16‐9 ……頼りにしてる
鈍い感触と共に、魔物の体が切れていく。雪のような狐が辺り一面を氷の世界に変え、土で形を形成したゴーレムが群れを薙ぎ払っていく。俺は辺りをよく見てみる。南門に攻めてきた八万の魔物は、長い戦いの末、もう一万も残ってないぐらいにまで減っていた。
「動きを止めるなあ! 負傷した者は直ちに下がれえ!」
ジバの兵士たちも見事な連携だ。一人ひとりの戦力が高いうえに、援護への意識もあって防衛線が全く崩れていない。ミスラさんが育てただけあって、とても頼りになる。
「ハヤマさん。残りも少ないですし、後は僕が活躍する姿を、後ろから見ててくださいよ」
アルトが氷魔法を発動しながらそう言ってくる。
「油断は禁物だぞ、アルト。独りで戦う人間ってのは、最後まで容赦しないもんだ。仲間に頼れない分、徹底的にな」
「なるほど。こんな所で学べることがあったなんて」
俺は警戒を促し、アルトは容赦なく氷魔法を打っていく。俺も魔物が近づく度、重たい体に鞭打って精一杯サーベルを振っていった。
「ハヤマ君、少しお疲れじゃない?」
「大丈夫ですよキャリアン先生。牢獄でずうっと痛かったのに比べたら、これくらい」
「そう? さっきの場所で一杯相手してたんだから、無理せず休んでもいいのよ?」
キャリアン先生は俺を気にかけてくれたが、俺は休むことなく、ましてや赤目の人格を呼ばずに戦い続けていた。
「今の俺は、まだ何もやれてないんです。別の誰かが俺の体で好き勝手暴れてただけで、あれだけ倒したのは、俺じゃないですから」
「ふん……男の意地ってやつかしら?」
「まあそんなもんです」
赤目の人格には、エンペラー級も含めた大量の魔物を倒してくれた。そのおかげで、今の俺はかなり体が重たい。全身に十キロの重りでもついてる感じだ。これだけの魔物を相手にしたことなどないから、それは当然の疲労だろう。素直に休みたい気持ちもあるが、みんながまだ戦ってる中で俺だけ引くのも気が引ける。かといって、赤目の人格が無理をして突然倒れて足手まといも御免だ。
そんな思いで戦い続けていると、目の前に小さなムカデ、リトルワームが地表から出てきて噛みつこうとしてきた。急いで対処しようと顔と体を向ける。口を開き、鋭利な牙が何本も見える。
ここだ、と思ったその時、突然空から剣が降ってきて、リトルワームの体を見事に貫いた。その剣に赤い紐がついているのが見え、まさかと思って空を見上げる。その場に着地してきてのは、やはりヤカトルだった。
「こっちは結構片付いてんな」
「ヤカトル! 東門はもう大丈夫なのか?」
ヤカトルは地面から剣を抜きながら答える。
「オラオラ系のサーバルキャットが、東に来る魔物たちを蹴散らしてくれてるよ。あと、トンファー持ったレッサーパンダと、デカいネズミを従える女の子もいたか」
「カルーラたちか」(あれ? 女の子なんていたっけか?)
「それ以外にも、アストラル旅団も来てたぜ」
「おお! それは心強い。セレナの奴、よくそんなに揃えたな」
「とりあえず、お前が生きていたならよかった」
俺の前まで近づいてきていたヤカトルが、いきなり腕を広げて首に回してくる。そのまま城門に向かって歩くよう催促され、訳が分からないままとりあえずそれに従う。
「ハヤマ。お前には動いてもらいたい」
周りが決死の叫びをあげている中、ヤカトルは耳元でそうはっきり言ってきた。
「俺に?」
「ああそうだ。お前の赤目の人格が必要なんだ」
「お前に言ったっけか、赤目の人格のこと?」
「いつも中庭で、木刀を振り合ってるだろ?」
「見てたのかよ。趣味悪いな」
「まあまあ。それより、その力を持ってるお前には、ぜひ急いでもらいたいんだ」
真剣な物言いをする目。いつものヤカトルと一味違う雰囲気に、俺は嫌な予感を感じる。
「どこかがまずいのか?」
「西門だ。あそこが重点的に狙われてる」
「数は?」
「二十万は切ったってところだ。だが問題はそこじゃない。かなりやべえ奴がいるんだ。二十万の魔物よりも、警戒しなきゃならねえ相手だ」
俺は一瞬、言葉の意味が理解できなかった。二十万という数よりも警戒しなきゃいけない相手? そんなのが、果たしているというのか。
「どういうことだヤカトル? 西門に、何が来たんだ?」
焦りを隠せないままそう言うと、ヤカトルの口からとんでもない事実が出てきた。
「ミスラが押されてる。それも、一体の魔物にだ」
「んな!?」
驚きのあまり言葉を失った。全く想像がつかない。
あのミスラさんが、たった一体の魔物に押されている? 大地をひっくり返す腕力と、拘束を自力でぶち破る豪傑な彼が? バルベスを圧倒し、ジバをここまで強兵させ、最強が集うコロシアムでも優勝した男。その彼が、押されているというのか?
突然、背後から魔物を切り裂く鈍い音が聞こえて、俺はハッと我に返った。今は考えるより体を動かす時だ。すぐにそれを思い出し、アルトとキャリアンが二人一緒にいた所に向かって俺は叫ぶ。
「アルト! ここは任せる! キャリアン先生も、無理だけはしないでください!」
二人がうなずいたのを確認すると、俺はヤカトルと一緒に急いで都の中へ走っていった。足が重たくとも、今はそれどころではない。
「ヤカトル! 西門までの近道は?」
「もちろん知ってるさ。ちゃんと後をついて来いよ!」
そう言って、ヤカトルが撃剣を前方の家に投げ、家の二階窓の隣に刃が刺さろうとした。
金属の刺さる音が鳴り、火花が散る。ミスラの大剣に、人型魔物の持つ双刃剣の刃が二本、バツ印になるように交差してぶつかっていた。彼らは顔を近づけ、至近距離でにらみ合う。
「ギィ、ズラァ!」
虫のようなかすれた声を、ミスラは聞き取る。
「私の名前!? 貴様! やはりあの時のやつか!」
「ヤァ、……イィ、……バァ」
「ヤイバ? 貴様の名前か」
「フク、シュウ!」
「ぬお――!?」
つばぜり合いを押し切られたミスラ。ヤイバと名乗った魔物は、耳をつんざくような奇声を上げたかと思うと、いきなり都の方に走り出して城門の上を空高く飛び越えていった。グレンとベルガもその様子を見上げている。
「んな! 飛び越えた!?」
「結構やべえんじゃねえかこれ?」
二人の横をミスラが急いで通り過ぎようとする。
「城門は任せた」
「あ、ミスラさん! ――クソ! ここまでいい調子だったのに!」
裏道をずっと走り続け、まだたどり着かないのかと焦る中、建物群の中から一つの影が飛び上がった。遥か先の空から、両手に四つの刃を持っていた魔物が城の方角に向かっていくのを、俺とヤカトルは目にしていた。
「あいつ!? もうここまで来たのか!」
ヤカトルが珍しく声を荒げている。
「なんなんだあいつは? 魔物なのか?」
「ああそうだ。ミスラが戦ってた魔物だ」
「ミスラさんが!? そいつがここまで来てるってことは、まさか!」
「あれを追うぞ、ハヤマ!」
ヤカトルが裏道の角を右に曲がる。俺もくっつくように追って行くと、すぐに一つの大通りに出てきた。すると、すぐ目の前をミスラさんが走り抜けていくのを目にした。
「あ、ミスラさん!」
走り続けるミスラさんに声をかけながら、俺たちは急いでその横についていく。
「俺も一緒に戦います!」
「ありがたい。だが気をつけろ。奴は普通の魔物ではない。この都に、明確な敵意を持っている」
「敵意って。魔物なのに、理性があるってことですか?」
「そこまでは分からない。言えることは、奴は己のことをヤイバと名乗ったこと。そして、私が戦ってきた誰よりも、強いことだ」
ミスラさんがそう言い切った時、俺たちは城の正門前までたどり着いた。城門の前に溢れんばかりの市民たちが、黒い体と四つの刃を震わすヤイバと言う魔物に恐れおののいている。魔物の足元には、既に数人の兵士が殺されていて、前に立っている兵士たちでさえもその身が震えていた。
気配を感じ取ったかのように、ヤイバが首を向けて、紫の怪しい瞳を俺たちに向けてきた。凍てついた殺意を感じて、背筋がゾッとしていくのを感じる。そいつと真正面から立ち会っただけで、今すぐ逃げろと脳内信号が発せられる。
「キョウヤ様!」
ミスラさんがいきなり叫んだ。彼の目線を追ってみると、城門の前で兵士たちにかこまれながら、キョウヤが息切れをしている様子で立っていた。
「皆さん! 来てくれましたか」
真っ先に動き出したミスラさんにつられて、俺たちはみんな彼女の周りに集まる。
「お逃げくださいキョウヤ様。奴はかなりの手練れです」
「いいえ。ここまで攻め込まれた以上、私も戦います。城の中やここには、守りたいものがあるのですから」
ミスラさんの忠告に対し、キョウヤは力強くそう反論する。真っすぐに魔物を見つめる瞳を見て、ミスラさんが仕方なく折れる。
「……承知しました。キョウヤ様は、私がお守りします」
キョウヤが両手を魔物に向かって突き出す。いつもの魔法発動の構え。時間魔法をかけるのだと思った瞬間、水色の魔法陣を生み出されるよりも先に、ヤイバが唐突に詰め寄ろうとしてきた。木の蜜を吸っていたカブトムシが、いきなり羽を広げて飛んでくるかのような勢い。
「――ぐっ!」
誰も動けなかった中、かろうじてミスラさんがそれに反応していた。俺たちの目の前で大剣と双刃剣が火花を散らす。一瞬過ぎて、胸の中に息が詰まっていたのに遅れて気づく。数多の攻撃を避けてきた俺でも、ヤイバの動きに目が追いつけていない。
「今のうちに!」
キョウヤがそう叫ぶと、時間魔法をヤイバにかけようとしていた。だが、ヤイバはいきなり剣を控え、パッと消えるように後ろに下がっていく。近くにいた市民たちが、悲鳴を上げながら彼から離れる。
「っく! なんて素早い……!」
ミスラさんがすかさず前に出て、キョウヤを守るようにしてヤイバに睨みを利かせる。ヤイバとの睨み合いが始まったかと思うと、その時間を利用してキョウヤが指示を出した。
「ヤカトル! 今のうちにみなを安全な場所に!」
「お、おう!」
慌てて走り出し、周りの兵士と共に市民の誘導を始めていくヤカトル。その間にキョウヤがまた魔法をかけようとする。魔法陣が光り出そうとした時、またもやヤイバはその場から瞬時に動き出して離れ、その後を追って発動しようとしても、立て続けに体を回しながら横跳びでかわしていく。ミスラさんと大して差がない体つきなのに、身のこなしはまるで忍者のようだ。
「魔法が当てられない……奴もどうしてここまで警戒しているというの?」
彼女の呟きを耳にしながら、ミスラさんとヤイバの間にまた火花が散らされる。軽めの金属音が何度も何度も。大剣をブレないよう構えるミスラさんに、ヤイバが体ごと回転するように剣をぶつけていた。怒濤の押し込みに、いつだって不動のミスラさんの体が押され気味だ。
「キョウヤ! お前は確か、時間を停止させる魔法があったよな? それは使えないのか?」
時間魔法の最上級だったか。それを使って時間を止めれば、素早い動きも関係ないはず。キョウヤも話しを聞いてすぐに発動しようと手を伸ばした。水色の線がぐるりと回っていって一つの円になろうとする。だが、線と線が最後に繋がろうとした瞬間、忽然と魔法陣は消えて、腕を伸ばしていたキョウヤは前のめりに倒れそうになった。
「キョウヤ!?」
慌てて彼女の体を抱き留める。顔が青ざめていて、体中が冷たい。
「おい大丈夫か? しっかりしろキョウヤ!」
「……すみません。先ほど、援軍を門に急がせるために使った分、魔力が足りてないようで……」
弱り切ったような声で、キョウヤがそう説明する。アルトやキャリアン先生、カルーラやアストラル旅団を急がせるために使った分、魔力が枯渇しているのか。魔力は体力と同義で、使い果たせば人は限界を迎えてしまう。
「マジかよ……」
キョウヤは既に無茶をしている。もしかしたらセレナもそうだったかもしれない。誰もが極限の状態になるまで、その身を削って戦っている。誰もが、必死になって戦っている。
今ここで無茶せずして、何を守るというのか。
「キョウヤ。今はゆっくり休んでくれ。お前が回復するまでの時間稼ぎくらいなら、俺がしてみせる」
俺はそう言い残し、キョウヤの体をすぐ近くにいた兵士に預けた。兵士がお姫様抱っこで彼女を白の中へと連れていくのを見守っていると、背後から一層甲高い金属音が鳴り響いた。
今もなお、ミスラさんがヤイバに押し切られないよう耐えている。強く願うように目を瞑っていく。どうしようもない殺意を、奥深くから呼び起こしていく。彼から見出してもらった力。その恩返しを返す時が来た。
「殺意よ。俺に、守る力を」
突然、誰かに呼びかけられた気がして、熱く火照った目を見開いた。胸糞悪い熱をいつも通りに感じながら、真っ黒な異物が一人の男を攻め立てている光景が映ると、俺は状況を理解してすぐに飛び出した。
「――うおらあ!」
異物と大男の間に、サーベルを振りながら入り込んでいく。異物はその場からバク宙し、無駄に高い跳躍力で飛び退いていった。遠く離れたそいつを睨みながら、大男の横に並び立つ。
「今度の敵は、あいつでいいんだよな?」
男は俺のことを眺めてくる。そうしてから、決意を据えるように大剣を両手に構える。
「……頼りにしてる」
返事はその一言だけだった。