18‐2 新たな魔王
灰色の魔法陣。転移魔法の光が、俺の目の前からスッと消え去る。俺は目を開けると、目の前には白い花畑が広がったあの懐かしの風景、アトロブに来ていたのだった。
「ここも久々だな」
三年前にも訪れたこの場所は、ログデリーズ帝国とスレビスト王国の国境にある土地で、かつて、魔王と二つの国が戦った主戦場となっていた場所だ。
その地に咲いているのは、真っ赤な茎に純白の花びらがついた花で、通称アトロブの花と呼ばれている。その花が今、俺たちの前に白い絨毯をの如く咲き乱れていて、とても壮観な景色にセレナも息を呑んでいるのだった。
「うわあ! 三年前よりもっと咲いてますよ! 更に綺麗になってます!」
雲で覆われた灰色の空の下で、キラキラと輝くように咲いた白い花。なんだかここが、全く別世界になっているようであって、その代わり、景色は白黒で整っているからか、幻想的でありながら物寂しさが漂うようだった。
「人の魔力と獣人の血で咲いた花だっけか。きっとそれだけ、熾烈な争いが繰り広げられたんだろう」
思わずずっと見惚れてしまいそうな景色に、セレナがその場に座り込む。
「いやあ、本当に綺麗ですね。ここに戦争が起きてたなんて、全く想像つきません」
感動の余韻に浸ろうとするセレナ。今一度立ち上がった彼女に俺は本題を口にする。
「寄り道したかったってここのことだったんだな」
「エングさんのいるベルディアまで、一気に行ってもよかったんですけど、折角なのでここにも訪れたいなって思ったんです。初めてここに来た時も、この花がいいなって思ってたので」
「なるほど」と一言だけ答えて、再びアトロブの花畑に目を移す。確かに彼女の言う通り、これだけ綺麗なものが見れるのなら、久しぶりに訪れてよかったと思う。
あれから三年。その時はまだ、転世魔法のなんたるかすら知らなかった俺たちだったが、今では転移と時間の両方を習得しきって、転世魔法完全習得の兆しも見えてきている。俺自身には実感というものはなくて、今までやってきたことが正しいことかも正直曖昧で。でも、少なくともこの三年。無益な時間を過ごしていたとは思えない。確実に、俺たちはたどり着こうとしているんだ。
「……この旅も、あと少しで終わりそうだな」
おもむろにそう呟いてみる。少し間を開けてからセレナが返してくる。
「終わっちゃうんですね。長いようで短かった、この旅が」
哀愁のこもった声色。俺は気を紛らわしてあげようと冗談を口にする。
「実はまだ、転世魔法まで遠かったりしてな」
「さすがにそんなことは」
セレナが笑みを浮かべながらそう返してくると、「でも」とまた物寂しそうな声になる。
「もしそうだったら、私は素直に嬉しいと思うかもしれません」
「嬉しい?」
「お母さんのために、早く一人前な魔法使いになりたいとは思ってましたけど、そのために、ハヤマさんとの旅も終わってしまうのもなんだか……って、変なこと言ってますよね、私」
そう言っていきなり向けてきた無邪気な笑顔に、俺は不意打ちを喰らってしまう。自分が照れてしまうのを感じて慌てて顔をそらした。
「――仕方ないことだ。始まりがあれば、終わりはあるもの。むしろ、長々と続けていくよりは、ここいらで転世魔法を習得して、もう何事もなく綺麗に終わらせるのが一番だろ」
横目で彼女を見てみると、セレナは自分の左腕につけている魔力石のブレスレットに触れていた。
「そうですよね。私とハヤマさんの旅は、ちゃんと終わらせるべきですよね。本々私が原因でハヤマさんが巻き込まれたわけですし、転世魔法の習得で、しっかり終わらせないといけませんよね」
「そうだ。俺としても、母や父に話しをつけるっていう目標もできたんだ。転世魔法で始まって転世魔法で終わる。とてもいい終わり方だ。お前もアンヌさんに、成長した姿を見せてやりたいんだろ?」
セレナの母親の名前を出した瞬間、俺の頭がある可能性に気づいた。
どうして今まで気づかなかったのだろうかと。色んな人の嘘を見抜いておきながら、どうしてその可能性を怪しく思わなかったのかと、自分自身で驚いてしまうことだった。
「なあセレナ。お前と一緒に転世魔法について知っていったけど、それが結構凄いものだって気づく度にいつも思ってたんだ。俺が初めて異世界に来た時、本当にお前が発動できていたのかよって」
「どういうことですか? 私は確かに発動したはずですけど」
「その発動は、空に向けて意識していたのか?」
初めてこの異世界プルーグに来た瞬間のことを思い出す。体が寒くて目を開けたら、暗雲を視界に捉えながら空から降っていた自分。その時の転世の魔法陣はなぜか空に浮かんでいた。
「いえ、さすがに目の前に意識はしましたよ。だけど、その時は必死でしたし、当時は経験もさっぱりだったので、色々魔力が空回りして空に出たんですよ」
「意識もしていなくて、空に出てくるわけないだろ。今までお前は、ちゃんと出したい時に、出したい場所に魔方を発動できていたじゃないか。魔法について俺はあまり詳しくないからあれだけど、きっと転世魔法が空に発動されたのは偶然とかじゃないんだよ」
「そうなんですか? だとしたら、どうして空に?」
話していきながら、自分の頭の中で当時のことを思い出していって、やっぱりそうに違いないと確信できた一つの答え。それを、喉の奥から引っ張り出して彼女に伝える。
「あの時発動したのはお前じゃなくて、アンヌさんだった可能性がある」
「え? まさか、お母さんが?」
疑うような目を向けられ、その後に自分で考えこむセレナ。考えのまとまった俺は言葉にして結論を出す。
「でも、そうじゃなきゃおかしいだろ? お前は転世魔法を発動できなくて、アンヌさんは使えてた。ここまで発動の兆しが全く見えなかった時点で、当時のお前は絶対に発動できないんだよ」
「そしたら、私が焦っていたのをどこかで見ていて、こっそり発動したってことですか?」
「そっちの方のが十分可能性がある」
突き詰めた推測に、セレナはしばらく唖然としていた。「私の、お母さんが……」とボソッと呟くのが聞こえてきて、そう言った彼女の顔はなんとも言い難いような、渋い顔をしていた。
「冷静に考えたら、確かに私ではないですよね、あの魔法……。そしたら私、ただ自惚れてたってだけじゃないですか……」
「まあ、確かめる方法はないんだけどな。でも、そうだとしても旅の目的が変わるわけじゃないだろ。たとえ本当にアンヌさんだったとしても、娘であるお前がちゃんと帰せば、それで成長の証にはなるわけだし」
そう言って俺は愛想笑いを浮かべると、それにセレナも軽く吹っ切れたかのように「そうですね」とはにかんだ。
ふと、風がなびいて、咲いている花たちが波のように揺れる。耳障りのいい草木の音が小さく響いて、風と調和した旋律を奏でる。とても穏やかで美しく、くつろぐのに程よい心地。
――だが。
「転世魔法を使う魔法使いとは」
それは突然、後ろから割って入ってきた男の一声によって、すべて取り壊されてしまった。
彼の声が聞こえた瞬間、俺は瞬時に背筋が凍るのを感じた。セレナも同じような反応を示していて、まさかと思った俺たちはパッと背後に振り返った。
黒装束に赤いメッシュ。人を値踏みしてそうなツリ目をした人間。いつの間にそこに立っていたのは、アマラユだった。
「まさかここで、新たな標的が生まれることになるとはね」
余裕そうな表情を浮かべられる。セレナが慌てて立ち上がる隣で、俺は腰のサーベルを抜き取って刃先を向けた。
「何をしに来た、お前!」
俺の睨みに、アマラユは平然な態度を取り続ける。
「このアトロブに用があったので来たのだが、思わぬ情報に少し驚いたよ。転世魔法を使えそうな者がいただなんて」
彼の瞳孔がセレナに向けられる。俺は腕を伸ばして守るように前に立つ。
「セレナに手を出すつもりなら、俺が許さないぞ」
「ほう。そうか。君が彼女を守っているのか。フフ。少し面白いかもしれない」
不敵に笑い出すアマラユ。その不気味な雰囲気に、俺の警戒心が募っていく。
今度は何が目的だ? ミスラさんを殺すよう災厄の日をけしかけ、赤目生成実験にも関与していた奴が、転世魔法になんの用だってんだ。
「ハヤマだったか。少し話しをしてみたいが、どうかな?」
「断る。俺はホストでもキャバ嬢でもねえんだ」
「クッフフ。そうか。だったら……」
アマラユの右手が突き出され、見たことのない銀色の魔法陣が浮かび上がる。転移の灰色と、時間の水色が混ざったような色合い。それが、俺の後ろにいたセレナの足元にも浮かび上がる。
「彼女を誘おうか」
「っは!? セレナ――!」
それが光り出すまでの一瞬、俺はとっさにセレナの体を押しのけた。
「きゃ!」と小さい悲鳴が聞こえて、彼女が尻もちをつくように倒れようとする。その一瞬の間で俺の視界が銀色の光に包まれると、魔法陣から転移魔法のような光の柱が天に向かって伸び出ていった。まんまと中に入れられてしまった俺は、何も抵抗することができず、辺りを警戒し続けることしかできなかった。
やがて、光が晴れる。晴れた瞬間、そこが俺の知らない世界であり、異世界なのだと直感できた。
血と鉄が混ざったような強い刺激臭。ガソリンを強くした臭いにも感じられそうで、吸い続ければ具合が悪くなりそうだ。
辺りに映る世界はすべて赤黒い。空は墨を吸ったかのように真っ黒で、地面も火山のふもとのように黒い岩で覆われていてゴツゴツしている。ここでは地震が頻繁に起こっているのか、地形が乱雑に傾いたりへこんだり、浮き出ていたりしていて、なんの生物か正体不明の骨があちこちに転がっている。
家や建物などは見当たらず、この世界ではとても文明が進んでいるように見えない。もしかしたらここは地獄なのだろうか。そう思ってしまうほど、この世界には不安や絶望が詰まっているように感じられた。
「なんだよここ。セレナ! セレナァ!」
名前を呼んでみるが、当然返事は返ってこない。やはり本当に転世魔法で異世界に来てしまったのだろうか。疑心に駆られた時、俺の前の地面に銀色の魔法陣が浮かび上がった。それが転移魔法のように光の柱を帯びていると、光が消えた中からアマラユが姿を見せた。
「ようこそハヤマ。君なら彼女を庇ってくれると信じていたよ」
「最初からそれが狙いか。ここはどこだ? 俺になんの用がある?」
敵意むき出しで聞いた質問に、アマラユは両腕を広げながら悠々と語り出す。
「ここはエンヴリム。君たちが魔界と口にしている所だ。かつては魔王が支配していた世界だったが、今は私がすべてを統括している」
「統括……それじゃ、お前が!」
「そう。私が新たな魔王というわけだ」
カナタの言ってた通りだ。今まで謎に包まれていたコイツの真の正体は魔王だった。上手い事その身分を隠して、俺たちのいた異世界プルーグを歩き回っていたわけだ。
「私が魔王になったのには理由がある。ある野望を果たすためだ」
実験所でも口にしていた野望。
「その野望って、一体なんなんだ?」
「きっと君にも分かる話しだ。だから君と話しをしたかった」
「俺にも分かる?」
高圧的だったアマラユが、突如顎を引いた。
「時にハヤマ。君は今、何か違和感を感じはしないか?」
「違和感?」
「全くの別世界に来て、彼女から離れた。できておかしいと感じるものがあるはずだよ」
まるで詐欺師のような誘導に敏感になりながらも、俺はすぐにピンときた。
「ッハ! 会話が出来てる!」
パチン、と指音が鳴る。
「その通り。私は今、トランスレーションの魔法なんかは一切使っていない。君と言葉を交わす中で、翻訳はされていないということだ。それが何を意味するのか」
「お前と俺は、互いに知っている言語で話している」
俺は即答し、さらに付け足す。
「そして、俺が知っている言葉はただ一つ。お前は、俺と同じ世界の人間だな?」
「正解だ。私は君と同じ世界にいた人間なんだ」
俺と同じく異世界転移した人物。魔法というのは、つくづくなんでもアリだなと思ってしまう。
「私はある日、突然魔王によって異世界転移をさせられた。魔王は当時、有力な魔法使いを求めていた。自分が異世界を制圧するための駒が欲しかったんだ。そして、二十人目にして、類稀なる魔力を持った私が召喚された」
「お前の使う魔法は、魔王から教わったってか?」
「その通り。だけど、私は誰かの言いなりになるのは嫌いでね。あまり協力の意志を見せずにいたんだ。そしたらいつの間にか、魔王が死んでいた」
「だから今度は自分が魔王になったと?」
「ああそうだ。王になればこの世界を掌握できる。世界を掌握できれば、私は密かに夢見ていた野望を現実にできる」
握りこぶしを作り上げるアマラユ。いよいよ俺は肝心の部分に踏み込む。
「いい加減教えてくれ。お前の言う野望って、一体なんなんだ?」
アマラユは一度俺の目を見てくると、何も溜めることなくごく自然にこう言った。
「私の野望は、私が元いた世界の侵略だよ」
「……それはつまり、俺が元いた世界の?」
元いた世界。言うなれば、地球への侵略。
彼は本気の目をしたまま、その野望を口にしていた。