16‐11 アシュラ……ケツレツ……
奴が武器を揺らす音。柄と刃の交点から、嫌な予感を漂わせてくる。異物は体を貫かれ、確かに死んでいるはず。鳴らせるはずがないと思って、奴の死体に目を向けた。
異物の体が小さく震えだしている。自分の意志とは反したような痙攣。まさかと思ったその時、異物は痙攣するのを止め、何事もなかったかのように体を起こそうとした。腕を立て、膝を曲げて、老いた爺さんみたいな起き上がり方をする。大剣を突き刺した痕がパックリと残っているにも関わらずだ。
「そんな!? 死んでない、だと!?」
これは夢か? 悪夢か? 双刃剣を持って再び立ちあがるなんて。思わず大男も苦しそうな表情を浮かべている。
突然、異物がその場から大きく飛び上がった。背後に宙返りして、沈んでいた地盤から地表に上がる。大男も走り飛んで地面のがけを掴むと、俺も舌打ちをしながら飛び上がり、壁を蹴るようにして地上に登った。
異物が俺たちを睨みつけてくる。隣に大男も並び立ち、またさっきまでと同じ構図が出来上がる。微かに揺らしている両腕からは、双刃剣の音が小さく鳴っている。呼吸をするかのように、規則的に雑音を響かせている。
「オ……レ……」
突如異物の口が開いた。
「フクシュ、フク……」
人間らしくない、不自然なほど低い声でたどたどしい。結局何を言ったか分からなかったが、異物はそこで一度言葉を区切り、両腕を前に伸ばした。二本の双刃剣を縦に重ねるように合わせ、再び何かを呟こうとする。今度は、俺たちにもしっかり聞こえた。
「アシュラ……ケツレツ……」
次の瞬間、双刃剣の四つの刃が、飛び散るように分かれた。それだけじゃない。異物の体から何かが出てきたかと思うと、同じ姿をしたのが四体、分裂して飛び出していたのだ。
「増えた!? アリかよそんなの!」
四体の異物が俺たちの前に立ち並ぶ。全員が体に穴が空いたままで、それぞれ一本の剣を握っている。持ち手と持ち方もバラバラで、一体は右手の順手持ち、別の一体は左手の逆手持ちといった具合に、双刃剣からそのまま分離されたかのように構えている。
「分裂までしやがるとは……」
「来るぞ」
男の言った通り、異物たち四体が一斉に飛びかかってきた。先陣を二体の順手持ちが襲ってきて、俺と大男は離れるようにそれを避ける。
俺の背後に、すかさず別の異物が回り込んでくる。急いで身を翻し、振りかざしてきた逆手持ちの剣と火花を散らす。二回、三回と攻撃が重なり、四回、五回。六回目で突きを繰り出すが、横跳び回転で避けられた。
それを追う間もなく、すぐに背後から別の異物が襲ってきた。頭上から振り下ろされる剣をサーベルを横向きにして受ける。絶壁が寄ってくるかのような力に耐え、声を荒げながらそれを払いのけた。
二体の異物から距離を取ろうとして、すぐさまバク転をして体勢を立て直す。他の二体は大男が空いてしていて、とりあえずはまだ生きてる。俺が集中すべきは、右の順手と左の逆手持ちだ。
分裂した奴らの剣を受けて、分かったことがある。それは力だ。さっきまで馬鹿みたいに強かった力が、分裂した今では正面から押し返せるようになっている。
「分裂と同時に、一体一体の力が落ちたか。やれないことはない!」
武器も剣一本に変わって手数も減っている。一対一に持ち込めれば確実に倒せる。絶望するにはまだ早い。そう意気込みを自分に言い聞かせてる間にも、俺の前に立つ逆手が先に動き出してきた。
目の前まで一気に走り寄ってきて、回転するように剣を振り回してくる。バレエでもやっているかのように軽やかな動きで、サーベルを握る手が折れそうなほどの威力が伝わってくる。
「んにゃろ!」
異物の太刀筋を見切って攻撃を防ぎ続ける。一瞬の隙を見つけ、サーベルを頭上で構えてみせる。狙いは首。
「邪捻流撃 あまの――」
必殺技を繰り出そうとした時、横から黒い影が迫ってきた。邪魔な横入をいち早く察知して、構えを中断しつつその場から飛び退く。なおもその異物が走ってくると、またサーベルとの間から一発の高音を奏で、そのままジリジリと不協和音を鳴らしていった。
一対一のつばぜり合いならこちらに分がある。俺は体を押し込み、異物を剣ごと切ってやろうとした。しかし、彼らは情けを持ち合わせていない。そいつの背後から別の異物が飛び出してくると、逆手に持った刃を光らせた。急いでサーベルを引き戻し、慌ててその場から身を引こうとしたが、異物の剣が先に振られると、横腹にチクりとした痛みが走った。
「――っく!」
横腹を抑えながらその場を離れる。感じた痛みの割に、その部分が異常に熱くなっていく。まさかと思って見てみると、切られた横腹から、手の平が一色に染まるほどの出血をしていた。目にした瞬間に脳が反応してしまったのか、その瞬間になって多大な刺激と貧血を感じてしまう。小さかった痛みから、歯を食いしばるほどの激痛にへと肥大化していく。
「っぎい! ちくしょお!」
いくら抑えても血が止まらない。体の中からドロドロと流れていくのが直に聞こえてくる。自分の中から失われていくのが実際に感じられる。声を出して気を紛らわせようとしても、痛みが引く気配は全くない。流れ出る液体は滴っていって、足元に血だまりを生み出そうとしている。
その間にも、二体の異物が俺を睨んでくる。紫色の目が、俺に絶望を押しつけてくる。
分裂して弱くなったとは言え、さすがに二体一は厳しかったか。手数や力以上に、もう一人異物がいるというのだ。数的有利がどれだけ大きなものか。腹の傷を見れば嫌でも実感させられる。
ふと、異物の奥から、地面を貫くような震音が鳴り響いた。異物の一人が宙に浮きあげられ、赤目の大男も一緒に飛び上がっている。
「奥義 てんが――」
異物を叩き切ろうとしたその瞬間、別の異物が目の前に飛び上がってきた。そいつの突き出した刃を、大男は大剣を持ち直してかろうじて防いだ。大男でさえも苦戦している状態。また彼が左目を傷つけ、殺意の解放をすれば状況も変わるのだろうが、異物の素早い動きが二度目を許すはずがない。少なくとも、奴の正面に立っている間は無理だ。
そう思っている間にも、俺の前にいた二体の異物が同時に走り出してきていた。順手持ちが大きく跳び上がり、逆手持ちがそのまま突っ込んでくる。逆手持ちの狙いが首だと気づいて、とっさに身を屈めて避ける。直後に空から異物が降ってくるのを察して前転し、背後で地面に突き刺さる刃を聞く。
振り返り、二体の異物にサーベルを前に構えてみせる。だが、急に動いたせいで傷口が一瞬開いた感触がしていると、横腹の痛みが更に強く感じた。中の肉がえぐれてるような気がする。意識が脳天を突き抜けそうなほど痛い。
「っぎ!? ……クッソ」
うめき声を上げた瞬間、二本の剣が真っすぐに迫ってきた。すかさず反応してサーベルを持ち上げるが、一本を払いのけた後に、残りの一本が俺の右ふとももを貫通した。
「っがあああ!!」
鉛で体内で骨に衝撃を与えてくる。今度ははっきりと痛みを感じた。乱暴に剣が引き抜かれると、俺はその場に片手片膝をついて倒れた。右脚に力が届かない。麻痺してしまったかのように、体として機能してない感覚に襲われる。痛みに顔も歪んでいって、それを二体の異物は見下していた。
立ち上がらなければ……このまま首を切られてしまう。でも、立ち上がりたくても、足に力が入らない。溢れる血を眺めるだけで、その状態から微塵も動けない。ただただ、息をするのが苦しくなっていく……。
「っはあ……っはあ……貴様らに、負ける、だと……」
殺意がこみあげてくる。赤目の力の源。俺の存在意義であるその感情が、今になって強く、熱く燃え盛っていく。それは、異物に向けたものではない。その殺意は、約束を守れない自分へのものだった。
「クッソオオオォォォ!!」
異物の腕が上がり、二本の刃が太陽に照らされる。刃が風を切って、その音が確実に聞こえてしまって、死を覚悟するしかなくて――
……すまない、もう一人の俺。あいつをもう……。
「――ハヤマさん!!」
あの女の声がした。思わず顔が上がって、頭上の光景が目に入る。映ってきた二体の異物。そいつらの振り下ろそうとした腕が、途中までいって完全に止まっている。時間でも止められたかのように、ピッタリと動こうとしない。
「今ですハヤマ! 急いで!!」
今度は別の女性の声。一瞬だけ目を向けると、城門の前にセレナがいて、隣にいたエメラルドグリーンの髪の女性が魔法陣を展開していた。一瞬で状況を理解し、足を引きずるようにしてその場から転がって離れる。
今しかない。奴らを倒すのは、今しかない!
動かない右脚に手を伸ばし、大きな人形でも動かすようにして足を地面に立たせる。そのまま立ち上がって、左足に全体重がかかるのを感じながら背を伸ばし、右手のサーベルを頭上に構えた。
「邪念流撃!」
依然動かない二体向けて、渾身の一撃を!
「天邪鬼!!」
反った刃先の重みを、手首の捻りで瞬時に制す。高速で振った二連撃。その刃先に、黒い液体がびっしりとついていて、奴らの首からパンクしたホースのように血しぶきが噴き出していた。冥途の土産として、サーベルを両手に持って一心に振り切る。
「散れよ、クソッタレども!!」
頭が二つ、宙に飛んでいく。振り切った勢いに体が引っ張られて、俺は地面に倒れこんだ。異物の首は遠くまで飛んで落ちていくと、目の前で残った胴体が背後に傾いて倒れていった。トスンと、最後まで見た目に似合わない物静かな印象を残しながら。
「っはあ……っはあ……っはあ……」
もう立ち上がれそうにない。横腹と右ふとももから、血がまた溢れ出している。それを眺めていると、誰かが駆け寄ってくる音が聞こえてきた。
「ハヤマさん! しっかりしてください! ハヤマさん!」
顔を覗かせてきたのはセレナだった。酷く顔を青ざめている。
「っはあ……お前か……」
「ハヤマさん! こんな、傷だらけになって……」
今にも泣き出しそうな表情だ。こんな俺に、慈しみの情を抱く奴がいるとは。
「あと、二体……残って、る――」
「その体じゃ無理です! 急いで城まで送りますから、死なないでください!」
そう言ってセレナは立ちあがり、俺の周りに灰色の魔法陣を作り出した。俺は腕の力でなんとか起き上がろうとする。
「ダメですよハヤマさん! 無理したら傷口が……」
セレナが止めようとしてきたが、俺は構わずその奥に目をやった。そこではまだ、大男が一人で二体の異物と剣を交えている。
「これで……やっと、二対、二なんだ……」
「ダメです! ハヤマさんが行っても無駄死にするだけです! ハヤマさんは休んでいてください。その間に、私とキョウヤさんで援護しますから」
城門の前にいる女に目を向ける。魔法を発動していた彼女は、息を荒くしながら壁にもたれかかり、苦しそうに頭を抑えていた。さっきの魔法で無茶でもしたようだ。
「俺は、戦う。戦うことでしか、俺にはできない……」
「もういいんです! 十分戦いました! だから、もうじっとしていて――」
セレナがそう呟いている最中、微かに物音が聞こえた気がした。途端に、俺は嫌な予感を感じる。
今日散々聴いてきた、あの恐怖の音色。
チキ、チキ、チキ、とゆっくり、規則的に聞こえてくる。それも、俺たちのすぐ傍から。
倒したはずの異物が、再び立ちあがった時のことが思い出される。まさかと思い、背筋が凍るのを感じる。異物たちは二体とも、地面に倒れたまま動いていない。動いていたのは、手に握られていた武器そのものだった。
「武器が、勝手に!」
絶望に満ちた声を上げた時、二本の剣が突然、異物の体を持ちあげるように浮かび上がった。そして次の瞬間、二本の剣は、互いに握られている手首を切り落としたのだ。
「――んな!?」「――っひ!?」
二本の剣は宙に浮いたまま佇み、幽霊が宿ったかのように勝手にどこかへ飛んでいく。その行き先を追っていると、大男の奥で戦っている二体の異物たちの手にくっつき、グチョグチョと体内に混ざるように合体していく。
「くっついた!?」
目を疑っているのも束の間、二体の異物の手に、それぞれ一本の双刃剣が握られた。切られた異物の体は地面に溶けていき、影と一体化しては跡形もなく消えていく。
「どうなってんだこいつらは?!」
死んでいなかった? どうして剣が独りでに動き出す? 訳が分からない。なんでもアリか、こいつらは!
甲高い金属音が鳴り響く。大男が二体の異物に押されている。一体の手数が増えたことで、奴らから下がりながらでしか太刀打ちできていない。
「クソ! 俺も、やらねえと!」
なんとしてでも立ち上がろうとして、腕に力を込める。それに気づいたセレナが、すぐに腕を伸ばして魔法陣の光を強めてきた。
「おい、何やってんだ。俺は、まだ戦うぞ」
息が途絶えながらそう訴える。そのすぐ後に、大男が俺たちの前まで吹き飛んできた。受け身を取ってすぐに立ち上がると、彼はセレナにこう言った。
「ここを離れろ。狙われたら二人とも命はないぞ」
「私も戦えます! 魔力だってある程度――」
「離れるんだ」
セレナの言葉を男は強引に遮った。いつもの彼とは違う。正面から堂々と受けていたあの時より、微塵も余裕ではなさそうな雰囲気だ。
「上級までの魔法は簡単に避けられる。傷を負った者など論外だ。早くここを離れろ」
「んな! テメエ、勝手に決めるんじゃねえよ!」
「ハヤマアキト。間違えるな。お前の力は守るための力。殺すための力ではない。死に急いでは、彼女を守ることなどできない」
言い返す言葉が見つからない。もう一人との、また俺自身への約束。俺たちの存在を認めたコイツを、見放すことはできない。できないが……。
「……んなことは、分かってる。でも、俺たちみたいな厄介者の存在が、殺意でしか満たされない俺たちが、あんな異物に負けてたら……駄目だろうが」
唇を嚙みしめるように、俺はそう呟いた。俺たちには力しかない。化け物と呼ばれるような力と、醜い殺意しかないんだ。その使いどころをやっと見つけられたのに、それを否定されたら、俺に何が残る? もう一人の持つ優しさに対して、俺は何も残らない。憎悪にまみれた、この感情しか残らない。
「……私が示してみせる。我らの存在証明を、お前の分まで」
彼は、こっちに向かって歩いてくる異物を鋭く睨みながらそう言った。真っ赤な瞳孔が、奴らに本気の殺意を向けているのが、俺には分かった。
「……いいんだな、頼んでも」
その言葉に、彼はゆっくりとうなずいた。俺はそれに納得するように、無言でセレナに目を向ける。セレナも物押しそうな表情をしていたが、パッと勇ましい顔になって魔法陣の範囲を拡大した。
俺と新たに自分を範囲に入れて、魔法陣から柱が上るように光が発せられる。俺は男が睨み続けるその目を、光で見えなくなる最後まで見続けていた。
光が晴れると、一瞬にして城の入り口前に転移していた。どうして野外なのかと俺は思ったが、セレナが膝をつき、呼吸が乱れている様子を見てすぐに理解した。
「お前も、結局限界だったんじゃねえか」
「す、すみません……さっきまで、たくさんの人を、転移させてました、から……」
かく言う俺も、もう意識が消え入る寸前だった。全身の力を抜き、背中から寝転がって青い空を眺める。どこからか人の声がするのを耳にしながら、青空がだんだんと霞んでいくのをじっと眺める。そして気がついた時には、俺の視界は真っ暗な闇に染まっていた。