1‐3 嘘しか言ってないことだけは分かる
朝日が村を照らす中、穏やかな空気が頬に触れて通りぬけていく。そんな静けさの中に突然鳴ったのは、葬式で見られるお鈴を叩いた、あのチーンという音だった。
村の全員が集まっているだろうか。およそ五十を超える大勢の人たちが、小さな山のように盛り上がった土を囲み、各々悲しみを口にしたり、目から涙をこぼしていた。
「いままで大丈夫だったのに、急に持病が悪化するなんて……」
「こんな突然の運命だなんて、残酷すぎる……」
「セレナちゃんもグルマン村長も残されちゃって、可哀そう……」
「召喚された彼も、どうなるのかしら……」
無情の音が再び鳴り響く。中でもセレナとグルマンの二人は、二人で抱き合うようにして、互いにむせび泣いていた。
山なりに盛り上がった土。それがこの世界の墓なのだと察すると、そのふもとの石板に、見たことのない文字が彫られていた。それが異世界の文字なのは分かったが、俺には文字が読めなくともそこに´アンヌ´と書かれているのが見えていた。なぜならそこに、亡くなったアンヌが埋められていくのをこの目で見たからだ。
部外者である俺は、村人たちが悲観するのを遠目から眺めていた。一体これはどういった茶番なのだろう。俺自身、昨日初めて会ったアンヌに対して悲しみの感情が湧くことなく、泣き続けるセレナたちを見て、せいぜい同情の念を持つのが限界だった。
なんと居心地の悪い。ここにいても仕方ないと思い、俺はさっさと人気のない場所を求め、その場を去っていった。
それから時間が過ぎ去り、家に戻ったセレナとグルマンはイスに座ったまま、二人して死んだ魚のような目をして呆然としていた。とても何かができる様子ではなかったが、村の人が家に上がって料理や家事を手伝ってくれたおかげで、一応生活はできている。
かく言う俺は、セレナが転世魔法を使えないことで、元の世界に帰る方法は失われてしまい、この村に留まるしかなかった。かといって二人の元にもいづらいと思っていると、それを見かねたのか、歳のいった村のおばあちゃんに声をかけられ、そちらの家で食事と寝場所を与えられてとりあえず生き延びていた。
その生活が続いて二日、三日と流れ続け、ついには一週間が過ぎていった。人付き合いが苦手な俺は、世話焼きなおばあちゃんから逃げようと、今日も外に出ては人気のない場所を探し、そこで寝転がってただぼうっと空を眺めていた。
夕暮れの空に、見慣れない色をした鳥たちが通り過ぎていく。こんな日が果たしていつまで続くのだろうか。そんな心配が湧き上がった時、誰かの足音が聞こえてきた。起き上がってそちらに振り返ってみると、そこにはセレナがいた。
「こんなところにいたんですね。探しましたよ」
悲しみなんかは感じない、至って普通な様子でセレナはそう声をかけてきた。
「何か用でもあるのか?」
「はい。その……大事な話がしたくて」
「大事な話?」
なんだか嫌な予感を感じたが、セレナは構わず言葉を続けてくる。
「謝らせてください。この一週間、あなたをここに残したまま、ずっと落ち込んでしまったことを。本当に、本当にごめんなさい」
体を直角になるほど曲げて謝るセレナ。その言動に俺は不意を突かれていた。
「あ、謝るのかよ。大事なっていうから、何かと思ったじゃねえか」
セレナの頭が上がる。
「大事なことですよ。本当だったら、ハヤマさんはとっくに帰れていたはずですから」
「まあそうだが……だけど、俺の心配より、自分の心配をした方がいいんじゃないのか? 俺にはよく分からんが、大事な人を失うのって、結構辛いだろ?」
セレナは少し顔を曇らせながらも、口ではこう言った。
「大丈夫ですよ。今日になって、なんとか立ち直れましたから。ずっと泣いていても、仕方ないですしね」
「そうか。まあそうじゃなきゃ、こうやって俺を探したりもしないか」
そう言って俺は納得する素振りを見せると、セレナはまた話題を元に戻した。
「これからどうしましょう。勝手に召喚してしまった以上、私がしっかり帰してあげないといけないのに、私じゃ力不足ですから……」
再び悩み出したセレナ。必死に考えたところで、すぐに解決策が出ないのは、一週間前の夜に既に分かり切っていることだし、変に思い悩んでほしくなかった俺は、この際、自分の思いを素直に言ってみることにした。
「こういうのもなんだが、俺は今すぐ帰る必要はないっていうか、そんなに帰りたい気分でもないんだ」
「帰らなくていいんですか?」
意外そうな顔を向けられ、俺は少し顔をそらしてしまう。
「正直言うと、元いた世界は過ごしづらくてな……あまり好きじゃないんだ、あの世界のことは。俺のことを待ってくれてる人も、どうせいないだろうし」
帰ったところであるのは、変わり映えしない引きこもり生活。俺が帰りたいと思う理由なんて、どこにもなかった。
「家族とかは、いないんですか?」
「いるにはいるさ。けど、お前の家族とは違って、うちはみんな仲が最悪でな。母親はどっかに消えたし、父親とも一年は口を利いていない」
こんなこと、今まで口にしたことはなかった。果たしてこれを聞いた人は、一体どんな反応をするのかと目を向けてみると、セレナは申し訳なさそうに顔を俯かせていた。
「……そう、だったんですね。なんだかちょっと、悲しいですね」
「悲しいか。ま、お前みたいな人から見たら、そう見えるんだろうな。……ん?」
このタイミングで、再びどこからか足音が近づいてくるのが聞こえた。ふいに目がそっちを向くと、見知らぬ誰かが村に入ってくるのが見えた。
ふくよかなお腹をしている中年の男性。服が張り裂けそうなほどそれが目立ち、背中に大きなリュックサックを背負っていると、その男が俺たちを見つけ、そのまま歩いて近づいてきた。
「すみません。少しお時間、よろしいですかな?」
見た目に寄らず妙に甲高い声だ。その男にセレナが「はい。何でしょう?」と受け答えする。
「私、世界を旅をしているモグリと申す者です。こちらはカカ村で間違いないですよね?」
「そうですよ。旅をしてらっしゃるんですね」
「そうでございますねぇ。世界を渡り歩いて知らない景色や文化を知る。それは私の古くからの夢でした。このカカ村でも新しい出会いがあると思うと、沸き上がってくるものがありますね」
そのモグリという男は、妙に胡散臭い笑顔を浮かべながら話していた。
「そしたら、私がこの村の案内をしてあげますよ」
「おお、そうしていただけるとありがたいですねぇ。あっとその前に、一つよろしいでしょうか?」
「何ですか?」
モグリが何かを言い出したかと思うと、俺たちの耳に高速で回転する歯車を突き立てるような、目まぐるしいほどの早口で喋り出した。
「いえなに。お若いお二人さんに、ちょっとお願いしたいことがありまして。私、ある目的のために遠くの国、フェリオン連合王国からはるばるこちらにやってきたわけで、少しだけご協力願いたいと言いますか、助けていただけたらなと思いまして。ああでも、無理にというわけではないんですよ。私は旅をしている者。あなたたちとの関わりはこれ限りかもしれませんからね。旅というのは一期一会であって、まあそれが素敵なところではあるんですけね。あーすみません。ついつい与太話をしてしまいました」
あ、厚かましい……。
なんなんだこの男は。出会って十秒もたっていないというのに、この一週間で俺が発した声の回数を超えたんじゃなかろうか。
「そ、そうですか。それで、お願いって何なんですか?」
セレナも動揺しながら聞き返していると、今度は俺たちに聞き取れるように、ゆっくりと本題を話し始めた。
「はいはい。お願いというのは、少々、募金に協力していただきたいなと思っておりまして」
「募金ですか?」
「はい。実は私、実家に子供が十人もいるわけなんですが、悲しいことに、息子たち全員が、流行り病にかかってしまったんです……」
「そうなんですか? それはお気の毒ですね……」
「はい。その病気を治すためには、医師から特注の薬を飲むしかないと言われまして。しかし、薬を一つ買うだけでも、大変巨額なお金が必要なんです。それを十人分、すべて買わなければいけなくて……」
「なるほど。それで募金を……」
話を聞きながら、俺はモグリの顔を凝視し続けていた。目元しか笑っていない表情。子供を思って悲しんだ顔も、作ったお面のように固い。次から次へと怪しい部分が目に映ると、次の言葉を発した瞬間、両目が一度、何かを想像するかのように左上に動いた。
「そうなんです。巨額なお金というのも、金貨五十枚という大金。とても一般市民が払える額ではありません。もしもあなた様方が、我々を憐れだと思いましたら、ぜひとも、この募金に協力していただきたいのです」
――嘘だ。
俺の脳裏に、一瞬でその言葉が浮かび上がった。十人が一斉に流行り病だとか、それを知ってて自分は呑気に旅をしているだとか、話の信憑性があまりにもなさすぎる。
それに何より、嘘をつく人間特有の顔をしている。俺の目が、そんな動きを見落とすことは決してない。
――こいつも一緒なのだ。俺が今まで目にしてきた、身勝手な人間たちと……。
「お願いします。息子たちのために、ぜひ募金を!」
モグリが小さな袋を出しながら、俺たちに頭を下げてお願いしてくる。だがしかし、俺はたとえお金を持っていたとしても、そこに募金をしようなどとは微塵も思わなかった。これだけ見え見えの嘘。果たして一体、誰が信じるものか――。
「これだけですが、少しでも足しになれば……」
セレナがいつの間に小銭入れを取り出し、あたかも金貨であるものを一枚取り出しと、疑うことなくモグリの出した袋の中に落とした。驚きのあまり俺は目を点にする。
「え?! お前、マジか?」
「何がですか? 一枚くらいなら、別に支障はありませんよ」
「いやいやいや、そういうことじゃなくて――」
本当に何も気づいていない様子のセレナに、俺は慌ててこれは詐欺だと言おうとしたが、すぐさまモグリが声をかぶせてきた。
「いやーありがとうございます。それだけでも助かりますよ。……はあ」
俺たちに聞こえるくらい大きなため息をつくモグリ。
「どうしたんですか?」
「え。あ、いやいや。これだけでは足りないなと思ってしまい、つい、息子たちの顔を思い浮かんでしまっただけです。ああ。マルポたち、元気でいてくれてるか……」
どれだけ嘘をつけば気が済むんだ。こんなバレバレの演技に、セレナも今度こそ気づくはず……。
「そうですよね。十人もいると、一枚じゃ足りませんよね」
ダメだったか……。さすがに俺は額に手を当てて、呆れるような顔を作ってしまう。
「はい……長男のマルポに、次男のコンブ。三男のドリリドに、長女の――」
「そ、それでしたら、私、ちょっとお父さんに相談してみましょうか?」
息子たちの名前を羅列するモグリの言葉を遮り、セレナはそう言った。するとモグリは、あたかも天啓が降りてきたかのような顔をした。
「本当ですか!? いっや本当に助かります。あなたはまるで、女神様のようだ!」
「そ、そんなことないですよ。ちょっと待っててくださいね」
大げさな誉め言葉にまんまと照れると、セレナは家に向かって走り出そうとした。これ以上見て居られなかった俺は、すかさずその腕をつかんで止めた。
「な、なんですか、ハヤマさん?」
モグリには聞こえないよう、セレナの耳元に顔を近づける。
「お前、あの話が本当だと思ってるのか?」
「え。何を言ってるんですか? まさか、あの人が嘘をついているとでも?」
「いや、どこからどう見ても嘘だろ。あの話は」
「そんなことないですよ。あの人は大事な家族のために、わざわざフェリオンからここまで来たんですよ」
「そのフェリオンってのがどこにあるかは知らねぇけど、明らかにおかしいだろ。十人の子供が一斉に流行り病にかかることから怪しいし、それが事実だとしたら、どれだけ感染予防を疎かにしたんだって話だ」
「そうでしょうか……私たちが知らないだけで、そんな病が流行りだしたという可能性は――」
「ねえよ」
「あるかもしれませんよ」
「だからないって、そんなの」
「なんでそう言い切れるんですか。ハヤマさんは、この世界について何も知らないじゃないですか」
「何も知らなくても、あいつが嘘しか言ってないことだけは分かる」
「じゃハヤマさんは証明できるんですか? あの人が嘘しか喋ってないってことを」
どうしても譲りたくないのか、セレナはムキになりながらそう言ってくる。それにうんざりしながらも、そうしなければ納得できないのだと俺は思い知ると、面倒に思いながらもこう口にした。
「証明すれば、納得するんだな?」
「え? あ、はい。証明できるなら……」
不意を突かれたかのように驚くセレナ。さっさと証明しようと体を離し、再びモグリと向き直ると、俺は平然とした表情をしたまま話を切りだしていった。
「なあモグリさん。十人の息子たちが同時に流行り病にかかったそうだが、それは本当なんですか? どれだけ感染予防を怠ったら、そんな一気に感染するんですか?」
「それだけ感染力の強い、危険な病気なんですよ」
「なんて名前の病気なんでしょう?」
「センセン病です。口からセンセンウイルスが入って、瞬く間に体に異常をきたす病気なんです」
変な名前だが、今のところ決定的なボロは出ていない。
「そうですか。それじゃ、モグリさんはどうして募金なんかしてるんですかね?」
「どうして、ですか? それは、さきほど説明したように、息子たちの病気を治すため……」
「そういう意味じゃない。募金以外にも、金を手に入れる方法はなかったのかと聞いているんです?」
「そういうことでしたか。それは先ほども言った通り、私は旅をしている者でして。こうして募金をするほか、方法がなかったのですよ」
「この世界には、働いて稼ぐっていう概念がないんですかね?」
「ややや! それはそうかもしれませんね。働いて稼ぐのが、一番効率のいいお金稼ぎにはなるでしょう。それは私も、重々承知しております」
「じゃどうして働かないんですか?」
「私が旅をしているのは、昔からの夢でして。家族もみな、私が旅することを認めてくれたのです。だから私は、家族のためにも、旅をやめるわけにはいかないのです。はい」
「家族が病気なのに?」
「はい。みなが私に期待してくれているのです」
「期待してくれている……。そしたらきっと、息子さんたちから何か安全祈願なるものとか貰ってそうですね」
「え? あ、ああはい。それはもう、気を付けてねと書かれた手紙がありますよ」
「その手紙は今どこに?」
「え? そ、それは、カバンの中に大事にしまっておりますとも、はい」
「素敵な家族ですね。ちょっと手紙を見てみたいのですが、見せてもらってもいいですか?」
「そ、それはちょっと……困っちゃいますね……」
「そうですか。だったら内容までは見ません。手紙の表紙だけでも見せてくれませんか? 私もいつかは親孝行をしたいと思ってるんですが、どんな便箋を選ぶべきか丁度悩んでいたので、参考にしたいのですよ」
「え、ええっと……それもちょっと、困ると言いますか、それだけ大事なものですからね、アハハ……」
モグリの頭から冷や汗が流れ始める。どこまでも分かりやすい男だが、証明するにはまだ足りない。
「それも駄目だなんて。もしかしてモグリさん。手紙を持っていないってことはないですよね?」
「いやいやいや! そんなことはありません! 大事に取ってありますとも」
やけに強く否定してくるが、セレナの顔はまだ嘘に気づいた感じではない。どこまで純粋なんだ。
「そうですか。すみません、急に変なこと聞いてしまって。それだけ息子さんたちのことが大事なんでしょうね。長男のマルクさんたちにも悪いことをしてしまいました」
「ああいえいえそんな。マルクたちはみんないい子ですから――」
モグリのある一言を聞いた瞬間、横にいたセレナが小さな声で「えっ」と呟くのが聞こえた。心の中で俺はしめたと呟く。
「あなたが疑ったことを悪く思ったりはしませんよ、きっと」
「待ってください、モグリさん」
黙って聞いていたセレナが、そこでとうとう口を挟んだ。
「は、はい。まだ何か?」
モグリは急なことでキョトンとしていたが、俺には分かっていた。ある事実を確認するために、口を開いたのだと。
「あの、長男さんのお名前。マルクさん、で、間違いないんですか?」
「はい。それが何か?」
「でも最初に言ってたのは、マルポさんじゃ……」
セレナのその言葉に、モグリはとっさに話を遡ったのか、しばらく何も反応できずにいた。
「……はあああ!?」
やっと自分のしてしまったことに気づいた瞬間、モグリの高い声が天にまで届いていった。俺は耳がキーンとなったのに思わず顔をしかめてしまうと、モグリは慌てて口を開いた。
「こ、これは……もう一人の名前。そう、長女の名前が、マルクなんです。はい。で、次男が――」
この期に及んでまだ嘘を重ねるか。セレナに証明もできた以上、もう容赦する必要もない。
「嘘をつくたび、それがバレないか心配で動き回る目」
「っひ!?」
俺がボソッと呟いた言葉に、モグリは肩をビクッとさせ過剰に反応する。
「疑問を抱かせないようにする無駄話に、真剣に考えさせない大げさなお芝居。目が笑わない営業スマイルとか、とっさに考えようとして動く目線もそう。他にも怪しい部分は色々あったが、何より確信的なボロはやっぱり……」
「息子さんの名前を、間違えるなんて!」
俺が目配せをしてみせると、セレナがしっかりとそう言い切ってくれた。
「ま、ままま待ってくれ。わ、わわわ私は、嘘なんか――」
「まーた目が動いてるぞ」
「な!?」
三度驚くモグリに、俺は呆れてしまい、幻滅するように目をそらした。
「その反応でバレバレだし。学ばないやつだな本当。だから嫌いなんだ。嘘をつくやつは」
「ぐぬぬ……」
後ずさりをしていくモグリ。
「お、覚えてやがれよ、この糞ガキ!」
最後にそう吐き捨てると、モグリはさっと身を翻し、見た目に見合わず颯爽と村から出ていった。