17‐11 私は今……猛烈に怒り狂っている
眩い光が収まっていき、俺たちが各自目を見開いていく。兜を被っていたテオヤが、その場でじっとカミエラに向いていたかと思うと、先にカミエラの口が動き出した。
「テオヤ。あなたは願っていたはずよね? 強者だけが生きる世界を。邪魔な弱者を廃絶し、新たなる世界に生きていくことを。その時の意志は嘘だったというのかしら?」
「強者だけが生きる世界。それは俺にとって、素晴らしい世界ではあるだろうな」
「ウフ。正直じゃない。なら命令よ。被検体である彼らを拘束しなさい。そうすればまた、新世界を作るための実験が復活するわ」
テオヤが俺たちに目を向けてくる。もしもの時のために俺は、警戒の目を彼に向けた。兜からなんの表情も読み取れなかったが、テオヤはただ口だけを動かした。
「弱者は嫌いだ。利用できる存在があると分かると、我が物顔で利用しつくす。たとえそれに俺が反抗してみせても、多勢で言葉を使って攻め立ててくる。弱者は数をなして強者を孤独に追いやり、果ては排除するつもりですらいる。実に空虚だった。人々に廃絶され、自分の居場所を他人に決められるのは、実に……」
言葉が途切れ、テオヤは棒立ちのまま俺たちを見続けてくる。わずかに顔の先が、意識を失ったままのイデアに向けられてる気がすると、今度は静かにこう呟いた。
「だが、たった一つでも居場所があれば、世界の在り方なんてどうでもいい」
三尖刀の矛先が、カミエラにピシッと向けられる。
「お前の理想を打ち砕く。お前のやり方を、俺は認めない」
きっぱりと、テオヤはそう言い切ってくれた。その言葉に、俺たちの顔がほころんでいく中、カミエラだけが眉をひそめた。
「本当にそれでいいのかしら? 弱者のために力を使えば、またあなたは昔に逆戻りになるのよ」
「彼らが救われるのなら、それで十分だ」
「はあ……被検体に情を持つとはね。あなたを強者と見ていた私が馬鹿だったわ。強者だけの世界になってしまえば、感情なんてものは必要なくなると言うのに」
「悪いが赤目は道具ではない。俺たちは人間だ」
「――やる気、なのね?」
決して動じることなく、テオヤは落ち着き払って喋り続けた。俺は、固まった意志が決して揺るがないのを感じ取って、カナタに傷を癒してもらった体で彼の隣に歩み寄る。
「俺も協力させてくれ。もうさっきから、あいつへの殺意が溢れてたまらないんだ」
テオヤはそれに黙って顔だけを向けてくると、カミエラの声が耳に入った。
「テオヤの裏切りに、体力が回復した人間が一人。それに対して私は、使えそうにない部下がたった一人」
セレナを離してしまった黒服を見ながら彼女は言った。使えそうにないという高慢な言い方に俺は皮肉を返す。
「妥当じゃないか。人に実験ばかりさせておいて、自分はなんの犠牲を払わずにいたんだ。自分自身が強くなければ、そりゃ部下だって強くないだろうな」
「へえ。私がなんの犠牲も払わずにいる。これを見ても、果たしてそう言えるかしら?」
そう言って、カミエラが右目の眼帯に手を触れた。無理やりに引きはがすようにして、隠れていた右の目が姿を現す。そこで俺たちにの目に映ったのは、真っ赤に染まった赤目だった。俺は眉間に皺を寄せるも、慌てる素振りは見せなかった。
「赤目があったか。でも、片目だけがあっても、ラシュウと同じように半分の力しかないんじゃないのか?」
「そうね。このままでは力は不完全。実験の成功ではないわ。それで、これを使うのよ」
カミエラがおもむろに胸の谷間に手を入れると、そこから一本の注射器を取り出した。その中に見覚えのある真っ黒の液体が詰まっていると、俺の脳裏に、アマラユの説明した魔物の特殊液のことが蘇った。
「それはまさか、イデアを魔物化させるのに使った特殊液か!?」
カミエラがにんまりとした顔を浮かべる。
「これはイデアに使ったものより更に改良されていてね。液体の濃度が高いし、それでもって即効性も上がってるの。丁度いいところに、魔物の死体も転がってるわね――」
カミエラが片手から赤い魔法陣を作り出し、炎の糸を一気に伸ばしたかと思うと、イデアに繋がっていた蜘蛛の体に巻き付き、その本体を自分の前まで引き寄せた。
そして注射器の蓋を取って投げ捨て、イデアを繋げていた胴体の部分に手をつけると、その手首に特殊液をなんの躊躇いもなく注射した。押し子を親指でグググッと押し込み、黒い液体が彼女の体内へ注がれていく。
「どいつもこいつも使えない奴ばかり。強者が孤独だと言うのなら、私はそれでも構わないわ。自分にとって居心地のいい世界なら、なにがどうなっても――がっ!」
突然悲鳴を上げ、注射器が床に落ちた。触れていた手が、魔物の体の中に溶け込もうとしている。
「そんな! もう魔物化するのかよ!」
「警戒しろハヤマ!」
テオヤが三尖刀を構えながらそう言ってくると、カミエラは悲鳴を上げつつも魔物化が進んでいった。手を通じて肩と足、もう片方の手足も吸い込まれるように蝋のような部分に埋もれていくと、最後に顔まですべて中へと入っていってしまう。
入った瞬間、忽然とカミエラの悲鳴が消えた。不気味な静寂が辺りを包んでくる。俺は中腰になってサーベルを引き抜けるようにしていたが、蜘蛛の体が動き出したのは突然だった。
八本の足が意志を持たないように独りでに暴れだし、六つついていた人間の目が、赤色になって新しく見開かれる。カミエラが消えていった蝋の部分から、白い人間の腕が二本生え出してくると、その間から更に、ロウソクで作られたような人の顔が浮かび上がった。その顔についた瞼が開かれ、どす黒い赤目が不適な笑みと共に俺たちを睨んでくる。
「ブラアアアァァァ!」
地の底から叫んでいるような、野太く騒がしい咆哮が響いた。恐怖を駆り立ててくる高音の叫び。変わり果てたカミエラの姿に、横でテオヤが舌打ちするのが聞こえた。
「チッ。とうとう自らの体を壊したか。救いようのない奴だ」
「でも、赤目と魔物の融合体は、まだ実験で成功していないんだろ? だったら、赤目の俺たちが戦えば、きっと勝てるはずだ」
もう一人の自分を呼び出そうとする、その前に、魔物化したカミエラの目がギョロッと動き、背後にいた黒服を見つけた。黒服も動揺を隠せず、膝を強く振動させていたが、カミエラは生えた両手から魔法陣を出し、そこから太い炎の糸を作り出すと、目にも止まらぬ速さで黒服の首を絞めだした。
「ぐふっ!? カ……カミ……エ……さま――」
頭が、飛んだ。すぐに赤い液体が噴き出すところまで見えてしまい、あまりの光景に俺は視界を腕で覆って目をそらした。ネアが「いやああぁぁ!」と悲鳴を響かせ、死体が壁に投げつけられる音が耳に入る。
腕を下ろし、前を向き直ると、魔物と化したカミエラがまた俺たちを不気味に見つめていた。とっさにサーベルを引き抜いて、俺はセレナに向けて叫ぶ。
「セレナ! みんなを連れてここを逃げろ! あいつは完全に理性を失ってる!」
すかさずカミエラが糸を両手に生み出すと、一瞬にして炎がついた。ネアを拘束する時にも見た怪火の糸。幻に見せかけた炎だったはずのそれが乱暴に振り回され、糸が当たった壁や床が焦げだらけになっていく。
「っぐ! 無茶苦茶な!」
足下に広がっていた水も干上がっていく。そこに残った糸の粘り気に炎が引火してしまうと、カミエラを中心にとうとう火事が発生していった。徐々に広がっていく火の海に、俺は更に声を張り上げる。
「急げセレナ!」
「分かってます! 皆さんを転移させたら、私もすぐに戻ってきますから!」
「駄目だ! 相手が何をするか分かったもんじゃない。赤目の俺でも、お前を護れるか分からないぞ!」
「だとしても、二人だけであれを相手するのは!」
セレナが中々引かない姿勢を見せるが、それにテオヤが苛立つように口を挟んできた。
「俺たちを舐めているのか? お前たちがここにいたら、俺たちは全力を出せないと言っているんだ! さっさとここから消えないか!」
最後の一言だけ異様に強く吐かれる。気迫に満ちた恫喝に、セレナも出かけていた言葉を呑み込んだ。急いで足下に転移魔法の魔法陣を広げていき、ラシュウやネア、ユリアたちを囲っていく。
「ハヤマさん。テオヤさん」
消える寸前で、彼女から言葉を残される。
「絶対に死なないでくださいね」
その言葉に俺は、右手を伸ばして親指を立て、サムズアップをしてみせた。死ぬわけがない。お前を残して、俺だけが死ぬなんてことはあり得ない。
セレナはそれにうなずいてくれると、転移魔法の光の中に姿を消していった。
――――――
「君の野望とは何なのか、聞いてもいいだろうか?」
「話す気はない。皇帝様とは言え、あなたには関係のないことさ」
「そうか」
「……私からもいいかな皇帝。なぜあなたは、みんなが傷ついているのを見つけた時、ハヤマ君だけを回復させたのかな?」
「君を一目見た瞬間、魔力を無駄遣いできないと思ったんだよ。カミエラは何かをしでかしてくる。テオヤが味方につくか分からない以上、あの中で一番頼りになるのは、ハヤマアキトしかいなかった」
「なるほど。先を見越して合理的な判断を下す。一人の少女の命より多くの命を選んだわけか。皇帝としてふさわしい選択だな」
「自分の実力不足がふがいないよ。あんなに弱っている子を助けるのは、恐らく僕でも難しいことだったからね」
「あの子は、もう助からないと?」
顔を見合わせる二人の横に、巨大人骨の頭蓋骨が落ちてくる。同時に二体の巨大人骨は背中から倒れ、消滅し、何十もの木々が倒れた穴ぼこだらけの森の中で、カナタは無念そうにこう呟いた。
「僕の見立てなら、残念ながら……」
――――――
周りの光が薄まるのを瞼の裏から感じ、私は魔力の集中を解いていく。ゆっくりと目を見開いてみると、私はネアさんたちと一緒に、不気味な雰囲気が漂っていた実験場の部屋から、地上の入り口である錆びた小屋の前まで戻ってきていた。
「良かった。この人数が同時でも、なんとか転移できました。皆さん、大丈夫ですか?」
振り返りながらそう聞くと、ネアさんが座ったまま口を開いてきた。
「うん。ネアたちはみんな無事だよ。イデアちゃんもほら――」
ネアの声にみんながイデアに振り返った時、それまでずっとユリアに抱えられていたイデアが、ユリアの手を掴んだ。何か呟こうと口を動かすのが見えて、私はすぐに翻訳できる魔法、トランスレーションを彼女に発動させる。
「あたたかい……とても、眠くなりそう……」
「イデアちゃん! 意識が戻ったの?」
ネアさんがそう聞き、イデアちゃんは目を開かないまま言葉を返す。
「だれ? 真っ暗なのに、声が……」
「ネアだよ。ネア、イデアちゃんのお姉ちゃんなんだよ」
「おねえ、ちゃん? イデアの、かぞく?」
「うん。今触ってるのも、もう一人のお姉ちゃんだよ。ユリアお姉ちゃんって言うの」
「そっか……これが、イデアの、かぞく……」
ネアの隣で膝をつき、私も声をかけようとする。
「イデアちゃん。セレナもここにいるよ。覚えてる? ハヤマさんと一緒に出会った時のこと」
「セレナ……ひさし、ぶり……」
イデアちゃんの顔が、こちらを見てこない。
「うん……久しぶり……」
「あ……世界が……見える」
いきなりそう言うと、イデアちゃんはやはり目を開かないまま言葉を繋いだ。
「白い……とても白くて、広い、世界が……」
震えながら、木の枝のように細い右手が天に向かって伸びていく。見えない何かを掴もうとするように、何回か握っては放してが繰り返される。ふと、ネアさんの顔色が真っ青に変わる。
「――イデアちゃん?」
泣き出しそうな声で彼女の名前を呼ぶ。その言葉は通じなかったのか、イデアちゃんはもっと奥の何かを掴もうと、更に手を伸ばそうとする。
「イデアの、聞いてた世界……こんなに、白かったんだ……」
「ダメ。そんなのダメ。ここで死んじゃったら――」
「やっと……世界が……」
イデアちゃんの手が力なく落ちようとする。その手を、それまで黙っていたユリアさんがとっさに握り掴んだ。
猫の被り物から、勇ましい女性の声が出てくる。
「ああ。世界は、白いな……」
「……うん」
ユリアさんの言葉に、イデアちゃんはか細い声で答えた。その顔がとても穏やかな表情を見せていると、ユリアさんの手から、細く痛々しい手がスッと体に落ちていった。
「イデアちゃん? イデアちゃん!」
ネアさんが急いでイデアちゃんの体をゆすってみるが、反応はなかった。それを目にした瞬間、私の目から自然と涙が流れ出てしまった。
「そんな……イデアちゃん……」
「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!」
首を振りながらイデアちゃんの胸に手を当てるネアさん。心臓を感じられる場所に置かれた手を、私たちも黙って見つめる。その手に何かを感じ取ってほしいと願っていた。だけど、ネアさんは何も言わずに手を離すと、おもむろに泣き出してしまった。
その悲しみに暮れた顔を見てしまうと、私は事実を受け入れるしかなかった。
「イデアちゃん、どうして……」
安心しきった微笑みを見せたまま、安らかな眠りについてしまった。ただ流れ出てくる涙が止められない。手で拭おうとしても、次から次へと涙があふれ出てくる。
「うっう……イデ、アちゃ……うう、うあああぁぁ……」
ネアさんも隣で声を押し殺すように泣いてしまい、更に強い気持ちに押しつぶされる。涙を止めようとしているのに、酷くざわつく胸を抑えたくなる。胸の中に詰まっていた希望が、すべて砕け散ってしまった感じがする。
折角助け出したのに。折角、やり直せるチャンスがあったというのに。
最後の最期に、こんな終わり方を迎えるなんて……。
「こんなの、あんまりですよ……」
私の肩にネアさんの顔が押し付けられる。彼女の震える体に腕を回してあげながら、私も自分の涙を流していく。
もう戻らない。家族と出会えたというのに、そこから先の未来はもう、閉ざされてしまった。
ふと、イデアちゃんを抱えたままユリアさんが立ちあがった。無言のまま足を進ませ、目をそらしていたラシュウさんの腕に彼女の体を預けた。
突然の行動に「ユリア?」と聞くラシュウさん。ユリアさんは何も言わず、おもむろに実験場の入り口に向かって歩き出していく。
「待ってユリア! どこに行くつもりなの? まさか、あそこに戻るつもり?」
ネアさんがそう聞くと、ユリアさんはその場で足を止めた。
「一人で行くつもり? 危ないよ。イデアちゃんが死んじゃったのに、ユリアまで死なれたら、ネアは……」
「すまない、ネア」
彼女の手が、猫の被り物を掴んだ。それをゆっくり引っ張っていき、脱いでいく。
溢れ出た銀髪が、背中まで垂れ下がっていく。とても艶やかで、綺麗な色で輝く長髪。脱ぎ取った被り物を地面に落とすと、ユリアさんは顔を上げ、瞼を開いて赤い瞳を覗かせた。その目で鉄扉を射るように見つめ、静かにこう囁いた。
「私は今……猛烈に怒り狂っている」