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16‐3 お前は、守り切れ

 ハッとして目が覚めた。倦怠感に襲われる全身に力をいれていき、自分のものにしたためる。


 ふと、握っていたのがサーベルでないことに気づいた。なめらかな木の感触がするそれを見ると、なぜか俺の手には木刀が握られている。


「なんだこれ?」


 持ち上げて眺めてみる。とても人を殺せるものではない。どうしてこんなものを持っているんだと、そう呑気に思っていた矢先、俺は一瞬背筋が凍るような、得体の知れない恐怖心を感じた。それは俺もよく知っている気配で、紛れもない殺意だ。


 顔を上げて気配の正体を見る。そこには、俺と同じ目をした大男。今まで見たことのない赤目がいた。


「守るための力。それが、お前の殺意か」


 赤目の男が、訳の分からないことを喋りながら木刀を両手に構えてくる。


 大きな男だ。それは体だけじゃなく、威圧感や赤目の色濃さ。彼の内に持つすべてがそう見えていた。底の知れないような存在が、俺を待ち受けているのを一瞬で理解する。胸には鼓動の熱さを感じているのに、背筋は凍っていくという裏腹な体験は、これが初めてだ。


 木刀を持つ手に力が入る。始まりの時は近い。一瞬の動きも見逃せないような緊張感が、全身を張りつめてくる。


 一瞬、背筋の悪寒が心臓に優しく届いたような気がした。ひんやりとした手で、頬から顎を撫でるかのような不気味な感覚。思わず身震いしたくなってしまった俺は、つい地面を蹴り出していた。


 たったの四歩で男の間合いまでたどり着く。勢いのまま俺は、頭上から木刀を勢いよく振り下ろす。


「っふん!」


 木刀のこすれる音が響く。それは俺が想像していたような、木と木がぶつかって起こる、カツンというような音ではなかった。まるで、癇癪を起した人間が強く机を叩いたような、その身を一瞬引きつらせるほど大きい音が俺たちの間で鳴り響いていた。


 そいつとのつばぜり合い。互いの顔を見合わせながら、木刀を押し込もうとする。体格の大きい男は、俺を叩き潰すような圧力があったが、俺は臆することなく押し通すと、走った勢いを取り戻して一歩を踏み出し、木刀を最後まで振り切った。男の巨体が背後によろけていく。


 手に痺れるような感触が残る。それでも胸の高鳴りに従い、俺はまた地面を蹴り出した。男に切りかかろうとすると、頭上に真っ赤な、殺意の目が俺を見下しているのに気づいた。


「こいつ!」


 男が両腕を振り下ろそうとしてくる。急いで木刀を横持ちにし、頭上からの攻撃を防ぐ。再び、あの轟音が鳴り響く。互いの髪がなびくほどの風圧。男の強すぎる力に、俺はもう片方の手で刃の部分を支えるように持たざるを得なかった。


「くっ……くっくっ……!」


 どんどん体が地面に近づいていく。このままでは押しつぶされる。


「……っくそ!」


 とっさに木刀を滑らせるように振りぬくと同時に、右肩から地面を転がって間一髪でその場を離れる。敷き詰められていた小石が辺りに飛び上がっていくのを見ながら、急いで立ち上がって慌てて後ろに飛び退いて距離を取る。


「はあ……はあ……」


 呼吸が荒い。これほどの緊張感は今までに感じたことがない。ふと、木刀を持つ手が軽い気がした。見てみると、俺の木刀の刃が真ん中で折れていた。思えば転がっていた際、木刀からバキッと音がしていた気がする。一キロ以上はあったこの木刀が、あの男のかける力にとうとう耐えきれなかったらしい。への字のようになったこいつは、見るも無残な姿になり果てていた。


 俺はまた男に目を移すと、男はゆったりと立ち上がりながら、鬼神が宿ったような瞳を俺に向けてきた。また木刀を両手に持ち、刀身が折れている俺に向かってその刃を向けてくる。


 あくまでも徹底的ということか。突然始まった一騎打ちだが、どうして木刀なのかと疑問を持っていたさっきに比べて、今は胸と目元から火が出そうなほど気持ちが高ぶっている。


 あの男には全力が出せる。全力で殺意を向けることができると、両目と心臓が語ってくる。


 俺は折れた木刀を片手で突き出すと、刀身の先を男に向けた。


 俺はまだ戦えるぞと、そう合図したつもりだった。だが、男はしばらく俺を睨んだ後、静かにその腕を下ろしてしまった。


「おい! ここまでやってそれかよ! 最後まで戦え!」


 唐突な試合放棄に怒りが湧いていた。納得いかないと喚く子どものように、そう叫んでいた。しかし、男は腕を挙げずに口を開く。


「この武器は、決着をつけるためのものではない」


 何を言ってるんだと言い返そうとした時、彼の木刀が独りでに揺れた。真ん中にヒビが入っていって、先の部分が重力に逆らえないように徐々に地面に向かおうとする。そうして、俺の木刀と同じように刀身が折れてへの字になると、最後はプツンと糸が切れるようにして落ちていった。


「……ッチ。そういうことかよ」


 舌打ちしながら俺は腕を下ろす。完全に興が冷めた。こんな棒切れでは、俺たちは全力で戦えない。所詮、模擬戦は模擬戦というわけだ。男が何を求めていたのかは分からないが、少なくとも最初から決着なんてつけるつもりはなかったのだろう。


「あんた。何をしたかったかは知らないが、もうやる気はないんだよな?」


 俺はそう聞き、男は折れた刀身を拾いながら答えてくる。


「お前の力は見せてもらった。上出来だ」


 最後の言葉と共に、殺意のないような眼差しが向けられる。


「あっそう。そいつはどうも」


 適当にそう返しておく。用が済んだならさっさと眠りについてしまおう。そう思った俺は目を瞑り、既に冷めきった心をもう一人に委ねていった。


 ゆっくり、意識が吸い込まれていくのを感じながら……。




 全身に熱がほとばしっているのを感じて、俺はすぐに目を開いた。人格が戻されたのだとすぐに気づいて、首を振って周りの状況を確認していく。


 目立った変化は見あたらない。俺は中庭にいたままでいて、特に荒れた形跡もない。ミスラさんは吹き抜けの廊下に向かっていて、アミナはその隣で目を輝かせていた。その目は俺に向けられている。


 ふと右手に、刀身が折れた木刀を持っているのに気づいた。人の腕ほどあった刀身が半分も残っていない。削れるように折れているそれは、もはや使い物にはならないくらいの破損で、使用者の荒っぽい性格を物語っているようだった。


「これを、もう一人が……」


 小さく呟いてから、その木刀から目を離してミスラさんとアミナの元に歩いていく。


 満月が空に浮かぶ夜空の下。俺が二人に近づいていくと、目の前まで行った時に、真っ先にアミナが立ちあがって歓喜の声を上げた。


「凄い! 凄いわハヤマ! あのミスラさんに引けを取らないなんて」


 一人分とは思えない拍手を頂く。


「その反応だと、それなりには戦えてたってことか」


 もう一人の戦いっぷりを確かめるように俺はそう言ったが、途端にアミナは顔をしかめた。


「それなりに!? 何よその言い方。あれは互角と言ってもいいくらいよ! いえ。互角も何も、そもそもなんだったのあの目は? 本物の赤目みたいになってたわよ? あ、でも、ミスラさんにも負けないくらい強かったから、もしかして本当に……」


 アミナが興奮のあまり、中々口を閉じようとしない。このままだとずうっと一人で喋りかねないようで、俺は慌てて口を挟んだ。


「待ってくれアミナ。お前の言いたいことは分かるが、とりあえず落ち着いてくれ。一つずつ説明するから」


「ああ、ごめんなさい。つい興奮が収まらなくて」


 そう言うと、アミナは喋るのをやめて落ち着いてくれた。それでやっと静かになると、俺は一つ咳払いをしてから事情を説明していった。


 俺には赤目の力があること。それに気づいたのはつい二年前のことで、俺も知らない内に人格が生まれていて二重人格になっていたこと。過去のトラウマのせいでそいつは生まれ、最初は殺意が制御できない獣も同然のようだったこと。それが、セレナのおかげでトラウマの記憶がほぐされ、もう一人の人格と向き合うきっかけにもなって、その結果が、今さっき見た赤目の力となって形になっていること。


 これらすべての話しを、俺は二人に包み隠さず話していった。


「なんだか、よく分からないわね」


 アミナは浮かない顔でそう言ってくる。


「すまん。詳しいことまで話すと、時間が足りなすぎるんだ。でも二人には、特にミスラさんには見てほしかったんだ。俺の新しい力を」


 ミスラさんに木刀を渡された時のことを思い返す。赤目が殺意に従う。その特性を知っている今なら、その時に彼が俺に渡してきた意味が分かる。


 ミスラさんはもう一人の人格。赤目の俺が持つ殺意に気づいていたんだ。それが二重人格という事実まで知ってたかどうかは分からないけれど、可能性を危惧して俺に模擬戦を挑ませ続けた。戦っていく中で、赤目の持つ殺気の正体を見破ろうとしたんだ。


「ミスラさんはきっと、俺を助けようとしてたんですよね。赤目の力は強大過ぎる。自我を失ってしまうほどに。自分を見失って、大事なものを殺しかねないほどの力。ミスラさんはそれを知ってたから、俺を助けようと木刀を渡してくれたんですよね?」


 俺の言葉を聞いて、ミスラさんは月明かりを追うように顔を上げた。彼の代わりにアミナが「そうだったんですか?」と聞く。俺は、自分が検討違いなことを言ってる気はしなかった。実際にさっき模擬戦をしてもらったことが、ミスラさんからの何よりの返事だと思っている。


「守る力……」


 突然、ミスラさんがそう呟いた。俺とアミナが顔を向けると、ミスラさんは片手に作った握りこぶしを眺めていた。


「この力は、絶対のものではない。赤目だからと言って、すべてを守れるわけではない」


 一言一言に重みをもたせるように、ミスラさんがそう語る。そう思ったのは、彼の握りこぶしに力が入ったからだろうか。ふいにその握りこぶしが開かれると、ミスラさんの目が俺に向けられた。真っすぐ、射るような瞳と共に、彼はこう言ってくる。


「ハヤマアキト。お前は、守り切れ」


「……はい」


 いつになく力強く言われたような気がして、思わず俺は返事をしていた。それは、いつもの威圧感というより、期待を俺に預けるというか、なぜか俺にそう頼んでいるような気がした。そう口にした彼は、不思議と顔に覇気を纏っていないような感じがして、どこか懐かしむような雰囲気を漂わせていたのだった。


 ――もしかしたら、ミスラさんも過去にその目で何かを……?


 聞き出したかった言葉は、喉奥につっかかる。彼が過ちなんて犯すところが、まるで想像できなかった。思いつきの言葉は無自覚に人を傷つける。相手を勘ぐるのは俺の悪い癖だと、俺はそう思い切る。そして、それ以上のことは、何も考えなかった。

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