18‐7 新魔物四天王
またいきなり、ウィンクルムゲートの魔法陣が光り出した。遅れて誰かがやってきたのかと思って目を向けたが、そこに現れたのは人ではなく、一本の杖だった。
古く使い古されたようなこげ茶色、枯れ木のような杖。その杖の頂点に黄色い魔力石がついていると、私はそれに見覚えがあった。
「これは……まさか、デリンさんの?」
手を伸ばし、指先でその杖に触れてみる。するとその瞬間、杖に秘められた魔力の迫力に、私の髪の毛が風に舞い上がるようにぶわっと跳ね上がった。
あまりの魔力の量に気押され、私はしばらく呆然としてしまう。これだけの量、このアトロブに百や千を超えて咲いている花より、きっとそれよりも大きい。
次第に我に返ってきて、ゆっくりと杖に目を下ろし、私は死神の山で出会った、デリンさんのある一言を思い出す。
『普段はこの杖に魔力を隠している。私の魔力の本領は、この中ということだ』
触れた感覚で、私は直感した。きっとデリンさんは、使うことのなかった魔力をこの杖の中に溜め込んでたんだ。それも、禁忌級魔法によって手に入れた命の分だけ。あそこに鎮座し続けている間、ずっとこの中に魔力を入れ続けていたんだ。そうじゃなかったら、こんなものは普通作れない。
杖を、手に取る。両手に握った瞬間、今度はブレスレットから出ていた霊気が、遠くに開かれている魔物を生み出している、銀色の特大魔法陣に向かって伸びていった。しかも、その魔法陣の先、まるで地中の中を掘り進んでいくかのように霊気は進み続ける。
進んで進んで、進み続けて。禍々しい気配に足を取られないように、一直線に突き進んでいって。
そして、ようやく見つける。私が一番馴染みのある、彼にそっくりの霊気を。
「もしかして、ハヤマさんはあの中に?」
「見つけたのか? セレナちゃん?」
私の呟きにヴァルナ―さんが目を見開いてくる。
「確信はありませんけど、でも確かに今、余っていた霊気があの魔法陣の先に伸びていったのを感じました。この杖の持つ大きな魔力で、霊気の跡が鮮明に映し出されたのかもしれません」
「まさか、魔力石の効果を強めたっていうのか、この杖が」
私は持っていた杖を前に突き出し、魔法を発動するよう目を瞑ろうとした。急がないと、と、今はただそれだけ思っていた。
しかし、私が意図していない灰色の魔法陣が前に浮かび上がった。私の集中が乱され、目の前を凝視する。
魔方を使って転移してくる人。光の柱からゆらっと現れたのは、やはりあの人だった。彼は私を見るなり苦笑しだす。
「ッフ。まさか君が生き返っているとは。いやあ、私としたことが、あの皇帝にまんまとはめられたよ」
一気に背筋が凍ってしまう。私が一度、殺された相手。油断も隙もない極悪人が、また私を殺しにやってきた。
「貴様、何しに来た!」
ヴァルナ―さんがすぐに剣を引き抜く。アマラユさんは両腕を広げ、予め用意しておいたような口ぶりで喋り出す。
「もちろん、君たちを倒すためだ。さっきまでログデリーズの城で皇帝と戦っていたつもりだったが、私としたことが、闇魔法の幻惑で本人だと勘違いしていた。使ってくる魔法すら本物のように映し出す。あれほど完成度の高い幻は初めてだったよ」
「アマラユ。貴様の好きにはさせないぞ。また彼女に手を出すつもりなら、このログデリーズ帝国新皇帝が相手になる」
「新皇帝? そうか。君のような男に託したわけか。フフ、笑わせてくれる」
最後に一言にヴァルナ―さんは眉間に皺を寄せたが、アマラユさんは構わず背後に目を向けた。魔物の軍勢と、私が召喚した皆さんが今にもぶつかろうとしている。丁度その時、新たに灰色の魔法陣が遠くに浮かび上がって、そこからログデリーズ帝国の兵士たちが、続々と加勢していった。
「サウレアさんの増援!」と私は声を出す。アマラユさんの表情は揺れ動かない。
「そうそうたる強者たちに、ログデリーズの兵たちか。帝国の兵力は百万を超えるらしいが、なんとも予想外の展開だ。私の計画がここまでずれてしまうとは」
そう口にしながらも、焦りを顔に見せないアマラユさんに私はおもむろに聞いた。
「どうしてそんな余裕そうなんですか? 皆さんが千万の軍勢に負けるとでも?」
アマラユさんが横目で私を見てから、真っすぐに顔を向けてくる。
「そうだな。千万いおうが魔物は所詮魔物。彼らがこの世界の奴らに勝てないのは、私自身が重々分かっている。これから数はまだ増やせるとは言え、帝国の援軍が訪れた以上、数で押し切るのは難しいかもしれない」
「だったら、ここで降伏したらどうですか? 結果が見えているなら、無益な争いになるだけですよ!」
「結果が見えている? 果たして、君は一体何を見ているのかな?」
アマラユさんが不穏な空気を残した次の瞬間、奥の魔法陣が今までにない眩しさを放った。何事かと私とヴァルナ―さん、そして、そこで戦っていた皆さんも目を向けると、銀色の魔法陣から、明らかに雰囲気の違う四体の魔物が姿を現した。
一体は巨大な亀と、その甲羅に尻尾を埋め込め、まるで寄生するように首を生やした巨大な蛇。亀だけでも人の背丈が届かなさそうなほど大きく、蛇が頭を上げれば城を見上げるようなもの。
一体は大きな鷹のような生き物で、翼を広げたら二十メートルはあるほど巨大な鳥。鋭利なかぎ爪が光っている。
一体はエンペラーウルフに近い姿をしている。毛色は銀色に近い白で、首には黒くがっちりとした鎖の首輪がつけられた狼。
一体は人の体を形作りながら、上半身はサル、下半身は犬、背中には鳥の翼、そして、人間の顔にくちばしがついている異形の魔物。
どれも威厳を放つ足取りで魔法陣から進み出てくると、私たちに十分すぎるほど強い威圧感を与えてきた。誰もがその四体に警戒心を向ける中、唯一悦に浸っていたのはアマラユさんだった。
「我らが四天王はご存じだろうか? かつて英雄に打ち取られた彼らだったが、今現れたのはその彼らに匹敵するほどの魔物。私が作り直した、新たな魔物四天王だ」
突如として現れた新の魔物四天王。彼らはそれぞれ、眼下の兵たちを睨みつける。
亀と蛇の魔物がその大きな足をゆっくりと持ち上げていく。その下にいたラフィット王子が頭を上げる。
「これは……さすがに死んじゃうかも!」
迫る隕石から逃げ出すように、慌てて身を翻して下がっていく。周りにいた十数人の帝国の兵士たちもそうしていると、大きく鳴り響いた地響きと共に、なんとか逃げきれた彼らの体がトランポリンのように宙に浮かされる。
「っと!? ……危なかった」
「――ゲンブ。亀の魔物トータスに蛇の魔物サーペントが寄生した魔物。悪知恵の働く蛇と、鈍感ながら頑固な亀だが、魔物化に使った液体を使用した結果、中々悪くない力を手に入れた」
ゲンブと呼ばれた魔物の上空から、一匹の巨大な鳥が空に飛び上がる。大人のゾウを掴めてしまいそうなほど大きなかぎ爪を持ったその鳥は、腹から口にかけて何かが喉を伝っていくと、口から特大な岩を地面に吐き出した。
帝国の兵士がその下敷きになると、その怪鳥は次々に岩を吐き出していった。更なる兵や味方であるはずの魔物たちでさえも、無差別に岩の下敷きになる。その様子を近くで眺めていたソルスとエングが警戒体勢を取る。
「エング先生! なにやらとっても危険な魔物が!」
「見れば分かる! 気を引き締めろ!」
「――ロック鳥。魔界の奥地でひっそりと生き延びていた怪鳥。魔物化エキスは、ただデカかっただけのあの魔物に、岩を体内で生み出す力を与えた」
ロック鳥がいるのと逆の方向では、首輪をつけたエンペラーウルフが、天に向けて遠吠えをしていた。すると、鎖の首輪は灰色だったその色は赤色に代わり、遠吠えをする口元にも赤い魔法陣が現れた。それを目にしたラグルスが驚きの表情を見せる。
「魔法陣!? まさかあいつ――!」
そう言ったのも束の間、ウルフの口の先からは火山が噴火するように炎が飛び散り出す。
「チッ! なんだって魔物が魔法なんざ!」
「――エーテルフェンリル。魔界の地下深く。数千メートルもの奈落の底に突き落とされてもなお、数日間生き延びてみせた魔物。試しに魔力がなくとも魔法が使える首輪、エーテルリングを与えた結果、魔物でありながらその使い方を習得した」
遠吠えをするごとに魔法の勢いが増すエーテルフェンリル。その魔物の前を突っ走り、その先にいたグレンに向けて拳を突き出したのは、人の体に猿や鳥、犬が混ざったキメラの魔物だった。
「っぐ! この威力は! っぬあ!?」
盾で防いでいたグレンが、その体を大きく突き飛ばされていく。なおも魔物がその場で暴れだすと、周辺にいたアストラル旅団のメンバー全員がグレンの元まで飛び退いていった。
「――モモタロウ。ある童話の主人公が魔物になった姿。どうしてこうなったのか、経緯は正直言って謎。まあ、異世界の君たちには分からないだろうから、神の気まぐれで生まれた魔物だと思えばいいか」
暴れまわり、辺りの兵士をなぎ倒していくモモタロウ。そこに急いで戻ろうと、グレンが走り出そうとする。
「こいつら、間違いない。魔物四天王。まさか新しく作られていたとは」
「お待ちください」
そう止めたのはキョウヤだった。足を止めたグレンに近づき、息を整えながら話しかけようとする。
その間にも、辺り一帯は本物の戦場と化していく。新たに現れた魔物四天王に立ち向かう皆さん。その光景を眺めていては、私とヴァルナ―さんは、同じように背を向けて眺めているアマラユさんに注意を払っていた。
「新魔物四天王により、戦況は大きく変わる。あのアストラル旅団であっても、四体同時ともなれば手が足りないだろう」
「あそこで戦っているのは、アストラル旅団の人だけじゃありません! 私の知る限り、最高の力を持つ人が揃ってるんです。そんな皆さんが、四天王に負けるはずありません!」
「そうか。まあ、四天王だけでは力不足かもしれない。だが……」
ゆっくり振り返ってくるアマラユさん。その顔は、不適な笑みに染まっていた。
「ここに新たな魔王がいることを、忘れてはいけない!」
唐突に突き出した右手から、黒色の魔法陣と共に煙の剣を飛ばしてくる。それにヴァルナ―さんが反応していると、抜いていた剣をそれにぶつけ、鈍い金属音と共にその煙を消し払った。
「セレナちゃん! 早くあいつを呼べ! コイツは俺が相手する!」
「なら私も――!」と口答えしたが、ヴァルナ―さんに「あいつを呼ぶんだ!」と叫び返される。
「魔法陣の向こうから感じたのはあいつ本人なら、あいつは魔物が溢れ出てくる場所のそのど真ん中にいるはずだ。あいつの力は頼りになる。急がないと、大事な人を失うぞ!」
そう言われて、私もハッとする。そうだ。向こうの世界から魔物たちが転移してきてるってことは、その中にハヤマさんもいるはず。
杖を握っている両手に力が入る。すぐに杖を掲げるように持ち上げて、どこかへ伸びていた霊気をたどって、魔力が届くよう集中しようとする。
光の糸のような魔力が彼の霊気を辿って伸びていって、アトロブの地を駆け巡って魔法陣の中に入ろうとする。だけど、その先に糸が通らない。彼の場所まで、まるで厚い壁が張ってあるかのように魔力が届かない。
「やっぱり、転世魔法じゃないと! でも、どうすれば……」
「私が二度も転移を許すとでも!」
抵抗を見せるアマラユさんが、自分の背後に魔方陣を発動していた。「其は汝が為の家僮なり」と唱え、地面に湧いた黒い靄の中から、巨大骸骨がその頭骨を見せ始める。
「朽ちた魂を我に捧げよ。死属性最上級、デスペラートゼロ!」
眼光のない骸骨の瞳が、私たちを見下ろしてくる。ヴァルナ―さんはそれを睨み返しながら、手に浮かべた茶色の魔法陣を握り潰した。彼の斜め後ろの地面が揺れ動いて、大きな土の腕が生成される。
「新皇帝ヴァルナ―。そして、この不利な状況を生み出した元凶。貴様らさえ倒せば、私の勝ちは揺るがなくなる!」
「セレナちゃん。俺は絶対に奴の攻撃を受け止めきる。だから、君は冷静に、魔法に集中し続けるんだ。ここにあいつが来てくれれば、俺たちの形成は逆転する!」
冷静になって考えれば、私の魔法は成功できる? 分からない。全然分からない。
だけど、私がやるしかない。
今はひたすら、この魔力を届けて、私の前に彼を召喚してあげないと。
その方法を、絶対に見つけるんだ!
「お前に勝ちは渡さない! このプルーグは、絶対に守り切る!」
「散れ者が! 失せるがいい!」
私は目を瞑った。魔力を届かせるその手段を、何としてでも探るために。
真っ暗な視界の中、ヴァルナ―さんの雄たけびが聞こえてきて、そのすぐ後に、二つの拳が、大きい建物が崩れ落ちたかのような音を鳴らし、体が吹き飛びそうなほどの風圧に襲われた。