19‐2 こんなのをよくデートに誘えるもんだ
新しい日の出を、小鳥のさえずりが聴こえてきて悟る。俺はベッドの上で目を覚まし、体を起こしてあくびをこぼす。立ち上がり、すぐ目の前で光が漏れていたカーテンを丁寧に開いていく。宿の二階から、太陽の陽ざしが山間から照らしてきて、俺はぐっと体を伸ばしながら身を翻し、洗面所へと向かう。
蛇口のハンドルを回し、流れ出る水を両手ですくって顔を洗う。手で拭くように軽くごしごしとしてから、目の前に立てかけてあった鏡を見つめる。そこに映っているのは、やはりいつも通りの犯罪者顔。顔つきは暗く目が細い、ボサボサの黒髪天然パーマの自分だ。
「こんなのをよくデートに誘えるもんだ。……生まれ変わったら、イケメンになりますように」
願掛けをしておいて、横に用意されてるタオルでそんな顔を拭いた。洗った水気をすべて取り切っていると、トントンと扉を叩く音が聞こえた。
「起きてますかー?」
セレナの声だ。どうやらとっくに準備が済んでいる様子に、俺は急ぎ足になる。さっさとバックパックからズボンとシャツを取り出し、ものの十秒で早着替えを済ませる。
そうしてドアノブに手をかけ、扉を引いてセレナと対面する。
「あ、おはようございます」
「いつもより早いな、今日は」
「一日の時間は有限ですからね。さ、準備ができたならさっさと行きましょう!」
そうやってセレナが俺の手を引こうとすると、せっかちな行動に俺の足がついていけなかった。
「お、おいおいちょっと待て。サーベルをまだつけてない」
戻ろうとする俺に、セレナは手を離さないまま振り返ってきた。
「サーベルなら今日は要りませんよ。街中は安全ですし、いざとなったら私の魔法で逃げれます」
「でも、万が一があったら――」
どうするんだと言いかけた時、セレナが俺に顔を近づけた。
「今日は思いっきり楽しみたいんです。私とハヤマさんの、初めての一日デートなんですから」
改めて口にされると、俺は少しだけ気恥ずかしさを憶えてしまう。
「で、でも、いいのか、本当に?」
「折角のデートなのに、そんな物騒なもの持ってほしくないです。そういうことなので、このまま行きましょう。ね?」
あざとく首を傾げて聞いてくるセレナに、俺は敵わないなと思ってしまう。
「分かったよ。今日くらいは遊ぶことに専念する」
その答えに満足するように、セレナは「フフ」と笑うと、俺たちは廊下を進んでいき、初めてのデートやらを始めていった。
階段を降りていき、宿の店主に挨拶しながら外に出ていく。店前のすぐの街道で、俺はセレナの隣を歩く。
「それで、まずはどこに向かうつもりなんだ?」
「それはですね。ハヤマさんが人混みに慣れた時、ずっと行ってみたかったところがあるんですよ」
「人混みに?」
一体どんな場所なのかと疑問に思ったが、セレナは答えないまま、ワクワクするようににんまりとした顔をしていると、しばらくしてから俺は、どうして今になってそこに訪れたのか、その理由を完全に把握した。
一本道の入り口まで来て立ち止まり、立ち並んでいた店と、いくつもあった木彫りの看板を眺めていく。
「なるほど。繁華街ってことか」
ラディンガルの城が大きく見えるこの場所で、俺たちの目の前にはたくさんの人々が行きかっていた。雰囲気はまさに大都会にある繁華街そのもので、見た目からして飲食店や百貨店。何かしらの食材の専門店なんかがずらりと並んでいる。ここラディンガルの城下町には、元々たくさんの人が住んでいたが、隙間が見つからないほどの密度を見るのは初めてだった。圧巻の見栄えを感じる反面、確かに昔の自分なら来れなかっただろうと納得する。
「スゴイですね! 観光名所としても有名だったのを聞いてたんですけど、こんなに賑わってる場所だったなんて」
興奮しているセレナの言う通り、この通りは際立って人通りがごった返している。この街に、こんな都会と変わり映えしないような場所があったとは。
「行けそうですか、ハヤマさん?」
「まあ、今のところは全然」
「そうですか。良かった」
セレナは安心しきった顔を見せる。そんなに今日という一日を楽しみにしていたのだろうか。だとしたら、セレナには目一杯満足してもらわないと。
「行こうか。今日は思いっきり楽しむんだろ?」
そう言ってみると、セレナはパッと晴れた顔をし、これ以上にないくらい元気な声で「はい!」と答えた。
セレナを追うがまま進んでいく繁華街。途中でセレナがとある店に目を留めると、手を握られた俺はその中へと入っていった。
連れられた店はいわゆる女性向けの服屋で、たくさんかけられていた服はどれも女ものだった。店内を見てみると、Tシャツからブラウス、それ以上に名称の分からないトップスたち。やけに種類の多いスカートに色とりどりのワンピース、帽子や靴をはじめとした小物ファッションも飾られていて、奥に下着類も置かれているのがちらりと見えてしまうと、俺は慌てて目をそらした。
そうしている間にも、背後の試着室でセレナが着替えをしていると、横開きのカーテンが中から開けられた。そこに見えたセレナは、オレンジのワンピースで明るいイメージがあったのとは逆に、濃いベージュのカーディガンに、長く大きなダークグリーンのスカートをはいた、なんとも落ち着いた印象のコーデだった。
「どうですか?」
「いいな。一気に大人っぽい雰囲気になった」
「エッヘヘ。もう子供の私じゃありませんよ」
その発言からは、全く色気を感じられないのは秘密にしておこう。けど、小さな子供が背伸びしたような可愛さを感じられる衣装だ。
「まだまだ試したいのがあるんです」
そう言って、セレナはカーテン閉めて別の衣服に着替える。さっきと同じようにカーテンが開かれると、今度は赤と黒のロリータワンピースに、大きなリボンに黒のハイヒールという、ゴスロリ系の見た目で出てきた。
「あえ!? この世界にゴスロリってものが存在してたのか!」
「知ってるんですか? 戦いが終わった後の宴会で、ミリエルさんから教えてもらったんです」
金髪縦ロールのギャル系シスターからか。なるほど。彼女なら知っていても不思議ではない。
「あいつか。でも、案外似合ってるな。髪の色とか変えたら、本物の小悪魔になれそうだ」
「まだまだありますよ。どんどんいきますね」
再びカーテンを閉めて着替えを始めるセレナ。そうして俺はしばらく、セレナの着せ替えファッションショーに付き合わされた。
黄色を基調にミニスカをはいた幼く元気な服装から始まり、サングラスにオーバーなコートを着たセレブ風や、とんがり帽子を被った魔法使いのような衣装。キャップ帽と短パンなボーイッシュスタイルに、メイド服のコスプレまで楽しむと、セレナはやっと満足したように試着室から出てきたのだった。
「いやー楽しかったあ!」
繁華街に戻り、満面な笑顔でそう口にするセレナ。その手に何も残っていないと、俺はこう聞いた。
「買わなくてよかったのか? 金ならそれなりにあるだろ?」
「買うのはまた今度でいいです。荷物を持って歩くの、大変じゃないですか」
「そんなもん転移魔法でどうとでもなるだろ」
俺は何気なくそう返したが、セレナは急に不機嫌そうに頬を膨らませた。
「むう。転移魔法でここを離れたら、折角の雰囲気が台無しになっちゃうじゃないですか」
「雰囲気? 大事か、そんなの?」
俺を睨み続けてくるセレナ。嫌でもそれが嘘じゃないと分かる。
「……ごめん。失言だったな」
素直にそう謝ると、途端にセレナの表情は柔らかくなった。
「分かってくれたらいいんです」
セレナから許しをもらう。そんなに雰囲気というのは重要なのだろうか。デートをしたことがなかった俺には、当然そこら辺の大事さを理解できていなかったが、今後は気を付けなければならなそうだ。
そう思っている時、朝が早かった俺はお腹の空腹を感じた。
「ちょっと早いけど、ここいらで飯にしようか。人が込み合ったら嫌だし」
「そうですね。私も丁度お腹が空いたなって思ってました」
俺の提案にセレナが乗ってくれると、セレナは辺りをキョロキョロ見渡していった。
「あそこの店、最近オープンしたって書いてありますね」
セレナが指さした店を見てみる。そこにつけられていた看板は新品のようで、のれんがかかった横開きの入り口は、どことなく和風な雰囲気が漂っている。
「新しい店か。ちなみに、名前はなんなんだ?」
「えっと……『グリグリモグリール』だそうです」
「なんだ、その変な名前……」
「どんな料理があるんでしょうね? 行ってみましょう」
先に入ろうとするセレナに俺も続く。扉を開け、グレーの漆喰で作られた店内に入る。すると、そこに意外な人物がいると、水色の羽毛をした鷲の獣人、ミツバールが俺たちを出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ――ってあら、あなたたちじゃない」
「ミツバール! どうしてお前がここに?」
「ここでバイトしているのよ。お金は必要だからね」
「へえ」と感心するセレナ。ミツバールは業務を遂行しようと「二人だけよね?」と聞いてきた。
「ああ」
うなずきながらそう答えると、ミツバールは羽で店内を示し「お好きな席へ」と言ってくれた。中には厨房の前につけられたカウンターの席と、六つのテーブルに、それぞれ四つずつのイスが並んでいて、俺とセレナは適当に奥のテーブル席に座った。そこでセレナが壁に貼られていたメニューを見ようとすると、突如厨房の方から聞こえた「いらっしゃいませ」という声に顔が向いた。そこになんだか見覚えのある顔があったかと思うと、セレナが目を点にしているのに気づいた。
「あなたはまさか!? モグリさん!?」
「ん? って、お前ら!?」
モグリと呼ばれた男も、セレナと俺を見て身を乗り出すように驚いていた。いまいち覚えがなかった俺はセレナに聞いた。
「モグリって、誰だったっけ?」
「あれですよ! 突然カカ村に現れて、私からお金を騙し取ろうとした人です!」
騙し取ろうとした人。その言葉で昔の出来事が思い起こされる。セレナに病気の家族がいると嘘をつき、金を騙し取る一歩手前までいったぽっちゃりデブ。この異世界に来て最初の方に出会った、胡散臭すぎる詐欺師だ。
「あーあの時の! そうか、お前だったのか」
改めて見てみると、今もその見た目は変わっていない。やけに甲高く聞こえていた声もそのままだ。
「まさかまたお前たちと出会うとは……」
モグリがそう呟くと、ミツバールが軽蔑する目を向けていた。
「店長。お金を騙し取ろうとしたって、本当なんですか?」
威圧するような声色に、モグリは一瞬で顔を青ざめる。
「い、いやいや! それは誤解というかなんというか!」
「誤解? そうですか。誤解なら人を騙しても許されると」
「ち、違う! そういうわけじゃなくて!」
汗を飛ばして弁明をするモグリ。ミツバールの口から店長という言葉を聞くと、俺はどうしようもなく焦っている様子を見て、ミツバールをなだめることにする。
「まあ落ち着け、ミツバール。それはあくまで昔の話しだ。過ちを犯したのは事実だが、結局は大事に至らなかったわけだし、ここは黙って見過ごしてくれないか?」
「あなたが言うなら、別に構わないけど。でも以外ね。まさか店長とあなたたちが知り合いだったなんて」
そこにセレナが口を挟む。
「私たちも驚きましたよ。いつの間にか、ここでお店を開いてただなんて」
セレナが向いたのを皮切りに、俺とミツバールもモグリに目を向けた。
「ま、まあ、お前に脅されたあの日から、人を騙すのに抵抗を感じるようになってだな。知り合いの奴に料理を教わって、今こうして自分の店をオープンしたわけだ」
いつの間にかそんなことをしていたとは。彼の変わりように意外に思いながらも、その実力がどれほどのものなのか俺は気になった。
「どんな料理を作るのか気になるな。一番自信のあるものを頼もうかな」
「あ、そしたら私もそうします」
セレナもそう言って同じものを頼むと、モグリはため息をつきながらも「ご注文ありがとうございます」と言って渋々厨房の中へ消えていった。
しばらく待っていると、モグリが作った料理がミツバールの手で運ばれてきた。目の前に置かれたものに、俺は強い既視感を感じてしまう。
「……もしかしてだが、この料理、どんぶりって言わないか?」
恐る恐る聞いたことに、モグリは「よく知ってるな」と言ってきた。目の前に置かれた料理は、鶏肉を卵でとじた親子丼だ。見た目は至って旨そうにできていて、俺は一口入れてみた。
「……なんだかな」
つい言葉が出てしまう。口にした鶏肉は微妙にぬめっとした食感で、卵も香ばしさがあったわけではなかった。質の悪い冷凍食品の味にしか感じられない。
「思ってたほどじゃないっていうか、微妙というか」
「んな!? 一番の自信作だというのに」
驚いたように声を上げるモグリ。
「まあ、筋が悪いわけではなさそうだし、続けていけば上達するんじゃねえか?」
そう言って俺たちはモグリの店を後にした。その裏で「ありがとうございました」と挨拶したミツバールが、小声で「やっぱりやめようかしら」と言っていたのは、きっと気のせいだろう。