18‐10 きっかけが訪れますよ
アルトやソルスたちが魔法で岩を打ち返すその裏で、何者かが風を切って走り抜けていった。二足の犬の足で全速力に走る人型の魔物、モモタロウだ。上半身はサル、下半身は犬、背中と口には鳥の翼とくちばしがついた奇妙な魔物が、分厚い拳を作ってラッツに殴りかかろうとする。
「うわあっ!」
思わず身をすくませるラッツ。その裏からネズミのジミが飛び出てくると、モモタロウのパンチがジミの頬を強くぶった。その一発で怒りが有頂天になったのか、ジミは一瞬で険しい目つきに変わり、爪をとがらせて猿の上半身を思い切り引っ掻いた。
三つの傷口から緑の液体が飛び散る。背丈的には、意外に小さいモモタロウがジミに見下ろされている光景であった。だが、モモタロウは屈することなく反撃に転じ、手を開いて爪で引っ掻き返すと、ジミからも同じ液体が毛の間から流れる出た。後ろでラッツが「ジミ!」と心配して叫んだが、それに耳を貸さずにジミが反撃しようとして、モモタロウの突き出した手とジミの手が押し合うようにぶつかった。
まるで相撲で押し合うかのように、二体は顔を突き合わせて力を振り絞る。次第に押し出し始めたのはモモタロウだった。一歩、二歩と足を踏み出していき、ジミが押されていくとラッツが後ずさりしながら慌てた。
「む、無理したら駄目だジミ! 一回離れよう!」
その時、横から一人走り込んできた。手につけた籠手を思い切り振りかぶっていったのはグラだ。
「っらあ!」
尖った刃がついた籠手のパンチが、モモタロウの屈強な腹筋に当たる。だが、固い筋肉にそれが阻まれると、食い込んでいた刃が体からだんだん浮き出てきた。
「くっ! この拳が、届かないのかよ!」
モモタロウがジミを真向から押し返し、グラの突き出した腕をがっしり握る。そして、そのまま頭上に持ち上げると、片手一本で円を描くように振り回し始めた。
ヘリコプターのプロペラのように豪快に回し続けるモモタロウ。押し返したジミがまた走ってくるのを見て、そこめがけてグラを投げ飛ばす。
「――危ないジミ!」
吹き飛んでくるグラを見て、ジミを庇おうとラッツが前に飛び出す。その瞬間、遠くで手を伸ばし、「スロウ!」と唱える者がいた。
時間魔法がグラにかかり、吹っ飛ぶ速度が極端に遅くなる。川を流れる葉っぱのような速さで、彼の体を着地させようとするキョウヤ。やがてラッツの前で完全に止まると、キョウヤはすっと手を閉じて魔法を解き、グラも無事に着地した。
「ふう……」とグラは小さく息を吐く。再び迫ろうとしていたモモタロウの元に、キョウヤの背後からアミナが走り込んでいく。
「はあっ!」
腕を交差させて構えた二刀で、モモタロウの体を一気に切り抜けようと最後の一蹴りに力を込めた。そして、その剣が体を切ろうとした瞬間、モモタロウの両手が二本の刀の刃をガッチリ掴んで止めた。
「そんな!?」
強い力にビクともしない刀。不意にモモタロウが頭を上げると、口についていた鳥のくちばしを振り下ろそうとした。アミナはとっさに手を離し、そこから離れていくと、くちばしは地面に深く突き刺さった。
体を上げたモモタロウが、握っていた二刀の剣をその場に放り捨てる。くちばしを若干開き、犬のような尖った歯で歯ぎしりしながら、モモタロウはアミナに向かって本物の犬のようなうなり声をあげ威嚇する。それを見てアミナは顔を青くした。
「なんなのよこいつ……見た目も不気味すぎるし、見てるだけで最悪な気分だわ」
丁度隣にいたグラがそれに返事をする。
「俺も同感だ。さっさと倒そう、あんな奴」
おもむろにグラが走り出すと、同時にモモタロウの裏からチャルスも走ってきた。「っしゃあ!」と意気込みながら、片手のトンファーを突き出していく。
一瞬で振り返ったモモタロウが、鬼のような目でチャルスを睨む。二人を相手できるよう体を横にし、グラとチャルスがそれぞれ殴りかかろうとするのに手を伸ばす。
「「おらああ!!」」
トスッと、控えめな衝撃音が鳴った。二人の攻撃がそれぞれ片手で受け止められていて、二人は
「なに!?」「うそだ!?」と慌てふためいた。
けれど立て続けに、モモタロウの頭上に一つの大きな影が迫っていた。顔を上げたモモタロウの目に映ったのは、人を潰せるほどデカいハンマーを振り下ろそうとするリュリュだった。
「やっちゃうぞ~!」
空中からのんびりした口調で彼女は殺意を表す。モモタロウはすぐに握っていた手を乱暴に交差させて二人を地面に転がすと、両腕を上げてリュリュの重たいハンマーを腕力で受け止めた。
「うっそ?!」
モモタロウの腕に太い血管が浮き上がる。こらえ続け、ハンマーを投げ返そうとするその瞬間、また新たにモモタロウの元に誰かが駆け寄っていくと、それはヤカトルだった。俊足に足下を走り抜け、落ちていたアミナの二刀を拾い上げながら、「そら!」と撃剣をモモタロウめがけて投げつける。彼の手元から伸びた糸の先の刃が、サルの脇腹に突き刺さる。
「やっぱり、脇腹の肉は柔らかいってな」
腹筋ほど筋肉が集まっていないそこから、緑色の血がにじみ出てくる。それでもモモタロウの表情を変わらないと、ハンマーごとリュリュを乱雑に放り投げ、その剣を抜き取って地面に叩きつけるように捨てた。カーンと鉄の甲高い音が鳴って、ヤカトルは糸を引いて撃剣を回収する。が、すぐ目の前にモモタロウが走り寄ってきていた。
「おっと――!」
地面をえぐるほどのパンチに、かろうじて身を翻して避けていたヤカトル。その横をアミナが駆け寄っていると、彼の手に持っていた刀を奪うように取り、同時に攻めようと走っていたグラとチャルスと一緒に、三人で攻撃を仕掛けた。囲まれたモモタロウは、慌てる素振りを見せず、犬の脚力でその場に高く跳び上がった。
三人が一斉に顔を上げる。頭上でモモタロウが最高点に達していると、そこで背中の羽を一回羽ばたかせ、勢いをつけて両腕で地面を叩きつけた。固い地面がいとも簡単にえぐれ、強い風圧を起こした衝撃波で、三人の体が大きく吹き飛んでいく。
「ぐお!?」「きゃっ!?」「ぬあ!?」
三人がそれぞれの方向に吹き飛ぶ。チャルスは吹っ飛ぶ先にいたジミの体がクッションとなり、反対側に吹き飛んだグラは、とっさにハンマーを地面に立てたリュリュ、空いた片手のみで強引に勢いを殺した。そしてアミナのことは、キョウヤが時間魔法を使って速度を落とし、両足で着地させる。
むくっとその場に立ちあがるモモタロウ。人並みの体でありながら、おぞましく放つその存在感に、キョウヤが苦言を呈す。
「これだけ攻め立てても未だ軽傷とは。やはり、災厄の日に現れた魔物と、同レベルということですか」
アミナも曇った表情を浮かべ、同時に奥で暴れているエンヴリムイフリートが彼女の目に映った。
「目の前の敵でさえもきついのに、まだあんなのも残ってる。私たちでどうにかできるのかしら?」
エンヴリムイフリートが火を吹き、辺りの者を一掃する光景が広がる。それに加え、各所で暴れる四天王と、数が減っているようにみえない大量の魔物の軍勢。思わずヤカトルが、乾いた笑い声を出す。
「ハハ……こういうのを絶望って言うんだろうな。まるで勝てる兆しが見えない」
「絶望するのはまだ早いですよ」
二人の顔がキョウヤに向く。そこには、強くきっぱりとした眼差しをしたような、自信に満ちた表情があった。
「この先の未来なら、私たちできっと変えられます。私たちは過去にも、過酷な未来に立ち向かい、劣勢を覆してみせました」
「でも」とヤカトルがすぐに反論する。
「今回の状況は、さすがに無理じゃないですか、女王さん。何か手立てがあるなら、別なんでしょうけど」
キョウヤは彼を一瞥し、コクリと一度頷いた。
「きっかけが訪れますよ。この状況を変えられるきっかけが。それも、何よりも頼りになる、この世界の英雄さんが必ず――」
逃げ惑う何百の兵士たち。地面の魔法陣とかけ離れたその地に降りた白銀の竜は、その彼らに睨みを利かせては、まるで自分の力に満足するかのように眺めまわす。
そんな魔物の前に、五人は進んでいく。兵士たちと逆の方向に歩いていき、意識を集中させるようにゆっくりと、なおかつ覚悟を決めるようにしっかりと歩を進めていく。
「これがキョウヤ様が未来予知で見た、破滅の根源か」
そして、アストラル旅団のグレンたちは今、エンヴリムイフリートの真正面で立ち止まった。
グレンが腰の剣を引き抜く。それに続くようにベルガが両手斧を、レイシーが「本当に現れるなんて」と呟いてる中、ロナも仲間の先頭に立つ。
「作戦通りいきましょう。戦ってくれてるみんなに被害が及ばないよう、私たちであの魔物の注意を集める」
フォードも魔導書を開き出す。
「注意を集めるなんて生ぬるい。俺の魔法で、息の根まで止めてやるさ」
エンヴリムイフリートの右腕が持ち上がる。青白い爪が光り出し、中で電気が走っているかのように力が溜まる。それに対し、ロナは一人前に飛び出していき、みんなから離れたところで、腕に通していた大盾を抱え上げ、地面に突き刺さる勢いで構えた。
「燕頷虎頭!」
同時に振りかかってくるエンヴリムイフリートの爪。山が直接迫ってくるかのような攻撃が、ロナの構えた盾に轟音と共に火花を散らす。
「――つっ!」
じりじりと押されていくロナ。背後でレイシーが茶色の魔法陣を浮かばせ、ロナの足裏に土が足止めになるようせり上がり続ける。勢いは弱まっても、完全停止とまではいかなかったが、そこでフォードが赤い魔法陣を作り出し、とぐろを巻いたような炎を発射した。その前をグレンとベルガが走り込み、ベルガの腕を足場にして、「飛べえ!」とベルガがグレンを空へと投げた。エンヴリムイフリートの頭めがけて飛びながら、グレンが剣を構える。
「合技――」
一直線に向かう途中、フォードの炎魔法が追いつき、グレンが腕を回して剣に炎を纏わせる。そして、
「フレイムムーン!」
車輪を描くような一回転が、エンヴリムイフリートの頬に決まる。固い鱗を切り裂き、傷が出来た瞬間に、追加で炎が爆発するように起こった。エンヴリムイフリートはたまらず頭を揺らし、突き出していた腕からも力が抜けると、一歩だけ後ずさりしたのだった。
「よっしゃ! 連携が決まった!」と叫ぶベルガ。ロナも大盾がまだ使えそうな状態なのを見て、口を開く。
「私が前に出てレイシーに助けてもらって、ベルガがグレンを投げて傷を開き、フォードの魔法で傷口にダメージを負わせる。上手くいったわね」
フォードが自慢げに眼鏡を一本指で上げる。
「フン。案外いけそうだ。あの魔王並みの存在感でも、私たちには敵わないということか」
着地したグレンが顔を上げ、爆発から起こった煙を払うエンヴリムイフリートを見る。そうしてすぐに目つきが変わったのに気づき、彼は叫んだ。
「油断するな! ロナがあれだけ押された攻撃だ。まともに食らえば、レイシーの魔法でも間に合わないぞ!」
「勝手なこと言わないで! 間に合わせるんだから!」
レイシーが言い返したのも束の間、五人は再びエンヴリムイフリートに立ち向かっていく。注意を引くために立ち向かったはずの彼らが、反撃ののろしを上げようとせんばかりに、果敢に武器を振りかざしていく。