17-10 強大すぎる男
まだ、元凶が生き残ってる。俺は床に腕を伸ばして立ち上がろうとする。が、まともに力を入れられず、立ち上がることができない。
まだセレナを助けてないっていうのに、今の俺では立つことすらままならない。
「アマラユ。一体なにをするつもりかしら?」
カミエラの声が俺たちにも聞こえて、この場の俺たち全員が同じ方向を向いた。アマラユは片手を伸ばし、黒い魔法陣を俺たちに向けていて、一瞬にして俺は焦りを憶えた。
「君の実験はもう終わった。赤目と魔物の両立は、見ての通り不可能だった。それが彼らによって証明された今、もう彼らに用はないはずだ」
「殺すのは困るわ。生き血でなければ実験の効果は望めないもの」
「知ったことか。私は今まで君のくだらない実験に付き合ってきたんだ」
「くだらないですって?」
「ああくだらないとも。やり方も虫唾が走るほど気色悪かった。その上、最後は失敗に終わる。哀れなものだな、カミエラ」
黒色の魔法陣の光が強まる。
「もう君との協力は終わりだ。さっさとこちらの目的を果たさせてもらう」
俺たちの前に黒い靄があふれ出す。
「其は汝が為の家僮なり。朽ちた魂を我に捧げよ」
そこだけ沼地と化したように黒ずんでいき、やがて靄の中から、骨の手が伸び出てくると、そこから巨大な人骨の上半身が現れて俺たちを見おろしてきた。
「死属性最上級魔法! なんでだアマラユ! どうして俺たちをお前が狙う!」
「私にはある野望があってね。そのためには、この世界を制圧しなければならないんだ」
「制圧だと! 本気で言ってるのか!」
「ああ本気だとも。そのために、戦闘力の高い君たちを先に潰しておきたいんだ。体力を消耗し、そこの猫頭も意気消沈しているこの機会を、逃す手はないだろ?」
今まで掴みどころのない奴だと思っていたが、その正体はやはり俺たちの敵側だったわけか。野望のためだかなんだか知らないが、世界を制圧なんて馬鹿げてる。
「ふざけるな! お前ごときに、この世界が制圧できるもんか。俺なんかよりも、強い人間なんてたくさんいるぞ!」
「ふん。自分の実力なら既に把握済みだ。実績だってある。先に起きた災厄の日を覚えているか?」
「ジバで起きた魔物の大襲撃か。それがなんだ?」
「あれを仕向けたのは、私だ」
なんの前置きもなく、俺たちはそう知らされた。全身から一瞬、力が抜けていく感じがして、頭の中も真っ白になってしまう。
思い返される三ヶ月前のジバ。予言されていた災厄の日は、想像とは何倍も恐ろしいものだった。五十万の魔物が海を作るかのように押し寄せ、中には魔物四天王という強敵まで現れ、それを限りある兵力の中で首の皮一枚でつないだ、まさに奇跡の勝利。その裏には、どうしようもなく出てしまった犠牲と、最強の称号すら手に入れた戦士、ミスラさんの功績があった。
「お前が……ジバの兵士を、ミスラさんを、殺したっていうのか?!」
アマラユは不適な笑みを浮かべる。
「あの男はこの世界で一番強い男だったからね。最初に潰させてもらったよ」
「お前……マジで言ってるのか!」
「すまないね。野望のためには、どうしてもこの世界が必要なんだ。だから君たちも……」
アマラユが魔法陣を再び光らせると、巨大人骨の右手に握りこぶしを作り出した。依然体に力が入らない俺は、それをただじっと見つめることしかできない。
「ここで死んでいてくれ」
人骨の腕が空を重そうに切り裂きながら迫り来る。誰も何もできなくて、潰されると思って俺は目を瞑ってしまう。殺意を覚える間もなく終わるのかと、すぐに後悔の念が募ってきていると、金属を強く叩くような音が前から響いた。そのまま鉄と鉄が歯ぎしりをしているような、ギーギーと引きずったような音が続いて目を開けた。
するとそこには、テオヤが骨の拳を三尖刀で防ごうとしている背中があった。
「テオヤ!?」
「死なれては困る。命令なんだ」
人骨の拳に負けじとテオヤはこらえ続ける。骨の壁と彼の手の間でカタカタと武器だけが揺れていると、テオヤは意を決するように腕を大きく振り払い、人骨の体を反らせるほど拳を払いのけた。
あの巨体が。俺たちの数倍もある人骨が、背中を反って両手を地面につける。柄が床につくように突き立てるテオヤ。真っ先にアマラユが話しを切り出す。
「どういうつもりかな? 彼女の指示もなしに勝手に動き出すなんて」
「彼らを死なせてはいけない。それが命令だ」
「命令? そんなのをいつしたのか。言っておくが……」
アマラユの目線が、捕らえられてるままのセレナに向く。
「こっちには人質がいるのを忘れるなよ。君には関係のない人だろうが、それで君を許せなくなる人だっている」
テオヤは俺に振り向かないまま、勝手に返事をする。
「彼女のことは、俺には関係ないことだ」
「フン。情弱な奴だ。赤目というのは感情が殺意しかないのだから当然か」
アマラユが再び魔法陣を光らせ、巨大人骨の拳を振り下ろす。テオヤも刹那に構え直す。またさっき聞いた音が鳴り響くのかと俺は身構えたが、俺とテオヤの間から靄が生まれたのに気づいた。
まさかアマラユの別の攻撃か?
すぐにそう思って離れようとしたが、動き出すよりも先にそこから新しい人骨の腕が伸び出した。その腕は俺たちではなく、向かってくる拳に伸びてそれを食い止めた。
「なんだ!?」
アマラユが驚愕を隠し切れない顔をしている。拳を止めた人骨がだんだんとせりあがってきて、それに呑まれないように俺たちは少し距離を取る。やがて、新たに生まれた巨大人骨は、アマラユの出した人骨と火花を散らすように顔を見合わせた。
「最上級死属性! それも、私と同じ魔力でだと!?」
驚嘆の声を上げるアマラユ。微かに、テオヤが「来たか」と呟くのが聞こえた気がすると、突然、背後の入り口から突風が吹き荒れた。
入り口に立っていた九人の黒服たちが、みんな揃って体を吹き飛ばされる。
「なに!? ――っぐあ!」
なおも強く吹き続ける風に乗って、彼らが勢いよくアマラユたちの頭上を飛び越え、奥の壁に強く叩きつけられる。
今、何が起こっているんだ? 突然現れた巨大人骨。入口からは強い風。テオヤもよく分からない理由で俺たちを護るし、突然の展開過ぎて全く状況を掴めない。
誰もが驚きのあまりに黙り込み、部屋が静寂に包まれる。そんな中、一つの足音が迫ってくるのが聞こえ、ここにいる全員の目が、部屋の入口に向けられた。
「……テオヤの帰りが遅いと思って来てみたら、まさか本当にここにいたとは」
聞き覚えのある男性の声。柔らかくも威厳を感じられる、あの時出会った男の声。
「この声は?」と、カミエラも呟く。彼女にとっても覚えがあったらしいその正体が、部屋の中で明かりに照らされようとする。
「カミエラ。また悪さを企んでいるのなら……」
最後の足音が鳴り、彼の顔が明るみに出た。
「ログデリーズ皇帝の名のもとに、僕が再び打ち破らせてもらうよ」
皇帝カナタ。その本人に間違いなかった。
「カナタ!? どうしてここに!?」
俺が声をかけると、カナタはまた歩き出した。
「君もここにいたんだね。酷い大けがだ。僕が治してあげよう」
そう言って片手を俺に向けると、そこに黄緑色の魔法陣が浮かび上がり、俺の体が淡い光に包まれていった。たちまち俺の傷が塞がっていって、入らなかった力が元に戻っていく。
充分に俺を回復してくれると、カナタは魔法を解除し、今度はセレナに目を向けた。
「縛られてる彼女も可哀そうだ。ハヤマアキトの大事な人なのだから、返してもらわないとね」
再び空いた手に魔法陣を作りだすと、灰色の光を輝かせてセレナを光で包んだ。突然の魔法に横についていた黒服も反応できないと、俺の隣に同じ魔法陣が浮かび上がり、そこにセレナが転移されてきた。
「これで、とりあえずは解決かな」
「セレナ!」
急いで彼女の元に近寄り、縛られていた縄をほどいていく。「皇帝様が、どうしてここに?」と聞かれたが、俺も「分からない」とだけしか答えられない。再会の喜びよりも唖然とした感情が勝っているのが本音だった。
容量よくスマートにセレナを助けてしまったカナタ。その彼の隣に、テオヤが黙って並び立つ。
「お疲れテオヤ。よく彼らを守ってくれたね」
「命令を果たす。それが俺のできる唯一のことだ」
テオヤがカナタにそう返すと、カミエラが少々苛立ちを見せるように眉間にしわを寄せた。
「どういうことかしら。弱者のいない世界を作り出し、強者であるあなたが生きやすい世界を作る。この私の理想に確かに納得し協力してきたはず。それなのに、なぜ裏切るのかしら?」
その言葉にテオヤの口が動く。
「カミエラ。貴様の命令なら既に果たした。赤目を持つ彼らをここに連れて来ること。それより先の命令は、貴様の口からは聞いていない」
「あらそう。そしたら私が、彼らを拘束しなさいと命令したら、あなたは素直に聞いてくれるかしら?」
「それは、難しいだろうな」
「どうして?」
兜に隠された目が、横の人間に向けられる。
「今ここに、強大すぎる男がいるからだ」
「あらそう。あなたは私の命令を聞かないというのね」
「違うよ」とカナタが返す。
「テオヤは命令に忠実だ。それも、自分と対等か、それ以上の強者による命令にはかなりね。恐らく君のことも、彼はそういう風に見ているはずだよ。だからこそ、人探しの命令を完璧にこなした」
カミエラはすぐに反論する。
「だとしたら、どうしてあなたの命令に従っているのかしら? あなたが私と敵対関係にあることくらい、分かっているでしょうに」
「彼も一人の人間だ。彼にだって彼なりの意志というものが存在しているんだよ」
「だからって、自分の主の敵の命令に従う犬がいるかしら? 私は彼のことにはかなり目を瞑っていたわ。城であなたの隣にいることだって、魔法で監視をつけておくことで許してあげてたし、他での活動だって黙認してあげていた。これだけよくしてあげた上司に向かって、反抗的になるのはどうしてかしら、ねぇ?」
そう言ったカミエラの顔に、俺は嘘の香りを感じ取っていたが、カナタもそれに気づいていたのか流暢に口を動かした。
「魔法の監視なんて、単に僕らの行動を感知して、気づかれていないかを確認するためのスパイでしかない。活動の黙認だって、どこかで新しい赤目を探すために放っておいただけじゃないのか?」
「あら。バレてたようね。でも変だわ。彼の会話は全部聞こえるようにしていたのに、一体いつあなたは彼に、このような命令をしたのかしら?」
「簡単なことだよ。君に監視をつけられる前に命令していたんだ。僕が初めてここに現れた日。君たちを倒した後で、一人残ったテオヤにこっそりとね」
俺たちには分かりようのない、彼らの間だけの会話が繰り広げられていく。「本当にあいつなのか」とラシュウが皇帝を見ながら呟くのが聞こえた。そう言えば、この三人が実験施設から逃げ出せた時、ある魔法使いが助けに来てくれたと言っていたっけか。
カナタとカミエラは、まるで面識のあるような口ぶりで話している。恐らくは、初めてここを潰しに来たのが彼だった。
「カミエラ。テオヤとの関係が長い君に、彼という人物を教えてあげよう。テオヤは自分で力を持っていながらも、上に立つことを考えない。力を使えば人を支配したり、従わせることは簡単であるのに、彼はそれをしない。それがどうしてか、君には分かるか?」
「さあ。単純に人を動かすことができないんじゃないかしら」
「違うよ。テオヤが僕たちの命令にだけ動く理由。決して上に立とうとしないのは、強者の果てにあるものが、孤独であることを知っているからだ」
「孤独? 何を馬鹿なことを。それがなんだと言うの?」
「彼はその孤独を経験したんだよ。小さな村で育ち、生まれ持った力で村人たちを助けていった。だがいつしか、村人たちは彼に頼り切りになり、その関係が冷めたものになっていった。そうしてただ一人、当たり前のように彼は誰かの命令に従い続けては、誰からも感謝されずに生きていく。彼は気づいたんだよ。強者とは孤独であり、孤独とは実に空虚だと」
「それが彼の意志と言うのなら、どうして私に協力したのかしらね? 強者というものが空虚で嫌なら、私の命令に従ったりはしないはずじゃない?」
「こう見えても彼は正直者だよ。テオヤは本当に君の理想を尊重し、従順に命令に従っていた。その志は、今も変わってないはずだ」
その返しにカミエラが渋い顔を見せるが、構わずカナタは言葉を続ける。
「彼は密かに求めていたんだ。自分と対等でいられる存在。同じ強者の立場に立てる者を。カミエラの実験に魅力を惹かれたのも事実で、実験に協力したのも事実。そこにいる彼らを苦しめたことも……」
カナタが横目でネアたちを見ると、次の言葉と共にすぐにカミエラに向け直す。
「でも、テオヤも一人の人間だ。表情を表に出さなくても、彼なりの正義は存在する。被検体が壊れていく光景に、彼の心に迷いが生じた。善悪という概念を真正面から突き付けられた時、彼の前に僕という強者が現れたんだ。そして、僕が提示した新しい世界の作り方を明かした時、テオヤにとって選択肢が生まれたんだよ。更なる強者を生み出す君の理想か、強者としての居場所を自由に作れる僕の理想か、というね」
カナタが最後までそう言い切った時、カミエラは笑いをこらえるようにしながらこう返した。
「選択肢ねえ。テオヤはあなたのことを強大すぎる男と言ってたわ。単に敵わない相手を前に、彼が服従しているだけじゃないのかしら?」
「いいや」とテオヤが声を上げる。
「お前のやり方には納得できない。野蛮な方法で作り上げた世界には、興味が失せただけだ。ただそれだけのこと」
本人からの否定にカミエラが「フン」と口を尖らせる。カナタが物腰柔らかい声でこう続ける。
「カミエラ。彼は人だ。生き物というくくりで囲うには、あまりに曖昧過ぎる。君が好む被検体や、黒服の部下たちにとっても同じだ。彼らはみんな人であって、決して意志のない道具ではないんだよ。人はそんなに単純じゃない。だからこそ彼らは、君に反抗し理想を崩そうとする。そしてそれは、僕も同じだ」
それを聞いた瞬間、カミエラが眼帯のついていない目を見開き、低く揺れる声で「勝手なことを……」と呟いた。その言葉に笑い出したのはアマラユだった。
「フフフ。皇帝様はいいことを言う。まさにその通りだ。人は人であって、命令だけを聞く駒なんかではない。だからこそ上に立つ者は、そのすべてを理解し支配する必要がある」
そう言ってアマラユが魔法陣を黒く輝かせると、遅れてカナタも同じ魔法陣を光らせた。それに反応して二体の巨大人骨が両手をドスンといきなり押し合った。それから更に、同時に顔を後ろに下げ、勢いよく頭突きをして互いに砕け散っていく。
下にいた俺たちが、上から降ってくる骨の破片を腕で防いでいると、アマラユがカナタに歩み寄っていくのが見えた。
「初めまして皇帝。私はアマラユ。カミエラの協力者だったものだ。あなたのことはよく噂を耳にしていた。実際に会えて光栄だよ」
「こちらこそ光栄だね。人知れず強力な魔法使いが現れたと聞いて、僕も気になっていたんだ」
「フフ。私のことを知っていたのか。けど生憎、楽しい会話はできそうにない。私は訳あってこの世界を制圧する必要があってね。そのためにも、君は最後の敵になるだろうと予想していたのだが……」
カナタの前まで来たアマラユが、そこで足を止めてじっくり彼の瞳を見つめる。
「こうして前に現れてしまった以上、戦いは避けられないようだ」
その挑発に、カナタも真正面から平然と見つめ返す。
「そうみたいだね。君からは不思議と恐ろしい気配を感じていた。この感覚はそう、魔王を前にした時と似ている」
「ほう。魔王と戦ったことがあるとは。これは、心してかからなければいけないかな」
「あまり戦いは好みではないんだけど。とりあえずは、場所を変えようか。彼らが巻き添えになったら可哀そうだ」
そう言ってカナタが片手を突き出し、自分とアマラユを囲うように灰色の魔法陣を床に浮かばせた。光が強まっていく中、アマラユも余裕の表情で待っていると、カナタは転移魔法を発動させる前にテオヤに目を向けた。
「テオヤ。僕はここを離れる。後は、君に任せるよ」
カナタは最後にそう残すと、そのまま魔法を発動させて、光と共にどこかへと転移していった。