18‐17 開星残灰!(エンヴリムイフリート戦)
魔界の竜が、太陽の表面のような色をした猛火を吐き出し、フォードも腕を突き伸ばして、勢いのある火の嵐をぶつける。二つの炎は押し問答を続けるも、結局フォードが押されてしまうとすぐにレイシーが土の壁を間に挟んだ。
「チッ! いくら魔力を込めても駄目か!」
横から走っていったベルガも、弓を構えては矢をいくつも放っていくが、どれも固い鱗に阻まれ続け、下から手足を狙うロナも、地団駄を踏むような衝撃で地面を揺らされては、何度突っ込んでも槍が届かない状態だった。
攻める手段を見失ったアストラル旅団。「くそ、どうする」とフォードが悩み込んだその時だった。彼とレイシーの間に、転移魔法でグレンが姿を現した。
「グレン! もう遅すぎるわよ!」
早速喝を入れるレイシー。
「ごめんレイシー。ちょっと遅れた」
そう言ってる間にも、レイシーは手慣れた感じで魔法を発動し、傷だらけのグレンの体を治癒していく。優しい黄緑色の光に包まれていき、グレンは一番の深手を負っていた左腕を伸ばして動かしてみる。
「――イテ! これはやっぱり、外れちゃってるな……」
肩の部分を抑えながら、グレンがそう呟くと、魔法を発動し終えたレイシーも頭を悩ませた。
「そればかりは治せないわね。魔法で治せるのは、皮膚とか外側の傷だけだから」
「それでも十分だよ。片腕がやられたままだと、剣を振る時のバランスもとれないからね」
そう話し切った瞬間、正面から鋼を叩き割ったかのよう金属音が鳴り響いた。爪をとがらせたエンヴリムイフリートの薙ぎ払いを、ロナの大盾が防いでいる最中だった。圧倒的体格差にロナは踏ん張りを見せるが、最後の振り払いにそのまま吹き飛ばされてしまう。
「うあっ――!」
「ロナ!」
グレンが叫び、とっさにフォードが魔導書を広げて風を巻き起こす。彼女の背後に、優しくも勢いのあるそよ風が吹き荒れると、吹っ飛ぶ速度が減速したところで颯爽とベルガが彼女を抱え、グレンたちの元に着地した。
「ありがとう、二人とも」
「お? グレン。やっと戻ってきたか」
ロナが礼を言うや否や、ベルガが彼を見た。
「ごめんみんな。遅くなった」
グレンの謝罪に対し、眼鏡の位置を整えたフォードが口を開く。
「まだ戦えるのか?」
「当然だ。みんなが戦っているのに、俺だけ戦わないわけにはいかない」
グレンはそこで一度言葉を切り、盾を持ち直していたロナに優しく話しかけた。
「ロナ。よくみんなを守り切ってくれた。本当にありがとう」
ロナは少し驚きながら振り返る。そしてすぐに、いつも通りのお姉さん顔に戻る。
「それが私の役割だもの。それよりグレン。あなたが来るまで耐え忍んだのよ。みんなはとっくに準備ができてるの。全力を尽くす準備がね」
「全力を尽くす? さっきまで力を温存してたってことか?」
「これ以上戦っても、私たちが消耗するだけ。だったら、あなたが来た時に、決定的な一撃をかける方がいいってなったの」
ロナからフォードへ言葉のバトンが繋がる。
「俺たちはここですべてを出し尽くす。全力でお前へと繋げてやるから、最後に決められるかはお前次第だ」
「フォード。ここで言うお前の全力って、まさかあの魔法か?」
「それ以外に何がある?」
彼の即答にグレンは言葉を見失った。フォードは彼の心情を察したかのようにこう言う。
「グレン。この世界が危機的状況なのは、空を見れば一目瞭然のことだ。それくらいの危険は冒さないと、あいつは倒せない」
ズシン、と足音が鳴る。四足で、エンヴリムイフリートが地を這って近づいてきている。
「俺たちがここで死ねば、この魔物はそこら中を荒らしまわって大量の死者が出る。どの道、俺はここにすべてをかけなければならないんだ。なぜなら俺は、それだけの力を授かった、最強の魔法使いなのだから」
「覚悟はできてるんだな?」
「俺はすべてをここで出し尽くす。だから後は、お前にすべて託す」
「俺の責任が重いな」
苦笑いを浮かべるグレン。
「大丈夫よ」とレイシーが励ます。
「あの時だって、最後に決めたのはグレンでしょ? またあの時と同じことをすればいいのよ。今度は皇帝じゃなくて、私たちがそのきっかけを作るってなっただけのことだから」
ベルガもニヤッと笑う。
「グレンだったら、ここの誰よりも強烈な一撃を出せるからな」
全員が彼に期待し、彼も自分に託した仲間の顔をはっきり見つめる。
「……さっきはごめん。俺一人で、勝手に突っ走りすぎた」
謝罪から入って、グレンは彼らの想いに応えようと剣を抜いていく。
「俺一人じゃ、あいつは倒せない。だから、みんなの力を貸してくれ」
四人は一斉に微笑んでみせた。そうするのが当然だと、その言葉を待っていたと、そう言わんばかりににこやかに。
「もちろんよ」
そうロナが言った時、剣を抜き切ったグレンは大きく、そして、強くうなずいた。
「行こうみんな! これが、最後の戦いだ!」
グレンの掛け声に、アストラル旅団のメンバー全員が力強くうなずき返す。そうして五人は、やっと全員で凶悪なる竜に振り返った。
目の前まで来ていたエンヴリムイフリートが、口から灼熱の炎を吐き出す。人の骨すら燃やし切る獄炎に、レイシーが土魔法で分厚い壁を作り出す。
「ロックウォール!」
いくら黒焦げになろうと、燃え尽きた一点から炎が貫こうと、レイシーは絶えず魔法を発動し続けて壁を補強し続ける。
やがて、炎を切らしたエンヴリムイフリートは諦めるように口を閉じ、代わりに片手を頭上まで上げ、グレンたちを潰す勢いで振り下ろしていった。
ビルが倒壊するかのような迫力が、一瞬で築き上げた土の壁を粉々にする。その裏でロナが大盾を構える。
「燕頷虎頭!!」
洞窟を崩すダイナマイトのような轟音が響いた時、ロナの両足からヒビが、乾燥地域の地面のように走った。上からの圧倒的な力に潰されそうになっても、ロナは諦めず、むしろ本腰を入れる。
「不動の払い!」
気迫の声と共に振り絞られていく力。華奢な女性とは思えない迫力を感じさせると、最後はビクともしなかった盾を大きく振り払った。その拍子に、数百倍も大きさが違うエンヴリムイフリートの体が、大きくのけぞっていく。
すぐに魔導書を開き出すフォード。彼は頭上にひと際大きな赤い魔法陣が浮かび上がらせ、その光を強めようと、目を瞑りながら詠唱を始める。
「我、封印を解く者。闇夜に蠢く業火の龍よ。禁忌の儀式より瞳を醒ます時。我、この肉体を其
(そ)に捧げん――」
バチバチと燃えだしたのは、彼の伸ばしていた右腕だった。魔力を込めるあまり、皮膚から発火していたのだ。ゴウゴウと燃えていくにつれ、魔法陣も眩いくらいに光輝いていく。フォードは痛みにこらえるように苦悶の表情を浮かべながら、最後の言葉を唱える。
「禁忌級炎魔法! ドラゴンストーム!!」
陽炎が立ち上っていく魔法陣。そこから一気に何かが飛び出てくると、全身が炎で形作られた龍が天に向かって飛んでいた。翼はなく、大蛇のような姿をした業火の龍。禁忌から呼び覚まされた烈火が、空をうねるように飛んでは、長い全身が出尽くすまでグルグル飛び回る。その下で、フォードは右腕が燃えるのを必死に耐えている。
「ぐっ! ……魔力を通す腕の皮膚を代償にしたんだ。氷山をも溶かしきるその煉獄の炎で、かの魔物を灰にしろ!」
彼の叫びに呼応するように、炎の龍はエンヴリムイフリートへ真正面から突っ込んでいく。大空を突っ切る鳥のように速く、地を這ってどっしりと進むワニのように力強く。
そうしてあっという間に目の前まで迫った時、炎の龍は容赦なく口を開いては、エンヴリムイフリートの体にぶつかってそのまま通り抜けようとした。
勢いに押されるように手足を踏ん張らせるエンヴリムイフリート。水のようにすり抜けるていく炎は、突き抜けた後に白銀の鱗が真っ黒に焦がしていって、魔竜の尻尾に至るまで一筋の傷跡を色濃く残した。
「グガアアァァ!!」
痛みを訴えるかのように吠えるエンヴリムイフリート。既にベルガが両手斧を逆手に走り出していると、レイシーがタイミングを見計らって茶色の魔法陣を光らせた。
「飛ばせえ!」
「了解!」
次の瞬間、目の前まで走っていたベルガの足下の地面が、地中に潜む巨人に押し出されたかのように突然隆起した。その勢いで宙まで吹き飛んだベルガは、エンヴリムイフリートから目を離さないまま体勢を整え、一筋の焦げ跡に腕を広げながら落ちていく。
「必殺! 獅子連斬!!」
魔竜の後頭部に、右手の斧がグサリと突き刺さる。その手に限りなく力を加え、自分の体を無理やり回して左の斧を首筋に突き立てると、それを繰り返しながら回転していき、独楽のように回り続けてはエンヴリムイフリートの背筋を切り裂いていく。
「どりゃああああ!!」
目にも止まらぬ高速回転で、小人の足跡のように大量の傷口を作り出していくベルガ。固そうな鱗を確実に砕き、腰に至ったところでも勢いは止まらない。そうしてベルガは最後の尻尾まで回り切り、「グレン!」と叫んだ。
ベルガが飛ぶために隆起した地面の丘の頂点へ、全速力で登っていくグレン。レイシーがそこまでの道を作り出し、グレンの目に魔竜が映り込む。
「グレン! 受け取れ!」
フォードがそう叫び、左手に浮かばせた魔法陣から、渦を巻くように炎を伸ばしていく。グレンは走ったまま右腕を目一杯伸ばし、フォードの炎を巻き取るように受け取る。そうして真っ赤に燃えた剣を自分の前に持ってくると、横向きにした刃に左手を広げて、更なる魔力をそこに集めた。
「これで最後だ! 魔界の竜!」
グレンは剣先に向けてゆっくり左手を動かしていき、最後に一気に振り払った。するとその瞬間、炎剣だった剣は青い炎に包まれた。本来あった先端の部分も、倍以上に長くなるよう燃え広がっている。
それはもはや、彼の手から蒼炎の剣が伸び出ているかのようだった。
「開星残灰――!」
丘の頂点まで登り切り、最後に踏み出した片足で強く地面を蹴り出す。そして、宇宙のように青黒い蒼炎の剣を両手に握り、その剣先をエンヴリムイフリートの顔面に向けた。
「アストラルブレイズ!!」
エンヴリムイフリートの額から、首に貫通するほど蒼炎の剣が突き刺さる。そして次の瞬間、背筋につけられた傷口からも、体を巡った蒼炎が中から噴き出した。
「グガアアアアア!!?」
天を切り裂くような甲高い悲鳴が響く。ゴウゴウと燃え盛る炎の音と相まって、アトロブに生まれるすべての雑音がかき消されて、その場にいた誰もが、その光景に目を奪われていた。
人間も。獣人も。魔物でさえも。皆が同じ一点を見つめている。
頭を刺され、傷口から炎を噴き出す魔竜を、全員が手を止めて眺めている。
このアトロブに、忘れ去られていた静寂が、その時訪れた。
そして、蒼い炎が、ふっと消えてなくなる。
同時に、エンヴリムイフリートの断末魔も途絶える。首は焼き焦げ、切られても回復できた皮膚は、一切動かない。グレンも、魔竜の額に剣を刺したまま、風景画のように静止している。
すると次の瞬間。エンヴリムイフリートの体が、手足から崩れるように、ばたりと倒れた――
巨大な全身からぶわっと吹きあがる土煙。未だ、誰も動こうとせず、その光景を見つめ続けている。
そして土煙が晴れた時、エンヴリムイフリートの頭の上で、英雄が立ちあがった。引き抜いた剣を天に掲げ、彼は叫ぶ。
「うおおおおぉぉ!」
言葉にならない勝鬨は、次第に波紋のように広がっていった。人間と獣人が武器を掲げて共鳴して、震えだした魔物たちはその場から逃げようとあてもなく走り出す。リトル級からビッグ級、キング級も逃げ出し始めて、やがてはエンペラー級でさえも、アトロブに残った魔物四天王やエンヴリムイフリートの死体を見て後ずさりを始めたのだ。
それを見て、俺は確信する。この光景に、誰もがこう心に思ったことだろう。
俺たちの勝利だ、と。
「終わった……やったんだ。俺たちが勝ったんだ!」
一人で喜びをかみしめる中、騒がしかった声の中にヴァルナ―の一声が入った。
「残りを逃がすな!」
ヴァルナ―とガネルたちを先頭に、生き残りの兵士たちが魔物の残党に向かっていく。その行進にすべての魔物が逃げ惑うのを確かに目にすると、もう満身創痍だった俺は、やっと役目が終わったとほっとしてしまう。
「あとは、どうにかなりそうだな」
誰かに話しかけたつもりなのに、返事が返ってこない。
「もう動けねえや。お疲れだな、セレナ……ってあれ?」
さっきまですぐ傍にいたはずの彼女が、そこにはいなかった。
「あいつ。どこ行ったんだ」
俺は体を引きずるようにして、彼女を捜しに歩いていく。