1‐2 てんせい魔法?
見知らぬ世界に誘われ、魔王を倒してくれというお願いも、別の誰かが叶えてくれた。こういうのはきっと、召喚されたヒーローがかっこよく世界を救うのがお決まりなのだろうが、俺に限ってそんな都合のいい話は起こらない。
今もまだ展開についていけてない俺だったが、桃色髪の彼女につれられたまま、なぜか彼女の家に上がっていた。木造の小さなお家。リビングとキッチンに壁がないその場所で、俺は四人用テーブルでイスに座り、これまた別の桃髪の女性が料理を作っている背中を眺めているのだった。
「すみませんね。娘のセレナが突然、異世界のあなたを召喚してしまうだなんて」
娘という言葉でその人が母親さんだと気づくと、俺はどう答えていいか分からず「あ、はい……」とだけ口にする。人の家で落ち着かない様子でいると、母親さんは鍋のシチューをかき回しながら顔を向けてきた。
「紹介がまだでしたね。私はアンヌ。あなたの隣にいる、セレナの母親です」
朗らかな表情でアンヌは話してくれた。セレナと呼ばれた娘とは、顔の特徴がよく似ている。肌の色は元々かなり白いのだろうか。なんだか病人のように見えるほど際立っている。
「あなたのお名前はなんでしょう?」
「えっと、葉山明人です。できればハヤマと呼んでください」
いきなりの質問に少しうろたえながら答えると、アンヌは鍋に目を戻しながら話を続けてくる。
「ハヤマさんですか。ハヤマさんは、転世魔法はご存じですか?」
「てんせい魔法? いえ、全く」
「この世界とは別の、異世界に住む人間を召喚する魔法のことです。ハヤマさんは、その魔法でこの世界に来られたのですよ」
「はあ。魔法でこの世界に……」
非科学的な用語に話の内容を十分に理解できなかったが、とりあえず適当に返事をしておく。
「セレナは私と同じ、魔法を使える魔法使いなのですけど、転世魔法についてはまだ未熟で……。転世魔法も今まで成功したことがなかったのに、まさか今日に限ってハヤマさんを召喚できてしまうなんて」
アンヌがそう言うと、テーブルの向かいにいたセレナが言いづらそうに口を開いた。
「……だって、空があんなに真っ赤になるなんて、初めて見たから」
真っ赤に染まっていた空を思い返す。確かにあれはおぞましい光景ではあったが、さすがに普段から起こっている現象ではないということか。魔王について分からないままいるのもあれだし、詳しく聞いてみることにする。
「あの、魔王について聞いてみてもいいですか? 俺にはその、馴染みのない存在で……」
たどたどしい話し方でそう聞くと、アンヌが「フフ」と優しく微笑んでから教えてくれた。
「私たちも、特別馴染みがある存在ではありませんよ。五年前、魔王は突然この世界に現れて、魔法や魔物たちを使って世界を支配しようとしたんです」
「五年も前からですか」
「幸い、私たちが住むこの村には、魔物からの襲撃はあったものの、大きな被害は起こりませんでしたが、世界の至るところでは、色んな被害が起きたと聞いています」
「はあ。とても迷惑な奴ですね」
俺がイメージしていたのと全く同じ存在だ。魔王というのはやはり、悪の権化として君臨するものなのだろう。
「けれどもそれも、今日をもって討伐されました。空を晴らした赤い矢を見ましたよね? あれはこの世界で最も有名なギルド、アストラル旅団が強敵を討伐した証なんですよ」
「有名なギルド? 英雄、みたいなものですか?」
「そうです。英雄が倒してくれたということです」
この話を聞くに、俺がこの世界に召喚されたところで、それはもう用済みだということだ。なんと面倒なことに巻き込まれてしまったことか。思わずため息を吐き出したい気分になると、アンヌがそれを見透かすようにこう言ってきた。
「安心してくださいハヤマさん。明日になったら、私の魔法でしっかり、元の世界に帰しますから」
「あ、俺は帰れるんですね……ありがとうございます」
アンヌとの間に約束が交わされる。明日というのが気になったが、どうせ一日くらい無駄にしても、特別困ることはない。そんなことを思っていると、浮かない顔をしていたセレナが、テーブルの上でうつ伏せになるように伸びた。
「ねえお母さん。私、ハヤマさんを召喚できたはずなのに、その時の感覚がどうしても思い出せない……」
どうやらさっきから思い悩んでいたようで、声に覇気がなかった。それにアンヌが、完成させたシチューを配膳しながら優しく声をかける。
「きっと、慌てて発動したせいで、ふいに成功しちゃったようね。魔法は感覚が大事だから、思い出せないものはしょうがないわ」
「そんな……折角初めて成功したのに、これじゃもう一度成功するかどうか……」
頭だけを上げるセレナ。テーブルに四人分のシチューを置くと、アンヌはエプロンをたたみ、セレナの隣に膝をついてしゃがむと、体を起こしたセレナの目線を自分に集中させた。
「慌てることはないわよセレナ。あなたがお母さんのようになりたいのは分かるけど、ゆっくりやっていけばきっとできるんだから」
「私、早く立派になりたいよ。折角お母さんから教わってる魔法なんだもん。ちゃんと完璧に習得したい」
「セレナならいつかできるわよ。なんたって私の一人娘なんだから。焦る必要はないわ」
妙に悔しさを募らせるセレナに、アンヌが優しく諭し続けていたが、そこでセレナの顔が途端に暗くなった気がした。
「そんなの嫌だよ。早くしないと、お母さんはもう――」
いきなりすっと立ち上がったアンヌが、セレナの頭を胸に抱き寄せる。その行動の速さはまるで、それ以上の言葉を遮るようだった。
「ありがとねセレナ。セレナがそう言って頑張ってくれることが、お母さんはなにより嬉しいわ。でも慌てないで。お母さんはずっと、あなたの傍にいるから」
母親の胸の中で、セレナは泣きそうな顔になりながらもうなずく。詳しい事情までは分からないが、娘を優しくなでてあげる母親の顔を見れば、俺も察する他なかった。
随分と若く見えるから、恐らくは持病か何かか。娘の焦り具合からして、そんなに残りが長くないようだ。詮索するのはさすがに気が引けて、テーブルに頬杖をついて顔をそらしていると、目に映っていた玄関の扉が突然バタンと開いた。
ピンと伸ばし切った腕でそれを開けたのは、緑の髪とちょび髭が特徴的な、少し体のごつい男だった。体格に似合わず涙で顔面をしわくちゃにしていると、そのまま両腕を広げてセレナに向かっていく。
「セレナァ!」
「お父さん!?」
お父さんと呼ばれたその男が、アンヌと入れ替わりで娘に抱き着く。
「お前がこんなに立派に育っていたなんて……父ちゃんは嬉しさで胸がいっぱいだあ!」
ギュッと頭を抱きしめたまま、父親は右手で髪をわしゃわしゃとなで始める。
「大丈夫だぞセレナ。なんたってお前は、このグルマン村長と世界一の美女、アンヌの娘なんだからな。お前はきっと、どの魔法使いにも負けないような、いままでで一番凄い魔法使いになれるぞ!」
「もう、恥ずかしいよお父さん」
父親の腕の中で、セレナが少し照れた様子を見せる。やっと父親がそこから離れたかと思うと、突然声色低く「それで……」と呟いた。その背中に、やけにおぞましいオーラを放っているのに気づくと、案の定、父親は俺に向かって威圧するように顔面を近づけてきた。
「この男はどこのどいつだ?」
「お!? 俺はその……」
不良のようなガン飛ばしに恐れおののいてしまうと、横からセレナが慌てて説明した。
「落ち着いてお父さん。その人はハヤマさん。私が間違えて召喚しちゃった人で、別に怪しい人なんかじゃないから」
「そうなのか?」
父親が俺を見たまま聞いてくる。俺も誤解を解こうとなんとか挨拶してみる。
「は、葉山明人です……今日一日だけ、お邪魔してます……」
「グルマンだ。言っとくが、ワシの娘に手を出したら、ただじゃおかないからな」
「りょ、了解しました……」
グルマンはやっと俺から顔を離すと、急に顔つきを柔らかくし、改めてよしよしとセレナの頭をなでてあげた。とんでもない親バカの変わりようだが、ほっとした俺は一旦一息ついた。
「さあ。夕食にしましょう」
アンヌの声が部屋に響く。そうしてみんなが椅子に座り、食べる準備を進めようとする中、俺はただ一人、それまで周りに見えないように体をそらし、声を押し殺しながらせき込んでるアンヌの様子を見逃していなかった。
――――――
セレナの家で食事を終えた俺は、村の広場にある木製のベンチに座り、夜の空を見上げて物思いに更けていた。元いた世界では見られないような満点の星空。夜は光もなく真っ暗なはずなのに、そこに輝く星々が青白い空を作り上げている。本当に俺が異世界に来たのを知らしめるような圧巻の景色だ。
その光景に目を奪われながら、俺はアンヌに言われた言葉を思い返した。
――私の魔法でしっかり、元の世界に帰しますから。
果たして、俺が元いた世界に帰る意味はあるのだろうか。もちろん、俺がこの世界にいても意味がないのは分かっている。魔王はとっくに倒されたし、村に残り続けても、アンヌたちの迷惑にしかならないだろう。だが、元いた世界にだって、俺みたいな引きこもりは迷惑扱いだし、何より俺自身が、あの世界に帰りたいとは思っていなかった。
帰りたくない気持ちと、帰らなければならない気持ちが交差する。ふと、どこからか足音が近づいてくるのが聞こえた。夜空から目を下ろして振り返ってみると、そこにはセレナがいた。
「あ。ハヤマさんもここにいたんですね」
「考え事をちょっと。……隣、座るか?」
なんとなくベンチの片方に寄ってスペースを作ってあげると、セレナは「ありがとうございます」と言ってそこに座ってきた。
再び夜空を見上げる。さりげなく二人きりの状況になってしまったが、この空を見ていれば気持ちが落ち着いていられた。
「この夜空、気に入りましたか?」
セレナがそう聞いてくるのに、俺は物腰柔らかに口を開く。
「ああ。俺のいた世界じゃ、到底見れない絶景だ」
「そうですか。私も好きなんです。この夜空を見上げるのが。なんだか自分の悩みとかが、小さなものに思えてきますから」
ふとセレナのことを横目で見てみると、彼女も俺と同じように夜空を見上げていた。その目が星の輝きに魅入られているように見えると、彼女はすっと顔を下ろしてきて俺と目があった。俺は気不味くなって先に目をそらしてしまうと、セレナがまた口を開いてきた。
「あの……今日は本当にごめんなさい。気が動転したせいで、ハヤマさんを巻き込んでしまいました……」
いきなり謝られるのは予想外で、俺は急いで言葉を探す。
「えと、まぁ、あんな禍々しい光景を見たら、平常心ではいられないかもな」
自分でも微妙なフォローだったと後悔すると、セレナは全く気にしないように謝罪の言葉を続けた。
「本当に申し訳ないです。私が未熟なせいで、転世魔法をはるか空に発動しちゃいましたし……」
「空から落ちた時か。さすがにあの時は死んだかと思ったな」
「その後、なんの事情も説明せずに、急に助けを求めたりしちゃうし……」
「見ず知らずの人にそう言われたら、余計混乱するだろうな」
「たくさんたくさん迷惑かけてしまいました……」
徐々に肩を落としていくセレナ。なんだか謝られている俺も気分が沈みそうで、急いで話題を切り替えようとした。
「一つ、聞いてもいいか?」
「なんですか?」
セレナが顔を上げて俺を見てくる。
「いや、どうしてそんなに頑張ろうとするのか気になって。君が転世魔法を使えなくても、君の母親が使えるなら、何も問題ないと思うんだが……」
素朴な疑問を口にしてみる。大方の事情はなんとなく分かってはいるが、そこまで熱心になれる理由まではどうしても分からなかった。
「転世魔法は、元々お母さんだけが使えていた魔法なんです。実際に使ったところを見た時、私はとてもかっこいいと思って、いつか私も使いたいって憧れだったんです」
「憧れか……」
「そうです。私が頑張ろうと思ったのは、憧れたのがきっかけですね。私が妖精と契約して、転世魔法を使える才能を手に入れたのをきっかけに、お母さんは私に教えてくれるようになって」
妖精と契約?
「毎日修行に励んではいるんですけど、まだまだ経験とか、魔力が足りないせいで、中々上手くいってないんですけど……」
魔力?
次々に分からない単語が出てきたところで、さすがに俺は口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ。一つずつ説明してほしいんだが、まず、魔法について教えてくれないか? 言葉は知ってても、俺がいた世界には存在してなくてな。曖昧にしか分からないんだ」
「あ、そうだったんですね」
そう言って「うーん」としばらく悩むと、頭の中を整理して説明を始めてきた。
「魔法というのは、炎とか風といった自然の力を、人間の体内にある魔力と結び付けて発動する特別な力のことです。魔法の種類はいくつかあって、火をつけたり、風を吹かしたりと、色々な使い道があるんですよ」
「火をつけたり風を吹かしたり。いかにも魔法って感じだな」
「魔法を使うためには、魔力が必要なんです。魔法によって必要な魔力が決まっていて、強力な魔法を使うには、その分の魔力を消費しないといけないんです。転世魔法も強力な魔法なので、結構大変なんですよ」
「ふーん。魔力が多ければ多いほど、強い魔法が使えると。そしたら、さっき言ってた妖精との契約ってのは何なんだ?」
「妖精というのは、羽の生えた小人のような種族で、古い昔に自然から生まれたと言われています。妖精にも様々な種類があって、それぞれ一つの魔法の属性を司っているんです。それで、魔法使いが特定の妖精と契約すれば、その魔法が使えるようになるわけですね。分かりやすく言えば、風の魔法を使いたければ、風から生まれた妖精と契約する必要があるわけです」
「ほーん。契約をすればその妖精から力を貰える、みたいな感じか。最初っから好きに魔法が使えるわけじゃないんだな」
「契約自体は魔力に触れるだけで簡単なんですけどね。妖精は神出鬼没な存在なので、出会えるかどうかは正直運なんですよ」
「そうなのか。特別協力的ってわけじゃないんだな」
大方理解できたところで、セレナが話をまとめてくれた。
「魔法を使うには、まず妖精との契約が第一。そこから充分な魔力と、魔法にして具現化させる特殊な技術を合わせた時、初めて魔法が発動できるって感じです」
「案外大変なんだな、魔法を使うのって」
「そうなんですよ。私が転世魔法を使えないのも、魔力も技術も両方足りないからなんです」
自分を卑下するようにセレナはそう言ったが、俺にはまだ納得しきれない部分があった。
「使えないって言うが、実際に俺を召喚したのは君なんだろ? だったら、実はもう使えるんじゃないのか?」
「うーん、いまいち実感が湧かないのでなんとも……魔法は感覚が大事なんですけど、肝心のそれが全くなかったわけですし……。試しにやってみてもいいですか?」
思いついたようにセレナが聞いてくる。
「まあ、別に構わないが」
俺がそう答えると、セレナはベンチから立ち上がり、俺に向かって両手を大きく伸ばした。そして、集中するように目を瞑って「うーん……」と唸るように声を出していると、突然その目をパッと見開いた。
「転世魔法!」
セレナの叫び声だけが夜に消えていく。しばらく経っても、何も変化はない。
「……転世の魔法! ……発動して! ……出てきてぇ!」
……何を言ってもやはり変わらない。結局成功できずにいると、セレナは諦めるように腕を下ろして俯いた。
「やっぱり、駄目みたいです……」
「そう、みたいだな。なんかすまん。魔法の技術とかは知らないが、簡単にいかないことだけはよーく分かったよ」
落ち込んでため息を吐いてしまうセレナ。それを見て俺も責任感を感じてしまうと、また別の話題を振ってみようとした。
「あそうだ。魔法ってのは、俺でも使えるのか?」
口に出しながら、少し期待している自分がいた。だが、セレナは顔を上げるや否や、首を傾げて不穏な空気を作った。
「うーん……ハヤマさんからは、魔力の雰囲気が感じられないですね」
「魔力の雰囲気?」
「魔法使いは常に魔力に触れているので、人の魔力を感じとることができるんです。けど、ハヤマさんの場合は、特になにも……」
最後に言葉を濁してくれたが、その沈黙にそって心の中でどんどん落胆してしまう。
「そう、なのか。一応聞くが、魔力なしで魔法の発動ってできたり……」
「しないですね」
今度はばっさり言い切られてしまった。もはや止めである。
「全員の人が、魔法を使えるわけではないんです。生まれたときから魔力を持つ人、持たない人が決まっていますからね。魔力を持たずに生まれたら、残念ですけどそれまでなんです」
「そうか。俺は一生使えないってことか。まあ、俺ごとき人間が、魔法なんて大層なもん使えるわけないわな……」
「げ、元気出してください、ハヤマさん。きっと他の魅力がありますって」
「余計なお世話だ」
世辞が嫌いな俺は、励まそうとしてくるセレナにそう言ってあしらった。それと同時に、ふいにあくびがこぼれてくると、それをきっかけにセレナの家に戻ろうとベンチから立ち上がった。
「もう眠いから、俺は先に戻る。明日でお別れだが、まあ、転世魔法とか色々、頑張れとだけ言っておく。それじゃ」
「あ、はい。ありがとうございます。おやすみなさい」
セレナの言葉を背に受けながら、俺は一足先に家に戻っていった。だがこの時、俺は、いや俺たちは、誰も気づいていなかった。こうしている間にも、ある人間の体は衰弱していき、その息が間もなく途絶えようとしていることに……。