15‐5 ここで手を出したら無粋ってもんだ
「ジミ!?」
ラッツの叫び声。キングゴブリンの振り下ろしていた石のこん棒から鳴る、低くて砕くような音は、ジミの背中から鳴っていた。ジミはとっさに身を挺して、ラッツを庇っていたのだった。
「大丈夫ジミ? うわ――!」
ラッツの心配をよそに、ジミは彼の服の襟部分を咥えてその場から走り出す。キングゴブリンの間合いからすぐに離れ、飼い主の前にボールを置くようにそっとラッツを地面に立たせる。
「無事なの?」
憂うような眼でジミを見つめるラッツ。魔物もどきのジミは、その顔をただじっと、固定された石像のように赤い虹彩で見つめ続ける。
俺には、ジミの考えてることは分からない。人の言葉を喋らない動物のことなど、分かるはずもない。しかし、その時。ジミの目にうっすらと薄明りに輝く瞳孔が見えたような気がしたその時だけは、ラッツに対する慈しみと、信頼を伝えているような気がした。
怒りと狂気で盲目に満ちた眼に、一筋の光を見ようとするような。過去の自分もそうであったような目を、彼に向けていたのだ。俺の直感が正しいと証明するように、ラッツは顔に自信を取り戻してうなずく。
「うん。僕なら大丈夫。行こうジミ。君が戦えるように、僕も精一杯指示を出すから」
ドスン、と重苦しい足音が鳴る。こん棒を肩にかついで歩いていたキングゴブリンはのっしのっしと、重たい腹に脚が上がらないようにゆっくりと二人に迫っていた。
「どうするアネキ?」
うずうずとした様子でチャルスが聞くと、カルーラは背中に回していた手を螺旋槍から離し、仁王立ちのまま腕組みをする。
「二人の顔つきが変わった。ここで手を出したら無粋ってもんだ」
キングゴブリンは歩き続ける。やっと二人の前までたどり着こうとした時、冷や汗をかくラッツは、頭を下ろしたジミに耳打ちするように呟く。
「殴り合いをしてたらダメだ。なるべく武器を持つ手を狙うんだ」
「グオオォォ!!」
苦しそうに息を吐くような雄たけびと共に、キングゴブリンはこん棒をテニスラケットのように横振り回そうとする。一瞬にして毛を逆立てたジミ。その目はさっきまでと違い、魔物の顔ではなくしっかりとその武器を見ていると、すかさず頭を抑えてしゃがみこんだラッツと共に姿勢を低くしてそれをかわした。
「ハッ! 今だよ――!」「――シャアアァァ!!」
食い気味にジミが顔を上げ、空振りした魔物の手首に強く噛みつく。サメのように鋭い歯を緑の肉片に食い込ませていき、キングゴブリンが「ブワアアァァ!?」と情けないように悲鳴を上げる。それでもジミはその腕に固執し続け、ハムスターがカリカリとするように手首を何度も刺激していくと、とうとう耐えきれなくなったキングゴブリンはこん棒から手を放した。キングゴブリンはすかさずもう一本の手でジミの口を手首から引きはがし、またこん棒を拾おうとする。
「取らせたらダメだ! 追い詰めて!」
ラッツの叫びにジミの耳が猫のように動く。命令を譲受したかのような反応と共に、キングゴブリンに向かって体当たりし、そのままラグビーのように土壁まで押し続けては、天井から少量の土がパラパラと落ちるほどの衝撃で強く押し当てた。
「畳みかけて!」
ラッツは駆け出しながら指示を出し、ジミは甲高い鳴き声を上げてキングゴブリンの首を爪で引っ掻く。緑の液体が三本分、宙に舞っては壁に付着し、立て続けにジミは往復ビンタをするように引っかいていく。
グシャリと生々しい音と共に、キングゴブリンの悲鳴のトーンも高くなっていく。元々緑だった首が、固まったアクリル絵具のような深緑で染まっていく。ジミをそこから離そうと腕を突き出して顔をどついたりするが、ジミの足は決してその場を動かない。必死の抵抗むなしく攻撃を受け続けていると、ジミは最後に両手を広げて同時に首を引っ掻いた。
「シャアアァァ!!」
何かに防がれることなく、そして留まることもなく、ジミの両手が振り切られる。すると、キングゴブリンの首は、まさにハサミでチョキンと切られたように天井に勢いよくぶつかった。再び土の欠片がパラパラと落ち、魔物の生首もすぐに床にへと落ちる。それが足下までころころと転がり、一瞬ラッツはビクッと身を引いていた。
首の隣に、ジミがペタペタと歩いてくる。ラッツが顔を上げ、二人の目が合う。互いに瞬きをしあうと、何も言葉を交わさないまま、ジミがゆっくりと頭を下げた。そこにラッツが手を伸ばし、固そうな毛を優しく撫でていく。
「よくやったよジミ。本当によくやった。偉い偉い」
ペットをあやすような柔らかい掛け声。撫でられてるジミは気持ちよさそうに目を閉じかけていると、カルーラが迫真の力で拍手をしながら近づいていった。
「やるじゃねえか! 二人で息を合わせてキング級討伐。文句なしの合格だ!」
「ほ、本当ですか! よかった……」
撫でる手を止め、ホッと胸をなでおろすラッツ。ジミにも「合格だって。やったね!」とやけに可愛らしい声で囁くと、素早い拍手を送っていたチャルスも、
「これからオイラたちの仲間だ! よろしくな新人!」
と二人を迎え入れる。セレナも小さく「よかった……」と安堵の息をついていると、俺も思わず二人を見て笑みを浮かべていた。
「おっちゃん。ここで止めてくれ」
カルーラが騎手のおじさんにそう話し、馬車が止まる。俺たち全員が荷台から降りると、そこは王都ラディンガルの城門の前だった。
「さてとだ」
先に城門をくぐっていった馬車を見送り、カルーラが後ろに振り返ってジミを見上げる。
「どうやって街の中に入ろうか?」
大きな図体に黒茶色の毛と鋭い爪の歪な雰囲気。真っ赤な眼差しも魔物同然のように見えるこの子をどうするか、カルーラはそれで悩んでいた。ここまでずっと馬車を追うように歩き続けていたジミは、疲れを見せるようにその場に両手をついてうずくまり、ラッツが「お疲れさま」と声をかけて頭を撫でる。
「街の人に驚かれて騒ぎにでもなったら困るし、かといって大事な仲間をここに置いていくわけにもいかないし……。あああ、誰か何かいい案はないか?」
腕組みをして苦悩するカルーラ。そうは言っても、と俺も腕を組んで考えこんでしまう。セレナも浮かない表情のままでいると、お気楽な顔が一切崩れないチャルスが、頭からピコンと音が鳴りそうなほど目を見開いた。
「オイラ思いついたぞ!」
「本当か!」カルーラの目が向く。それにチャルスはこう返す。
「アネキ! 地図と羽ペンを貸してくれ!」
街中の人々が、明らかに訝し気な目を俺たちに向けている。近づこうとする人もいない。俺の目に入る人全員が、確かに俺たちの後ろを歩く異質な存在に警戒心を逆立てている。
「……やっぱり、無理があったんじゃないのか?」
「そうか? オイラ的には、騒ぎになってないからいいと思うぞ!」
「そう言う問題か……?」
俺は後ろを歩くジミに振り返る。彼女は口に地図の裏面が見えるように咥えていて、無地の裏面には黒いペンで何らかの文字が書かれている。
「あれ、なんて書いてあるんだっけ?」
読めない異世界文字をセレナに聞く。セレナも呆れたように答える。
「イイヤツ、です」
むしろ怪しいだろ、とさっきも実際に口にした言葉が浮かんでくる。ジミの体に片手を当てながら隣を歩くラッツも、自分らを見てくる人々に苦笑いを返している。俺の提案したことは間違ってたのかもしれないと、今になって後悔しかける。
「気にするなよ」
先頭を歩くカルーラが横目に見ながら声をかけてきた。
「最初はアタイらだってジミを敵だと思ってたんだ。でも、お前が事情を話してくれて、アタイらの前で力だって証明してくれたおかげで、今はもう仲間だと思ってる。もし何か嫌なことされたら、アタイがそいつをぶっ飛ばしてやるよ」
「カ、カルーラさん……」
感銘を受けるように呟くラッツ。
「くうぅぅ! アネキはやっぱカッコいいぜ! オイラもそんなこと言えるくらいの風格と力が欲しいっす!」
チャルスが場を囃し立て、カルーラが「アッハッハ! そう言ってもらえると嬉しいねえ!」と愉快そうに笑う。二人は至って平常運転だが、それは逆に、いつまでたってもブレなくて頼りになるなと、俺も密かに思っていた。
やがてギルド本部の前までやってくると、入り口の大きさを見てカルーラがジミに言った。
「さすがに入れなさそうだな。ここで待ってもらうか」
「ジミと一緒に、僕も外で待ってます」
ラッツの言葉に「分かった」とうなずいて、チャルスと共にカルーラは本部の扉を開けようとする。それをセレナが「あの!」と言って止める。
「私たちの分の報酬金は要りません。ラッツ君とジミちゃんのために使ってあげてください」
パッと首を振り向け「いいんですか!」と声を上げるラッツ。セレナは笑顔になってうなずき、俺が言葉を繋げる。
「元々腕慣らしのために行きたかったわけだ。報酬目当てじゃないし、五人分……いや六人分か。そんなに分けたら大した額も貰えないだろうしな」
「それに」とセレナも付け足してくる。
「次の目的地に行けば、きっと友人の人が助けてくれると思うので、金貨がなくても大丈夫なんです。だから、今回の報酬はラッツ君とジミちゃんに譲ります」
「あ、ありがとうございます! さっきも金貨を頂いて、ここに来てもこんなによくしてもらえて……なんとお礼を言えばいいのか」
「気持ちだけでも十分ですよ」
セレナの言葉に俺もうなずく。俺のギルドに入るか、という選択肢は間違いだったんじゃないのかと思っていたので、逆にこちらとしても喜んでもらえて嬉しい限りだ。俺はカルーラに顔を向ける。
「カルーラ。俺たちは行かないといけない場所があるから、ジミの異常事態に関してはお前に任せるな」
「ああ。アタイに任せておきな」
「ここは世界でも最も大きな街だ。多分調べてみれば、こういうのに詳しい人とかいると思う。それに、活動を続けていけばいずれ皇帝の目にも止まると思うから、行き詰った時は頼ってみてもいいかもしれない」
「皇帝か。直接会ったことはないな」
「俺も詳しくは知らないけど、でも、あの人なら信頼できる。よく人を見ているあの人なら、ラッツとジミの事情を聞けば、少なくとも悪いようにはしないはずだ」
「分かった。頭の片隅に入れておくよ」
「俺たちも色々と歩いてみて、何か分かったら伝えに来るよ」
伝えたいことをすべて口にして、俺は再びラッツとジミに目を向ける。
「二人もここでお別れだ。またいつかここに戻ってくると思うから、その時は一緒にご飯でも食べような」
「あ、はい! 頂いた分の金貨は絶対に返します! 多分、時間はかかると思いますけど、でも、絶対にこの御恩をお返ししますから!」
「無理せず、ゆっくりな。どうせ契約書なんかはないわけだし」
うんうんとセレナもうなずく。そんなセレナに「そんじゃ行こうか」と声をかけると、俺たちは四人に背中を向けるように振り返った。
「じゃあな~ハヤマ! オイラのパンチ、いつかアネキやお前を超えるために極めてみせるぜ~!」
「ああ。期待しとくよ」
顔を向け、右手の甲が見えるようにして手を振る。
「またいつかな~!」
「はい! カルーラさんたちもお元気で~!」
「本当に、ありがとうございました!」
ラッツのお礼が、最後に俺たちの耳に届いてくる。再会と、新たな出会いからの別れ。とても懐かしい感じだ。
その隣には、いつもセレナがいる。
「……さて。本来の目的に戻ろうか」
彼女を見ながらそう言うと、セレナは俺を見てから、顔に何かついているかのように「フフ」と笑みを浮かべた。不自然だなと思いながらも、なんとなくその笑顔に理由が分かる気がする。
「なんだか懐かしいですね、この感じ」
「同感だ。出会う分だけ別れがある。またこれの繰り返しが始まるんだ」
「でも、同じ繰り返しじゃありませんよ。私たちは、確実に前に進んでるんですから」
セレナはそう言って、長い髪を揺らしながら片手を突き出す。そうして、周りの人が見ているのを気にせず、俺たちの足下に灰色の魔法陣を浮かべた。
「情報を手に入れて、私たちも強くなったんです。きっとゴールも、あと少しですから!」
円形の線から光が淡く立ち昇る。それが、前触れもなく一気に帯のように強く光だすと、転移の魔法が発動された。
十五章 イイヤツ
―完―
……ネズミが失敗するとは。実験に使うには一番最適な存在だと言うのに、不思議なことも起こるものだ。果たして失敗した原因はなんなのか、詳しく知る必要があるが、それがあいつに情報として回るのがな……。
まあ、それは後回しにしておこう。私がするべきことは他にある。魔物を人の手で生み出す方法は今知ることではない。
今すべきことはただ一つ。
――デモンストレーションの準備だ。