16‐2 力は、ものにできたか?
畳が敷かれた部屋の中で、協力を仰いでやってきたあのほくろの兵士が真ん中で佇み、セレナはそれに向かって腕を突き出してから、意識を集中させるように目を瞑った。すぐ横でキョウヤが助言をしていく。
「彼の呼吸による動きは見えますよね。魔法を発動したいのなら、その呼吸をずらすという意識を持ってください。動きを止めるのではなく、あくまでずらすだけです」
「はい。やってみます」
セレナの手に、じりじりと水色の魔法陣が出来上がっていく。一本の線が丸を描きながら伸びていったが、その途中で線が止まると、あっという間に魔法陣は消えた。
「っはあ……またダメだ」
「うーん。惜しいところまでは、いってるはずなんですけどね。人に教えるのって、意外に難しいものですね」
キョウヤが首を傾げる中、セレナはもう一度腕を上げた。兵士も黙ってそれに付き合い続ける。そんな時間魔法の練習風景を、俺はふすまを挟んだ隣の部屋で、あぐらをかきながらぼうっと眺めていた。
キョウヤの言った通り、妖精との契約はついさっき、あっさりとした形で終わった。城に現れた水色の小生意気な妖精が「キョ、キョウヤのためなんだからね!」と言ってセレナに属性の力を分け与えてくれたのだ。
セレナが魔法の練習している時は、俺に出来ることは何もない。彼女の成長を見守り、たまに声をかけて励ますくらいしかすることがない。セレナに変化が出た瞬間こそ、俺も一緒に嬉しい気分にはなるが、そうなるまであまりに長いため、酷く退屈な時間を過ごすことになるのだ。
また魔法陣が消えていく。これで何度目だろうか。もう一時間は格闘しているだろう。今のところは全く進展がなかった。それでもセレナはめげずにまた腕を突き出していく。
ふと、俺の背後にあったふすまが勝手に開いた。誰か来たのだと思って見てみると、それはアミナだった。
「セレナちゃんはどんな感じ?」
「まだまだだよ。魔法ってのは習得するのに、予想以上の時間がかかるらしい」
「そっか。さすがにすぐにはできないか」
アミナはそのまま部屋に入ると、背中に手を回すようにしてそれを閉めた。そのまま腰を下ろし、俺の隣に座ってくる。アミナも失敗を重ねるセレナをそこで眺めていて、丁度暇をしていた俺は折角の機会だと思って口を開いた。
「キョウヤはセレナに協力してるけど、他の仕事とかは大丈夫なのか?」
「ジバを取り戻した時に比べたら、全然時間が余ってるわ。あの時は本当に忙しそうにしてたもの」
「都の方は、あれからもう大丈夫なのか?」
「大きな事件はあれ以来起きてないわね。街中を歩いていても、みんな笑顔で暮らしてるわ。今でも言われるのよ。家族を救ってくださってありがとうって」
「平和そのものって感じか。そういや、ヤカトルもちゃんと仕事をしてるみたいだな。いつも軽いノリだから、なんとなく心配してたんだが、全然問題なさそうで逆に意外だ」
「そうなのよ。意外と彼、忠義のある男みたいなのよね。口ではめんどくさがることばっか言うのに、ちゃんと仕事はやり通すのよ。街の人からもやけに人気なのよねぇ。気さくな性格がみんなに受けてるみたい」
「面白い話しだな。人から疎まれる盗賊が、街の人気者だなんて」
「全くその通りだわ。本当、憎めない男」
元盗賊が受け入れられていているなんて、おかしな話しだ。まあ裏を返せばそれは、人の裏なんかも気にしないほど円満にやれている証拠だろう。平和ボケとも言えそうな気がするが、まあそれならそれでいいか。
「でも、街が平和だと、ミスラさんとかは暇そうだな」
「そうでもないわよ。ミスラさんはいつもの鍛錬を怠らないから。今日だって中庭で、既に千回は素振りをしてるわ」
「千回! そりゃすげえな」
そんなにやったら普通腕が痺れて次の日は動かせないくらいだ。
「ねえ覚えてる? ミスラさんが過去からこの時間に来た時に話してくれた、災厄の日のこと」
急に深刻そうな顔になったアミナ。俺は三年前の記憶を思い返す。
災厄の日。それは、禁忌級時間魔法を発動させた魔法使い。キョウヤの祖先にあたる女王が、未来予知で見た出来事。あまりにも大きすぎる脅威が迫ると言われていて、ミスラさんがこの時間まで飛ばされたのはそのためだと俺たち聞いている。
「ミスラさんが来た理由は、その災厄の日から都を守るためだったな」
「そう。ミスラさんはあの日からずっと、その日に備えているの。兵士たちの育成も、ミスラさんが来てからは一段と風変りしたわ。厳しくというよりかは、より洗練された感じになったの。おかげでみんなの動きがすごく引き締まってきたし、都の防衛を仮定しての訓練では、分隊での動き方とか攻守に転じるタイミング、崩されない陣形とか綿密に突き詰めてたわ」
「なんだか、本気だな」
「やっぱり、主君である女王様が禁忌級を使ったってなると、ミスラさんでも気が抜けないのでしょうね。一応、キョウヤも未来予知で見ようとはしてるんだけど、丁度その場面が見えないみたい」
「苦戦中ってことか」
「キョウヤの場合は、比較的近い未来しか見えないらしいから、裏を返せばまだ来ないってことにはなるわ。意味合いだけを考えたら、だけど」
「でも見えなきゃ、不安は募るだけだ」
「そうなのよね……」
アミナがため息を吐く。きっと心の中では、気が気でないのだろう。ジバが何らかの危機に瀕すること。そして、親友であるキョウヤがまた危ない目にあってしまうかもしれないことが。
「心中察するよ。都やキョウヤがまた危ない目に合うのは、もう御免だもんな」
「もう本当に、嫌になっちゃうわ。災厄の日なんて、本当は夢で見ただけの景色であってほしいわ」
アミナはキョウヤの親友とも呼べる関係だ。その気持ちは、俺の思っているよりはるかに大きいだろう。俺にとっても、守りたいものがあるから、少しだけ分かる気がする。
「もしも仮にその災厄の日がやってきたら、俺たちもすぐに駆けつけるよ。しばらくはジバを出ないだろうし、出たとしても、ラディンガル辺りでウロチョロしてると思うからさ」
「あら? なんだか頼もしいこと言ってくれるじゃない。昔と変わったんじゃない?」
褒め言葉という慣れていないそれは、唐突にやってくる。俺はうろたえてしまうのをごまかそうとして、思わず彼女から目をそらす。
「そ、そうか。まあ、この三年間で色々あったからな」
「へえ、そうなんだ。そしたら今夜、見せてくれるかな?」
「今夜?」
そう口にしてから、俺は三年前にやっていたこと。ミスラさんを前に叩かれ続ける日々を思い出した。
「あー。毎日続けてるんだな、夜の特訓」
「当然よ。久しぶりにどう? ミスラさんに成長した姿、見せてみない?」
ふいに、目元が微妙な温度を持ち始める。あれから三年。魔物の動きを目で追えず、握ったサーベルは脅しでしか使えなかったあれから、俺は確かに変われた。今ならもしかしたら、届くかもしれない。
「分かった。今日行ってみるよ」
「そうこなくっちゃ」
嬉しそうに微笑みながらアミナは応えた。そして、その場に立ちあがり、
「それじゃ、私は仕事があるから、この辺で」と残してふすまを開けて出ていこうとした。
「おう。頑張ってな」
閉じかけるふすまに向かってそう言うと、ふすまの閉じた音と共にアミナが部屋から出ていった。
俺は体を元の方向に戻し、まだ続いていたセレナの練習風景をずっと眺め続けた。長いこと続けて、外が次第に暗くなっていっても続いて、結局は夕食の時間と共にその日の練習は終わりを迎えた。練習一日目。その日は兵士に魔法がかかることはなかった。
朝から晴れ続けていた空が、綺麗な星々を点々と輝かせている。そんな美しい風景を存分に眺められる場所というのは、城の中で探せば中庭以外にないだろう。
俺はキョウヤから割り当てられた和室を出ると、体力の限界で既に寝たセレナの部屋を通り過ぎ、そのまま一階まで下りていった。木造の廊下を適当に進んでいくうちに、次第に木刀がかち合う音が聞こえてくる。その音に懐かしさを感じながら角を右に曲がり、月の光が廊下を照らしている中庭で、木刀で戦っているアミナとミスラさんを見つけた。
敷き詰められた白い石が、二人の足音の代わりにジャリッとこすれる音を鳴らす。俺は吹き抜けの廊下に、足を外に出すようにして座ると、打ち合いをする二人をそこで眺めた。
ぶつかった木刀から一回、鈍く大きい音が鳴る。それをきっかけにアミナが距離を取って、お互いに構えなおして間合いを確かめ合う。互いに呼吸を整えるようにして、しばらく中庭に静寂が訪れる。
静と動というのは表裏一体のもので、見ている人をも集中させるその時間は、なんの前触れもなく動き出す。
「――ふっ!」
一瞬で姿勢を屈めて、アミナがミスラさんの懐に潜り込んでいく。横腹を狙った木刀が、もう一本と石を打つかのように強く音を響かせ、挙句アミナの木刀が宙を飛んでいった。
「うわ!?」
アミナの体が後ろによろめいて、それでも踏ん張るように、浮いた片足をしっかり地面を踏みつける。彼女の顔の前にピシッと木刀が突き付けられると、しばらくして宙を舞っていた木刀が俺の前に落ちた。その音を聞いてアミナがため息をつく。
「はあ……まだ甘かったわ。もうちょっとで届きそうだったのに」
首を振りながら反省するアミナ。そこで俺は立ち上がると、落ちた木刀を拾いつつ、アミナとミスラさんに近づいていった。
「惜しかったな」
「ハヤマ。来てたのね」
「刀が一つだけじゃ、中々厳しそうだな」
俺は持っていた木刀を返そうとする。それをアミナは「頑張って」とにやけ顔で言ってきて、そのまま俺の横を通り過ぎていった。俺の目が、自然と目の前の大男を見上げる。彼は俺の顔を見下ろし、まるで瞳を重点的にまじまじと見てくるようだ。
「力は、ものにできたか?」
ポツリと、ミスラさんがそう聞いてくる。
「……その言い方。やっぱりミスラさんは気づいてたんですね」
三年越しに一つの確信を得る。ミスラはあの日、どうして俺に木刀を握らせたのか。なぜこんな俺に、稽古をつけてくれたのかを。
元々俺には素質があった。内に秘めた人格が、可能性だったんだ。それを引き出すきっかけと、今日まで五体満足で生き残ったことに対して、俺は応える必要がある。
「ミスラさん。俺と戦ってくれますか?」
彼の赤い瞳を見据えながら、そうはっきりと口にした。ミスラさんはその顔をうなずかせる。
「受けて立つ。ハヤマアキト」
寡黙なミスラさんが、珍しく俺の名前を呼んできた。俺は黙ってうなずいて、お互いに中庭の真ん中へと移動していく。
距離を取って配置につき、足を止めてミスラさんに振り返る。彼も同じように俺を見てくる。足を伸ばしておよそ五歩分の距離感。それだけ離れているのに、真正面に佇む彼は、猛獣をも近寄らせない鬼のような気迫を纏っている。赤目の戦士も旅をする中で何人か見てきたが、彼の存在感だけは桁違いだ。
ゆっくり深呼吸して、木刀の持つ手に力を込める。充分に気持ちを落ち着かせ、空っぽになった胸の中に、あの思いをたぎらせていく。目を瞑って思い返す。黒くて赤い、忘れもできない感触の残ったあの光景。
暗い視界の中で、この世で最も醜い感情である強い殺意を、ありったけに募らせる。
「殺意よ。俺に、守る力を――」