14‐15 お前! やっぱり漢だったんだな!
泣き続けて、泣き続けて、もう枯れるほど泣いたんじゃなかいうほど、俺は泣き続けた。
嗚咽が止まり、涙が止まり、俺は、体を起こして人肌から離れる。顔を上げると、セレナの顔にも強い涙跡が残っていて、それでもって俺のことを、微笑を浮かべて見つめてくれる。
「スゴイ泣いてましたね」
「……ほんとだよ。でも、ちょっとは楽になった」
親指と人差し指を使って同時に瞼に残った水気をぬぐう。そうしてから俺は一回天を仰いで息を吐き出し、そうしてからまたセレナと向き合った。
「お前の話しは分かった。だけど困ったことに、俺、無期懲役の犯罪者だ」
「そうみたいですね。私がヴァルナ―さんに上手くならないか言ってみてもいいかも」
「問題はそれだけじゃない。赤目の人格が急に目覚めて、いきなり暴れ出すかもしれない」
「その時は、転移魔法ですぐに逃げ出します。ここまで来れるようになったので大丈夫です!」
「俺はまた、間違えるかもしれない」
「間違えることくらい、誰だってありますよ」
「またお前を、傷つけるかもしれない」
「その時は、こっぴどく怒ってやります」
俺がいくら言っても、セレナは引き下がろうとしない。こんなにもしつこい奴だったとは。俺は参りましたと言う代わりのため息を軽くついて、真っすぐな瞳にこう返す。
「分かった。お前がここに来るまで頑張ってくれたんだ。俺も、どうにか手を尽くしてみるよ」
「本当ですか!」
大声でセレナは喜ぶ。俺に向けたその反応。本物の反応を、俺はちょっとだけ噛みしめる。
「ッフ。やり方がないわけじゃないんだ。可能性が低いことに変わりはないけど、でも、俺に無期懲役を言い渡したあの皇帝様が、何も考えなしに俺を牢屋に送ったとは思えない」
方法があるとしたら、赤目の人格をどうにかする他ないだろう。俺の言葉でここから出してくれと言ったところで、説得力の欠片もない。どれだけ時間がかかるか分からないが、きっとやれることがあるはずだ。
「フフ。その顔、考えてる顔ですよね」
「え?」俺はセレナに振り返る。にんまりとした顔をした彼女は、なんだか幸せそうだ。
「よかった。私の知ってるハヤマさんが戻ってきてくれて」
ホッと胸をなでおろすセレナ。それを見て俺は、彼女にとんでもない迷惑をかけてしまったなと、今になって思い返した。今の自分の意志を見せるために、俺はその場に立ちあがる。
「ごめんセレナ。そして、ありがとう。お前が待ってくれるなら、俺は必ず、お前の元に自力で帰ってみせる。だから、それまで待っていてくれるか?」
そう言ってからなんだか、告白しているみたいだと思って顔が熱くなってしまう。それにセレナは「告白みたいですね」と言って茶化してくると、内心叫びたい気持ちになる。それでもセレナは立ちあがって俺を見上げてから、無垢な子どものようにいきなり体に腕を回してきた。
「約束ですよ。いつまでかかろうとも、信じて待ってますから」
そっと呟かれた言葉を受けて、うろたえていた俺は彼女の背中に戸惑いながらも手を回す。
「ああ。絶対迎えに行く」
俺は、そうはっきり答えた。それを聞いてセレナは黙ってうなずいてくれると、やがて俺から体を離し、二歩後ろに下がってから、両手を斜め下に突き出した。そこから足下に、灰色の魔法陣を描いていく。
「もう、自分を見失ったりしませんよね?」
光を強めながら、セレナがそう聞いてくる。
「当然だ。ハヤマアキトは俺自身だ。お前が気づかせてくれたこと、忘れたりしない」
そう答えると、セレナはまた満足そうにうなずいた。そして、最後の光の柱が瞬いた時、彼女は満面の笑みを俺に送って、その場から消えていくのだった。
光が消えて覆っていた腕を下ろす。セレナの姿はなくなって、この牢屋に再び静寂が訪れる。ふと、自分の右手に目を落とす。
この手でつけた殺人の罪。少なくとも俺は、これをどうにかしなければここを出られない。俺のやったことが正義だろうが悪だろうが関係ない。今はただ、俺を認めてくれた彼女のために、二度と同じ罪を重ねないことを誓い、そして立証しなければならない。
「話しは済んだか?」
突然、男の声が聞こえた。パッと顔を上げて鉄格子の奥を見ると、目元まで隠した兜のテオヤが歩いてきた。見張っていたのか、いつもの三尖刀も握られている。
「お前!?」と驚いて、同時にまさかと思って血の気が引いていく。
「い、いつからそこに……」
「お前が泣き出したところからだ」
よりにもよって一番聞かないでほしいところじゃねえか! 恥ずかしさが込み上げてきて片手で顔全体を覆う。このまま頭を壁に打ち付けたくなる衝動に駆られるが、テオヤの正体を思い出して俺はハッと顔から手を下ろす。
「そうだ。お前、兜の中身は赤目だったよな?」
そう言った瞬間、不思議とテオヤが兜越しから、俺の顔をじっくり見てきたような気がした。そしてゆっくりとうなずき、彼はこう言う。
「自分のするべきことが、分かったようだな」
まるで、俺がそう言ってくるのを待っていたかのような口ぶり。
「その言い方。やっぱりここを抜け出す方法を用意してくれてるんだな?」
「やれるかどうかは、お前次第だ」
きっぱりと言い切られる。わざわざ用意してくれてるのなら、今から行動するに限る。俺はテオヤに向かって、深く頭を下げる。
「お願いします。赤目の人格を制御する方法を教えてください」
誠意を込めてお願いする。すぐにテオヤは「顔を上げろ」と言ってきてそれに従う。
「まずは赤目の人格を意図的に呼び覚ましてみろ。話しはそれからだ」
「そうか」と呟いて、俺は試そうとする。自分の意識が飛んだ瞬間のことを思い出し、限りなく頭の中に殺意を形に描いていく。殺した感触が残っていた手も眺めて、憎かったローダーの顔も思い浮かべて、それで、それで……。
「……あのう、赤目の人格って、どうすれば出てきてくれるんだ?」
俺の体の中には全く変化が訪れなかった。確かに頭の中にはローダーやイデアの顔、胸糞悪い話しだって再生している。それなのに、目元や心臓は全く熱くならなくて、意識が霞んでいく気配すらない。
「ぬるい。今お前が思い描いている殺意など、本物の殺意ではない」
俺の心の中を見透かしてくるように、テオヤはそう言った。ぬるいと言うのか? 実際に人殺しにまで至ったこの感情が、彼にとってはぬるいと?
「お前も実際に見ただろ? 決闘祭りなんかで俺たち赤目が戦う姿を」
記憶が呼び起こされる。大地を崩壊させるほどの力を持つミスラさんや、鉄壁の盾を破壊したり、全力の必殺技を受けきるテオヤ。人智を超えた身体能力と強大な力。
「お前が扱おうとしているのは、そんな大それた力だ。生半可な覚悟じゃ、赤目の力なんて到底制御できない」
「ローダーの事件でもぬるいってのか。じゃあどうすれば?」
「それくらい、自分で考えろ」
テオヤはそう言って、俺の前から立ち去ろうとする。赤目を呼び起こすための糸口を全く見つけられない俺は、ふと彼の三尖刀を見て何かを思い出す。
「待ってくれ。殺意なら確かに感じている。試しにお前が、その武器を俺に向けてくれないか? 身に危険を感じた時にも、赤目の人格が少しだけ出てきてたから試したい――」
最後まで言い切る前に、テオヤは即座に鉄格子の間を縫って三尖刀を突き付けてきた。唐突過ぎて俺は身がすくんでしまう。青黒い刃が顔面に近すぎて、その先端が両目にくっきりと映っていない。
「向けられた刃に挑むのは殺意ではなく勇気だ。お前には必要のないものだと覚えておけ」
「イ、イエッサー……」
返事をして、テオヤが三尖刀を下ろしていく。俺はホッと胸をなでおろしながらも、やはり変化がなかったことに少し焦りを感じるのだった。
それから毎日、いつでもローダーを思い出し、殺意を抱き続けようとした。来る日も来る日も頭の中にはあいつがいて、心の中にはまた殺したい欲求が渦巻いていく。その実感は確かに感じている。なのに、どれだけ時間が経とうとも、赤目の人格は現れようとしなかった。
それに加え、セレナが来てからは夢の中でも会わなくなっていた。あれだけ嫌な悪夢を好き勝手見せておきながら、なんとも勝手な奴だ。
この日も起きた瞬間から、殺意を覚えようとしていた。どうすれば呼び起こせるのかと眉間にしわを寄せていく。すると鉄格子の向こうに、ヴァルナ―が顔を見せてきた。
「お前、最近変顔にでもハマったのか?」
「赤目の人格を呼び起こしたいんだ。なのに全然出てきてくれない――」
「ええ!? お前まさか! また暴れ出すつもりか!」
俺の声を遮って、ヴァルナ―がうろたえる。「誤解だ」と慌てて俺は口にする。
「テオヤに言われたんだよ。赤目の人格を制御したかったら、まずは意図的に人格を呼び起こせって」
「へ? テオヤが?」
「ヴァルナ―は聞いてなかったのか」
「なーんにも」と肩を上げるヴァルナ―。腰に手を当てて彼は続ける。
「赤目の制御ねえ。あれはけっこうヤバいもんらしいからなぁ。でも制御できたとして、お前はどうするんだ?」
「約束したんだ。セレナのところに自力で戻るって」
「セレナちゃんと、約束した!?」
再びヴァルナ―が大げさに驚く。分かりやすく目を丸くしている彼に、俺は詳細を伝えた方がいいのかと思って話そうとしたが、何やらヴァルナ―は顔を俯かせて体を震わしていた。右手の握りこぶしが胸元まで上げられていて、何かマズイことでも言ったのかと思ってしまったが、すぐに彼の口から
「くうぅぅ!」と唸り声が聞こえてきて、パッと顔を上げては歓喜に満ちた声を出してくる。
「お前! やっぱり漢だったんだな!」
「え!? ど、どうしたんだ急に?」
言われた意味がよく分からない。それでもヴァルナ―はお構いなしに話し続ける。
「そうだよな! 待ってる女がいるなら、男は行かねえといけねえよな! たとえ火の中水の中。魔物の群れから魔王の城までも! 死ぬ気で想いに応えねえとだよな!」
「そ、そういうもんか?」
「当然だ! 男たるもの! 世の女のために生きるべし!」
「今時流行らねえだろ、その精神……」
決め顔をするヴァルナ―に俺はそう呟く。ヴァルナ―は輝かした瞳をそのままに、改めて俺に聞いてくる。
「それで、制御できそうなのか。赤目の人格は?」
「今のところは全然」
「ふむ。まあそう簡単じゃないだろうな。制御できてたら、そもそもお前がここにいるはずないしな」
「それはごもっとも……」
ヴァルナ―が顎に手を置き、頭をひねる。何やら一緒になって考えてくれているようだが、赤目を持たない彼からいい提案が聞けるだろうか。あまり期待せずにその顔を眺めていると、「うーん……」と唸っていたヴァルナ―が口を開いた。
「二重人格ってことなら、もう一つの人格が生まれた瞬間とか覚えてないのか?」
意外な観点からの意見だった。そして、母親を殺そうとしたあの瞬間を即座に思い出す。
包丁で切り裂いた感触と、頬についた血と、苦痛に満ちた母親の顔。ふと、目元が若干熱くなったような気がした。
「この感覚! ……ヴァルナ―。お前すげえよ!」
「おおやっぱり! さすが俺」
「本当にすげえよ。その時のこと、初めて殺意を覚えた時のことを思い出せば、いけるかもしれない!」
前にセレナに話したこともあって、より鮮明にその時の景色が頭に映っていく。俺を見てこなかった母親。血も繋がった肉親だというのに、母親が見てたのは俺ではない別の明人。明人と呼ばれた俺は仮初で、自分の中にしか存在しない明人のことを呼び続けた言葉。
湧いてくる。怒りが。憎悪が。殺意が。
胸の中に、どんどん膨れ上がってくる。
俺はここにいる。ここにいるはずなんだ。
「ハヤマ?」
ヴァルナ―の声が聞こえたのは、既に意識が遠のいてるときだった。目元が沸騰しそうなほど熱くて、心臓も体を突き抜けそうなほど脈打っている。次第に頭から足の先まで血の流れを感じられるようになって、その確かな感触を感じながら視界が真っ暗になっていく。
――憎い憎い憎い!
すべて壊してやる!
俺を見てくれない奴らなんて、全部いなくなればいいんだ!