16‐13 よおく聞いとけよ赤目
都の南東部分の小さな市街地。その内の小さな一軒家の前にたどり着くと、ハクヤ様は口を開いた。
「いいミスラ? まとめておくと、ミスラはここにいる賊たちを全員捕まえればいいのよ。場合によっては討伐も認められるけど、できれば武器を下ろさせてよね」
「承知。でも、ハクヤ様が隣にいては危険なんじゃ?」
「大丈夫。私はここでどこかに隠れてるから気にしないで。それより、ミスラこそ一人で大丈夫なの? 別に、こんな危ない依頼じゃなくてもよかったのに……」
ハクヤ様が心配そうな顔を浮かべる。彼女が提案したのは、都の依頼を受けていき、それらを解決していくことで人々の信頼を得るというものだった。その依頼を選んだのは、ハクヤ様も言う通り私自身だ。
「無理したら嫌だよ? 私、ミスラには死んでほしくないから……」
「鍛錬なら、毎日積んでる」
「でも、実戦は初めてじゃない?」
「……一応、演習はしてるけど」
言葉に困って、結局そう言っていた。確かに私は、今まで人を相手にしたことはない。精々素振りと、大人の兵士と木刀を交えたくらいだ。
「やっぱりやめよう。もっと安全なものからやって、経験を積んだ方がいいよ」
その言葉に私は首を横に振る。
「いや。僕はやるよ。ハクヤ様は僕のために提案してくれた。その気持ちに、僕も誠心誠意応えたい」
「……そっか。ミスラも頑張りたいんだね。分かった。私、ここで待ってるから。絶対に戻って来てよね」
私はうなずくと、ハクヤ様はもう一度微笑んでからその場から早足で去っていった。私は前に一軒家に振り返る。賊が住んでいるようには見えない、ごく普通の家。その横開きの戸を、私は臆することなく開いた。
横開きの戸を開けると、小さな玄関が出迎えた。玄関はとても綺麗に整っていて、とても賊がいるような気配を感じられなかった。だが、廊下を通った先に居間があるのが目に映ると、畳に寝そべっていた一人の男が私に気づいた。目が細くて強面の大人が、私に近づきながら苛立ちの声を上げる。
「おいガキンチョ。ここは人の家だ。さっさと出ていきな」
「私は城の兵だ。ここに賊がいると聞いたのだが」
「ああ? 城の兵だ? そうかそうか。そうだったのか……」
何かが引っかかるような物言いをしていると、男は腰裏に忍ばせていた短刀を取り出した。
「そんじゃ、黙って死んでもらおうか!」
本物の刃が見えて、私の体がすぐに警戒するよう腰を落とす。そして振り下ろした腕を見切って、彼の手首を片手でがっしり掴んで受け止めた。戻そうとするのを、私は力を込めて離さない。
「んな!? なんて、馬鹿力だ!?」
「他の仲間はどこにいる?」
「はあ? 仲間なんていねえよ。俺ただ一人だ」
握っている手により力を込める。
「イデデ!? こ、このガキ、なんつう力してやがる!」
「もう一度聞く。仲間はどこにいる?」
口にしながら余計に力を加えていく。男が口を割らない様子でいると、私は手首を捻った。ゴキッと確かな骨音が鳴ると、男は大声で騒いだ。
「イダイイダイ!? 分かった教える! 居間に地下室がある! そこいるからもう勘弁してくれえ!」
「そうか」
手首を握ったまま男の背後に回り込み、背中を押して地面に倒れさせる。そうしてから、予めハクヤ様から貰っていた縄を腰裏から手に取って、男の体を縛り上げていった。余った縄の部分で、家の横に生えていた一本の木に繋げておく。
一人目を生け捕りにしてから、私は居間に入っていった。一畳だけずれていた畳を動かし、地下への階段を見つける。降りた先に十人の賊がナイフで的当てをやっているのを見つけると、気づいた一人が立てかけた剣を手に取って襲ってきた。
「人ん家に入ってきてんじゃねえぞ、ガキ!」
頭上に迫る剣をひょいと避け、同時に空振りした腕を掴んでこちらに引き込む。前のめりになって倒れたところで、下りてきたうなじに斜めから手刀をお見舞いし気絶させる。
「ッチ! ヘマしやがって。野郎ども! 一斉にかかるぞ!」
残りの賊たちが一丸となって襲ってくる。そこから起きた出来事に、特に語ることはない。ただ乱暴に振ってくる武器を避けては、彼らを地面に寝かせていった。ただそれだけを繰り返して、私はすべての賊を捕らえたのだ。
賊の家を出て、彼らを全員城まで連れて行くと、担当の兵士が彼らを牢屋へ連れて行った。ハクヤ様と一緒にその様子を見ていると、隣で彼女が微笑みかけてきた。
「すごいねミスラ! 本当に一人で全員捕まえちゃった」
「僕の力というより、この目の力だよ。戦っている時、とても熱い感じがしたから」
戦っている時、常に燃えている胸の何かが、この目に繋がるかのように熱かった。それに応じて、自分自身の力や反射神経なんかが格段に引き上げられていた気がする。
「でも、その目を持ってるのはミスラでしょ? だったら、ミスラの力で間違いないよ」
「そう、なのかな……」
「あ! ミスラが照れるなんて、可愛い」
その日を境に、私はハクヤ様の隣にいない時には依頼を受け、都で起こる事件を一つずつこなしていくようになった。賊や野生動物の討伐はもちろん、街での騒ぎの鎮圧や、隣街への身辺や積み荷護衛など。こなした依頼は数えきれない。
当然、近衛兵としての仕事もこなし続けた。いつものようにハクヤ様についていっては、平穏な一日を見守る。誰かに赤目について触れられたとしても、私は仕事をする姿勢を示し続けた。
そんな日々が続いて早五年。いつものようにハクヤ様がふすまを開けてくると、着替えを済ませた状態で出てきた。王族代々に伝わる、薄紅色の晴れ着衣装。いつも通りの朝だ。
「おはようミスラ」
「おはようございます」
いつも通りの挨拶を返すと、ハクヤ様は私を見上げてきた。
「いやあ、本当に大きくなったねミスラ。五年前と大違いだよ」
「はあ。そうでしょうか」
胸の辺りの彼女を見下ろしながら、私はそう言った。
「あ、今日はね。お母様に王室まで来るように言われてるの。ミスラも一緒にだって」
「承知しました」
天守閣の上層。三十二畳もの畳が敷かれたその部屋に入ると、女王は一番奥の畳の上に、木造で飾り気のない小さな玉座に座っていた。私とハクヤ様がその前まで進むと、私は立膝をついて敬意を示す。
「お母様。私とミスラに話しとはなんでしょう?」
「そう構えないでハクヤ。ミスラも、気を楽にして聞きなさい」
「っは」
頭を上げないまま、私は耳を傾ける。
「ミスラが来てから五年。あなたの評判を色んな所から聞いてますよ。とてもよく働く、赤目の戦士がいると」
「恐縮です」
「その驕らない態度も、兵士や城の役人たちでは好評のようです。私は、あなたに謝らなければなりませんね。五年前、赤目だという理由であなたを認めようとしなかった。愚かなことを口にしてしまったことを、どうか許してください」
イスがギスギスと音を鳴らしたのが聴こえて、まさかと思って頭を上げた。女王様はイスに座ったまま、頭を下げてきていた。
「お、おやめください陛下! 赤目の悪評は知れたこと。疑われて当然です」
慌ててそう言い、女王様は頭を上げる。
「慈悲深いのですねミスラは。そんなあなたなら、この話しを通しても皆が認めるでしょう」
女王様は立ちあがり、私の顔を見下ろしながら言葉を続けた。
「ミスラ。今日からあなたを、ハクヤ王女の専属近衛騎士に任命しましょう」
専属近衛騎士。それを聞いた瞬間、ハクヤ様が両手で口を塞ぐようにして驚いた。
「本当ですか、お母様!」
「ええ。あなたを護る騎士は、彼が一番ふさわしいでしょう」
「陛下。専属というのは、一体どういう意味でしょうか? それに、騎士だなんて」
いまいちピンと来ていなかった私は、女王様にそう伺う。
「ずっとハクヤの隣にいなさいということよ。今までは他の近衛兵と変わりながらだったのを、これからあなたが毎日いればいいの。いついかなる時でも、彼女を護れるように」
「そんな大役を私に……」
「これからも期待していますよ、近衛騎士ミスラ」
私は膝をついた状態のまま、深々と頭を下げた。今までの努力が認められた。城に仕える者として、これ以上にない報告だった。だが次の瞬間、ふすまを開ける音と共に、あの男の声が部屋にピシリと響いた。
「お待ちください!」
部屋に入ってきたのは、黒紅色の髪をしたもう一人の近衛兵、私に嫌味を言ってくるあのランゾルだった。
「納得いきません。どうして私ではなく彼なのですか、女王陛下!」
彼は女王様の前まで歩きながら訴えてくる。
「あなたの功績より、ミスラの功績をたててあげたまでです。それを不服だと思うのならば、自分の行いを顧みてはどうですか?」
「功績と言っても、彼は赤目なのですよ。陛下もその悪評はご存じのはず。今まではおとなしくしてましたが、いつ彼が本性を表すか分からないのですよ!」
「ランゾル。口を慎みなさい。ミスラの本性は実に誠実で謙虚なものです。私の目を疑うというのですか?」
厳しい目つきを向けられ、ランゾルは小さく舌打ちをした。
「そうですか!」と乱暴に吐き捨て、ランゾルはさっさと背を向けて部屋から出ていく。ふすまが強く閉められるのを見て、女王様は深くため息を吐かれた。
ランゾルのように、一部の人間は私を認めていなかった。それでも私は、その日からハクヤ様を守る専属の近衛騎士となった。それで変わったことと言えば、依頼を受けて街に出ることがなくなったくらいで、彼女を見守るという日課に大した変化はなかった。
その日も夜を迎えると、私はいつも通り中庭に出て、木刀を千回振っていた。半月が綺麗に見えていて、音もなく静かなその庭でひたすらに木刀を振り続ける。初めて城に来てから続いている、いつも通りの日課。その日は、初めて彼女に見つけられた時だった。
「あれ、ミスラ?」
ハクヤ様の声がしたかと思うと、彼女は吹き抜けの廊下から私を覗き見ていた。
「ハクヤ様。こんな夜更けに、一体何を?」
いつもなら眠っている深夜だ。
「ちょっと眠れなくてね。そう言うミスラは、こんな遅くまで鍛錬?」
「はい。ハクヤ様をお護りするのが、私の役目ですから」
「そっか。頑張り屋さんだねミスラは。ちょっとだけ、見てていい?」
「構いません」
ハクヤ様は中庭に足を出すようにして廊下に座り込んで、素振りを続ける私を眺めていた。ただ木刀が、ブン、ブン、と空を切る音だけが中庭に響いていく。互いの間には沈黙が流れていたが、それをハクヤ様は突然、小さく囁くような声で破った。
「ミスラはいいなぁ。そんなに強くて……」
振り下ろすのを途中で止め、私はハクヤ様に振り向く。
「ハクヤ様?」
そう聞き返すと、ハクヤ様は意図せず喋ってしまったのか、驚くような表情を見せた。
「ええっとその……私も、そうなりたいなあって言うか。もっとちゃんとしたいなあって言うか……」
「ハクヤ様は、十分立派だと思いますが」
「そんな。何を見てそう言えるの?」
「王女として、毎日座学や魔法の修行に打ち込まれております。どんな人にも明るく振る舞っており、人望も高めていらっしゃる。十五歳にして、それだけ立派にできる方はそうそういないかと」
私は、主観的な事実を包み隠さずそう言った。それに、ハクヤ様の顔が水に濡れたかのように悲しげになる。
「私は立派なんかじゃないよ。明るくしてるのだって、ただ生まれた頃から変わってないだけだし。座学とかも毎日やらないと、中々身につかないから。今だって、もう十五歳になるって言うのに、まだ上級魔法の時間停止を習得できていないもの。お母様だったら、十二の時に習得したっていうのにね」
「いつか習得できれば、歳は関係ないかと」
「優しいねミスラは。でも、どうしても不安になっちゃうの。このまま習得できなかったらどうしようって。将来女王になる私が、魔法も十分に使えなかったらどうしようって。そう思っちゃうの」
彼女の口から、初めて弱音を聞いた。時間魔法は王家の証。この広い都の、大勢の民の上に立つ者として、その証はとても重圧的なもののようだ。だからこそ、日々欠かさず修行の時間を設けているのだろう。積み重ねているのは確かなのに、それゆえに人は焦りを憶えてしまう。
「不安なら、私にだってあります」
「ミスラにも?」
「五年前。初めて依頼を受けて賊を捕らえた日から、たびたびこの目がうずくんです。目の前のものを、壊してしまったらどうなるんだろうと。そう語り掛けてくるように」
「そうだったの? そんな素振り、一度も見せてなかったのに」
「耐えていたのです。私には、この目を持っていても優しく育ててくれた両親がいます。父上が剣を握らせてくれなかったら、私は今も、街の陰で噂され続けていたことでしょう。そのきっかけをくれた方のために、ここで無駄にはできない。そう思いながら今まで、なんとか耐えてきたのです」
「そうだったんだ。ミスラにもそんな苦労があったんだね。ちょっと意外だな。ミスラはどんな仕事だろうが全部簡単にこなす印象があったから。何があってもへっちゃらなのかと思ってた」
「私は、そんな大層な人間ではありません」
「言うと思った。でも、私も見習わないとなあ。今もこうしてミスラが頑張ってるなら、私も頑張らないと」
ハクヤ様が空を見上げた。それにつられて私も顔を上げてみる。美しい夜空の星々が、私たちを見つめ返してくる。
「夜空っていいよねぇ。常にそこで輝いてる。美しいくらいに」
「……そうですね」
二人だけの穏やかな時間。心地いい空気だった。このまま平穏で、ハクヤ様に何も起こらない世界であってほしいと、ふいにそう思っていた。
そんな時間を、あの男が割り込んで潰してくる。
「あーあ。王族と従者の色恋とか、時代遅れですよ」
不謹慎にも突然話しかけてきたランゾル。「どうしてここに?」と私は冷静に聞く。
「赤目が俺に口を利くなよ。いいから黙ってこれを受け取れ」
ランゾルが私に一本の刀が投げ渡してきた。受け取って鞘を抜いてみると、それは本物の刃だった。
「赤目。俺と戦え」
「真剣で、ですか?」
「ああそうだ。俺は納得できねえんだ。お前が認められたせいで、俺の地位が降格する。あり得ないだろ? 俺はお前より一年早く近衛兵になったんだ。それなのに、選ばれたのは俺じゃなくてお前だ。それも、赤目の力があるかどうかなんていう、ふざけた理由でだ」
溜まりに溜まった嫉妬をぶつけられる。思えば私は、ランゾルの戦う姿を見たことがなかった。丁度いい。今まで私を見下してきた彼がどれほどの実力なのか。
「受けましょう」
私の答えに、ハクヤ様が曇った表情を向けてきた。とっさに私は目を向け、大丈夫ですとうなずいて伝える。
「ッハ! 態度だけは一人前だな」
ランゾルは中庭に降り立つと、刀を抜いて鞘を投げ捨てた。私も鞘をその場に捨て、軽い刀を両手に握って構えた。
勝負はとても呆気ないものだった。私たちが向き合った瞬間、ランゾルが先に動き出したが、むやみに振り下ろしてきた一撃を、私の全力の振りがはじき返したのだった。
口ほどにもない相手だ。私がそう思ってその場を立ち去ろうとした時、ランゾルは奇妙な笑い声を上げた。
「ヒヒ……バカだぜ、お前」
私は足を止める。ランゾルはお得意の口を動かす。
「両親のためにそこまで強くなったって言うのか。お前の両親は、お前が思っているようなもんじゃないのにな」
「どういうことだ?」
「お前の父親と俺の父親、実は知り合いだったんだぜ。まあもっとも、最近お前の父親が引っ越してきてから知り合ったから、お前は知らなくて当然だろうけどよ」
「それが何だと言うんだ?」
「この前家に帰った時に、父親がお前の父親といるのを見たんだけどよ。ヒヒ、これが最高の話しをしててよお」
何が面白いのか、彼の話し方に不気味な笑いが混ざっていく。
「お前の父親、お前のことなんて言ったか分かるか? イッヒヒヒヒ! わかんないだろうな! お前には、想像もつかないことだかんな!」
「私の両親を愚弄しているのか?」
苛立ちを感じ、私は彼に近寄ろうとした。それを背後から片腕を掴まれ、ハクヤ様に止められる。
「行きましょうミスラ。彼の話しを聞く価値はないわ」
ランゾルを睨みながらそう言うと、私を連れて中庭から出ていこうとした。後ろから、ランゾルはまだ楽しそうに話しているのが耳に入ってくる。
「教えてやるよ。よおく聞いとけよ赤目。お前の父親はなあ……」
彼の最後の言葉を聞いてしまった瞬間、私の背筋に悪寒が走った。同時に、両目がとても熱くなる。
すかさず両目を抑える。自分の中から何かが迫ってくる感じがして、必死に理性を保とうとする。彼の言ったことはでたらめだ。父親がそんなことを考える訳がない。今の私があるのは、父親のおかげなのだから。
「大丈夫ミスラ?」
彼女の声が聞こえて、手を下ろして顔を見る。意識はちゃんと残ってる。
「……はい。何も、問題はありません」
「今日はもう休みましょう。疲れを残してはいけないから」
「……分かりました」
ハクヤ様と廊下を進みながらも、背後からはまだ、ランゾルの笑い声が聞こえていた。私はその声に、不安を後押しされてしまったのかもしれない。