18‐5 ウィンクルムゲート!!
「……。……ん。……ナちゃん」
遠くから声が聞こえてくる。
「……ナちゃん! セレナちゃん!」
私を呼んでいる声。久しく耳にした男性の声だと気づくと、私は重たい瞼をゆっくりと開けていった。
突然の光に驚き、一瞬だけ瞼を戻す。それでもなんとか光に目が慣れていくと、私は灰色の曇り空が映った。そして、金髪でいつも言動が軽いはずのヴァルナ―さんが、目の前で心配そうな顔をしているのがはっきり見えた。
「ヴァルナーさん?」
「気がついたか?」
「はい。……ちょっとまだ、頭がぼうっとしてますけど」
なんだか夢を見ていた気がする。けど、どんな夢だったかはっきり思い出せない。何か、温かいものに触れたような感触だけが、私の手に残っている。
「私は、一体……」
こり固まっていた体を動かしていき、ゆっくりヴァルナ―さんの腕から起き上がろうとする。すると、足が地面につくよりも先に、私の足下で、皇帝のカナタさんが目を閉じて倒れているのを見つけた。
「あれ? 皇帝様!? どうしちゃったんですか!」
あまりの出来事に目が飛び出そうなくらい驚いてしまった。ヴァルナ―さんは神妙な面持ちでいると、起き上がりかけた私の体をお姫様抱っこし、つま先からつくように立たせてくれる。ヴァルナ―さんの手を取りながら両足でしっかり立ってみせると、ヴァルナ―さんは事情を説明してくれた。
「セレナちゃん。禁忌級聖属性魔法は知ってるか?」
「それって、死んだ人を生き返らせる魔法ですよね?」
「その魔法を、カナタは君に使ったんだ」
「ええ! 自分の命を犠牲にするのに、どうして私なんかを!」
衝撃の事実に私がうろたえると、ヴァルナ―さんは私の両肩に手を置いてきた。彼の手に力が入って、固く肩が握られる。
「セレナちゃん。君に頼みたいことがある。君にしかできないことなんだ」
とても強く、真剣な眼差しでヴァルナ―さんが言ってくる。私はその迫力に少しドキドキしてしまうと、小さな声で「な、なんでしょう」と口にした。すると、ヴァルナ―さんは私から目をそらし、横を見るよう促した。つられて私もそっちを見てみると、そこには、砂漠の砂のように溢れているような、視界一杯に魔物が行進している光景が広がっていた。
災厄の日。いや、それ以上の数。それはまさしく、絶望が形を持って歩いてきているようだった。
「な、なんですかこれ!? どうしてこんなに魔物たちが!」
「また増えてやがる。目視だけでも千万はいるな」
「千万!? そんなの絶望的じゃないですか!」
聞いたこともない数字に、私は何も考えられなくなる。ヴァルナ―さんが私の肩から手を離すと、少しだけ後ろに下がって距離を取り、真っすぐ向き合ったまま右手を胸に当てた。
「セレナちゃん。いやセレナ殿」
改まった言い方に、不意に体が硬直する。ヴァルナ―さんは強い覚悟を宿した声でこう話してくる。
「ログデリーズ帝国新皇帝が命じる。あなたの力、このプルーグを救うために使ってくれ」
「……え? ええ!?」
時間差で言葉の意味を理解した。したと同時に、私はこれまた驚愕の事実を知らされていた。
「ど、どどどどういうことですかヴァルナ―さん! 新皇帝って何ですか!? いやそれより、私の力でこのプルーグを救うって、そんなこと……」
焦ってうろたえる私に、ヴァルナ―さんは冷静な口ぶりで話してくる。
「カナタから予め言われてたことだ。もしも自分の身に何かあったら、その時は君に国を預けるよと」
「そ、そうだったんですか」
「これからは、カナタなしで帝国を。いや、プルーグを守っていかなければならない」
一度言葉を区切り、ヴァルナ―さんは私の左手首のブレスレットに指を差してくる。
「そのラブラドライトのブレスレット。その魔力石を使えば、君は特別な魔法を使うことができる」
「この魔力石で?」
魔力石に目を向ける。普段は銀色に光っていて、見る角度によって色合いが黄色や青、ピンク色になったりする不思議な石。
「その石に込められた言葉を知っているか?」
「言葉……」
呟きながら、私はカナタさんに教えてもらった言葉を思い出す。
「……再会」
「そう。その石言葉は再会で、その魔力石自体にその効果がある」
「私の魔力を向上してくれる以外の効果、ですか?」
「そうだ。人にはそれぞれ霊気が溢れている。それは普段目に見えるものではないし、俺たちにも感じられないものだ。だけどその魔力石には、霊気を自然に集める特性がある。集まる霊気は関わりが長い人ほど強く残り続けて、その霊気に引き寄せられることで人と再会すると言われているんだ」
「魔力石に残った霊気で、人と再会できる……」
もう一度魔力石を眺めてみる。手首を右に左に傾けるだけで青や紫に色を変わっていく石。色とりどりに変色するこの中に、霊気が集まっている。
「セレナちゃん。君なら、俺たちには感じられない霊気を感じられるはずだ」
「私が?」
「君自身の魔力を使えば、その魔力石の霊気に触れることできる。そうすることで、どこに誰がいるのかを感じ取れるらしい。カナタがそう説明してくれたんだが、どうにかできないか?」
ヴァルナ―さんに誠実な目を向けられて、私は考えるよりも先に行動に移った。
目を瞑って集中してみる。体内の魔力に問いかけ、腕の魔力石に込められた霊気に触れようとしてみる。
目に見えずとも、私の魔力は糸のように伸びていく。糸の先が石に触れ、固い殻に覆われたような感覚に少し手こずりながらも、極細の縫い目を探るように触れ続けていき、なんとか石の中へ魔力を通す。
瞬間、私の胸の中が、一気に懐かしい気持ちで溢れた。昔着ていた子ども服に袖を通したような、その頃の記憶と情景が、次々と蘇ってくる感覚。
「――感じます。人の温もりというか、石の中に誰かいるような気配が強く」
「本当か!」
確かに感じられる。旅を始めた頃から今の今までで出会ってきた人々の居場所が。顔は直接見えなくても、霊気の感覚からその人が誰なのかが分かる。
「はい。魔力を集中的に伸ばせば、その人の今いる場所も分かるかも……」
「なら、その霊気をたどってみんなの居場所を見つけてくれ。後はそこに転移の魔法を発動するんだ」
自信満々な表情でそう促されたが、私は最後の説明に対し、顔を曇らせてしまう。
「でも、私の魔力じゃ、転移魔法を遠くの場所に発動するなんてとてもできません。たとえみんなを見つけられても、それ以上は……」
それ以上は、きっと無理です。そう口にしようとした時だった。
「魔力なら十分あるじゃないか」
「え?」と、腑抜けたような声が出てしまう。けれど、次にヴァルナ―さんが目を向け、瞳孔に移った花畑の景色で、私はすべてを察した。
「居場所を突き止めるのも、転移魔法をそこに発動するのも、十分にできるほどの魔力があるだろう。今、この場所に!」
強い自信を持って開かれた両腕。その先には、無数に咲き乱れるアトロブの花たち。
魔力を漂わせたその花からは、私の魔法に繋げられる!
「セレナちゃん。旅をしてきた君なら、きっと色んな人たちと出会ってきたはずだ。それはきっと、俺よりも凄い人もたくさんいるはず。カナタはそれにかけたんだ。俺もセレナちゃんを信じてる。ここで無念に散っていった彼らの分も、頼む。その魔力、プルーグの平和のために、余すことなく使ってくれ!」
ヴァルナ―さんが強くそう言い切って、私もそれに応えようとする一心で、鮮血と純白の花畑に両手を伸ばした。
「皆さんの魔力。お借りします!」
鱗粉のように舞っている魔力を、私の体に吸収していく。集中した私の目に映ったそれは、夜空のように綺麗な青い光の糸だった。
その糸が集まってきて、解放された魔力石の霊気をたどるように一点に集う。どれだけ吸い込んでも余りある魔力。私は、頭に思い描いた転移の魔法、それも、今日まで出会ってきた皆さんを呼び寄せるようにイメージを強くした。
自分の足下から銀色の魔法陣が現れる。更にイメージを強く具現化させようと、そのまま皆さんの顔を次々に思い浮かべていく。それに従って、既に形が完成していたそれが大きく広がっていくと、たちまち強い光を放っていった。
「私の願いを、皆さんに。特殊転移魔法! ウィンクルムゲート!!」
最後に両目をカッと見開き、体にあるすべての魔力を解放した。次の瞬間、足下の魔法陣が眩しく光っていき、辺りが見えなくなるほどの輝きを見せた。
次第に、光が薄まっていく。目を塞いでいた私とヴァルナ―さんは腕を下ろした。私たちのすぐ目の前に、人一人分の銀の魔法陣が、私の魔力もなしに留まっていた。強烈な眩しさが溢れたというのに、今はとても閑散としている。
「成功、なのか?」
ヴァルナ―さんが疑うようにそう聞いてくる。私も必死でやってた分、それが成功だったのかすぐには分からなかった。
だけど、その魔法陣が急に光ったかと思うと、私たちの前に一人の少女が現れた。ショートの紫髪の同い年の顔。彼女を見て、私は成功を確信した。
「うわ! どっかに転移されちゃった。……てあれ? 本当にセレナちゃんじゃん!」
「ネアさん! 良かった、ちゃんと届いていたんだ」
ネアさんが私の前にピョンと飛んで近づいてくると、私の両手を取ってきた。
「やっぱりセレナちゃんの魔法だったんだ! なんか急に目の前に魔方陣が現れたんだけど、何となく魔法陣からセレナちゃんの感覚がしたんだよ!」
後からラシュウさんとユリアさんも現れてきて、私はつい「ラシュウさん! ユリアさん!」とそれぞれの名前を呼んだ。ユリアさんはもう猫の被り物をしておらず、綺麗な銀髪と美人な顔を出していた。その二人も私に近づいてくると、魔法陣から更に一人、エメラルドグリーンの髪が目立つ、あの女王様が現れた。
「キョウヤさん!」
「セレナ? やはりあなたでしたか」
キョウヤさんが退いた後に、青いポニーテールのアミナさん「あ、やっぱりセレナちゃんだ!」。そして、灰緑のパーマをしたヤカトルさんも出てくる。
「おいおい。なんちゅう所にいるんだよ」
「アミナさん! ヤカトルさんも!」
名前を呼んだ私に、ヤカトルさんが右手の二本指を立てて挨拶してくる。また魔法陣が光り出す。
「おお! 転移魔法でしたよ師匠!」と興奮したのは、ヤギの獣人魔法使いのソルスさん。「うお!? 転移魔法だったか!」と、後からエング先生が驚く。
「ソルスさん! エングさん! お久しぶりで……あれ? エングさん、なんだか雰囲気変わりましたか?」
私はまじまじとエングさんの体を見つめると、主にお腹の部分に違和感を感じた。ついそこを注意深く見てしまうと、エングさんが自分の腹を叩いて自慢げに話した。
「気づいてくれたか。あれから少しダイエットに成功したんだ」
そう言われて私は「そうだったんですか!」と思わず叫んだ。言われてみれば確かに、エングさんのお腹や大きく丸くなっていた顔はきゅっと引き締まり、立っている姿は普通の一般男性と変わりなかった。
「凄い! あれだけ大きかったのにここまで」
エングさんが「フフン」と胸を張ると、まだまだ魔法陣から人が現れた。
「転移魔法。ということは……やはりセレナさん!」
「サウレアさん!」
ベージュの長い髪をしたサウレアさん。かつて私に転移魔法を教えてくれた彼女が出てくると、当然その後にも、白毛のフェネックのリュリュさん、
「うわあ、魔物さんがいっぱい。どうするの?」
ボサボサのオレンジ髪を整えないグラさん、
「そんなもん、かたっぱしから倒すしかないだろ」
そして、黒豹のネイブさんも、「焦りは禁物ですよ」と言って出てきた。
魔方陣の光は絶えず光り続ける。
「ここは……は! セレナ様! あいや、セレナさん!」
「あらあら、彼らを見たらもう止まらないわね」
「アルト君! キャリアン先生!」
神童魔法使いと言われた赤髪のアルト君と、黄緑色の髪を揺らした教員のキャリアン先生。
既に十何人もの知り合いが現れたが、魔法陣はせわしなく光り続け、今度はサーバルキャットのカルーラさんと、レッサーパンダのチャルスさん。顔にそばかすがついた灰色髪のラッツ君に、いつも一緒のネズミのジミちゃんも現れた。
「うお? 魔物がこんなにたくさん。こいつは腕がなるねぇ」
「なっちゃいますねえ師匠。オイラはいつでもいけますよ!」
「うう……ちょっと怖いなぁ……」
三人と一匹が出てきてもなお、これでもかとまた魔法陣が光り出す。
そうして今度は、水色の羽毛を持った鷲の獣人、ミツバールさんが姿を見せた。
「うわ。なんなのこの大所帯は?」
「ミツバールさん! 来てくれたんですね」
「あなたの魔法ってこと? ……まあ、あなただったら別に構わないけど」
魔法陣からまた別の人が現れる。
「ああん? ワープってやつかこれ?」
赤毛の狼の姿に「ラグルスさん!」と叫ぶ。すぐに「ああん?」と喧嘩腰に返されると、魔法陣からまた一人、金髪縦ロールの修道女、ミリエルさんが出てきた。
「うわ! ぶったまげたんだけど、何この状況」
「ミリエルさん! お久しぶりです」
「あ、セレナちゃんチーッス」
魔方陣から「ふああ……」とあくびする声が聞こえる。目を向けると、白い短髪に貴族の装束をしたラフィット王子が出てきていた。
「うわ……来ない方がよかったかも。面倒なことになりそー」
そして、青髪にバンダナをつけた英雄さんもついに現れてくれる。
「っと。――なるほど。あの数はとんでもないね」
「グレンさん!」
魔物の軍勢を見てすぐに察してくれる彼に続いて、
「これは、俺の魔法が暴れる時が来たみたいだな」と、とんがり帽子と魔導書を持ったフォードさん、
「あなた一人じゃ無理でしょ、さすがに」と茶色いツインテールをしたレイシーさん。
「力を合わせる時みたいね」とホワイトタイガーのロナさんも出てくれば、
「いよっしゃあ! 暴れ時だぜ!」と黒毛のライオン、ベルガさんも出てきた。
「凄い! アストラル旅団の皆さんまで! 私の魔法で、こんなにも……」
たった今出てきた人数だけで、合わせて二十五人もの人たちが集まってくれた。このみんなが、私の必死な思いに答えてくれたんだ。感動して、ちょっとだけ泣きたくなりそうになってしまう自分がいた。
そんな時だというのに、また魔法陣が光り出すと、忘れていた一人が私に飛び出してきた。
「セレナッ!」
「お父さん!? っきゃ!」
深緑色の髪と口ひげを生やしたお父さんが、おもむろに私に抱き着いてくる。私は一瞬倒れそうになった体を慌てて持ち直すと、お父さんの腕を外して顔を見た。
「お父さんも来てくれたんだね。そう言えばこの魔力石を付けた後、コロシアムで一回会ってたね」
「おおセレナ。お父さんは魔力石とかなんとかがなくても、どこでも駆けつけてやるぞ」
「そう言って、魔方陣から出てきたくせに」
愛想笑いを浮かべてそう言うと、お父さんは「ガッハッハ」と豪快に笑った。
今ここに、私の思う限りの人全員が集まった。揃った人数、総勢二十六人。
彼らと一緒なら、無限の可能性がある。そう、私の直感が告げていた。