14‐16 殺意しかないってのに
「おいおいマジかよ!」
声がして、俺は目を開いた。目の前にいた金髪の男は、俺の顔を驚くような目で見ている。心の奥底から熱を感じ、全身が煮えたぎるほど熱い。衝動のまま俺は目の前の鉄格子に手を伸ばす。
「ギッ!? おいおいテオヤ! お前一体何するつもりなんだあっ!」
男が俺の前から走り去っていく。どうしようもなく怒りがこみあげてきて、力の行き場所がすべて鉄格子に込められていく。ふと、扉代わりの鉄格子が足下の方にあると、今度はそこに手を伸ばして力の限り引っ張った。
あの女が憎くてしょうがない。俺を否定するあいつを、、殺したくてしょうがない。
もう、何もかもが憎い。切ない。鬱陶しい。
「うなああぁぁ!!」
めきめきと軋む音を立てる鉄格子。するといきなり鉄格子の扉は開いて、あまりに強い力で引いていた俺の体は尻もちをついて転んだ。へし折れた扉を後ろに投げ捨て、開いたところから出ようとする。
壊したい。何もかも、壊さなくては。
ふと、鉄格子の奥に、誰かの足が映った。顔を上げてみると、そこにはあの、顔を隠した兜の男がいた。
「お前は……あの時の。……俺を気絶させた、あの!」
憎い男を殺した後、いきなり現れて俺を止めた男。その本人が、目の前にいる。
「やっと目覚めたか。もう一人の、赤目の人格」
「もう一人……? うるせえ! 俺が本物だ。葉山明人は俺なんだよ!」
吐き捨てるように叫んで、俺は獣のように四つ足になって牢屋から飛び出した。それを兜に避けられると、男はそのまま俺に背を向け、逃げ出すように階段を駆け上がっていく。すかさず走り出しながら二足になって、俺はそいつの背中を追い続ける。
「ぶっ壊してやる。何もかもすべて。気に食わない奴すべてを!」
螺旋階段を上り切って、見慣れない広間に出てくる。大して何もない、なんだか鎧を着た兵士だけが行きかうそこで、兜はそこで俺を確認するように走っていて、舐めたような態度にまた激怒しながら俺は走り出す。そうして兜は、ある通路を通っていき、やがて外に出ていくと、芝が生い茂ってるだけの中庭らしきところに俺たちは出てきた。
日の光が眩しくてグッと瞼が閉じかける。それでも強引に目を慣らそうと前を見ると、兜は奥の壁に立てかけておいたサーベルを手に取ってこちらに近づき、鞘から抜き取った刀身を俺に向かって投げてきた。回転しながら飛んでくるそれを、手持ちの部分を見抜いてしっかりキャッチする。
「ここなら、いくら暴れようが構わないと、あいつが言っていた」
兜が俺に向かって、三尖刀を構えてみせる。あいつが誰だか知らないが、余裕そうな態度が俺の手に力を注いでくれる。
「生意気な奴だ……。今度はあの時みたいにはいかねえ。お前をぶっ壊してやる」
「……やってみろ」
生意気にも挑発してきたその男に、頭上から乱暴にサーベルを振り下ろしにかかる。奴は猫のような俊敏さでそれを軽やかに避けてみせる。易々とした風な回避に、俺はまた手に力が入ってサーベルを振り回した。
けれど、何度も振った攻撃はかすりもせず、全部避けられたり三尖刀で防がれたりしては、最後は足をすくわれて尻もちをつかされ、すぐに起き上がろうとした顔面に、青黒い刃が突き付けられた。
「弱い。弱すぎる。その程度の力で、一体何を壊すんだ?」
腹立たしい物言いに歯ぎしりをする。
「ギッ! ……俺が弱いだと!」
「己の力を計り間違えるな。殺意だけで手に入る力など、高々知れている」
「んぎ!」
悔しさのあまり歯ぎしりが収まらない。陳腐な煽りだとしても、俺を否定してくることが許せない。
「なんだその反抗的な目は? 誰の前にいると思ってる?」
兜は目を見せずとも、明らかに俺を見下していた。腹の虫が収まらない俺は、目の前の三尖刀の柄に手を回し、それをへし折らんばかりに力を加える。
「うるせえ! 誰だろうと関係ねえ!」
「控えろ弱者が」
俺の意識が沸点を超えていく。さっと三尖刀を投げ飛ばすように手を放し、勢いよくサーベルで切りかかろうとする。避けられてもなお、何度も何度も振り続ける。
攻撃を避けられ防がれる度、兜の口からその都度「甘い」「弱い」「その程度か」と俺を煽ってくる。その煽りに振り回されるように、俺は自暴自棄になるようにサーベルを振り回し続けた。
気づかぬうちに息が切れている。圧倒的な力の差を感じると、またそれに怒りがこみあげてきて、腕に力が入っていく。自分はこの程度なのかと。体中に溢れる力のすべてが、こんなものなのかと。悔しさが力になっては、それがすべて空回りしていく。
「チッ! どうして当たらない!」
俺のことを赤子として扱っているかのように、兜は攻撃を避けていく。次第に、体が怒りについていけなくなって、勝手に自爆するようにボロボロになると、ふいに眩暈がして芝生の上に膝と手をついた。
どうして? どうしてどうしてどうして!
どうして俺の力が届かない!
いや届かせる! 絶対に、あいつを壊してやる……。
意識を集中させようとしていた。けれど腕に入る力はもう残ってなくて、視界も周りから靄がかかるように暗くなっていき、俺の意識は反対に、遠のいていく。
「だはっ!? っはあ! っはあ!」
目覚めた瞬間から息切れが止まらない。いつの間にか、俺はフルマラソンを全速力で走り切ったのだろうか。カラッカラになった肺に急いで空気を取り込むように、俺は荒い呼吸をしていた。
「戻ったか」
ふと、テオヤの声が聞こえてきた。俺は重たい頭をなんとか上げて、彼の兜を見る。
「っはあ。っはあ……何が……あったんだ……」
「やはり覚えていないか」
テオヤがそう言うと、俺はここが牢屋ではないことに気がついた。自分の足でここまで来た覚えはない。そう思った矢先、牢屋の中で意識が飛んでいく感じがしてたのを思い出す。
「っはあ。そっか。俺は、もう一人の人格に、入れ替わってたのか」
「しばらくそいつと、一騎打ちで戦っていた」
「そうなのか? っはあ……それで、どうなったんだ?」
「感じてる通りだ。今のあいつでは、力の制御はできない」
俺はそこでやっと息を整えると、その場にゆっくり立ち上がろうとした。しかし手足に力を入れようとした瞬間、体中に骨にまで響きそうな激痛が走った。
「イデッ!?」
思わず声が漏れる。全身筋肉痛でもこんなにならないだろうと、瞬間的に思う。もう一人の俺は、どれだけ無茶な動きをしたんだ。
「手は貸さない。お前の問題は、お前の力で解決しろ」
テオヤは冷たく接してくる。
「わ、分かってますよ――いっつ!」
全身に巡る刺激を我慢して、腕から体を起こし上げようとする。さすがにサーベルを持ち上げる筋力は残っていなくて、自分の体だけをなんとかしようとする。皮膚の毛穴から何か出てきそうな違和感を感じながらも、俺は両足で立つところまで自力で起き上がった。
「痛えな……それで、赤目の俺はどうだったんだ?」
顔を上げてそう聞くと、いつの間に鞘を持っていたテオヤは、足下のサーベルを拾ってそれを納めてくれた。
「魔物と変わらない生き物だった。殺意に意識が支配されている」
「そんなに酷かったのか。これからどうにかなるのか、その精神状態?」
「さあな」
適当にそう返して、テオヤはこの中庭らしきところを出ていこうとする。扉のない出入り口の前で振り返ってくると、「早く来い。脱獄者」と俺に言ってきた。
「え? この体で今すぐ戻れって?」
テオヤは深くうなずく。マジかよ。全身痺れてるような、常に小さな針に刺されているような感じがして、一歩でも踏み出せば崩れそうな状態だってのに。それでもテオヤは俺に向かって
「お前の体の状態など、知ったことじゃない」と冷徹にふるまってくる。嫌な奴だ、と俺は思いながらも、棒切れのようにもろくなっている体を動かしていった。
「うらあ!」
「遅い」
「おらあ!」
「弱い」
「くそが!」
「失望させるな」
「――ぐあっ!」
「イデエッ!? ……っつう。きょ、今日も駄目だったか……?」
「ああ。まるで変わってない」
「そうかよ。はあ……」
月日は流れ、牢屋の中でも肌寒さを感じるようになった頃。俺は、というより、もう一人の俺は、未だに目覚ましい進展がないままだった。
毎日のようにテオヤに挑んでは、恒例行事の如く体をボロボロにして俺に意識を戻してくる。今も体の節々が痺れるようで痛い。正直言って泣きたいくらいだ。
だが、ゆっくりしている時間はない。
「一日でも早く、セレナに会いに行かないと……」
俺はいつも通りうつ伏せになるように床に手をつき、足をピンと伸ばして腕立てを始める。鼻がつきそうになるほど深く腕を折って、またピンと腕を伸ばして。折って。伸ばして、と繰り返す。戦った後の体が悲鳴を上げようが、鞭うつつもりで回数を重ねていく。
「……筋トレ?」
誰かの声がして、俺は体勢を変えないまま鉄格子に目を向ける。見ると、ヴァルナ―が怪訝そうな目で俺を見ていた。
「ヴァルナ―か」
そう呟いてから、俺は顔を戻して続きをする。
「いつも、テオヤと戦った後に、体がボロボロになるん、……だよ。だから、それを少しでも改善できるよう、こうして……、体を作ってるわけだ」
力みながらもヴァルナ―にそう説明する。回数は数えていない。その日できる限り、腕が限界でへし折れるまでを、俺は毎日続けていた。どれだけきつかろうが、赤目から意識が戻される瞬間は、ずっと呼吸を止めてたんじゃないのかと思うほどに呼吸が荒くなるし、全身無理をし過ぎで地面にへばってしまうのだ。限界が来てやめられるだけ、こっちのがまだマシだと思えてしまうくらい、それは苦しく辛いものだった。
ふと、何かがうごめくような音がして俺は顔を上げた。すると前に映っている石壁が、地響きと摩擦を起こしながら独りでに奥へと動いていた。驚いている間に、ヴァルナ―が喋ってくる。
「腕立てだけじゃ足りないだろ? 走り込みとかおすすめだぜ」
「ヴァルナ―お前……」
彼に目を向けると、ヴァルナ―は出していた茶色の魔法陣をスッと消し、サムズアップとウインクをしてみせた。
「他の兵士には、俺の許しを得たって言っておけよな」
あれから、更に時は流れ。
「ぐあっ!?」
俺は兜に突き飛ばされて背中から倒れ、顔面に三尖刀の刃を突き付けられてしまう。そうして動きを封じられた時、初めて息切れをしていたことに気づく。全身も途端に重たくなって、ずっと握っていたサーベルの手も痺れてきた。
「今日も俺に負けたまま、意識を失うのか?」
兜は挑発してくる。ピキッと頭にきて、俺は立ちあがろうとする。だが、体が言うことを聞いてくれず、意識が遠のくのを暗示するように、視界の周りに靄が現れてきた。
「チッ! なんでだ。なんでだよ……」
声を出すの辛くて、それでも俺は兜に抗おうと空いていた手で三尖刀の柄を握る。
「なんで俺は、お前に勝てない? 殺意しかないってのに、どうしてお前にぶつけられないんだ……」
「答えは簡単だ。お前が弱いからだ」
唇を強く噛む。ふざけるなよ、と言ってやりたかった。けれど、暗くなっていく意識の中でその言葉は出せなくて、代わりに別の言葉が出てくる。
「お前は……どうして俺より、強いんだ……」
俺は、参りましたと口にするかのようにそう聞いていた。事実これまで、俺がコイツにサーベルを当てたことは一度だってない。俺は密かに、コイツには敵わないと思っていたのかもしれない。
「……自我を、保っているからだ」
「自我……?」
自分の意識とか意志とか、そういうやつか? それを保っているからどうして――。
薄れゆく意識の中でそこまで思った時、俺は自我を保っていないことに気づいた。ただ目の前のものを壊そうと必死に、持っている武器をひたすらに振り回し続ける。駄々をこねる子どものように、ただ乱暴に力を奮っているだけだ。
なら、どうすれば自我を保てるんだ?
「もう一人のお前は、今の自分自身を認めている。お前も、さっさと自分を受け入れたらどうだ?」
そう最後まで聞こえた時、俺の意識は暗い視界の中に飲み込まれていった。