14‐17 どうしてこの力は特別強いんだ?
マットの上であぐらをかきながら、筋肉痛だったふくらはぎを触る。固くなった筋肉。揉んでみると鈍い痛みがじーんと広がったが、昨日に比べたら和らいでいる。
一体どれくらい時間が過ぎたんだろうか。セレナに助けられてからもう半年、いや、一年以上経っている気がする。実際の年月は知らないが、それくらいあいつの顔を見れていない。思ったよりも時間がかかってしまっている。
「もう待ってくれてないかもな……」
そう呟いた時、鉄格子の奥の階段から、誰かが降りてくる足音が聞こえた。石から響くその音が近づいてくると、牢屋の前にテオヤが顔を見せてきた。
「いつもは見張りの兵士に俺を呼ぶよう伝えるのに、今日はやけに静かだな」
テオヤが俺にそう言ってくる。いつもの筋トレをこなしてから、今日はずうっとぼんやりとしていた。それにはちゃんと訳がある。俺は何度も思い出す人を殺した感触。赤目の自分を表すようなそれを、手の平を見つめながら蘇らせる。
「実はさっきから、頭の中にぼそぼそと誰かが喋ってる感じがするんだ」
「それは赤目の人格か?」
「多分。俺にはあんまりはっきり聞こえてこないけど、自我がなんとかーとか、存在意義はーみたいなのが繰り返し聞こえてくるんだ」
朝から感じていたことをテオヤに告白する。今までになかった出来事に、むずがゆいような違和感を感じていたが、テオヤには何か分かったのかこう言ってきた。
「あいつなりに、どうすべきかを考えているはずだ。あいつはまだ俺に、一太刀もかすらせることすらできていない。今のままでいいはずないと、あいつ自身が分かっているはずだ」
結構長いことやってかすってすらいないのか。同じ赤目なのに、テオヤともう一人とでそんなに距離があるというのか。
ふと、俺は疑問を持った。今までどうして聞いていなかったのか謎に思うほど、身近にあって聞かなかった眼前の疑問。
「今更気になったんだが、赤目って何なんだ? どうしてこの力は特別強いんだ?」
「話してなかったか」
そう聞き返されて俺はうなずく。それを見てテオヤは兜に手をつけるとそれを脱ぎ取り、狼の刺青が入ったスキンヘッドと共に赤目を見せてきた。
「この眼球には、血の巡りを加速させる通路のようなものが備わっている」
「血の流れを加速!」
「本来、人間の体にはリミッターがかけられている。すべての力を出し尽くすと体が壊れてしまうからだ」
「その話し聞いたことあるかもな。そしたらそのリミッターの役割をしているのが、体内にある血液なのか?」
「厳密には脳みそだ。脳の判断によって、血液の流れは抑えられているんだ」
言葉を区切り、テオヤは鉄格子の一本を握る。
「赤目はそのリミッターを解放する。血の巡りを加速させ、本来の力を最大限にまで引き出すんだ」
手首に骨が浮かび上がり、鉄格子を徐々に引っ張っていくテオヤ。力を抜いてスッと手を離すと、その一本だけ隣の鉄格子に比べて一センチほどずれていた。
「その代わり、俺たち赤目の脳にはある役割が欠落している。それこそお前のよく知るもの。一度駆られた殺意の衝動を、抑えられないことだ」
強い力を代償に感情の制御が利かない、ということか。確かにこんな力、デメリットなしな訳ないもんな。
「赤目にそんな原理が。そしたら、テオヤはどうやってその衝動を抑えてるんだ?」
「相手の顔を、見ないようにしている」
テオヤはそう言いながら、兜をかぶりなおす。目元まで覆いつくしたそれを見て、俺は大いに納得する。
「その兜にそんな秘密が……。確かに顔を見なければ冷静でいられるかもな」
「もう一人のお前には当分無理だ。あいつはまだ、目を使わずして戦えない」
「普通戦えないんだけどな……」
並外れた力があっても、テオヤが視界を制限しても戦えるのは彼自身の実力なのだと知る。一体どれだけ鍛錬を積めばそんな大それた芸当ができるんだろうか。もしかしたら彼も俺みたいに苦労して、それでたゆまぬ努力を積んだのかもしれない。そうだとしたら、もう一人の俺の先輩的存在だな。
「話したいことは済んだな?」
テオヤはそう言ってくると、鉄格子の扉に鍵を使ってカチッと音が鳴った。なんの前触れもなく行われたその行動に、俺は「今日もやらないと駄目か?」と聞いた。赤目の人格については、今でもたまに言葉が浮かんでくる状態だ。
「今日は上からの命令だ。中庭で待ってる」
そう言って、テオヤは扉を開けずそのまま牢屋の前からいなくなる。連れていきすらしないのか、と思いながら、俺は素直に彼に従って扉を開けた。
憎い。疎ましい。煩わしい。
突如感情が湧き立って、俺はパッと目を見開く。外の光に何回か瞬きを繰り返し、芝生の上の兜といういつもの光景を視界に捉えていく。
「またてめえか」
目覚めたらいつもこうだ。もう何度も殺意を向けてきたあいつが、今日も三尖刀を片手に棒立ちで立っている。ふと、腰の裏に違和感があると、そこにサーベルがついているのに気づいた。手を回して鞘から刀身をスッと抜き取る。
「今日こそは潰してやる。構えろよ!」
俺は兜の行動を待つ。どうせ不意打ちなどは通用しない。やるなら真正面から徹底的にだ。そう思って待ち続ける。だが、兜は一向に武器を構えようとしなかった。
「チッ。構えなくてもいいってか? 舐めんじゃねえ!」
そう叫びながら、俺は兜に切りかかろうと走った。それでも兜は動じないでいて、俺は問答無用に頭上からサーベルを振り下ろそうとした。
「っふん!」
勢いよく振り下ろしたサーベル。振り下ろした、はずのサーベル。それは、まだ俺の頭上に留まっている。
「んな!? なんだ! 体が!」
体が動かない。兜は何もしていない。指の一本だって動かさず、ただ俺の顔をじいっと見つめているように佇んでいるだけ。それなのに、俺の全身は氷漬けになったかのように、指一本すら動かせなかった。
どうしてだ? 今までこんなことは一度もなかった。まだコイツにこんな力があったってのか? 予想外の出来事に思考を巡らせる中、兜の男は突然、不適な笑みを浮かべた。コイツの仕業だと俺は知る。
「てめえ! 何をした!」
兜は突然、三尖刀を持つ手を開いた。三尖刀は重力に従って芝生の上に向かっていき、最後に倒れると、それは無音だった。妙な違和感をそこから感じ取る。すると、兜の体が強い日差しに立つ陽炎のように揺れ始めた。急な出来事に俺も唖然として言葉を失う。次第に揺れが激しさを増していって、顔や体に身に着けているものまで認識できないくらいにまでなっていく。
途端に俺の体が動き出す。振り下ろそうとしたサーベルはそのまま真下に落ちそうになって慌てて踏ん張り、すかさず俺は後ろに後ずさりして距離を取る。そこで用心深く眺めていると、次第に揺れが弱まっていく。そうして俺の目に映ったのは、さっきよりも細く白い体と、威厳を感じられる装束。黒髪を長く垂らした男といった、明らかに兜の中身ではない、全く別の人間が立っていた。
「そっちの君とは、初めましてだね」
透き通った中に、鋭さを持ったような声が彼の口から出てくる。
「だ、誰だ?! お前は?」
「僕はカナタ。ログデリーズ帝国の皇帝です」
皇帝? 気品や威厳を感じられるのはそのためか。
「皇帝が俺になんの用だ? さっき俺の体を動かなくしたのも、お前の仕業か?」
「闇魔法、パラライズ。体を麻痺させる魔法だよ。君が見ていた幻覚も、闇魔法の一つだ」
「何が目的だ?」
俺の問いかけに、皇帝は涼しいような表情で、それでもって鋭く射るような目で俺を見てくる。
「君を見に来た。その力、余すことなく見せておくれ」
「見に来た? わけの分からないことを」
皇帝は片腕を伸ばし、その手に緑色の魔法陣を浮かび上がらせる。そして、それに光を宿していく。ふと、辺りの空気がざわめいたような気がした。不自然な予兆に俺は身構える。すると次の瞬間、腹に強く殴られた衝撃が伝わり、俺の体は後ろの壁まで勢いよく吹き飛ばされた。
「っがは!?」
背中を強く打ち付けられ、たまらず地面に手をつく。何が起こったんだ? 辺りの気配に気を取られていて、前から飛んできた衝撃に気づかなかった。
「これで、分かってもらえただろうか?」
皇帝は魔法陣を消しながら、俺に話しかけてくる。
「今日は君の集大成。実力を示さなければ、ここで果てることになるよ」
皇帝は、確かに俺の目を見てそう言った。これは本気の言葉。そして、本気の目だ。
「チッ! 後悔させてやる!」
すぐに立ち上がり、風と同化する勢いで走り出す。皇帝との距離を一瞬で詰め切り、左の脇腹からサーベルを振り切る。だが、皇帝の体が淡い光に包まれたかと思うと、そこからいなくなっていた。
「消えた!?」
どこにいったか探そうとして背後から気配を感じる。振り返ると、すぐ後ろで彼は、至って平然とした表情で俺を見ていた。
「っく! 舐めやがって!」
もう一度サーベルを振り切るが、また奴は光と共にその場から消える。素早く後ろを振り返る。奴は地面にできた魔法陣から姿を現していた。
「ちょこちょこワープしやがって。なら――」
飛び出すように地面を蹴り、腕を伸ばして服の襟を乱雑に掴む。
「これで!」
直接捕まえて、サーベルんの先端を顔面に向ける。その瞬間、奴の背後から物凄い勢いの風が吹いてきた。車でさえ吹き飛ばしそうな暴風に、挙げていた腕が思わず背中の後ろまで持っていかれる。次第に両足がおぼついてくると、
「――ぬわっ!?」
俺の体は、大荒れの台風で飛ばされる袋のように、はるか上空まで飛ばされていった。
中庭のすべてが目に映る。このまま落下すれば間違いなく重症、いや、死ぬ可能性のが高い。慌てて辺りを見回すが、建物の壁などにとても手の届く距離ではない。浮かされ続けながらどうすべきか考えていると、皇帝の口が微かに動いているのに気づいた。
――創世の礎。人がい出し時より君臨せし者よ。人智を越えし我が名の元、悦楽の園から目覚めん。最上級土魔法、アニムスガイア!
風音が一気に鳴り止み、俺の体が落下を始める。何かを呟いていた皇帝は、ただ掲げていた手に茶色の魔法陣を浮かべて光らせていると、突如芝生から何か出てくるように盛り上がり、崩れた地面から土で体を形成した巨人、ゴーレムとも呼べる存在が出てきた。
「んな!?」
驚くことしかできない。上半身だけしか出ていないのに、皇帝を優に超えるほど大きいゴーレム。真実の口みたいな顔をしたそいつが、中庭の芝すべてを埋め尽くしそうなその巨体を回して俺を見上げ、一本の手を開きながら伸ばしてくる。
握り潰される! 向けられた手に迫っていくしかなかった俺は、なす術もなく、腕で顔を覆って目を瞑ることしかできなかった。
「っう!」
衝撃に備えようと体がこわばる。手についた瞬間に逃げ出せるか? いや、それより先に落下の衝撃を受けて動けない。握られた時に耐えきれるか? 厚みのある手からそれは困難だ。
どうする? どうすれば俺は乗り切れる? 奴に勝てる?
必死に思考を巡らせる。巡らせて巡らせて、考えて考えて。それでもこの状況を変えられそうなものは思い浮かばなくて……。
……。違和感を感じる。体が落ちてる感じがしない。それに考えられる時間もやけに長い。もう俺の体は、ゴーレムの手の中にあってもおかしくないはずだ。
何かがおかしいと思い、俺は腕を顔からどかして恐る恐る目を開いた。すると、俺はいつの間にか両足でちゃんと地面に立っていて、目の前には皇帝が変わらぬ微笑を俺に向けていた。その笑みに嫌な予感を感じて反射的に俺は飛び退く。そうしてから、ゴーレムはおろか、ボロボロに崩れていた芝生が元通りになっている異変に気づいた。
「なんだ!? 何がどうなったんだ!?」
何が起きたのかまるで理解できない。体はどこも痛くないし、移動していた皇帝は最初の位置に戻っている。まるで、戦う前の状態に逆戻りした感じだ。
「僕の闇魔法は、いかがだったかな?」
「闇魔法?」
呟いてから俺はハッとする。姿がぼけた瞬間の魔法。幻覚を見せる魔法の効果か!
「僕には、テオヤのように戦う力がないからね」
やけに涼しい声色で、皇帝はそう言う。あれだけの幻覚を見せておいて、よくも言えたセリフだ。
「なんだよそれ。力を示せって言ったのはお前じゃねえか」
「僕は何も、倒せとは言ってはいないよ」
「どういうことだ?」
俺がそう聞くと、皇帝は片腕を俺に向かって伸ばしてきた。俺はまた何かするのかと反射的にサーベルを構える。
「うん。獣からは、変われたみたいだね」
「……は?」
何を言いたかったのか俺には理解できなかった。皇帝は何もせず腕を下げていき、俺は警戒心を残しつつ詳しく聞こうとする。
「変わったって、何がだ?」
「君のことだよ。アキト君」
「俺?」
「君は今、殺意を抑えて僕と話しをしている。殺意に身を任せ、本気でテオヤを殺そうとしていた君がだ」
そう言われて、俺は初めて気づいた。今まで感じていた、たぎるほどの殺意は胸の奥底で眠っている。目元や心臓は熱いままなのに、それでいて冷静に状況を判断できて頭が回っている。
「僕に対しても警戒を解かないでいる。今までの君だったら、お構いなしに走ってきてただろうね」
最初からそれが目的だったということか。なんだか奴の手の平で上手い事踊らされたような気がして、若干腹が立つ気分だ。それでももう奴が戦う気がないのを知って、俺はサーベルを持つ手を腰裏に持っていき、ゆっくりと刀身を鞘に戻していく。
「お前たちは俺に何を求めてるんだ。毎日毎日俺と兜を戦わせておいて、今日は俺を試すようなことをした。結局の目的は、一体何なんだよ」
半ば苛立ちを覚えながらそう聞く。振り返れば長い間、俺はこいつらの計画に乗せられていたわけだ。相当嫌なことを考えてるに違いないと思ったが、皇帝から返ってきた答えは意外なものだった。
「もう一人のアキト君に聞いてみれば、分かるはずだよ」
「ああ? もう一人の俺?」
「アキト君がここまで来るのを願ったのは、誰でもないアキト君自身だよ。僕たちはそれに協力してあげただけだ」
「なんだよそれ。俺自身は何も望んじゃいねえってんだ」
「アキト君。僕らを信用する必要はない。でも、せめて自分自身とはしっかり向き合うべきだ。でないと君は、折角の居場所を失ってしまうよ」
まるで保護者のような口の利き方に、俺はつい舌打ちをする。居場所がなんだってんだ。自分にはすべてお見通しってのか、偉そうに。
気性荒くそう思っていると、いきなり皇帝の腕が上がって俺は一瞬で身構えた。サーベルも抜きかけたが、同時に俺の足元に灰色の魔法陣が浮かび上がる。この色はワープするときの魔法陣。俺はなんとなく牢屋に戻されると勘付いて、それに反抗せずおとなしくすることにした。
「近い内にまた会おうか。今度は、君たちの集大成を試すために」
最後にそう言い残し、皇帝は魔法を発動させる。円形に沿って光が柱のように伸び、眩しさに目をギュッと瞑っていると、次に目を開けた時には俺は牢屋までワープさせられていた。
太陽の日差しが消え、薄暗く陰鬱とした牢獄。隙間風とかもなくて、空気がやたらと重い。前に壊した鉄格子の扉が直っているのに気づくと、同時に俺は、殺意に身を宿しながら自我を保っていることに気づいた。
「……変われてる? 自分の意識が、しっかり持ててる」
どうしてだ、と自問自答し、すぐにある可能性に勘付く。意識の裏でずうっと呟いていた言葉。その言葉が誰かに届いているのを感じて、他者を通じて自分を客観的に見れたのかもしれない。
「誰かを通じて自分を知った。……もう一人の俺に聞いてもらって、安心していたのか?」
直接聞いてもらえた訳じゃない。だけどそいつは、俺がどれだけブツブツ言っても全く動じず、やけに冷静にそれを聞いていてくれた。その態度が、返って俺に余裕のある思慮を与えてくれたんだ。
「……聞いてくれるだけで自我を保てるなんて……」
――ちっぽけな人間だ、俺は。
最後にそう、心の中で呟いた。すると不思議なことに、胸の中のとっかかりが外れたような気がして、殺意の熱とは違う温かさが込み上げてきた。思わず和んでしまうような、共感されて安堵しているような気分。もしかしたら、もう一人の俺に言葉が通じたのか?
「……君たちの集大成……」
何気なくそう呟いてみる。また、さっきと同じ安心感が胸に詰まる。胸に手を当てると、それを求めていたのだと、俺は素直に思う。
俺はサーベルを外して床に放り投げる。そしてマットの上にふんぞり返り、襲ってきていた眠気に身を委ねる。
これから、葉山明人に話しをつけるために。