18‐4 またここで、ゆっくりお話ししましょう
少女の体が倒れる。力を失い、最後は目から光を失った。心臓を貫いた痕をしっかり目にし、私は、少し手こずってしまったと思い軽くため息をつく。
「少しだけ魔力を無駄にしてしまった。まあでも、これからの計画に支障はでないか」
残りの魔力を確認するように手を見つめると、次の計画に入るために、私は死体となった女から目をそらし、アトロブの花畑に向かって歩いていった。
赤き茎と白き花びら。アトロブの花から溢れてくる魔力は、私の計画に十分に利用できるものであある。おまけに、ログでリーズ帝国王都、ラディンガルまでの距離も悪くない。地理的にも都合のいい場所に生えている。
満面に咲き誇るそこに向かって右手を伸ばし、宙を浮かぶ魔力たちを吸収していく。私の目に、深海のように青い光が自分の手の平に集まってくるのが映る。
「さて、転世魔法の真の力。ここで解放させてもらおう!」
広大な古戦場であるアトロブ。黒く焦げたその大地の向こう側、ここの象徴である花畑の遥か先で、一つの魔法陣を映し出していく。地面に刻まれていく銀色の線が、遠い空からでもくっきり見えるくらい特大の円を描いていき、魔法陣の模様を最後まで描き切った際、私は花から吸収した魔力のすべてをそこに注ぎ込んだ。
「最上級転世魔法。ワールドゲート!」
この世界の中心地とも言えるこの場所で、銀色の魔法陣が美しく輝いていく。その輝きが最高潮に達し、まるでこの世界を覆ってしまうかのような眩さが放たれて、私は自分の目を腕で隠した。やがて光の気配が消えてなくなった時、私の発動した魔法陣は、その場に在り続けていた。
そして、一体の魔物が姿を見せる。それを見た私は思わずほくそ笑んだ。その間にも、魔法陣からは次々と魔物たちが現れ続ける。
――成功だ。
「この世界と魔界を繋げたゲート。最上級の威力であれば、無数の生物を召喚することができる。あとは魔物たちが来てくれるかどうかだったが、その段取りも問題なかったみたいだ」
魔法陣から現れる魔物が、既に百、二百、三百とどんどんどんどん湧いてきて、軽く千体を越えようとしている。まだまだこんなものではない。魔界には、数百万もの魔物が生きているのだから。
おまけに、アトロブの花の魔力を使ったおかげで、自分自身の魔力は多く温存することができた。これなら、後の計画も順調に進められるはずだ。
「さて、次はログデリーズ皇帝、貴様の番だ」
――――――
……今、何か嫌な予感がした。どこかで誰かが傷ついているのに気づいたかのような違和感。妙に心がざわついてしまう。
「大丈夫だよな、セレナ」
すぐに背後から気色悪い魔物が襲ってきて、小さなコウモリだったそいつをバッサリ切り捨てる。無数に襲い掛かってくる魔物たち。辺りも全く見覚えのない場所で、人格を交代させられた俺は孤軍奮闘し続けていた。
「チッ! 全くキリがねえ」
突如、遠くの地面から光があふれ出した。その輝きがビッグバンでも起こしたかのように広がっていって、あまりの眩しさに俺は腕で目元を覆った。
「――なんだ!?」
やがて光が消え、俺はゆっくりと腕を下ろしていく。そして、遥か先、数十キロも離れてそうな場所に、銀色の魔法陣が浮かび上がっていた。その中に魔物たちが一斉に入っていっては、光と共に姿が消えていく。
「なんなんだあれ。急に出てきやがった」
再び背後から忍び寄っていた魔物を切り捨てると、俺は考えるよりも先に足を動かし始めた。魔法陣に向かって走っていく。
「よく分からねえけど、ここで戦っても埒が明かねえ。あそこでもう一人の人格に交代でもすれば、色々考えてくれるだろ」
前に立ちはだかる魔物の群れに向かって、俺は全速力で突き進んでいく。荒れ狂う波のようにはびこる魔物に、怖気づくことなくサーベルを振り払っていく。
だが、どれだけ武器を振って倒しても、胸のざわめきは収まる気配を知らない。
ここでセレナの姿を見ていないからだろうか。どこを探しても見つからず、きっとどこか遠くの場所にいるのだと思うのだが……。
「セレナ。まだ無事でいるよな?」
もしも、もしも彼女に何かあったら……。
ふと、空に糞デカい鳥が飛んでいくのが目に入った。恐竜みたいに大きくて、かぎ爪でマンモスとかもつかめてしまいそうなほど。そいつの口から、岩が吐き落とされてくる――
――――――
「レイスソード」
死者の怨念が込められた煙の剣が、閉められた扉の間をスッと縦に切り裂く。そうして私が軽く手を当てると、扉はいともたやすく開いた。固く閉ざされた玉座までの扉。恐らくは魔法の力で開かなくしているのだろうが、この程度で私が止まることはない。
部屋の中へ入り、レッドカーペットの上を優雅に歩いていきながら、視線の奥に映った男をじっくり見つめた。
「皇帝。地上最強の魔法使いである貴様を討てば、この世界の制圧は成功したも同然」
座布団の上で正座をしていた皇帝が、私に立ち向かおうと立ち上がる。それを見て私も、右手に黒い魔法陣を浮かばせながら近づいていった。
「この前の決着。ここでつけるとしよう!」
彼は無言のまま、私と同じ魔法陣を展開した。
――――――
転移の魔法の光が晴れ、僕は発動していた腕を下ろした。すぐ目の前に、彼女の死体を見つけてしまう。
「……遅かったか」
一緒に転移してきたヴァルナ―が「セレナちゃん!?」と、慌てて体を抱き上げた。必死な形相のまま彼女の名前を呼び続けるが、胸の真ん中に深い傷跡を残したその体が、動き出す気配はなかった。
「クソ! おいカナタ! 一足遅かったじゃねえかよ。セレナちゃんが、死んじまってるぞ!」
苛立ちをぶつけられる。「おまけに」と、兜を被ったテオヤが三尖刀を向け、遥か先に浮かんでいる転世の魔法陣を示し、
「もう手は打たれているようだ」と呟いた。
進んでくる魔物の軍勢。黒い海と化しているそれは、数えてみれば百万は超えていそうだ。
対して僕が転移魔法で連れてきたのは、僕とヴァルナ―、そしてテオヤのたった三人。城の兵にも出撃命令を出してはおいたが、ここにたどり着くころにはもう魔物は帝国を襲っているだろう。
アトロブの地が光ったのを目にして慌ててここに来てみたが、まさかすべてが手遅れだったとは。あまりに絶望的な状況だ。
「こんなにすぐに仕掛けられてしまうとは。つくづく、自分の無力さを残念に思ってしまうよ」
膝を曲げ、セレナの死体に顔を寄せる。最後まで何かにすがりついていたような、苦しそうに見える死に顔。手を伸ばして彼女の腕に触れると、まだ冷え切っていない体温が生々しかった。
「すまないアンヌ。君の娘を、しっかりと守ってやれなかった。でも僕は、君との約束を果たさなければならない」
僕は立ち上がり、ヴァルナ―とテオヤにそれぞれ目配せする。
「二人とも、今朝僕が言ったこと、覚えているね?」
「まさか、今なのか?」とヴァルナ―が聞いてきて、僕はうなずいてみせる。
「あの魔物の軍勢は、恐らくまだ数を増やし続けるはず。城の兵にも緊急出撃を命じたけど、兵たちが集まっても百万。とてもあの軍勢を押し切れるとは思えない。それに、僕自身も既に魔力を使い果たしている。たとえ君たちと共に戦っても、今の僕では足手まといになるだけだ」
「使い果たしたって。城に作った幻のお前に、どれだけ魔力を使ったんだよ」
「すまないヴァルナ―。でも、それだけあの男は油断できないんだ」
テオヤが口を挟んでくる。
「お前が駄目だとして、他に方法はあるのか?」
僕は答える代わりに、倒れた彼女に向けて右手を伸ばす。方法ならあると、そう示すように黄緑色の魔法陣をその手に浮かべる。
「僕にできないことが、彼女にならできる」
――頭の中にイメージを作っていく。
「テオヤ。今までありがとう。カミエラとの因縁も決着がつけられたし、君には感謝してもしきれない」
そう言ったことに、横目で見るようにしていたテオヤが背中を向けた。
「お前になんて言われようが関係ない。だが、お前がいなければ、俺はずっと迷い続けていた」
彼の手が挙がっていき、青銅の兜が外される。スキンヘッドの頭を見せながら、彼はまた横目で僕を見てきた。久しぶりに見た真っ赤な瞳を僕は見つめ返すと、彼は一言だけ言い残した。
「……じゃあな」
兜が捨てられ、テオヤはそのまま魔物の群れに向かって走り出していった。その後ろ姿は、やはり相変わらずだった。今度は、セレナを抱え続けるヴァルナ―に目を向ける。
「ヴァルナ―。僕が預かっていたログデリーズ帝国を、君たちに返す時が来た。後のことは、君に任せたよ」
「……いいんだな、本当に」
訝しげな眼を向けられる。
「僕の力じゃ、もうログデリーズどころか、このプルーグを守ることはできない。後は君と彼ら、そして、彼女に託すよ」
「……そうか。任せろカナタ。お前が今日まで守ってくれたこの世界は、絶対に守り切ってみせる」
「期待してるよ、ヴァルナ―」
その言葉が最後になる。僕は放っていく魔力に従って、だんだんと意識が薄れていくのを感じていた。
イメージを更に強めていく。
彼女が救われるイメージ。
僕の命を犠牲に、彼女が生き返るイメージを――
視界に、黒い霧がにじり寄ってきて、たちまちそれが、目の前のものすべてを覆いつくそうとした。僕は最後に、黄緑色の魔法陣が強く光ったのが確かに見えていた。
――――――
パッと、目が開いた。
白くてきれいな雲が、ゆっくりと流れている。汚れのない雲は綿菓子のようにふわふわしてそうで、一見、手を伸ばせば簡単に手に入りそうな気がしたが、実際に伸ばせた距離は、ほんのわずかでしかなかった。
ここはどこなんだろう。そう思った私は、倒れていた体を起こしてみる。
そこは、果てしなく遠いところまで地面に水が張った、とても幻想的な世界。地平線の先までとても静かで美しく、水には雲が漂う空が反射していた。じいっと見つめていると、一体どっちが地面で空なのか区別がつかなくなりそうだ。
地面に立てていた手を一本上げてみる。水に触れていたはずのその手は濡れておらず、倒れていたにも関わらず、髪や体はどこも濡れている部分がない。それに、水に触れたままのもう片方の手は、全くなんの感触もしなかった。その不思議な現象に、私はここが実際の世界じゃないことに気づいた。
私、どこにいるんだろう? とても穏やかな夢でも見ているのかな。
ふと、私は自分の胸が刺された瞬間を思い出した。
慌てて自分の胸に手を当ててみる。貫かれたはずの胸は元の状態に戻っていて、血の跡なんかも残っていない。
「セレナ」
突然背後から私を呼ぶ声がした。どこか懐かしさを感じるその声に、私はまさかと思った。ゆっくり振り返ると、そこには、私の大好きなお母さんが立っていた。
「お母さん!」
長くて私より薄い桃色髪に、柔らかい微笑み。間違いないと思って立ち上がり、嬉しい気持ちのまま抱き着こうと駆け寄った。だけど、お母さんはそれを制するように手を伸ばしてきた。
「お母さん?」
いつもだったら抱き合ってくれるのにと、私は思ってしまう。そんな私に、お母さんは優しい声で話しかけてくる。
「まだ早いわよセレナ。ここでお母さんと会うのは、まだ」
「早いって。ここってもしかして、そういう場所なの?」
お母さんからの回答は無言で、私はさっきも思い出したこともあって、すべてを悟ってしまう。
「そっか。やっぱり私、死んじゃったんだ……」
「セレナ」
お母さんがまた私の名前を呼んでくる。それに顔を上げると、よく話しを聞くようにと、お母さんが私をしっかり見つめてきた。
「あなたと別れる前に、一つだけ許してほしいことがあるの」
「別れる?」
その言葉の意味が理解できないまま、お母さんの話しは続く。
「あなたが召喚したハヤマ君。あの時魔法を使ったの、お母さんだったの」
「え! やっぱりそうだったの!」
「やっぱり? フフ。気づかれてたのね」
お母さんの懐かしい笑い声に、私の頬が緩くなる。
「ハヤマさんが気づいたの。転世魔法って難しい魔法なのに、あの時の私がどうやって発動したんだって」
「そうだったの。ごめんねセレナ。あなたを騙すようなことをして」
お母さんの謝罪に、私は急いで「ううん」と首を振った。
「あなたが慌てて魔法を発動しようとする姿に、お母さんの心が突き動かされちゃって。つい隣でバレないように、空に向かって発動しちゃったのよね」
「そうだったんだ。私、全然気づかなかった。でも、空に発動ってとても危険じゃないの?」
「お母さんも発動してから気づいたわ。なんとか風魔法で止められるかやろうとしたけど、でもあの時、セレナが魔法でハヤマ君を受け止めたわよね。あの時お母さん、ちょっとだけ感動しちゃった」
「感動って。あれくらいはできないとだよ」
「そう。さすがセレナね」
ふと、私は泣きたい気持ちになった。なんでか分からないけれど、無性に心温まる感じがして、忘れてしまっていた安心感を取り戻したような感じがしていた。目頭が熱くなるのを我慢しながら、私は笑っていないとと笑みを浮かべた。
「ありがとね、お母さん。私、ハヤマさんと出会ってなかったら、あの日から何も変わってなかったかもしれないから」
「……そう。彼との出会いが、あなたをたくましく変えてくれたのね」
そう言ってお母さんが微笑む。私はその微笑みが大好きだった。優しく見守り続け、すべてを包んでくれそうな母の笑顔。
もっとここにいたいって、そう思った。
「もう、時間みたい」
お母さんはが唐突にそう呟いたのに、私は黙って首を傾げる。するとお母さんは、私の右手を持ち上げて、自分の手の平と私の手の平を合わせた。
水の感触はしなかったのに、その時だけは、久しく忘れていた温もりがあった。涙腺が刺激される。私の手がお母さんとほぼ同じ大きさなのを知ると、お母さんはにっこりと笑ってくれた。
「セレナ。いつか、あなたの魔法でハヤマ君を召喚することができたら、またここで、ゆっくりお話ししましょう」
召喚することができたら?
「お母さん? それってどういう――」
最後まで言い切る前だった。突然、じっとしていた辺りの水が、大波になって押し寄せてきた。私はなす術もなく波に呑み込まれて、一瞬で体が地面の中へ引きずり込まれていった。
地上だと思っていた水の地平線が、私から遠のいていく。地中は本物の水中で、私は必死に腕を伸ばそうとした。今でも、その場に立ち尽くしているお母さんに向かって、必死に。
でも、お母さんの体は薄くなっていた。まるで幽霊が成仏していくかのように、私を見下ろしたまま、笑みを浮かべたまま消えていく。私はとっさに叫ぼうとしたけれど、水の中では当然息は通らなくて、口から出た泡と共に、お母さんの姿は消えてしまった。
体が水の中に沈んでいく。さっきまで白く明るかった世界が、一瞬で青く暗い世界にへと変わっていく。水の中にいるはずなのに、体が濡れてる感じがせず、口には水が広がっているはずなのに、息苦しさも感じられない。それに、体も寒くなっていくどころか、心臓の辺りからどんどん暖かくなっている。
――君に、託すよ。
ふと、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。私はその人が誰なのか知ろうとしたけれど、開きたかった目は、不思議と全く開けられなかった。