3‐7 セレナちゃんのが似合うね
夢一つ現れない、死んだような眠りの世界。微かに誰かの声が聞こえてくると、馬車の走る音と一緒に、その声ははっきりと頭に入ってきた。
「起きてハヤピー! 火事だよ火事!」
「なに!?」
ネアの声に驚いて飛び起きると、俺は壁とぶつかったような衝撃を頭に受けた。
「イッテ!? つつ……」
額をなでつつなんとか目を開けてみる。すると俺の前でも、ネアが全く同じように自分の額をなでていたのだった。
「イッタタ……もう大げさすぎるよ、ハヤピー」
「いやだって、火事なんだろ?」
「火事なんて起きてないよ。ネアの嘘だもん」
「はあ?」
そう言われて辺りをキョロキョロと見回してみる。馬車はのどかな街道を走っていて、周りにいるラシュウとユリアも平然としていれば、セレナだけが俺を見てクスクスと笑っていた。一気に緊張がほどけて肩を落とす。
「なんだってそんな嘘を……」
「えっへへ。なんだかすっかり眠ってる感じだったら、ついね」
「ついって……」
「ごめんごめん。もうすぐ城下町だから、それで起こしただけだよ」
「それなら普通に起こしてくれよな」
ネアの言う通り、馬車の行先にはもうラディンガルの城壁が見えていて、その門をくぐるまでそう距離はなかった。俺は一度ネアの顔に振り返ってみる。
「そういえば、ネアは大丈夫なのかよ? 昨日気絶させられてたみたいだが」
「ああ。それならもう平気だよ。ハヤピーも助けてくれたんだってね? ありがとう!」
いつも見せているのと同じ笑顔を浮かべてくると、本当に何も問題はないようだ。そんな顔を見ながら、俺はつい昨日のラシュウの話しを思い出してしまう。
赤目を生み出すための人体実験。ラシュウ以外の二人が記憶を失ったのは、どう考えてもそれが原因だろう。もしも彼女が失った記憶を知りたがっているのなら、今の俺はそれを明かすことができる。きっと大まかなものしか口に出来ずとも、彼女の中にある記憶がすべてを呼び起こしてくれるはずだから。だが、こうして明るい顔をしていられるのも、その過去を知らないからこそなのかもしれない。
そうこう考えてるうちに、馬車がラディンガルの城下町に入っていく。途中の大通りまでおまけに進んでいくと、俺たちはそこで荷物を持って降りた。馬車が走り去った後「こっちだよ」と言うネアに従うと、俺たちはある建物の前まで道を真っすぐ歩いていった。
白い石が綺麗削られた壁に、二階から見える大窓。ところどころに柱も立っていて、高さに比べて横幅のが広い。歩いてきた大通りの中でもひと際目立つそれは、どことなく銀行のような雰囲気を感じられた。
「ここが、ラディンガルのギルド本部だよ」
「これが本部。立派な建物ですね」
本部を見上げながらセレナがそう言う。すぐにネアが「さっそく報告書を出してこようか」と扉のないその中へ入っていこうとするが、それをユリアが肩に手を置いて止めると、ラシュウが昨日起きた不祥事の事故を口にした。
「ネア。恐らく今回の報酬は貰えない。昨日のダンジョンの魔物は、ほぼすべて片付けてしまったんだ」
「ええ!? そうだったの? それってもしかして、ネアが攫われたから?」
「すべてはお前を攫ったあいつのせいだ。お前が気にすることじゃない」
二人が話す間に俺は口を挟む。
「魔物を倒したら、駄目だったのか?」
「うん。それだと依頼内容に反しちゃんだ。細かい話しをすると、ギルドで活動してる人はたくさんいるし、それぞれがランクってのを上げたりしてるから、依頼なしにダンジョンの魔物を倒すのはよくないんだ。一匹や二匹くらいなら大丈夫なんだけど、ラシュウたちはどれくらい倒しちゃったの?」
「三十と大きいのを一匹」
「それはどうしようもないね……」
ラシュウの返しにネアはため息混じりにそう呟く。これが大人の都合というやつか。ランクだかのギルド事情は知らないが、そこにお金が絡んでいる以上、俺たちが報酬を貰える見込みはなさそうだ。
「そっか……でもどうしよう。報酬が貰えないじゃ、ハヤピーたちに悪いし、かといって嘘言ってそれがバレたら大変だし……」
悩みだしたネアが俺たちを気遣ってきたが、俺はそもそもの元凶を横目に口を開いた。
「いや、俺たちに構うことはない。そもそも誰かさんが忘れてなかったら、お前たちと一緒に依頼にも行ってなかったわけだし」
分かりやすくドキッとするセレナ。若干涙目になって「すみませんでした……」と小さく呟くが、本当にこれからどうするべきか悩まなければならないようだ。
「折角ここまで来たのに突然の無一文。これからどうやっていくか……」
「宿で寝れず、食事もとれず、馬車とかも使えない……どうしましょうハヤマさん。私たち、このままだと飢え死にですよ」
真剣に考えようと腕組みをする。そんな時、未だ目にチラついていたセレナの頭にポンッと袋が置かれた。「うわ!」とセレナがそれを両手に落としてみると、それを目にしてすぐにこう叫ぶのだった。
「私の金貨袋!!」
「マジかよ!?」
突然の天からのお恵みか? そんなはずないとすぐに後ろに振り返ってみると、そこには「ちっす」と片手を振って挨拶してくるヤカトルがいた。
「ヤカトル!? どうしてお前がここに?」
「ちょっとこっちにお仕事があってな。ついでに忘れ物も届けておけって、女王さんに命令されたんだ」
ヤカトルはバルベスが使っていた呪符を、ひらひらと揺らしながらそう説明してきたが、感動のあまり話しを聞いていなかったセレナがすぐにヤカトルに抱き着いた。
「ありがとうございます!! 本当にありがとうございますぅ!!」
「お、おいおい、何もそんな世界の終わりが免れたような顔しなくても……。まあでも、次からは気をつけろよ。命令じゃなければ、中身は空っぽだったかもしれないんだからな」
「はい!! これからはもう絶対に忘れません!!」
「そうか。それならさっさと離れてくれ。俺は仕事を終わらせたいんでな」
「ああ、すみません」
それまでギュッと強く握っていた服から手を開くと、セレナはヤカトルから離れた。そうしてヤカトルがギルド本部に歩いていくのを「ありがとうな」とお礼を言って見届けると、ヤカトルは「達者でな」と言い残して中へ消えていった。
「はあ……よかった……」
パンパンになっている金貨袋を眺めながら、セレナが安堵の息をつく。それにネアが「さっきの人は知り合い?」と聞くと、セレナは「ヤカトルさんって言って、少し前にお世話になった人です」と軽く伝えた。
「そっか。フフ。無事に金貨が戻ってきたなら、別の依頼を薦める必要はなさそうだね」
イタズラっぽく笑うネア。セレナは袋を開けていると、中から金貨を握って取り出し、それをネアに向けて渡そうとした。
「これ、昨日の分です」
セレナの手の下にネアが両手を広げる。そこに合計十枚の金貨が落ちると、ネアは驚きの声を上げた。
「え! 金貨十枚って多いよセレナちゃん! 昨日のは二人分合わせても、銀貨五枚分だよ!」
そう言って受け取ることを強く否定してきたが、セレナは袋を閉じて首を横に振った。
「金貨なら、色々あって今は十分にあるんですよ。それこそ、多分この街で安い家なら買えてしまえるくらいに。だから受け取ってほしいんです。ネアさんたちが、これからも仲良く生きていてほしいので」
「セレナちゃん……」
そう話すセレナはとても穏やかで、でもその奥には、彼らを心から心配していて、自分なりに助けになりたいと言っているように見えた。俺には金貨十枚の重みが、果たしてどれくらいなのかは詳しく分からない。だが、昨日の食費に対して結構な額がそこにあるのだけは分かると、それだけ彼女の優しさが出ているのだと分かった。
「そんじゃ俺たちも、さっさと本来の目的に戻らないとな」
返される前に俺は話題を変えると、セレナもバックパックに金貨袋を入れながら、すぐに「そうですね」と言ってきた。そのまま振り返ってこの場を離れようとすると、ネアの「待って」と言う声が俺たちの足を止めた。
「これ、お礼といっちゃなんだけど、セレナちゃんが持ってって」
ネアは右手を上げると、その手首につけていたブレスレットを外した。楕円形で銀色の宝石。ドッグフードでもつい目がいっていたそれを、セレナの左手首に回していくと、先端にある金具を最後にしっかり止めてあげた。
「うん。やっぱりこれは、セレナちゃんのが似合うね」
「ネアさん。このブレスレットは?」
「私のお守りだよ。記憶喪失になった私に、アンヌさんが私にプレゼントしてくれたの」
「お母さんが、これを……」
手首を顔の前まで上げ、ついている銀色の宝石を優しくなでるセレナ。ある種形見でもあるそれに、セレナは魅了されるように見つめ続けていた。
「……綺麗な宝石ですね。あれ? なんだか、見る角度によって、色が変わるような?」
そう言って手首を色んな角度に回してみると、確かにその宝石は、青や緑、金に桃色など、色彩豊かに輝いていた。
「本当だ。面白い宝石だな」
「その宝石、魔力石なんだよ」
初めて聞いた単語にセレナが反応する。
「魔力石? それって確か、魔力を高めてくれる効果が備わった、特別な石だったような……」
「そうそれ。結構希少な物らしいんだけど、ネアは魔法使いじゃないから、持ってても使えないんだよね。セレナちゃんは魔法使いなんでしょ? だったらネアの代わりに、それを存分に使ってあげてね。ネアとの約束だよ」
「分かりました。このブレスレット、ずっと大事にします。ありがとうございます! ネアさん!」
「うん! 受け取ってくれて、こっちもありがとう!」
お礼にお礼で返してくると、ネアはセレナから一歩足を引いた。それでもう、別れの時が近いのだと察すると、ラシュウから話しが切り出された。
「ネア。しばらくはここを離れよう。お前を攫った男の素性が分からない以上、この街に留まるのは危険だ」
「そっか。うーん、そうなるとスレビスト王国とかがいいかな? お仕事が貰える方に行きたいよね」
「そこら辺は、本部の中に入って決めよう。ひとまずは、あの二人とお別れだ」
ネアが振り返り、顔に笑みを浮かべながら別れを告げる。
「ここでバイバイだね。ちょっと寂しいけど、でも二人と一緒にいて楽しかった! セレナちゃん、ハヤピー。絶対にまた会おうね!」
「はい! また会いましょうネアさん。ラシュウさんとユリアさんも、それまでお元気で!」
「うん! 二人も元気でねー!」
「おう。それじゃあな」
最後に俺がそう言うと、俺とセレナは振り返り、そのままみんなに手を振りながら歩き出していった。ネアはそれに無邪気な子供のように手を振り返してくると、ユリアも胸の横辺りで小さく振ってくれた。そして、ラシュウただ一人がただ俺たちを眺めていると、その口が意外にも開かれたのだった。
「お前たちとは、また会いたいな」
遠く離れていたせいで、はっきりそう言ったのかは分からない。ただ、なんとなく俺はそう聞こえていると、大声を出してこう返すのだった。
「ああ、いつか絶対に会おう!」
ラシュウは顔を上げ、意外そうな表情を浮かべる。まさか本当にそうだったのかと俺は笑ってしまうと、ラシュウもちらりと笑みを浮かべていた。それを見て俺は少しだけホッとすると、前に向き直って彼らから目を離した。ただ前を向いて街道を歩いていると、突然セレナが小さく呟いてきた。
「ハヤマさん。私が将来、転世魔法を習得できた時。その時私は、お母さんのように、ネアさんたちを助けられるでしょうか?」
「……さあな。けどお前は、たとえ力がなくても、次にネアたちに助けを求められたら、どうせ助けるんだろ? だったら、それまでに強くなればいい話しだろ」
俺はそう答えてやると、セレナは両手に握りこぶしを作り、その顔つきを変えた。
「私、これから頑張ります! 速くラディンガル魔法学校に行って、情報を集めましょう!」
そう言ってセレナは勝手に走り出していくと、俺は慌ててそれを止めようとした。
「お、おい! 魔法学校はそうだが、まずは宿だろうが宿! 重い荷物ずっと背負ってく気か? ――っておーい!」
ひたすら走っていこうとするセレナを、俺は急いで追いかけていくのだった。
三章 それくらいの絆はあるよね
ー完ー
「ところでセレナ。アンヌさんが村を出たのって、どうしてなんだ?」
「うーん、確か……そうです。魔王がこの世界に現れた時、お母さんも転世魔法を発動して、異世界の勇者さんを召喚したことがあるんですよ」
「そうだったのか! 初耳だな」
「召喚されてすぐに村を出たので、私も忘れてました。けれどその時、王都までの道案内をその勇者さんに頼まれたので、お母さんが一緒に行ってあげたんですよ。お父さんの反対を押し切って」
「なるほど。そんなことがあったのか」
意外な事実をそこで知った時、俺の隣を子供連れの人間夫婦が通り過ぎていった。その際、俺の耳には「パパは昔、今の皇帝様に助けられたことがあるんだぞ」と話すのが耳に入る。その後に子供の「すごーい」と続く会話を、俺は何気なく聞き流した。
「旅をしていれば、その異世界の勇者さんとも、どこかで会えるのかもな」
「ネアさんたちとも出会えたんですもんね。本当にどこかで会える気がします」
俺は青い空を見上げる。雲が一つ二つ流れ、奥を見ようとすればそれは果てしなく空に浮かんでいる。異世界の勇者。同じ理由で召喚されたのに、俺とは間反対であるその響きはきっと、というか絶対に、もっと先の向こうにいるような気がするのだった。