2‐16 時間転送
「都中に恐怖を振りまいた暴君。バルベスの首は無事、私の手で討ち取りました。もう皆さんを脅かす存在はいません。これからは……」
城の天守閣から声を響かせるキョウヤ。それを城下町の市民たちが聞いていると、俺は中で彼女の後ろ姿を見ていた。セレナも一緒にいて、隣にヤカトルも壁にもたれかかっていると、「……女王ってのも、大変な仕事だな」と呟いた。
「帰ってきてまだ一時間も経ってないのに……ゆっくり休む暇もないですね」
「報告なんて、他の誰かに任せればいいのに」
セレナと俺も口々にそう言う。あれから無事にジバに帰ってこれたものの、キョウヤは休むこと間もなく着替えると、こうして民の前でバルベスを討ったことを、わざわざ自分の口から報告していたのだった。演説するキョウヤの隣にはアミナが立ち並んでおり、部屋の入り口の方では、大剣を背中に背負ったミスラさんが待機していた。
かれこれバルベスからの解放宣言開始から、もう三十分は経過してるだろうか。ふと、俺の口からあくびがこぼれてしまう。
「ふあぁ……」
俺のことをヤカトルが横目で見てくる。
「疲れてるんだったら、先に休んだらどうだ?」
「いや。キョウヤが終わるまで待ってるよ。これからのことについても、色々話さないといけないしな」
「そうか。まだ報酬の話しがまだだったもんな」
「別に報酬目当てってわけじゃ……」
そう口にした時、丁度外から賞賛の声と大量の拍手が鳴り響いた。城下町にいる市民たちの盛り上がりが一層際立ったかと思うと、キョウヤたちが天守閣の中へと戻ってきていた。それに最初に言葉を放ったのはセレナだった。
「あ、お疲れ様です、キョウヤさん、アミナさん」
「ありがとうセレナ。こんな私でも、民たちは皆、戻ってきてくれたことを心から喜んでくださいました。その期待を裏切らないよう、これから用心していかなければ」
そう言い切った時にミスラさんが部屋に入ってくると、ヤカトルが調子よく口を開いた。
「一仕事終えた後だってのに、女王さんは働きもんだねぇ」
「ヤカトル。あなたもですよ。これからもっと忙しくなりますからね」
「あーあ、嫌な話だよ全く。ま、ちゃんと報酬が貰えるんだったら、何も問題はないんだけどな」
「分かってますよ。今回は特別に、あなたの期待以上の額を用意しておきましょう。もちろん、お二人やミスラにも、満足のいく金額を与えますよ」
キョウヤがヤカトルから俺たちに目を向けてそう言うと、セレナが急いで頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。そんな、女王様から直接頂くなんて。恐れ入ります!」
「フフ。助けてもらったのはこちらですから、遠慮することはありませんよ」
そう言ってキョウヤは、今度はミスラに目を向けた。
「あなたにも、今一度感謝を。よくぞあの状況から、私たちを救ってくれました」
「私に礼など不要です。あなた様を助けるために、ここまで参ったのですから」
ミスラはそう言って謙虚な姿勢を示したが、大方俺たち全員が同じ疑問を抱いていると、それをキョウヤが投げかけた。
「少し、お聞きしてもよろしいですか、ミスラ?」
「なんなりと」
「あなたが来ることは、私の未来予知で知っていました。しかし、あなたは一体どこから来たのでしょうか? 何もないところから突然現れたようでしたし、それにあなた自身の口からは、過去から来たと……」
思った通りのことを代弁してくれると、俺たちは全員ミスラに注目した。あの時、キョウヤの時間魔法が光った瞬間、突然その姿を現していたミスラ。謎だったことが明かされるのかと思うと、俺はミスラの言葉に集中した。
「私は今よりも昔。過去の時間から転送されてきました。それも、あなた様もお持ちになっておられる、時間魔法の力でです」
「時間魔法で? それは、確かなのですか?」
「はい」
時間魔法にそんな力があるということだろうか。俺より先にアミナがキョウヤに聞いた。
「過去から転送なんて、時間魔法ってそんなことできるの?」
キョウヤは考えこむように少し黙っていると、まるで自分に呟くように口を開いた。
「時間転送。その魔法であれば、対象を別の時間に飛ばすことができたはず。ですが、その魔法は……」
「その魔法は?」
アミナがそう聞いて踏み込むと、キョウヤは恐る恐るその口を開いた。
「時間転送は、禁忌級魔法なのです」
「禁忌級魔法!?」
そう驚いて叫んだのは、セレナただ一人だった。
「それ、本当なんですか、キョウヤさん?」
「はい。時間を越えるというのは、並みの魔法では決してできないこと。禁忌級魔法の効果で、間違いないでしょう」
勝手に進みそうな話しに、すかさず俺は待ったをかける。
「ちょっといいか。禁忌級魔法ってなんなんだ?」
その質問にセレナが答える。
「魔法には階級というものがあるんです。一番下から下級、中級、上級ときて、一番上が最上級。階級が高ければ高いほど、その魔法は威力や効果の高い魔法なんです。けれど、例外の階級が一つだけあって、それが禁忌級なんです」
「例外、か。それだけとてつもないって感じか?」
「とてつもないもなんの、魔法使いでも扱うのを恐れる、超スゴイ魔法なんです。何せその禁忌級を使うには、代償が必要なんですから」
「代償? 何かを犠牲にするってことか。何を犠牲にするんだ?」
「それは、発動する禁忌級魔法によって異なります。ですが基本的に、どれも強大過ぎる力のため、それに相当する何かを代償にするらしいです。だから、ミスラさんに時間魔法をかけた魔法使いさんも、時間を越えたのに匹敵する何かを代償にしたんだと思いますけど……」
不確かな物言いをしながら、セレナの顔がキョウヤに向いていく。時間を越える代償がなんなのか。俺やアミナ、ヤカトルもそれに興味を示していると、キョウヤがゆっくりとその口を開いた。
「禁忌級時間魔法の代償。それは、己の時間です」
「己の?」
「時間?」
ヤカトルとアミナが仲良く交互にそう口にすると、キョウヤは詳しい説明を後に続けた。
「私たちは人は、この世界に流れ続ける時間と共に日々を過ごしています。誰一人として時間を追い越したり、巻き戻したりすることはできない。いわば、時間と私たちの関係は、切っても切り離せないものなのです」
ふと浮かんだ疑問を俺は口にする。
「でも、キョウヤは魔法を使って時間を操ってるんじゃないのか?」
「時間は川のように流れゆくもの。些細なずれであれば、流れはまた元に戻ってくれます。要は最上級魔法までであれば、特別大きな問題は起こりません。しかし、時間転送の場合は、対象を遠い未来に、今とは全く異なる時間まで転送することになりますから、時間の流れに大きなずれを生じさせてしまいます。ずれた時間をそのままにしてしまうと、世界の在り方が大きく変わってしまう。そのためにも魔法使いは、それを直すための代償を払うことになるのです」
キョウヤの長い説明に、セレナが頭を抱え出す。
「なんだか頭がこんがらがってきました……。人と時間は常に一緒なのは分かりますけど、時間の流れがずれるとか、そこら辺がいまいち……」
「そしたら、二本の川と、そこに流される魚を思い浮かべてみてください。二つは同じ湖から流れてきていて、流れる速度も全く同じ。そして、魚はいずれ海へと出ていくのです。そこにもしセレナが現れて、ある一方の魚を速く海に向かわせたいと思ったら、湖の水を一方に流れるように傾けて、川の流れを速くすることができますよね?」
キョウヤの説明にセレナがうんうんとうなずく。
「そしたら、一方にいる魚を今すぐにでも海に流したいと思った時、どうすれば早く魚を流せると思いますか?」
「うーん……湖の水をなるべく全部そっちの川に流す、とかですか?」
「そうです。水が溢れるほどの勢いに流された魚はあっという間に海にたどり着くことができます。けれども、湖から流れる水はその川だけになってしまい、もう一本の川には一切水が流れなくなってしまいますよね? そしたら一匹の魚は水がなくなるわけですから、そこから動くことができなくなってしまう」
水の流れ次第で魚が動けないというのに気づくと、俺は閃いた。
「あ! もしかして、その魚が人間で、川の水が時間ってことか?」
「その通りです。最初に言ったのが、私のできる範囲の時間魔法だとしたら、後に言った方法は禁忌級の時間転送なのです。一人の人間にのみ時間の流れを速くした結果、他の人間の時間の流れを止めてしまう。それでは世界が永遠に止まったままになってしまうので、魔法使いは代償を背負う必要があるわけです」
「なるほど! なんだかすっきりしました!」
セレナが晴れた顔でそう言うと、俺は肝心のことを聞こうとした。
「そしたら、魔法使いはその止まってしまった流れを直すために、代償を払うことになるんだよな? 時間が止まるとか、あまり実感がなくてはっきりしないんだが、実際にはどうなるんだ?」
「そうですね。埋め合わせ、と言えば伝わるでしょうか」
「埋め合わせ?」
「流れる時間を紡ぐため、代償を払う魔法使いはただ一人、止まった時間の中を生き続けるのです」
「止まった時間の中を……どうしてそれが埋め合わせになるんだ?」
しっくりこなかった俺に、キョウヤはさっきの例をもう一度引っ張り出す。
「先ほどの川のお話で、禁忌級を使えばもう一方の川は水が流れないと話しました。そこにいる魚を魔法使いだとしたら、もう一方の魚は時間転送をかけられた人です。自分の流れを止めた代わりに、もう一人の流れが速くなったとしたら、分かりやすいでしょうか?」
「そうか。もう一人が海にたどり着くまで、その魔法使いは干からびた川にいるしかない。そうしたまま、次に湖から水が流れてくるのを待つしかないってことか」
「本来だったら、二匹の魚は同じ瞬間に海にたどり着く運命だった。けれどそれを魔法で捻じ曲げた時、一匹の魚は、もう一匹が海にたどり着く本来の時間を犠牲にするのです。だからこの禁忌級時間魔法の代償は、己の時間が代償となるのです」
ようやく俺は納得すると、セレナがこんなことを口にした。
「でもそれだと、魔法使いさんは寂しいですね。止まった世界に一人じゃ、誰とも話せないどころか、風や光なんかも感じられない……」
「その代償がなければ、ミスラはこの時間まで来ることはできなかった。その魔法使いが、相当な覚悟を持っていたのは確かでしょう。そしてそれは、恐らくジバの歴代の王族の誰かのはず……」
言葉を区切り、キョウヤはミスラに顔を向けて続きを話す。
「九代目女王としてあなたに聞きます。ミスラ。あなたをこの時間まで転送した魔法使い、当時の主はどなただったのですか?」
ミスラはしばらくためを作ると、重たい口をゆっくりと開いた。
「……三代目女王、ハクヤ様です」
聞いた瞬間、キョウヤだけが驚いていると、その口を手でふさいだ。
「そんな!? 三代目女王ハクヤ様は、今から四百年も昔の方ですよ!」
「「「四百年!!」」」
膨大すぎる数字に、ミスラ以外の俺たちも一緒に声を上げた。驚くままアミナが口を開く。
「てことは、そのハクヤ様は一人で、何もない世界を四百年も過ごしたっていうの!?」
壁に寄りかかっていたヤカトルも身を乗り出していた。
「四百年間孤独とは、恐るべしだな……」
何を思ったらそれだけの時間を一人でいられると思うのか。再びキョウヤがミスラに振り向くと、その疑問に触れてくれた。
「それだけの代償を払ったというのなら、訳があるのでしょう。あなたは一体、ハクヤ様に何を託されたのですか?」
全員の視線がまたミスラに集まる。
「私がハクヤ様から受けた命は、あなた様とジバ、両方をお守りすること。そして、ハクヤ様が見た未来予知。この時間の、近いうちに起こりえる危険を知らせるためです」
「ある危険……それは、何なのです?」
いつになく慎重な面持ちでそう聞くキョウヤ。俺たちもどことなく不吉な予感を感じてしまうと、ミスラはその事実を明かした。
「……いずれこのジバには、災厄の日が訪れる。ジバの都を黒い影がすべて覆いつくし、たった一日で破滅するほどの脅威が来る。その災厄の日からどうか、ジバの都を守ってほしいと、ハクヤ様はおっしゃってました」
「災厄の日、ですか……」
キョウヤが言葉を繰り返ると、ヤカトルがうんざりするように肩を落とした。
「はあ……その話し本当かよ。今日までえらい目に合ったって言うのに、また脅威が訪れるとか、さすがにあり得ないだろ」
「ですが、歴代の中でも、特に時間魔法に秀でたと言われているハクヤ様の未来予知です。それに、わざわざ赤目の戦士であるミスラをこの時間に送ってきたわけですから、無下にはできません。今日から少しずつ準備を進めていかなければ」
張りつめた顔をするキョウヤに俺は「頑張るのもほどほどにな」と声をかける。
「ありがとうございます。あっとそうでした。ハヤマとセレナも、しばらくは城で寝泊まりされてはどうですか?」
いきなりの提案に二人して「え?!」と声が出ると、セレナが改めて「いいんですか?」と聞いた。
「遠慮なさらないで。部屋も一人ずつ用意しますし、ぜひここで休んでいってください」
「そんな……私たちは別に、城下町の宿で寝れれば充分なんですけど……」
謙遜するセレナにキョウヤが顔を若干傾けて微笑み、まるで遠慮なさらず、と言ってる気がすると、俺はそれを快く両諾しようとした。
「別にいいんじゃないか、セレナ? 折角のご厚意なんだし、ありがたく受けようぜ」
「そ、そうですか……まあでも、キョウヤさんの厚意を受けないってのも、逆に失礼なのかも」
「そしたら決まりだな。当分は城で寝泊まりってことで。いつまでいていいんだ?」
キョウヤにそう聞くと「いつでも構いませんよ」と返ってきた。それにセレナが「ええ!?」とまた驚くと、キョウヤはヤカトルに指示を出した。
「ヤカトル。お客様を案内してあげて」
「え? 俺かよ」
「くれぐれも、失礼のないように、ね」
釘を打たれるヤカトル。それにため息を吐きながらも、渋々「へいへい」と答えると、俺とセレナは部屋を降りていったヤカトルの背中を追っていった。