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18‐18 セレナ

 俺は歩き続けた。兵士や戦士たちが魔物の軍勢を追い詰めるのとは、反対方向へ足を進めていく。


「あいつ。あんなところに」


 そうして彼女を見つけたのは、アトロブの花畑の中だった。真っ赤な首を伸ばし、犬の口みたいに開いた幾千の花々の中心で、セレナは一人立っている。


「おーい!」


 俺は大声を張る。今、お前と話したいことがたくさんあって、お前と一緒に共感したいものがある。


「セレナー」


 互いの顔と顔を合わせて、素直な気持ちをお前と共有したい。


「セレナ?」


 心から気を許せるお前だからこそ、一緒に話しをしていたい。


 なのに……。


「セレナ!」


 白くて赤い花畑に入っていき、やっと目の前までたどり着いた時、俺は余計に思えるほど大声を出した。さっきまで俺の声を無視していたセレナは、握っていた木杖をぎゅっと胸の前に戻した。それはなんだか、俺には慌てて引っ込めたように見えた。


「どうしたんだセレナ? 一人で勝手にいなくなるなんて」


 そよ風が吹いて、アトロブの花を揺らす。俺はしばらくセレナの答えを待っていると、セレナは振り返らないまま、風が止んでから口を開いた。


「残った魔物たちは、今どうなっていますか?」


「どうって……」


 一度背後に振り返ってみる。遠く離れた向こうでは、魔法陣が消え、逃げ場を失った魔物たちが死力を尽くしている。だけど、司令塔もなにもない魔物たちに、ヴァルナ―やガネル国王、それに他の仲間たちが揃った彼らに、適う気配は微塵もなかった。


「魔界に戻れずにいるよ。つっても、今も空に浮かんでるんだけどな」


 曇り空だったはずの上を見上げ、赤黒い逆さ反転した大陸を眺める。これでは、俺たちの好きな夜空だって見れやしない。


「ここの魔物を全部倒しても、空から降ってきた分がまだ残ってるでしょうね」


 セレナが突然そう言った。


「厄介な魔法だよ、ホント。まあでも、一番の敵は倒したんだ。後は時間をかけて、地道に片付けていくことになるだろう」


「でも、空の上からは、また新しい魔物が降ってきてしまう。これじゃ、魔王がいた頃のように、またこの世界は恐怖に脅かされてしまいます」


 ……なぜだろう。俺は今、不安を駆り立てられている。


 なんだか、目の前にいる彼女がとても遠くにいるような。こうして話しているのに、ずっと目を見てくれないからか、彼女が何か隠しているかのように見えてしまう。


 てっきり俺は、戦いが終わったら、セレナが笑ってくれると思っていたのに。


「なあセレナ。どうしてそんなに元気がないんだ? 四天王と呼ばれてる魔物は全部倒したし、でっかい竜だってグレンたちが止めをさした。残りの魔物も、時期にヴァルナ―たちが全部倒してくれる。それなのに、なんでそんな思い詰めたように暗いんだ?」


 そう聞いても、セレナは顔を上げてくれない。振り返ってくれない。


「もしかして、俺が無茶したのを怒ってるとか?」


 赤目の人格に何度も入れ替わって、おかげで今も足がガクガクなのを気にしてるのかと思ったが、セレナから無反応を示される。


「なあ。俺だけか? お前と無事に生き残れてよかったって思ってるのは?」


 心の内にあったことを正直に口にしてみる。すると一瞬、わずかにセレナの肩が震えたように見えた。彼女はすぐに、何かを払うように顔を振って、遠い空を眺めるように顔を上げた。


「ハヤマさん。この花、スゴイんですよ。皆さんを召喚するためにたくさん魔力を吸い取ったはずなのに、まだまだ全然残っているんです」


「……そうなのか」


 ――おかしい。


「スゴイですよね。私、物凄い量を使ったのに、まだまだ有り余ってるんです」


 何かがおかしい。


「本当に、たくさんあるんです。使ったとは思えないほど」


 どうしたんだよ、セレナ。


 どうして俺を見ない? どうして俺を、遠ざけようとするんだ。


「おい、さっきから何言って――」


「きっと、禁忌級でも使えてしまえるくらい、たくさんあるんです」


 一瞬で、血の気が引いた。不穏な胸騒ぎが収まらない。


 空に魔界が繋がっていて、魔物が降ってくる話し。アトロブの花に、まだ魔力が残ってる話し。


 そして今、禁忌級と、確かに口にした。


「私は、このプルーグが大好きです。ここには色んな人がいて、それぞれが頑張って生きているこのプルーグが、私は大好きなんです」


 木杖を持った両手を、前に伸ばしていくセレナ。


「セレナ?」嫌な予感が止まらない。止まらないまま、そこに銀色の魔法陣が浮かび上がろうとした。


「セレナ!?」


 理解してしまう。突き付けられてしまう。今、セレナが取った行動で。これからやろうとしていることに気づいて。


 どうして一人で勝手にいなくなったのか。なぜ俺と顔を合わせてくれないのか。


 どうして一人だけで、消えてしまおうとしているのかを――


「今、この世界を元に戻せるのは私だけ。本来のプルーグを取り戻すために、私だけの代償で済むなら、安いもんですよね」


「何……言ってんだよ……」


 まるで自分が、幽霊にでもなってしまったかのように意識がしっかりしなくて、そんな言葉だけしか出てこない。


「大丈夫ですよ、ハヤマさん」


 その間にも、手に浮かんでいた魔法陣は円の形を完成させている。そのまますっと、頭上の魔界に向かって飛んでいこうとする。


「たとえ体が半分なくなろうと、転移魔法とかは使えますから、移動に困ることはないです。ハヤマさんを転世魔法で帰した後だって、お父さんや村の人がいますし、何も問題はないですよ」


 セレナは伸ばしていた手を胸に当てて、やっと俺に振り返ってきた。そこには、俺がいつも見てきた、あの純粋すぎる笑みが一つ、浮かんであった。


「あ、でももしかしたら、魔力は体内に含まれてるから、体がなくなったら、ちょっと失っちゃうかもしれませんね。そしたら、転移魔法を使うのも、難しくなっちゃうのかも」


 ……なんでだよ。


「でもその時は、ハヤマさんが私をおぶってくれますよね。前に風邪を引いた時みたいな感じで」


 なんでそんなに、平気そうな顔を……。


「ハヤマさんへの転世魔法は、デリンさんの木杖をお借りしましょう。ハヤマさんを帰した後に、お礼を言って私が返せばいいだけですから」


 なんでそんな顔で……。


「まあとりあえず、私は全然大丈夫ですから、ハヤマさんも安心してください」


 平気に嘘をつくんだよ――


 笑みを浮かべたままの顔で。平然を装った声で。揺れそうな肩を抑え、泣きたい気持ちすら悟られないようにしながら。


「足がないと、どんな感じなんでしょうね? なんだか想像つかないなぁ」


 そこまでしてなんで、俺に嘘をつくんだよ――


「――セレナ」


 口を開く。


「あ、でも、昔重たいって言われてましたから、その分の労力がなくなるっている利点もありますね」


「――セレナ」


 俺は呼んでいる。


「ちょっと怖いかもしれませんけど、方法がこれしかないんですもんね。でも、きっと後悔はしませんよ。私の力で世界が守れるなら、私は何も――」


「犠牲で成り立つ世界は……」


 名前を呼んでも駄目だと、俺はとっさにそう切り出した。それにセレナは、ハッとしてやっとその口を閉じた。俺は、振り出しから話しをやり直す。


「誰かの犠牲で成り立つ世界は、隣にいる人を悲しませる。お前が言ったその言葉は、嘘だったのか?」


「そ、それは……」


 彼女は一度口ごもり、それでも頑固になり切る。


「でも、私がやらなければ、この世界は救われない。ずっと魔物に脅かされることになるんですよ?」


「この世界には、魔物と戦える人がたくさんいる。お前が一人で背負う必要はないだろ?」


「それでも、今日見たような強力な魔物が、まだ魔界に残っているかもしれません。そうなったら、また今回みたいに上手くいくとは限らない」


「だとしても、お前が代償を背負うことはない。方法なら見つけられるさ。転世魔法だって、ここまで旅してきて見つけたんだ。魔界をどうにかする他の方法だって、絶対に見つかるはずだ」


 セレナを止めるため、思いつく限りの理論を根拠もなく口にしていく。でも、セレナに「そんな保証、どこにもないじゃないですか」と言い切られる。


「ある。絶対に見つかる。また俺と見つければいい話しだ」


「私がやるしかないんです。私がやれば、世界が救われるんです。私は、この世界を守りたい。ハヤマさんや、他の皆さんが生きているこの世界を、今まで通りの姿に戻してあげたい。だからハヤマさん」


 いつになく真剣な眼差しを向けて、セレナははっきりこう言った。


「私を、止めないでください」


 セレナが振り返ろうとする。俺から目を離し、アトロブの花に手を伸ばそうとする。


 今にも、魔法を発動しようとする。


 彼女が犠牲にならなければ、この世界は元に戻らない。ここで発動したら、こいつの体が代償になってしまう。


 そんなのは嫌だ。セレナが犠牲になるなんて、嫌なんだ。


 まるで、この世界がセレナを奪い去ろうとしているかのような気がして、俺は口の中で強く歯を食いしばった。悔しさを憶えて、殺意とは別の、反抗精神が剥きだしになる。


 ――こうなればやけだ。


 俺は、痛みを忘れてしまった腕を伸ばして、ポンッとセレナの肩に置いた。


「ハヤマさん?」


「セレナ。魔法を発動するには、頭の中でのイメージが大切なんだよな」


「そう、ですけど……」


「だったら、あの時のお返しをしてやる」


「あの時の?」


「牢屋の中で、めちゃくちゃだった俺を受け止めてくれた時だ。あの時の分を今、お前に返してやる。お前の頭の中を、めちゃくちゃにしてな」


「へ?」


 何も気づいていない様子のセレナを、俺は真っすぐに見つめる。


 既に、俺の覚悟は決まっている。言ってやるんだ、この言葉を。


「セレナ」


 そして奪うんだ。彼女の思考、いや。


 ――彼女のすべてを!


「お前が好きだ」


 しばらく、彼女は沈黙していた。沈黙しながらいきなり「え!?」と大声で驚いた。


「それってどういう――!?」


 彼女が言葉を続けるよりも先に、俺は動いた。肩に置いていた手をセレナの頭の後ろに回し、強引にその頭を引き寄せて。


 そして俺は、有無を言わさず自分の唇を彼女のと合わせた。


 柔らかく穏やかな感触。一瞬、セレナが驚くような声を喉奥に響かせるのが聞こえて、とっさに俺の服を掴んでいた。


 俺は本気だ。本気で、セレナの考えようとするイメージを奪いにいった。この方法が、一番強烈なインパクトになると、そう思った。


 ほのかに彼女の匂いを感じる。思わず性欲が反応してしまうくらいに刺激的で、一瞬彼女も、俺の脇腹を掴んで抵抗しようとしたが、それもすぐに力が抜けていた。


 俺たちはただ、互いに目を瞑って、安心しきれる今の状態をもっと。幸せ過ぎる今の状態をもっと。ただ、唇を合わせただけでも感じられた温もりを、永遠に求め続けた。


 風が俺たちの頬を撫でる。その涼しさと静けさの真ん中にいながら、俺は鼓動が早まるのを感じている。いつもは殺意で高鳴る心臓が、今は別の何かに突き動かされている。


 セレナのことを離したくない。このまま、ずっと一緒にいたい。


 ……ふと、二人して同時に目を見開いた。俺は回していた手を肩に置き直し、セレナが俺から体を離す。彼女の顔は、頬がリンゴのように真っ赤になっていて、初めてそんな表情を見た俺は、途端に緊張してしまった。


「あっと、その……お、お前を止めるためには、これくらいしないと駄目だと思ってつい……」


 今になって恥ずかしさが募ってくる。上手く頭が回らない。あまりに大胆過ぎる行動をとってしまったと後悔していると、セレナから微かに、だがはっきりとこう聞こえた。


「嬉しい……です……」


 思わずそらしていた目を元の位置に戻した。セレナと目がばっちり合って、満面な笑みを見せられる。


「嬉しいです。ハヤマさんが、そんなことを思っていたなんて……」


 彼女の両目に、キラキラと輝く雫が浮かび上がる。宝石みたいに小さな涙が、頬に流れていく。


「お前の気持ちに気づかなかったわけじゃないんだ。虹色の湖に行った時とかに、凄い分かりやすかったからさ」


「え!? そ、そうだったんですか?」


「ほら、今だって」


「あ! あっとこれは……」


 セレナは真っ赤な頬を両手で隠そうとする。虹色の湖。クリュウざんに登った時、落ちそうになったセレナを引き上げた際に見せたものより、もっと赤くなっている。


「だけど、この気持ちを口にしたら、もしかしたら、転世魔法を習得しようと頑張ってるお前の判断を、鈍らせるかもしれないって思ったんだ。だから、この気持ちは自分の中に留めておこうって思ったんだ」


 本心を口にする度に、俺の声は震えていく。


「お前が頑張ろうとしたことを、俺が否定したら駄目だよなって思って。自分勝手な考え方だと分かってたけど、一言言ってしまうだけで、この気持ちは伝わってしまうって思ったら、中々言い出せなくて」


「それで、今になって……」


 震えていた心に、彼女の寄り添おうとする一言が触れてくる。それが温かくて、安心できて。母親に抱かれて泣き止み、寝てしまう赤子の気持ちが分かってしまいそうだった。


「ごめんセレナ。不器用な奴だな、俺は」


「謝らないでください、ハヤマさん。ハヤマさんは何も、何も悪くありませんから」


 頬から涙が落ちたのを感じる。ああ。また、こいつの前で泣いてしまった。


 今までため込んでいたものを吐き出した時、どうして人はこんなにも、胸が押しつぶされるような感覚になってしまうのだろう。


「ハヤマさん。さっきの告白、嘘なんかじゃないですよね?」


 どこか安心したような微笑みを浮かべながら、セレナがそう聞いてくる。俺は親指でそれぞれの目から涙を拭ってから、掠れそうな声ではっきりと答える。


「ああ。嘘なんかじゃない。お前に対するこの気持ちだけは、決して嘘なんかじゃない」


「私も……好き、でしたよ」


 セレナはもじもじと、恥ずかしそうにしていて、そのまま言葉を続ける。


「そ、その。私、こうして言われるまで、この気持ちがそんなはずないって思ってたんです。こんなのは、私のただの思い込みだって。二年経って再会できて嬉しかったのは、単純に寂しかったのがなくなったからだって。でも、ハヤマさんの気持ちをたった今知った時、とても幸せだって思ったんです。転世魔法のイメージが全部真っ白になっちゃって。でも、その中にハヤマさんがいるって安心感が残ってた。多分きっと、これが好きになるってことなんですよね」


「人の恋心は、俺にもよく分からない。でも、自分の気持ちが嘘じゃなかったら、それでいいんだと思う。事実俺は今、すごく心が温まってる。お前の気持ちを知れて、よかったって思ってる」


 セレナは何かをおかしく思ったように「フフ」と笑った。


「なんだか、今までも本音で話し合ってきたはずなのに、気恥ずかしいですね」


「そ、それは、ここまで包み隠さず言うこともなかったからな」


「でも――」


 セレナは突然、俺の胸に近づいて頭をこすりつけてきた。顔を上げ、上目遣いで俺を見てくる。


「これからは、大好きって言ってもいいんですよね」


「……ああ」


 もう行くところまでいった。今まで彼女を特別、女として見たことはあまりなかった。行動するのは突然で、危ないことでも誰かのためってなったら譲らない。人の心の中にも根性で踏み込んできて、それなのに、優しく包み込んでくれた。


 そうだ。間違いなく、俺はセレナのことだ好きだ。


 セレナの体に腕を回し、抱き合う。そよ風が祝福するかのように、アトロブの花を揺らしてくれる。安らぐような草木の音を聞きながら、俺たちはしばらく、互いに離したくないものを肌で感じ続ける。

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