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16‐16 我は、悪鬼羅刹をこの身に受けた者なり

「ミスラ!」


 キョウヤが叫び、走り出す。全身血まみれのミスラさんの前に立って、目が潰れた顔を見上げる。


「意識はありますか? 私が見えますか?」


 言葉をかけるも、ミスラさんからの反応は何もない。口を開かず、ただ死体となったヤイバをじっと見つめたまま動かない。そこにセレナが駆けていくのにつられて、俺は傷の痛みを我慢しながら走っていく。


「今すぐに城に転移させます!」


 セレナは灰色の魔法陣を描こうとする。ミスラさんの眼下で、魔法陣の線が繋がって円になろうとした時、いきなりミスラさんの足が動いた。


「ミ、ミスラ?」


 キョウヤが止めようと彼の腕を掴む。だが、ミスラさんは顔を振り返らないままそれを振り払ってしまった。そのままセレナの魔法陣を通り過ぎ、大剣を引きずりながら前に進んでいく。


「どこに向かうのですか! その体ではもう!」


 ミスラさんを追いかけ、キョウヤはもう一度彼の手を取ろうとする。しかし、また同じように払われてしまうと、今度は厳しい視線で刺してきた。光の宿っていない、憎悪で染まった赤目。それを見て、俺は痛感してしまう。鬼のように恐ろしいと思っていたあの人の、優しさの欠片も残っていない本気の気迫を受けてしまえば、俺には分かるしかない。


 彼には、もう……。


「待ちなさいミスラ! その先は西の城門です! まだ魔物は残ってって……まさか!?」


 ミスラさんはヤイバの死体を通り過ぎていき、まるで何かに執着するかのように、ひたすら体を前へと運んでいた。キョウヤが何かを察した通り、俺にもミスラさんの目的が分かっていた。


 彼は、まだ戦おうとしている。いくらその手が血に染まろうと、どれだけ死にかけようと。ミスラさんはまだ、魔物たちと戦おうとしている。その執念が、果たしてジバを救うための使命によるものか。それとも、赤目によって理性を失い、殺意の獣に変わったからかは分からない。


 ただ一つ。


 苦しそうに心臓を抑え出し、血の跡を濃く残して進むミスラさんからは、もう手遅れなんだということだけが、確かに伝わってくるのだ。


「……セレナ。転移魔法、使えるか?」


 俺がそう聞くと、セレナはギョッと顔を白くして何度も首を振った。


「ダメです! ダメですよハヤマさん! ミスラさん、本当に死んじゃいますよ!」


 迫真のこもった声に、俺は平静を装うように返す。


「もう……あれは無理だ」


「無理だなんて! そんな……そんな言い方は、あんまりじゃないですか!」


「出血量も多いし、理性も失いかけている。あれがどうすれば助かるって言うんだ」


「それは!? でも、ミスラさんが戦う理由なんて、もう……」


 そんなのは分かってる。そんなのは俺でも分かってるんだ。


 一番厄介な敵は倒した。増援のおかげで敵の数も半分以上削れた。戦えない人が、無理に戦場に向かう理由なんてない。


 彼が戦う理由なんてないんだ。理由はもう、ないはずなんだよ。


 それなのに、彼は歩き続けるんだ……。ほとばしる衝動を必死に抑え込んで、傷だらけの体を運んで、敵を潰すための大剣を引きずってまでして。


 そこまでして彼は――


「……殺意に蝕まれた意識の中で、最後までこの都を守ろうとしている。その意志を、無駄にさせたいのか?」


 腹をくくって、俺はそう口にした。意志、なんて大層な言葉を使ったが、それが本当かどうかなんて知ったことじゃない。彼が倒れてしまうとか、心身が壊れてしまうかなんて関係ない。俺たちがどれだけ涙を流そうが、そんなのではもう取り戻せない。


 今はただ、彼の雄姿を見届けることしか、俺たちにはできないんだ……。


 セレナは泣きながら、悔しそうに顔を俯かせて黙り込む。その間にも、ミスラさんは前に進み続けている。重たい足を、一歩一歩、着実に踏みながら。その足が、止まる気配は微塵もない。


「急ぐんだセレナ。城門まで、あの体はもたない」


 爪が食い込みそうなほど、俺は握りこぶしを作っている。ミスラさんとの間にいたキョウヤが、俺たちに振り返ってきた。泣き崩れてしまいそうな顔で、彼女はセレナに向かって一つ、ゆっくりとうなずいた。


 キョウヤの無言での指示に、セレナは苦しそうに口に手を押し当てる。まるで声を押し殺すかのように強く口を固め、しばらく肩を震わせた。


 誰も何も言わず、大剣が地面を削り進む音。そうしてやっと、セレナが顔を前に上げると、とうとうその手を彼に向けて伸ばした。


「転移魔法……」


 灰色の魔法陣が、彼の足元に浮かぶ。ゾンビのようにゆっくり、ヨレヨレと進む彼の動きを追うように、魔法陣がついて回る。そこから光が、徐々に彼の体を包んでいく。


「ワープ……」


 そう唱えた瞬間、魔法陣から伸び出た光が、ミスラさんを覆い隠した。すぐに光が晴れていくと、そこに彼の姿はなかった。



 ――――――



「引けえ! 引けえ!!」


 ジバで一番の城門である西の方角。城壁の上で指揮官が空に雷魔法を放って合図し、地上の兵士たちが門まで下がっていく。波のように大量の魔物たちが、城門の入り口までじわじわと押し寄せてくる。


「おいグレン。まだ十万は残ってるぞ」


 半数以上の兵士が都の中に撤退する中、グレンとベルガは前線を守りつつ彼らの撤退を援護していた。


「さすがに、数が多すぎる。犠牲者も何人か出てるし。俺たちだけじゃ……」


「ちっきしょう。俺とグレンでも抑えきれねえってのか」


 その時、二人の間から一人の男が出てきた。血まみれの手で大剣を引きずる彼に、グレンはすぐに声をかける。


「ミスラ!? その傷は一体!」


 ミスラは何も返事をしないと、ただ無言で大剣を両手に持ちかえた。背中から頭上にかけて持ち上げるようにして、地面を叩きつける。そこから起きた強い揺れに、魔物たちが各々体が動かせなくなる。グレンとベルガ、背後にいた兵士たちも思わず地面に手をついていた。


 地面を突き進んでいくひずみが二本。途中までいって忽然と止まった瞬間、大きな音と共に地面がへこんだ。空から見えない巨人が、真空の筒を蓋の上から押しつぶすように、徐々に徐々に地盤が沈んでいく。


 ミスラの前にいた魔物たちが阿鼻叫喚を奏でる。運よくその範囲から免れていた魔物たちも、その光景に体を委縮させていた。


 よろけるようにその場に立ち上がるミスラ。青白くなった顔を上げ、そこから真っ赤な瞳をすべての魔物たちに見せつける。そして彼は、最後の一声を残した。


 ――我は、悪鬼羅刹をこの身に受けた者なり。



 ――――――



 俺はアミナとヤカトルに誘われ、三人で城下町の外れにある墓場まで来ていた。百ほど作られた土の山。その先頭に、ひと際大きな墓がある。地面に埋め込まれた石碑に書かれているのは、文字が分からずとも俺には分かっていた。


 実際に、彼の最期を見届けたから。


「あれから三ヶ月が経ったか。早いな、時間の流れは」


 アミナが生け花を取り換えているのを眺めながら、俺は呟いた。隣にいたヤカトルが、柄にもなく神妙な口ぶりで話してくる。


「未だに信じられねえな。あんな人でも、死ぬ時が来るだなんて」


 花を変え終えたアミナが立ちあがる。


「ヤカトル。彼らの前でする話じゃないわ」


「そっか。すまん……」


 手を合わせ、黙祷を始めたアミナ。それに続いて、俺も彼らに手を合わせて目を瞑った。




 この逸話は、きっと後世にも語り継がれることだろう。時の都には、時間を越えて都を守り切った勇敢な武人がいると。地面を砕くほどの怪力で、十万の魔物を畏怖させた戦士がいると。


 死してなおその場に立ち続け、一生かけて城門を守り続けた、鬼神の英雄がいたと。


 城門の前で仁王立ちして息を引き取った姿を、俺は三ヶ月経っても忘れられなかった。


「自分の未熟さを思い知らされたわ。私がもっと早く戻れていれば、助けれらていたかもしれない」


 墓参りを終え、街中を歩きながらアミナが後悔を口にする。そう思うのは俺も同じだ。きっとヤカトルやキョウヤ、兵士たちを含めた他の人たちだってそうだろう。自分たちにもっと力があったらと、そう願わずにはいられない。


「俯くなよ、アミナ」


 ヤカトルがアミナの肩に手を置く。


「五十万もいた魔物から、この都を守り切ったんだ。それだけでも相当な快挙だ」


 柄にもなく励ましの言葉をかけるヤカトル。アミナは顔が浮かないまま呟く。


「彼らの犠牲なくして、あの時の勝利はなかった。生き残った私たちが、前を向かないといけないわよね。そうじゃなきゃ、彼らが浮かばれないものね」


 彼女の言葉を聞きながら、俺は百以上あった墓を脳裏に浮かべた。いくら過去を振り返っても、もう彼らは生き返らない。生き残った俺たちにできるのは、彼らの分までこの世界を生きるということだけだ。


 街は白と青色の印象が残っていて、人々が平和そうに暮らしている。いつも通りの光景だ。本城の前で争った形跡や、それぞれの方角の門前の状態も、土属性の魔法使いを中心に修復して、三ヶ月の間にすっかりに元に戻っていた。


 セレナが増援で呼んだグレンたちも、みんな無事に生き残っていた。彼らは相応の報酬を貰い、都の復興を少し手伝ってくれた後、セレナの魔法で王都ラディンガルへと戻っていった。今度は無茶をさせないよう、時間を離して転移させた。


 俺とセレナは都を守り切った後も、時間魔法習得のため、いつもの日常を過ごし続けていたのだった。セレナがキョウヤから時間魔法の方法を教えてもらい、俺はそれを見守り続ける。見張りをしているヤカトルやアミナが気まぐれに顔を出してくる。至って平穏そのものの暮らし。災厄の日が、まるで夢の中の出来事だったかのような日常。


 けれどもそこに、ミスラさんの姿はない。ご飯の時間になっても彼はいないし、夜の中庭にもアミナとしか会えない。三ヶ月が経ったとしても、俺にはどうしても、ぽっかりと空いてしまった空白感がぬぐえずにいた。


 とても大きなものを失ってしまった。俺は昔と違って力があったのに、それでも足りなかった。心に刻まれたこの後悔が、簡単に忘れることができなかった。


 本城について、セレナの練習風景を見ながら自分の手を見つめる。俺たちに罪はない。けれども俺は、この気持ちを贖いとして背負う必要がある。すぐ近くに、護りたい存在がいるから。


「スロウ!」


 セレナの声がそう聞こえ、下ろそうとした手の動きがナマケモノのようにゆっくりになった。やっと下ろし切った目先で、彼女の歓喜の表情を見る。


「本当にできた! できましたよ! ハヤマさん!」


「そう、みたいだな」


 動かしづらい口でそう返す。スッと魔法の効果が切れて自由になると、喜びを共有するキョウヤの声が聞こえてくる。


「やりましたねセレナ。発動原理さえ理解できれば、私から教えられることはありません。後は実戦あるのみですよ」


 セレナは頭を深く下げ、感謝を示す。


「ありがとうございます。キョウヤさんのおかげで、転世魔法に近づけました」


「どういたしまして。もしまた困ったことがあったら、いつでもおっしゃってください。セレナにはまた、新しい仮が出来ましたから」


「はい。とりあえず、今の状態で転世魔法が発動できるかどうか、試してみないと」


「成功できたらいいですね」


「きっと成功してみせます! 私、頑張りますから!」


 強い決意を口にしたセレナが、俺に振り向いてきた。


「それじゃハヤマさん。行きましょう!」


「え? 行くってなんだ? 転世魔法か?」


「違いますよ。習得祝いの抹茶団子ですよ!」


「そっちかよ」と肩を落とす。でも、祝いは大事か。


「まあいっか。セレナはずっと頑張ってたもんな。キョウヤも一緒にどうだ?」


「へ? 私、ですか?」


「あ! いいですね。ぜひ一緒に行きませんか?」


 キョウヤは困った顔をしていたが、セレナも後押しすると微笑みをたたえた。


「フフ。そうですね。あれから時間も経って、やっと落ち着いた頃です。私も、街に下りて皆の様子を見て回らないと」


「行きましょう行きましょう! 街の方たちもきっと、キョウヤさんの顔を見れば元気が出ますよ!」


 セレナがキョウヤの手を引き、部屋を出ていこうとする。俺もその後を追うように歩き出す。


 もしも天国だとか、死後の世界なんてものがあるとしたら。そしたらそこで、彼はこの世界を見守ってくれているのだろうか。今こうして、彼自身が護ってくれた存在を、見守ってくれているんだろうか。


「……死んでいるのに、見えるわけないよな」


 俺に限って、そんな気休めな考えを持つなんてらしくないと思った。死んだ後なんて死んだ人にしか分からないんだ。考えたって証明ができないんだから、俺は、今いる世界を強く生きていくんだ。


 彼が残してくれたこの命を、ちゃんと最期まで。



 十六章 災厄の日

                                ―完―



「なるほど。すっかり平和そのものだ」


 飛翔魔法で街を一望した後、アマラユは地上に降りてそう呟いた。


「彼は本物だったようだ。手を抜いたつもりはなかったのだが、少し甘く見過ぎていたか。ヤイバを失った分は大きい」


「そこで何をしている?」

ぼそぼそと独り言を呟いていた彼に、ある男が声をかけた。アマラユは振り返る。目の前にいたのは、目元まで覆い隠した兜の男。三尖刀使いのテオヤだった。


「君は……思わぬところで出くわしたものだ」


 アマラユは兜の中の瞳を見るようにして、ニヤリと笑いだす。


「君に聞こう。過去に、暴虐非道な人体実験がこの世のどこかにあったとする」


 テオヤは微動だにせず最後まで聞く。


「滅んでいたと思われていた組織。そのボスが今、復活していたとしたら?」


「なに?」


 動揺の声を洩らした彼に、アマラユは「そして……」と続けて肩に手を乗せる。


「当時その傘下さんかに下っていた君は、果たしてどうするのかな?」

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