3‐6 失敗作
「お前……オッドアイ、だったのか……」
隠されていた黒い瞳。思ってもなかったその顔に俺は驚きを隠せない中、ペストマスクの男はなぜか笑い出していた。
「アッハハ! その目! 思い出したぞ! 片方だけの赤目! お前、あの失敗作だろ!」
失敗作。そう言えばラシュウも、自分の目を本物じゃないと言っていた。何かを隠しているラシュウといい、それを知ってそうなこの男といい、いよいよ踏み入れてはいけない場所にたどり着いてしまった感じがする。
「こうしたのはお前らのせいだろ」
ラシュウが静かな怒りを見せる。どこかで叫ぶのを我慢してそうな感じに聞こえると、ペストマスクはそれを気にしないように言葉を返す。
「そう言われても、君ら被検体に人権なんてなかったしねぇ。元皇帝様に言ってくれよ」
「どうして今になって現れた! もうあの実験は行われていないはずだ!」
「フフフ。終わってなんかないよ。あの実験の成功は、新しい世界を生み出すために必要なんだから」
「訳の分からないことを!」
二人の会話に全くついていけない。実験だの被検体だの、とりあえず物騒な話しをしているのだけは確かだ。そしてもう一つ確かなのは……。
「ラシュウ!」
俺は大声で彼の名前を呼び、とりあえず確認したいことを聞いた。
「お前、記憶喪失じゃないんだな?」
「……そうだとしたら?」
不安げな答え方。それを聞いて確信すると、俺は腰のサーベルを抜き取った。
「だったら後で詳しく聞かせてもらうぞ。とりあえず今は、この怪しい男にネアを取られたら、絶対駄目な気がするからな!」
「フン。赤目の力を持たないお前が、一体何ができると言うんだ?」
「お前の攻撃を見切れる! ……多分!」
「ほう? 言うじゃないか。なら見せてみろ!」
男は俺の挑発に乗ると、片手を突き出して水の魔法陣を作り出し、そこから水の槍を水切りで跳ねる石の如く間隔的に飛ばしてきた。敵の疲労か、さっきよりかは数が減っている水魔法。迫ってくる速さも崖から落ちてくる小石くらいであると、俺は一つ一つ集中して目で捉えていった。
瞬間的にミスラさんの木刀が思い起こされる。一発目を上半身を横に反らして避け、二つ目を軽くしゃがんで避ける。三発目には右足を引き、四発目もそのまま空振りしていくと、行ける! と思った俺は、魔法陣に向かって一歩ずつ踏み出していった。
「んな!? まだまだこんなものでは!」
水魔法が更に連発される。それでも俺の目には一つ一つはっきり見えていると、それらを確実にかわし、男との距離を少しずつ縮めていった。どれもミスラさんの木刀に比べれば遅い。その後ろに鬼のような存在感もない今なら、体も自然と動いてくれる。既に十発以上避けきっていると、男との距離はもう三メートルもなかった。
「寄るな! くそ!」
男は負けじと魔法を連打してくる。俺も避けようと姿勢を低くするが、さすがにもう距離感が限界だった。発射からすぐ目の前に来るそれは、発砲された弾丸のように見切る時間がなく、それ以上はもう近づけそうになかった。
「くっ! あと少し、だってのに。……っぐ!」
一つだけ見落としたと思った瞬間、俺は左腕の皮膚に切り裂かれた痛みを感じた。不意に手が傷口を抑えると、男は魔法陣を消して笑い出した。
「アッハハハ! ビビらせやがって。私に盾突くとどうなるか、その身に教えてやる!」
そう言って男がまた魔法陣を浮かび上がらせる。
「おい! もう一人いるの忘れてねえかお前!」
苦し紛れに俺はそう声を張ると、男は本当に忘れていたのか、すぐに出来上がった魔法陣を背後に向けた。しかし、そこにラシュウの姿はなかった。
「いない? 一体どこに?」
ペストマスクが右に左にせわしなく動く。彼の消えた先が、俺には分かっていると、次第に男の頭上に、人影が迫っていった。
「上か!?」
そう言って男が頭を上げた時、その真上にはラシュウが槍の刃を下にして落ちてきていた。
「レイジ! ストライク!!」
突き出した槍がペストマスクを貫通し、刃先がうなじを越える。男は断末魔を上げることなく血を流していくと、俺はすぐにそこから目をそらした。
地面を見ると、男の返り血がそこまで飛んでいる。一気に体の中が気持ち悪くなるのを俺はなんとか耐える。しばらく川の流れる音だけが聞こえていると、そこに槍を肉塊から引き抜く雑音が混ざった。そして、俺の元に足音が近づいてくると、ラシュウがネアをお姫様抱っこして前まで来ていた。
「お、終わったのか。ネアは無事なのか?」
「気を失ってるだけだ」
「そうか。それならよかった……」
そう言って黙ってしまうと、ラシュウも何かを話す雰囲気ではなかった。さっきの今ので、俺は聞きたいことが山ほどあったのだが、ふと林の中からネズミが出てきたのに気づくと、後から女の子を抱えたユリアとセレナが姿を見せた。
「あ! ネアさん! 助け出したんですね!」
セレナがラシュウの元に駆け寄り、ユリアも女の子を降ろしてからこちらに歩いてくる。その後ろで女の子がネズミを手に握ってなでていると、俺はセレナに話しかけた。
「そっちも無事に終わったみたいだな」
「そうですね。ユリアさんがとっても強くて、私は結局、何もできませんでした」
「そうだったのか。一体何者なんだろうな、ユリアは」
「あれ? ラシュウさん、そんな目をしてたんですか?」
セレナが彼のオッドアイに気づくと、丁度ユリアがその中に合流してきた。ラシュウは彼女に近付き、目を覚まさないネアをユリアに預けようとする。
「ユリア。ネアを連れて、先に戻っててくれ。俺は少し、こいつらと話しがある」
ユリアは相変わらず何も話さない。ただ渡されたネアを両腕でしっかり受け取ると、そのまま振り返って歩き出した。途中で女の子のことも目を向けると、その子がついてくるのを確認し、この場を離れていく。そうして姿が見えなくなると、ラシュウに振り返ったセレナがまず口を開いた。
「あの、話しって私もですか?」
「そうだ。アンヌの娘のお前にも、ぜひ聞いてもらいたい」
「お母さんの娘……分かりました」
それでセレナも意識したのか、途端に顔つきが真剣なものに変わると、ラシュウは話しを始めた。
「これは、ネアとユリアにはない、俺だけが覚えてる記憶の話しだ」
「記憶?」とセレナが小さい声で呟くが、ラシュウはただ目だけを向けて話しを続ける。
「始まりは五年前。魔王がこの世界に現れた頃だ。世界を脅かす魔王に対し、このログデリーズ帝国では、秘密裏に行われていた実験がある。その内容は、兵器を人工的に生み出す実験で、俺もその実験の被検体だったんだ」
「兵器を人工的に、か」
嫌な予感がするその単語を、俺は口にする。
「具体的な内容ならちゃんと説明する。だが、これだけは約束してほしい。このことを、絶対にネアとユリアには話さないでくれ。あいつらには、知らなくていい過去なんだ」
ラシュウは俺に対して真っすぐな視線を送ってくる。その目が本気の目であるのに気づくと、俺は納得するようにうなずいた。セレナもそれを見てうなずいていると、ラシュウはおぞましい実験内容を口にした。
「俺に施された実験は、赤目を生み出す実験だ。赤目は強力だが、生まれる数はとても希少。それを人工的に増やせれば、絶大な力を持つ魔王にも対抗できると思ったのだろう。だが、それで俺たち被検体がどんな目に合ったのかは、思い出すだけで吐き気がするものだ。一人は干からびるまで全身の血を抜かれ、一人は不純物だと髪を手動で引き抜かれ、一人は直接両目をえぐられた。別の一人は人体すら切られ、他の奴だって――」
熱が入ったままそれ以上何かを言おうとするラシュウが、突然その口を閉じた。その目に思わず耳を塞いでしまっているセレナが映っていると、ラシュウは咳払いをして一度冷静さを取り戻す。
「ん、んん。まあ、実験はそれだけ悲惨なものだった。それだけやっても成功できず、それでも奴らは実験を続けたんだ。およそ二年間、ずっと……。そうした結果、とうとう俺という失敗作が生まれた。片方だけに赤目を宿した失敗作。俺は、そう言う生き物になったんだ」
「失敗作って。片方だけだと、赤目の力は得られないってことなのか?」
嫌気が差しながらも俺はそう聞く。
「お前たちも見ただろう。いきなり現れた大男の赤目に、なす術もなく武器を飛ばされたあの瞬間を」
かつてバルベスと対峙した時、ミスラさんの大剣の一振りでラシュウの槍が簡単に吹き飛んだのを思い出す。
「俺にはせいぜい、本物の半分しか力がないんだ。だからこそ俺は、失敗作なんだ」
「そう、なのか……なんだか腹が立つな。勝手に人の体改造しといて、失敗作だなんて」
「被検体は、孤児だった奴がほとんどだった。だから俺たちに逃げる場所はなかったし、実験をする大人たちに適うはずもなかった」
「そんな……そんなのって、ひどすぎます……」
セレナが両手で口を塞ぎながらそう言うと、俺も腹の怒りが煮えくり返りそうになりながら、別のことを口にした。
「ちなみに、その実験って、今はもうなくなってるのか?」
「実験を指示していたのは、ログデリーズ帝国の元皇帝だ。皇帝が変わった今、実験はもう三年前になくなっている。いや、なくなっていたはずだった……」
ラシュウがそうほのめかしたかと思うと、その顔が死んだペストマスクに向けられていた。
「消えたはずなのに、どうしてまた奴らが……」
「……これからどうするんだ? また奴らに狙われるかもしれないぞ」
俺がそう聞くと、ラシュウはまた俺たちに顔を戻した。
「俺たちは傭兵だ。仕事場所には困らない。明日にでもこの場を離れるしかないだろう」
「そうか。なんとか相手の本陣を叩き潰せないのか? 半分だとしても充分強いだろ、ラシュウは」
「いや、実験の首謀者。あいつが生きているとしたら、恐らく俺たちじゃ敵わない。あまりにも敵が強すぎるんだ」
「ユリアとお前でもか?」
その質問にラシュウは無言でうなずく。その答えが悔しくて、俺はつい唇を噛んでいた。
「マジかよ。どうしようもないのか、俺たちじゃ」
握りこぶしを作り、本当に何もないのかと眺め続ける。そのまま何も浮かばないでいると、ラシュウはセレナに目を向けていた。
「なあ、母親さんは元気か?」
突然の質問にセレナから覇気が消える。
「あ。ええっとその、お母さんは最近、亡くなったので……」
「……すまなかった」
顔をそらして謝るラシュウに、セレナは両手を上げて慌てて弁明する。
「いえいえ、別に大丈夫です。お母さんのことは、もう充分泣きましたから。でも、急にどうしたんですか?」
「……助けてくれる人は、もういない。そう思っただけだ」
重く苦しいような声で、ラシュウがそう言い切る。彼の内側に不安な様子が垣間見えてしまうと、セレナがまた真剣な顔に戻った。
「あの、何かあったら私たちを頼ってください! できる限りのことなら、なんでもしますから!」
俺もすぐにそれに言葉を付け足す。
「ああそうだ。俺たち、戦闘とかはあまり得意じゃないけど、でも、お前たちに誘われた恩もあるんだ。無理な頼みでも、お前たちのためならなんとかしてみせる!」
「お前ら……」
ラシュウが俺とセレナの目を交互に見つめていく。その後に目を瞑っていると、外れていたフードをかけ直し、またいつもの赤い目だけを見せた。何か言うのかと俺は思ったが、そのまま足が動くと、ラシュウは林の中へ入ろうと歩いていく。俺とセレナもその後を追おうとすると、そこでラシュウは足を止め、振り返らないまま最後にこう言った。
「お前たちの気持ちには感謝しておく。だが、最初に言ったことだけはしっかり守れよ。これは、あの二人にとって、思い出すべき記憶じゃないんだ。絶対に」