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18‐16 所詮俺以下だ!

 銅鑼を叩いたような、大地をも割ってしまいそうな竜の咆哮がアトロブに響く。天に向かって高らかに叫んだ四つ足の銀竜、エンヴリムイフリートは首を下ろし、疲弊していたアストラル旅団の五人を、月のように黄色い眼で睨みつける。


「はあ……さすが魔界の竜。俺たちの攻撃をいくら受けても、まだ立っていられるなんて」


 息を荒くするグレンとその仲間たち。エンヴリムイフリートの首には引き裂くような切り傷が入っていたが、周りの皮膚が独りでに動いているのが分かると、すぐにその傷口を塞いでしまっていた。


「くそ」と声をこぼすベルガ。フォードも「自然治癒力が高すぎる」と愚痴をこぼす。


「来る!」


 レイシーが叫び、魔竜の手が伸び、彼ら全員を下敷きにしようとするのを、慌てて土魔法を発動して支え棒を生み出す。土塊の柱は今にも力で押しつぶされそうに揺れている。


「下がろう!」


 グレンの指示にみんなが走り出し、ベルガが魔法を発動し続けるレイシーを腕に抱えて運んでいく。一心不乱に走り続けて、魔物の手の影から全員が逃れた時、土魔法が崩れてドスンと土煙が舞い上がった。


 立て続けに、エンヴリムイフリートが喉奥に炎を溜め始めると、すかさず彼らに火炎放射をする。渦を巻くように伸び出る灼熱に、フォードが魔導書を開く。


「クリムゾンバーン!」


 魔法陣を展開し、同じ真っ赤な炎で対抗する。だが、わずかにフォードの魔法が押され始めると、ベルガから降ろされたレイシーが再び魔法を発動し、ぶつかり合う二つの間に土の壁を挟み込んだ。


「チッ! どうするグレン! このままじゃこっちが消耗するだけだ!」


 フォードが振り返り、グレンが思考を巡らせる。


「俺に考えがある。ベルガ、頼めるか?」


 それだけ言って勝手に駆け出すグレン。呼ばれたベルガもついていく後ろで、ロナが「ちょっとグレン!」と呼び止めたが、彼らは止まらず土壁から外れ、魔竜が見える位置に移動した。


「どこだ?」


「頭だ」


「あいよ!」


 グレンがその場に飛び上がり、ベルガが腕を大きく振って彼の体を「おらあ!」と、遥か上空へと投げ飛ばす。また人間魚雷となってエンヴリムイフリートに立ち向かいながら、グレンは左手から魔法陣を展開し、炎を茨を生み出す。


「ファイアウィップ!」


 腕を突き出して茨を真っすぐに伸ばしていく。それがエンヴリムイフリートの首に巻きつくと、グレンはそのまま魔物の顔の横を通り過ぎ、魔竜の背中に乗って茨を引っ張ろうとした。


「うおらっ!」


 腕を引いて思い切り首を曲げようとうする。しかし、エンヴリムイフリートは引っ張られた首を軽く戻してしまうと、プチンと茨が切れてしまった。


「なに!?」


 そして、長い尻尾を揺らしていると、そのままグレンを鞭で殴るように振った。鋼鉄な盾でも傷つけてしまいそうな速さで襲われ、かろうじて盾を構えたグレンだったが


「うあああぁぁぁ!」


 勢いに負けてそのまま遠く、


「グレン!?」


 ギルドメンバーたちを通り越してもまだ遠くへ。そうして彼は、魔物と人が続けている戦場の外れまで吹き飛んでいった。



 ――――――



「はあ……はあ……サーベルを持つ手が、上がらねえ……」


 サーベルを握る右手が、だらんとしたまま上がらない。赤目の人格で無理をし過ぎたせいか、俺の体は悪霊に憑りつかれたように重く、とてもみんなが戦ってる前線に行ける状態ではなかった。


「大丈夫ですか?」と、背後からセレナが聞いてくる。


「大丈夫……なはずだ……」


 無理やりすぎる空元気に、セレナが返って不安そうな顔になる。


「そんな……。アマラユさんに転移させられた場所で、一体なにが」


「何百もの魔物の死体を作っただけだ。正直、今も生き残れてるのが奇跡だと思ってるけど」


 新たな魔界四天王は倒せたものの、まだ魔物は大量に残っている。みんなが戦っている以上、俺も一刻も早く前線に戻らなければ。そう思っていた時だった。


「――がはっ!」


 空から誰かが吹き飛んできた。そいつは土煙と共にコロコロと転がっていって、着地してから五十メートルの先でやっと止まった。転がっていた正体を見て、俺とセレナは思わず駆け出してしまう。


「グレン!?」


「大丈夫ですか?」


 サーベルを引きずったまま傍まで駆け寄ると、グレンは一人で体を起こし上げようとしていた。しかし、盾をつけた左腕を立てようとした時に、ぐわんと力が抜けてしまう。


「くっ! ……左腕が、マズイ感じかな……」


「そんな! 急いで回復できる人を呼ばないと!」


 慌てたセレナが辺りを見回したが、「いや」とグレンは呟く。そして、剣の刃を地面に突き立てて、無理にでも立ち上がろうとした。


「回復ならレイシーに頼める。急いでみんなのところに戻らないと」


 そう言って、グレンは歩き出そうとする。あの爽やかさの欠片も感じられない、一切の余裕のないような表情を浮かべながら、彼はエンヴリムイフリートまでの果てしない距離を進もうとする。


「待てグレン」


 さすがに止めるべきだと、俺は判断した。


「歩いていくには遠すぎる。セレナが転移魔法を使えるから、一度傷を治してもらってから合流した方がいい。俺たちも一緒にいく」


「君たちが一緒に?」


 俺はうなずく。セレナも納得するように「そうしましょう」と口にし、魔法を発動しようとする。だが、それをグレンが手で止めてくる。


「君たちには危険だ。あの魔物は強すぎる。かつての魔王に匹敵するほどだ。君たち二人を危険な目に合わせるわけにはいかないよ」


「魔王だったら倒してただろ? それだったら、俺たちが助力した方が圧倒的に勝率が上がるだろ? それとも、俺たちじゃ足手まといか?」


 若干苛立つように俺はそう言ったが、グレンは力なく首を横に振る。


「ハヤマ。俺は、英雄と呼ばれるほどの存在じゃない。いつだってギリギリの戦いをしてきたし、魔王を倒せたのだって、俺たちだけの力じゃない。あの時は、皇帝や他のギルド仲間、彼らの支援があってこその勝利だった。決して、俺たち五人で解決できたものじゃなかったんだ」


「だったらなおさら、俺たちの応援が必要だろ。俺なら赤目の力があるし、セレナだって十分戦える。さっきだって、魔物四天王の一体を倒した」


「駄目だ」


 是が非でも断られてしまう。戦い続きで気分も高揚していた俺は、つい癇癪を起しかける。


「なんでなんだよ。お前らで倒せるってのか、あのデカいのが?」


「倒すよ。俺たちの力で。俺が絶対に、倒してみせるから」


 グレンは俯き、こちらを見ずにそう言った。


「そんなボロボロの体で、よくそんなこと言えるな」


 俺は責め立てる。今の彼はとても戦える状態じゃないから。とてもその状態で、生きて帰ってくる気配がなかったからだ。


 俯いたままの彼は、青い髪が重なって、瞳が見えなかった。グレンはそのまま、ただ口だけを動かした。


「誰も失いたくない。誰かが目の前で死ぬのは、もう見たくないんだ」


 喉奥から引っ張り出したような声で、そう言われた。言われた瞬間、俺の高ぶっていた感情が、すっと落ち着くような気がした。


「グレンさん。それって……」


 セレナも察している。彼に起こった過去の出来事。大事な仲間に庇われて、目の前で命を落とすのを見てしまったことを、俺たちは思い出している。


「あの魔物は危険すぎる。ハヤマとセレナが相手できるものじゃない。だから、ここは大人しく引いてくれないか?」


 左腕を抑えたまま、やっと顔を上げたかと思うと、グレンの情けない表情を向けられた。


 その弱々しい子猫のような目を、俺はじっと見返し続ける。


「グレンさん。私は――」と切り出そうとするセレナ。その声を、俺は重苦しい声でかき消した。


「お前の信頼してるものはなんだ?」


 グレンの目がわずかに見開かれる。セレナも言葉を止めて、俺を見てくる。


「仲間や俺たちが死ななければいいと思ってるなら、それはただの傲慢だグレン」


「傲慢……」


 彼に認めさせてやろうと、俺は思っていた。いつも優しく仲間思いでありながら、お前自身も分かっていない自分を、俺の言葉で目覚めさせてやる。


「ああそうだ、傲慢だ。守りたいとか失いたくないとか、人のためにそう考えられるのはお前の凄いところだ。尊敬だってできる。でもな、お前がそう思っていても、他の奴らがそれを求めていなかったら、それはただの思い込みでしかないんだよ」


「思い込みだとしても、俺はそうしたいんだ」


「失いたくなかったら、お前は自分自身がどうなってもいいって言うのか?」


 グレンがハッとする。やっと俺と目を合わせてくれたように見えて、俺は包み隠さず怒りをぶつける。


「みんながお前のことを英雄って言うんだったら、誰がはっきり言ってやる。お前は傲慢だ、臆病だ、そして雑魚だ!」


「ハヤマさん!?」


 セレナが驚愕していたが、構わず俺は思いを全速力で投げつける。


「分かるか? お前は弱いんだよ! お前一人だけだったら、赤目の俺で充分倒せるくらいに弱いんだ!」


 グレンはキョトンとしたまま、何も言い返してこない。まるで、まさか自分がそんなことを言われるとは思っていなかったかのように呆然としている。


「お前には所詮、誰一人として人を守れない! お前一人だけじゃ、何も成し得ないんだよ!」


「俺、一人じゃ……」


「そうだ。お前一人じゃ、所詮俺以下だ! 頼れるもん頼らねえと、所詮は――」


 大声を出した瞬間、ぐっと心臓が痛む感じがした。セレナが心配して支えてくれるが、俺はその痛みをこらえてまで彼に訴える。


「思い出せ。よく考えろ。お前の持っているものを。俺にはなくて、お前にだけが持った強さを! 冷静になって振り返れば、助けになる仲間がいるだろ!」


「仲間……」


「ロナが言ってたぞ。リーダーとして責任を感じるお前を、みんなが心配してるって。そして、自分は盾役として、もう仲間を一人たりとも死なせないって」


「ロナが?」


 そこに、ロナから直接その話しを聞いていたセレナも口を挟んだ。


「悲しむのは私たちもですよ。たとえあの魔物を倒せても、グレンさんが死んでしまったら意味がないんです。たった一人無茶をして手にした勝利じゃ、意味がないんです!」


 俺は鉛が詰まったように重い腕を伸ばし、勢いのままグレンの右肩に触れる。


「自分が犠牲になって平和になる世界。それは自分から見たら、素敵な世界に見えるかもしれない。でもそれは、世界を見渡すあまり、隣で悲しむ人を見失っているだけなんだよ。世界の英雄様が、俺と同じ過ちを犯そうとするんじゃねえよ」


 俺はつい、悔しい思いを募らせていた。そして、そこで初めて、あの時のセレナはこんな気持ちだったんだと理解する。


「……君は凄いね。人を見る目には自信があったけど、こんなに凄い人は初めて見たかもしれない」


 グレンはまた俯いたまま、口だけを動かしていた。


「俺は凄くねえよ。元いた世界で塞ぎこんで、ここに来てからも、色々間違いを犯してきた。英雄という成功を収めたお前と違って、失敗だらけの人生をかろうじて生きてるだけだ」


「でも、その先で君は生きる意味を見つけた。だからこそ今、君は力を持ってここにいる」


「力なら、お前の方が持ってる。俺には到底手にできない、唯一の力が」


 俺は、はっきりそう言い切った。彼の強みは個人にあらず。そう伝わってくれと、願っていた。


 ふと、グレンが肩に置いていた俺の手に触れて、それを降ろそうとした。肩を外れた俺の手がだらんと落ちる。


「ちょっと、冷静になれた気がする。自分でもらしくないこと、やってたなって」


 そう言うと、彼は顔を上げた。


 そこには、俺たちが初めて出会った時のような、あの爽やかイケメンの顔があった。誰もが嫉妬してしまいそうなほどの顔立ちの男が、この場に帰ってきてくれた。


「ありがとうハヤマ。セレナも。俺、何かを見失うところだった。失いたくないって考え過ぎて、肝心なことを忘れかけてた。俺にとってみんなは仲間で、みんなにとっても、俺は仲間なんだよな」


「グレン!」


 つい名前を呼ぶと、彼はこくりとうなずいてくれた。


 その時、エンヴリムイフリートの咆哮がうるさく響き渡った。そっちについみんなの目が動くと、下で戦い続けているロナたちが視界に映る。グレンはすぐ、セレナに向き合った。


「治療ならレイシーに頼む。俺を、仲間のところに戻してくれ」


「でも、あそこじゃ満足に回復はできないんじゃ……」


「レイシーの魔力を甘く見たら困るよ。彼女なら充分にやってくれる。それと、君たちはやっぱり来たら駄目だよ」


「え? どうしてですか?」


 グレンが俺を見てくる。


「ハヤマはさすがにボロボロすぎる。彼こそ、俺より先に回復させてあげるべきだ」


 俺はギクリとしてしまう。確かに全身ボロボロで、返す言葉がない。たとえ赤目に入れ替わったところで、すぐに限界が訪れるのも目に見えている。


「セレナは彼の傍にいるんだ。彼は俺より強いらしいから、目を離したらどっかで無理するかもしれない」


「それは、確かに」


 納得するのかよ、と俺は内心思う。グレンは、いきなり真剣な眼差しを見せてきた。


「俺たちなら倒せる。信じてくれ、二人とも」


 俺はしばらくその目を見続ける。嘘を見抜けるこの目で、グレンの目の動きや表情の細部まで、一つの見落としのないよう凝視する。そうして俺は、一つの決意を見抜いた。


「そんな目で言われたら、しょうがないな」


「絶対に、死なないでくださいよ」


 そう言いながら、セレナが転移魔法を発動しようとする。グレンの足元だけに、魔法陣が光り輝く。グレンはふいに、親指を立ててサムズアップをしてみせた。その姿のまま、魔法陣の光に消えてなくなろうとする。


「見届けてくれ。英雄が、また伝説を作るところを」


 やがて、魔法陣は消えてその言葉だけが残された。エンヴリムイフリートの手前で、同じ魔法陣が浮かび上がるのを見て、俺はつい一言こぼす。


「ああいう存在だから、英雄なんだろうな」


「どういうことですか?」


「あいつ、きっと俺と同じくらいボロボロだった。だけど――」


 電池が切れてしまったかのように、俺は脚から力が抜けた。膝をついた俺に、セレナが名前を呼んで気にかけてくると、俺はグレンを見つけながらこう続けた。


「あいつはまだ、立っていられるんだ。さすが、英雄だよ」

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