17‐14 薊乱舞
部屋の中央からカサカサと足音が近づいてきて、俺たち三人は同時に睨みつける。
「さっさと終わらせるぞ!」
「俺たちのありったけの殺意をくれてやら!」
威勢よく地面を蹴り出し、化け物に向かって一直線に突っ込んでいく。途中で炎の糸が伸びてきて、俺はサーベルを構えて意識を高めた時、
「風よ!」
後ろからセレナの声が聞こえたかと思うと、一瞬で迫ってきた風音と共に足元が爆発するような感覚に襲われて、気がつくと俺だけ、宙に浮きあがっていた。
「これは!?」
突然のことで理解が追いつかないでいると、俺に目を向けたままの化け物が両腕の糸を操り、螺旋のように入り乱れる炎を向かわせてきた。迎え撃とうと構えた時、化け物の足元に水色の魔法陣が囲っていた。
「時間魔法よ、私の魔力に応えて!」
再び彼女の叫び声が聞こえた瞬間、化け物の動きに変化が起きた。炎の糸はその場で静止し、化け物本体も氷漬けにされたかのようにピクリとも動かなくなっていた。
そういうことか、と瞬時に理解し、螺旋の中を潜り抜けるように落下していく。そして、その先に見えた一本の足に狙いを定める。
「邪念流撃! 天邪鬼!!」
空中で確かな手ごたえを感じたまま、床に着地する。時間差で蜘蛛の足もドスンと音を立てて落ちると、化け物の向こう側からも覇気のこもった声がした。
「三尖刀流奥義! 斬刈欧突!!」
鋼が空気を激しく揺らす音と共に、二本の足が宙に飛んでいく。一本ですら貫けなかったものが、ものの見事に舞い上がっていた。
「グウ……ブラアアアァァァ!!」
化け物がやっとの思いで両腕を伸ばし切り、床の魔法陣が割れるように消えていく。その横で俺はもう一本の足を狙っていると、丁度走り寄ってきた銀髪の女と同時に武器を振った。
「「っふん!」」
向かい合うように振りかざした攻撃で、狙った足がプツリと切り捨てられる。すぐに頭上から迫り来る糸を察知して、互いにその場から飛ぶように離れる。
中央で片方一本ずつだけになった足で、重たい体を持ち上げられず、ジタバタとしている化け物。
「哀れな姿だ」と俺は笑ってやる。それでも化け物には炎の糸が残っていると、兜だった男と銀髪の女を執拗に追い続けていた。狙われていなかった俺は、問答無用で奴の顔面まで迫っていった。
「終わりだ化け物!」
駆けた勢いのままサーベルを振り上げ、化け物の左腕を切り落とす。炎の糸も一本消えると、間髪入れずにもう片方も切り捨てようと振り下ろした。だが、化け物の執念が垣間見えると、サーベルの刃をまたもや口で止めてきた。
「くそ! こいつ、まだやる気か!」
「――いいや。終わりだ!」
背後から兜が顔を見せた。おもむろに三尖刀を振り下ろすと、化け物の首を切スパッと切り捨てたのだった。俺のサーベルを銜えたまま、奴の生首が床を転がる。
「……やったか?」
そいつの頭を踏みつけ、銜えられたサーベルを抜きながら化け物の状態を見る。片腕と首の切り捨てた残った部分が、石のように固まっている。
さすがにもう動かないか。そう思った時、蝋燭のような部分から、新たに真っ白な両腕と頭が生えてきた。
「ブラアアアァァァ!!」
産声を上げるかのように叫び、両腕を使って俺たちを突き飛ばす。
「っぐお! まだ生きてるのか!」
飛ばされた勢いを両足で殺し切ると、兜の男が頭を上げる。
「警戒しろハヤマ! 来るぞ!」
俺も急いで顔を上げると、また新たな炎の糸が頭上に降ってきていた。化け物の怒りが宿っているのか、その炎の色は黄色がかっていて、燃える勢いがさっきまでと違った。近づいたものを切った瞬間に、飛び散った火花の熱が段違いの熱さだ。
「これは――、あいつの殺意か!」
食らえば一溜まりもないと、直感がそう告げてくる。そんな怪火の糸は、何重にも重なってくるように、所狭しと降りかかってきて、俺と兜はそれを防ぐのに精一杯だった。
――クソ! あと一歩だってのに! その一歩が、届かない。
「――な、しまった――!」
振りかざしたサーベルが、糸の粘り気に絡み取られ体勢が崩れた。そこで生まれた一瞬の隙に、頭上から迫り来る炎熱に、反応が遅れてしまう。
熱が、迫る。猛火の怒りに溢れた糸に、燃やされる――。
突然、スパッという空を切る音がした。そして、前に飛び出した銀髪の女が、クナイを投げて二本の糸を真っ二つに裂いた。女は着地し、振り返らないまま喋り出す。
「回復の隙は与えない。私の殺意で、あいつに永遠の死を与えてみせる。……協力してくれ」
最後の言葉に応える間もなく、また炎の糸が迫ってくる。すかさず、兜が三尖刀を構え直す。
「道なら切り開いてやる」
俺もサーベルを持ち直す。
「叩き込めよ、お前の全力を!」
俺と兜は同時に走り出した。走っていって、紅蓮の炎が踊り狂うのを清浄な殺意をもって払いのける。
何度も、何度も、何度でも。怪火だろうが業火だろうが、この程度の攻撃で、止められるわけにはいかない。
切って、切って、切り捨てて。そうして、進み続ける。
心の宿った、奴への殺意を爆発させながら――
「おるらああっ!!」
二人して一思いに叫に、強烈な風圧が起きるほどの勢いで武器を振っていた。やっと化け物の汚らわしい面まで迫れたと思った時、俺たちの間を銀髪の女が風のように駆け抜けた。
彼女は飛び上がっていく。化け物がかろうじて仕掛けた糸の間を潜り抜けて、蜘蛛の胴体の真上まで飛んでいく。
それぞれの手に、三本ずつのクナイを携えて。
「舞うは鮮血――」
一瞬、彼女の姿が羽虫の羽みたく揺れ動いたかのように見えた。すると、蜘蛛の残っていた足二本が、不意に宙へ舞った。
「咲き誇るは、復讐の花――」
女がまた姿を消したかと思うと、化け物の周りに竜巻が起こり始めた。それがだんだんと勢いを増していくと、辺りの埃や切れた足、それに、目に見えない速度で着々と切り傷がつけられ、体から噴き出る紫の液体が、俺たちに見えるような渦を形作っていく。
「ブブ! ブラアア!!」
化け物がこれまでにない悲鳴をあげる。
「必殺奥義――」
その中から、感情に満ちた力強い声が上がる。
「薊乱舞!!」
俺たちも巻き込まれないよう踏ん張るほど、激烈の勢いで風が巻きあがっていくと、透明だった竜巻の風が化け物の体液で真紫に変わっていた。毒々しい色で、けれども疾風の回転力で、その竜巻は鮮やかな花のように美しさを保っている。
「ブラアアアァァァ……」
中が見えなくなるほど色濃くなっていって、時に表側に出てくる化け物の体の部位を見れば、復讐を形にしたような禍々しい怨念が込められているようであって、そんな色黒い復讐の形に、俺たちは目を釘付けにされているのだった。
もう化け物の悲鳴は消えてなくなり、竜巻から吹き荒れる風音だけが部屋に響く。その終わりは突然で、一息で風が爆発するように消えたかと思うと、その真ん中に立っていた女の周りに、紫の液体と小刻みに千切れた体の雨が降り注いでいた。
「……さらばだ。ただ一人の母よ」
ただクナイを構えたまま、汚れた雨を受ける銀髪の赤目。握っていた四本すべての刃が紫に染まっており、上下に動いていた肩を見て息切れを起こしているのに気づく。今にも崩れそうな足を震わせながら、すべての雨が床に散らばった時、呆然とした俺は、しばらく何も言えずにいた。
化け物は、消え去った。その事実だけが、この場に残った。その余韻を、ただ解き放たれた緊張感と共に噛みしめていた。
兜も黙ったまま佇んでいると、女はクナイを一本ずつ回転させて、その場で血振りをしだした。その音で沈黙が崩されたかと思うと、俺の背後から誰かが近づいてきたのに気づいた。
「やりましたね。これで、すべての悪夢が終わったんですね」
セレナがそう呟いてくるのに、俺は散った化け物を眺めながら言葉を返す。
「これが、化け物の末路さ。こいつが何をしたかは知らないが、人の殺意ってのは、よっぽど恐ろしいものなんだよ」
そう言ってる間に銀髪の女が戻ってくると、俺の前で膝から崩れるように倒れた。
「ユリアさん!? 大丈夫ですか?」
セレナがしゃがんで声をかけると、女に続くように、兜の男も三尖刀を床に突き立てたまま膝をついた。
「テ、テオヤさんまで!? 一体、どれだけ無茶をしたんですか皆さん! ハヤマさんは大丈夫なんですか?」
セレナが顔を上げてそう聞いてきたが、俺はただ鼻で笑ってみせると、どっと襲ってきた疲れと共に、目を閉じて意識を遠ざけていった。
「いってえぇ!!」
目が覚めた瞬間、全身が軋むように痛いのを感じた。まるで金属の鎖で縛られているかのような体に、俺の手がどうしようもないように悶えてしまう。
「痛い! 痛すぎる! どんだけ無理な戦いをしたんだ、もう一人の俺はあ!」
「……やっぱり大丈夫じゃなさそうですね」
「セレナ? お前も来てたのか! ってかユリアもテオヤも倒れてるじゃねえか。まさか、カミエラがまだ生きてたりしねえよな?」
「それは問題ないですよ。ユリアさんがばっちり止めを刺しましたから」
そう言ってセレナが部屋の中央を指さすと、そこには紫色に染まった残骸が残っていた。カミエラの姿も、糞デカい蜘蛛の胴体も、綺麗さっぱり粉々になって、そこに散らばっている。
「うお、あれがカミエラかよ。見事バラバラになったな。いっつ!」
突然襲った痛みに右肩を抑える。三人して体がボロボロになっているのに対し、セレナは急いで両手を突き出した。
「待ってください。今皆さんを転移させますから。幸い、ここからラディンガルの城下町まで近いので、すぐにそこに――」
セレナが最後まで言いかけた時、その肩にユリアの手が触れた。
「ユリアさん?」
「イデアに、会わせてほしい」
ユリアが呟いた言葉に、セレナが小さい声で「え……」と呟く。その後に続いた沈黙に、なんだか嫌な予感を感じてしまうと、俺はまさかと思ってセレナに聞いた。
「おい。イデアは生きてるよな?」
そう聞いた瞬間、セレナが慌てるように俺に振り返った。
「えと、それは……」
はっきりしないまま口ごもるセレナ。その様子に俺も目を見開いてしまうと、セレナはそれを直視できないように顔を俯かせ、黙ったまま意識を集中して魔法を発動させた。
灰色の光が俺たちを包み、しばらくした後にその輝きが消える。瞑っていた目をゆっくりと開いていく。実験場の入り口である鉄扉。その前で俺が目にしたのは、眠ったような顔をするイデアと、それを胸の中に抱いて座っているラシュウ。そして、イデアの手を握り、その顔に濃い涙の跡を残していたネアだった。
「……そうか。こうなったのか」
力なくそう呟いてしまう。俺たちの願いは、叶わなかった。あれだけの苦労が、報われなかった。
ネアが俺たちに振り向いてくる。
「みんな……終わったんだよね?」
その質問にセレナが答える。
「はい。カミエラさんは倒されました。もう、ここで何かが起こることはありません」
「そっか。よかった……本当に、よかった……」
そう言ってネアがまた泣き出しそうになる。その様子にセレナがつられそうになる中、俺はイデアに近づいていき、安らかに眠った顔を眺めた。前も見た、とても死んでしまったとは思えない安らかな顔をしている。
「あの時と同じ顔しやがって……」
あの時のことを、また繰り返さなくたっていいだろ。そう、俺は心の中で、誰かに愚痴をこぼした。
ネアたちに目を向ける。
「こいつを、眠りやすいように埋めてあげよう。ここではない、どこか新しい世界に旅立てるように……」
俺の提案にネアが「だったら」と切り返す。
「ラディンガルの城下町に行こう。イデアちゃんには、安心して眠っててほしいから……」
ふと、俺たちを照らすように朝日の光が差し込んできた。真夜中にここにたどり着いて、とても長い時間が経っていた。
陽の光がイデアの白い顔を包んでいく。そこに彼女の心の純白さを映しているように見えると、俺はしばらく眺めた後にセレナに振り向いた。
「行こうセレナ。ラディンガルへ」
「……はい」
セレナが両手を突き出すと、俺たち全員を囲うように魔法陣が広がっていった。
ふと、今でも思い返すことがある。
俺は、彼女を救えたのだろうか、と。
願わずして産まれ、親から見捨てられたあの子を、結局俺は救えなかった。
ただ一人、人を救えなかっただけなのに、その時の後悔が、今でも残り続けている。
やり方が違えば。気づくのが早ければ。俺がもっと強ければ。
いくら悩んだってしょうがないことなのに、そうと分かっていても勝手に考えてしまうんだ。
もしも……。
もしも、俺は彼女を救えなかったら、どうなってしまうんだろう?
一番大事な、彼女を失ってしまったら――。
……。
……いや。それだけはない。
誓ったはずなんだ。この力は、護るための力。
俺ともう一人とで決めた。護り切ると。
十七章 咲き誇るは復讐の花
―完―