないのな、お前」
「ご、ごめんなさい! いつも通り打ったつもりだったのに、なんでか急に強まっちゃって……」
本当にそうだったのか、自分自身でも何が起こったのか分かってなかった様子だ。とりあえずは置いといてアルトの無事を確認してみる。
「おーいアルト。お前は無事か?」
隣を見てみると、アルトは無事なようで既に体を起こしていた。ただ、変なところでも打ったのか。その表情はなぜか口を閉じるのを忘れ、放心状態のようになっていた。
「どうしたアルト? 変な顔してるぞ?」
「……だ?」
「へ? なんて?」
「うそだ……僕が、負けた、なんて……」
「ああ。そっちのショックのがでかかったのか……」
自信家が折れる瞬間を目の当たりにしたが、相手にすると面倒そうなので、俺はまたセレナに振り返り、ネアから頂いた左手首の、銀色の宝石がついたブレスレットを見つめた。
「さっきお前が魔法を打った時、こいつが光ってたんだよな。多分、こいつが効果を発揮したせいで、お前の風魔法は強くなったんじゃないのか?」
「そうだったんですか? でも言われてみれば、確かにこの宝石から魔力の感じがしてたかも」
「ネアも言ってたもんな。この宝石、魔力石? だったか。なんか効果があるんだったよな」
「魔力を増幅させる効果ですね。私も初めて使ってみたんですけど、結構強まるんですね。下手に扱わないためにも、これから慣れていかないと」
そう言って決意を新たにしていると、アルトがやっと立ち上がった。
「お、起きたかアルト。って、どうかしたか?」
俺たちに顔を見せないまま、両の肩を震わせアルト。
「なぜだ……僕が……負けるなんて……」
「あ、アルト?」
怒りに触れてしまったような、威圧されてるような空気が流れる。それに、俺とセレナが少し気押されていると、アルトはついに、その顔を上げてこう言ってきた。
「僕を、お二人の弟子にしてください!」
「「……へ?」」
予想外の言葉に、俺とセレナは拍子抜けした。彼の言ってる意味は分からなかったが、とりあえずアルトは怒っていたのではないらしい。
「え、ええっと、その……弟子って、本気で言ってるんですか。アルト君?」
「もちろんです!」
「で、でも、なんで急にそんな」
「あなたたち二人には、僕に新たな光を見せてくれました。ハヤマさんは一人で生きる孤高の生き様を。セレナさんには、魔法使いとしての更なる強さを持っています。僕にもぜひ、お二人からそれを学びたいんです!」
どうやらアルトは、俺たちに感激していたらしい。さっきまで不愛想な顔をしていたのが、今では純粋な好青年のようにその目を輝かせていた。
「あのーアルト? なんだかキャラが変わってねえか?」
「元々がこういう性格なんです。さっきまでの僕は、単純に一人孤高でいる存在に憧れて、それを真似していただけなんです!」
生意気な奴だと思っていたのが、なるほど理解できた。本当のアルトはかなりの変人だったらしい。でなければ、人に向かって堂々とそんなことは言わない。
「また厄介な奴に出会っちまったな」
「どうしましょう、ハヤマさん」
「無視が安定だろう」
「それはさすがにあんまりじゃ……」
俺の即答にセレナが苦言する。アルトは依然期待の眼差しを向けてきていたが、この変わりようについていける自信はない。さっさとこの場を離れた方がいいだろう。だが、そう思った時には既に遅かったらしい。アルトに時間をかけたせいで、俺たちのところに新たに、女性の柔らかい声が入ってきた。
「あらあら? アルト君が誰かといるだなんて、珍しいわね」
物腰柔らかな、ほんわかとした声。俺たちが振り返ると、そこには、俺と同じくらいの背丈をした若い女性がいた。ちょっと大人っぽいような顔の雰囲気は、二十代ちょっとというところだろうか。華やかで甘い香水がかかった黄緑色の長い髪が揺れていると、たった今ここに来たのだと分かった。
「あなたは?」
俺の問いかけに、彼女は丁寧に答えてくれた。
「キャリアンと申します。この学校の教師です」
「教師さん? あ、私はセレナって言います」
「俺はハヤマアキトです。ハヤマって呼んでください」
「セレナさんにハヤマ君ね。初めまして。二人は見たところ、この学校の生徒ではなさそうね」
察しのいいキャリアンがそう言うと、セレナがそれに答えた。
「その通りなんですけど、私たちある魔法について知りたくて、この学校を訪ねたんです」
「そうだったの」
「でも、まさか今日が休みだと知らなかったもので、また日を改めて来ようとしたんです」
「そうね。今日はお休みで、見回りの先生は私しかいないわ。でも、私でよければ話しを聞きますよ」
「本当ですか!」
「もちろん。でも、私は教師と言えど今年入ったばかりの見習いだから、必ず力になれるという保証はないけれど」
「それでもありがたいです。ぜひお願いします」
「だったら、立ち話もなんですから、中へ入りましょうか」
キャリアンがそう言って校舎の方へ進もうとすると、アルトが声を出してきた。
「キャリアン先生。僕もご一緒していいでしょうか?」
「ええもちろん。アルト君も一緒にどうぞ」
「ありがとうございます!」
アルトもついてくることに、俺は思わず顔を引きつらせた。やっと離れられると思ったら、ここまでついてくるというのか。だが、折角話しを聞いてあげると言ってくれたキャリアンに対して、異論を唱えるのも少し気が引ける。俺は嫌な感情を抑えると、仕方ないと諦めをつけ、キャリアンの後について校舎の中へ入っていった。