16‐10 無間地獄!!
チキチキチキ……チキチキチキ……
四本の銀の刃が、不気味に笑うかのように音を立てている。飢餓状態になった肉食獣が餌を求めているというよりかは、深い地下牢に入れられていた凶悪殺人鬼が、自分を閉じ込めた人間をやっと見つけだしたような、そんな狂気的な殺気に包まれている。
「ここで片付ける。長引けばそれだけ、こちらが不利になる」
横から大男がそう言ってくる。
「分かってら。こっちの体だって、既に限界ギリギリだっつの」
さっきまで何百の軍勢を相手にしてたと思ってるんだ。それでも戦えともう一人が望んでくるなんていい迷惑だ。さっさとあいつを片付けて、残りはもう一人に丸投げしてやる。
サーベルを構えた瞬間、それまでずっと腕を震わせていた異物が突然、
「グオオオォォ!!」と叫んだ。寄生虫みたいに加工されたかのような鳴き声を上げ切り、俺たちに向かって一直線に走ってきた。
とっさに大男がすぐに前に飛び出す。異物と剣がぶつかり合い、耳をつんざくほどの高音が鳴ると、異物が両腕を振り切り、大男の体が反発されるように足を引きずった。異物がそれを追いかけるように飛び出し、男の虚をつこうとする。そこに俺は飛びかかっていく。
「――っふ!」
サーベルから火花が飛ぶ。異物が俺の攻撃を受け止めていると、もう一方の武器で首を掻き切ろうとしてきて、慌てて身を捻ってそれをかわした。大男が横入りするように大剣を振ってくると、異物はその場から跳び退いて距離を取った。一息つけるかと思いきや、異物は間髪入れずに俺に詰め寄ってくる。
斜め左右から襲ってくる二つの銀。瞬発的にサーベルで防げたはいいものの、異物の腕からメキメキと音が聞こえるくらい力んでいると、あまりの力に俺の体は遠くまで吹き飛んだ。
「っく――っつう!」
何度か転がりながらも、なんとか両足を地面につけて勢いを殺し切った。急いで顔を上げてみると、異物は大男を突破して、また俺に迫ってきていた。最初の狙いは俺ということか。奴は目の前まで来て双刃剣を構えた。
絶え間なく鳴り響く金属音と、低く短い風切り音。四つの剣が乱雑に、かつ力強く襲ってくる。攻撃を防ぐサーベルは右に左にと振り回され、時に方向を変えて頭上から、或いは逆手に伸びている剣で不意打ちを狙ってきて……。
「ぐっ! コイツ!」
速い。それに力強い。重みのある剣は、まるで格闘家の拳を前にしているようだ。その容赦のない連撃が続くと、永遠とも思える時間が流れているのかと錯覚するほどとても長く感じた。その一瞬の気の緩みが俺の判断を遅らせた。異物の右手が突き出されると、避けきれなかった頬に、その刃が触れていった。
チクリとした痛みが走る。それを抑える暇も当然なく、異物が左腕を振り下ろしてきた。とっさにサーベルで頭上に構え、それを振り払う。攻撃を払われた異物がその場から横跳びすると、丁度大剣を突き出そうとした大男がその場でピタリと止まった。
異物の動きを目で追って、俺は頬の血を拭う。強い。強すぎる。俺には確かに力があるはずなのに、全くあいつに真正面から打ち勝てない。
大男が異物の元まで跳びかかっていく。異物は男の攻撃をバク転でかわしつつ、続けて空高くまでバク宙をしてみせる。身軽過ぎる動きからの着地は、体に似合わず無音で静かなものだった。
ふと、地面に赤い液体が垂れるのが、俺の視界に映った。見ると、異物が握る一本の刃先に人の血がついていて、大男の手の甲からも同じ液体が垂れていたのだった。
「切られた、だと!?」
俺は一瞬、身がすくんでいた。一体いつ、どんなタイミングで切られたのか、俺に見えなかった。最後の動きはバク転だったか。あの時にさりげなく切ったというのか? あり得ない。相手も相手、俺と同じ赤目の男だぞ?
あの大男は間違いなく強い人間だ。この世界で一番強いと言われても、俺は信じられる気がする。そんな男の腕をこの異物は切ったのだ。
異物が脚を伸ばして立ちあがり、悠然と剣を振って血を払う。まるで自分こそ最強と言っているかのように、余裕をひけらかしてくる。
「納得がいかねえ。殺意に支配された俺たちが、あんな異物より劣るだなんて、納得できるかあ!」
「同感だ!」
声を荒げた俺の言葉に、大男は静かな怒りを表してきた。彼は大剣を持ちあげ、それを地面に向けて「ふうん!」と乱暴に叩きつける。破片が飛び散る勢いで地面はえぐれ、ガラスのようにヒビが一瞬で走る。次の瞬間、地盤が跳ね上がって異物が宙に浮き上がると、同時に大男が飛び上がって、片手に持ち替えた大剣を弧を描くように振り下ろそうとした。
「奥義! 天骸!」
大剣が豪快に振られ、異物は二本の前刃を交差させて大剣を押し返そうとする。男は上からの圧力を利用して、異物を地面まで叩き落とした。そこにすかさず俺は走り込む。
「邪捻流撃――」
既に立ちあがろうとしている異物に向かって、頭上に持ち上げたサーベルを振りかぶる。
「天邪鬼!」
目にも止まらぬ三連撃。異物の肩、首、肩と、確実に捉えた、つもりだった。
サーベルの刃が何かにぶつかったかのように動かなくなる。生き物ではない別の感触。土埃が晴れて前が見えると、俺のサーベルは、二本の双刃剣が交わった部分で受け止められていた。
「んな! バカな!?」
いくら力を与えても、サーベルはビクともしない。土埃ではっきり見えていなかったが、奴が起き上がろうとする瞬間を狙ったのは確かだ。そこに必殺の高速連撃を畳みかけた。その結果がこれだと!?
受け止めていた双刃剣が動き出し、サーベルが振り払われる。体が後ろによろけて、急いで俺はその場から飛び退いた。引いた先で、大男が隣で大剣を構えていた。警戒する足は動かせず、異物は俺たちを紫の眼光で睨んでくる。
赤目が二人という、本来なら有利な戦局。それが全く有利だと思えない現状だ。二人がかりで戦っているのに、傷一つつけられない異物が相手では、まるで勝てる兆しが見えない。
「本物の化け物め……」
俺がそう呟くと、大男が何かを小声で囁いた。
「我は、悪鬼羅刹……」
何かと思って目を向ける。男はその場で膝を折り、さっきの必殺技で荒く欠けた地面の破片を拾い上げた。それを、自身の左目に持っていこうとする。
「おい。何するつもりだ?」
傷跡が残ったその皮膚に、尖った部分を押し当てる。そして男は、左目を瞑ってからそこを引き裂いた。
「んな!? 何やってんだ!」
血の脈が顎を伝って滴る。驚きのあまり叫んだいたが、大男はそれを無視していた。無言で破片を捨て、大剣を構える。そして、今までと同じように異物に向かって飛びだしていった。
「んな! 頭が狂ったかあいつ!」
異物も武器を構えて飛び出してくる。二人は真ん中でぶつかり合うと、顔を手で覆いたくなる風圧と、足からも伝わってくるほどの轟音が鳴り響いた。
「――馬鹿野郎! そいつに力で勝つのは無茶だ!」
俺はついそう叫び、助太刀しようと走り出そうとした。だが、異物の様子が変だと気づいて足が止まった。あの異物が、今まで俺たちを圧倒していたあの異物が、その足を一歩後ろに引いたのだ。
「押してる!? そんな、マジか!?」
大男の体がどんどん前に出ていく。異物が苦しそうに押されていくと、とうとう大剣が振り切られた。
異物の両足が、勢いよく地面を削っていく。勢いを殺し切れないまま、最後は背中から転んで倒れた。雷に打たれたような気分だ。あの異物を真正面から押し切るなんて。
「我は、悪鬼羅刹をその身に受けた者!」
血のせいでどす黒い赤目が、立ち上がろうとする異物を睨みつける。そこまでの距離はおよそ三十メートル。大男はそこで大剣を大きく掲げ、さっきと同じように一気に振り下ろした。
側面の部分が地面を揺らし、大地にへこみを入れる。人口クレーターを生み出すほどの威力から、俺の足がぐらついてしまう。辺り一帯の建物も揺れ出すと、異物の元に向かって二本のひずみが走っていった。
ひずみはキリキリと太く線を引くように伸びていき、感覚を広げながら、ミシンで針を高速に縫うような速さで異物のいる地面までたどり着く。
ひずみが止まると、あれだけ大きかった揺れが収まった。しばらく経っても何も起こらなくて、辺りに静けさが戻ってこようとしていた。
気の抜けたため息を吐こうとしたその瞬間、また揺れが起きた。縦に揺れる大きな地震。地面の奥底から何かが迫っているのかと思うような激しい揺れに、俺はとうとう片手片膝が地面についた。そして次の瞬間、ひずみの間にあった地面が土埃と共に、大きな音を立てて真下に沈んだ。
「沈んだ!? いや、沈めた!?」
こんな街中に、クレバスが生まれようとしている。男の眼前で、大通りの道がまさに破壊されているのだ。沈下している地盤に立っていた異物はヨレヨレとバランスを失い、やがては背中から倒れ、未だに沈もうとしているそこから、立ち上がれない状態になっていた。
「奥義――」
すかさず大男は空中に飛び出そうと地面を強く蹴り出す。異物までの距離を詰めていって、大剣を両手でがっしり掴む。そして、その刃と血と殺意で汚れた瞳を異物に向けて落ちていく。
「無間地獄!!」
慌てて武器を交えて構える異物。その交点に、大剣の太い刃先が衝突する。落下を受け止めた双刃剣は異様なまでに硬かったが、異物の腕が少しずつ下がっていく。
「魔の世界へ消え去れ! 悪夢よ!」
最後の本腰を入れたその瞬間、
「――グガラアアアァァッ!!」
虫のような悲鳴が響き渡る。双刃剣はずらされ、大剣の刃が胸を深く貫通していた。異物は声と共に力を失っていき、最後に力なく手足がだらんと落ちた。
詰まっていた息を深く、深く吐き出していく。嵐が過ぎ去った。あの異物を、大男が倒したのだ。俺はサーベルを腰の鞘にしまって、大男の元に駆け寄っていった。
大男は大剣を引き抜いていると、片手で左目を抑えていた。
「お、おい!」
傷が痛むのかと思って声をかけた。男は険しい顔をして、何かをブツブツ呟いている。
「私は……悪鬼羅刹の、力を持つ者……私は、悪鬼羅刹……私の力は……この殺意は――!」
大剣を離し、いきなり拳で壁を殴った。神経に直接触れる痛みに耐えるように、少しでも苦しみを紛らわそうとしているのが伝わってくる。
「私は、悪鬼羅刹。その力は、……ハクヤ様の、ために……」
誰かの名前を呟いて、少しずつ冷静さを取り戻していく。手の震えもなくなっていくと、大男は左目を覆っていた手を下ろし、大剣を拾い上げようとした。
「もう大丈夫なのか?」
俺はそう聞くと、大男は息を整えながら顔をうなずかせた。
「少し、無理をした。今はもう、何も問題ない」
「わざと殺意を高めたんだな。そのせいで、お前は自我を失いかけていた」
俺がそう言うと、大男は何も言わないまま、それに納得するようだった。
「どうしてそんな無茶を? 暴走でもしたら、それこそ逆効果だ」
男は左手に染まった血を見ながら答えてくる。
「過去にこの傷を受けた時、私は過ちを犯した。決して許されることではない大きな過ちを。それを繰り返さないため。そして、あの時誓った思いを果たすための、戒めなのだ」
この人も、俺と同じような過ちを犯したということか。つくづくこの目に込められた力の源に嫌気がさす。彼は更なる力を引き出すために、自分の理性との耐久レースをしていたというわけだ。一線を越えてしまったら、ただの獣に成り下がることを条件にした賭けでもある。
「まあ、暴走しなくてよかったよ。これでやっと、俺の役目が終わる……」
もう充分戦っただろ。体がだるくて動きたくない。さっさと変わってくれ、もう一人の俺。
疲れに身を委ねるようにして、俺は目を瞑っていく。疲労が殺意に勝ろうとしていて、俺はすぐに意識が飛んでいきそうだった。
……だが、
――チキチキチキ……チキチキチキ……チキチキチキ……
擦りつけられた悪夢の音は、まだ鳴り止んでいなかった。