14‐14 俺はただ、
「嘘に慣れたのって、それが原因だったんですね」
そう、セレナは俯きながら呟いた。それを見て、俺は続ける。
「みんな同じ顔をするんだ。俺も驚いたよ。どこも笑わない笑顔を、人間には作れるんだなって」
「ハヤマさん……」
俺を憂うようにセレナは名前を呟く。俺は一度、座りっぱなしで凝り固まった体を胸を張るようにしてほぐし、腕を組みながら石壁に背中を預ける。
「話しはここまでだ。これで分かっただろ? 俺は元いた世界となんら変わってない犯罪者だって。ここに入れられるのも、当然のことなんだよ」
「……そうですね。ハヤマさんは確かに、変わってないんですね」
顔を上げないまま、セレナは胸元に手を押し当てる。俺への失望にでも耐えているのだろうか。だとしたら余計なお世話だ。俺のことなんて、さっさと失望してほしいのだから。
「お前の頼みを聞いたんだ。さっさとここから消えてもらっていいか? そして二度と、ここに現れないでくれ」
「私は、ハヤマさんと一緒じゃなきゃ旅に戻りませんよ」
「はあ?」俺は若干イラつくような態度で目を向ける。ずっと俯いていたはずのセレナの顔が、真っすぐに俺を見つめている。まるで、本当に俺と一緒に行きますから、と、そう言いだしそうなほど本気の目で。
「お前、さっき一人で戻るって、確かに言ったよな?」
どうやっても駄目だと。これ以上は時間の無駄だとさえ思わせるように、苛立った声で言う。それなのに、セレナは表情を崩したかと思うと、クスッと笑い出していた。
「何がおかしい?」
すぐに俺は問い詰める。それにセレナは、とっさに口元に当てていた手をおしとやかに膝の上に戻す。
「ハヤマさん」
はっきり名前を呼ばれる。そして、イタズラっぽく口角をわずかに上げて、口元に人差し指を置いて、こう言った。
「――嘘、ですよ」
……嘘?
一体何が? いつ? どんなタイミングで?
「……何、言ってるんだ?」
いくら思い出しても、セレナが嘘をついた瞬間を思い出せなくて、色々聞きたかった挙句出てきたのはその言葉だった。
「嘘をついてたんですよ、私。一人で旅に戻るつもりなんてありませんでした」
「そんな……俺が見逃した? ……いや、それこそ嘘なんじゃ?」
「うーん?」
腹の立つようなすまし顔を、セレナはしてみせる。その時俺は、さっきまでコイツの顔を注意深く見ていなかったことに気づいた。
最初に話しをしていた時、コイツはどんな顔をしてたんだ? どうしていつも見ているものが、今になって見えなくなった?
それになにより、どうやったらコイツが俺に嘘を通せるんだ?
純粋バカで嘘を知らないピンク髪。そんな奴がどうして?
「ハヤマさんが教えてくれたことですよ。嘘がバレてもいいやって、そう思いながら話してましたから」
あっさりと、ネタばらしをされた。同時に俺は唖然とする。まさか自分が過去に教えたことが、自分にやられるとは。それもセレナに。嘘を知らない少女に。
「……お前、バカ過ぎないか?」
「んな!? どうしてバカなんですか!」
「だって、嘘なんてついてどうすんだよ。俺はここにいて、お前の所には戻れないんだぞ。そもそも、俺自身戻りたいとは思わない」
俺は依然冷めた態度でそう言ったが、セレナは前向きな表情を崩さない。
「私は、絶対にハヤマさんと一緒がいいです。あなたみたいな優しい人、そうそういないと思いますから」
「優しい? 何を言ってんだ。そんな嘘、俺が信じるわけ……」
彼女の表情が見える。目の瞳孔は直射する日光のように真っすぐ俺を見つめていて、決して俺の裏を見ようとしているわけではない、正直な瞳の輝きを俺に見せていた。
「……お前が知らないだけで、優しい人は他にいっぱいいる。一人が不安なら、新しい誰かを探せばいい」
強すぎる目線に押されるように、俺は顔をそらしてそう言う。だけどコイツは、一人になりたがってるのをまるで察してないかのように、突然こう呟いた。
「私のわがままを聞いてくれて、ここまでついてきてくれた」
また別の切り口か。そう思って横目でチラッとセレナを見る。すると彼女は、右手の人差し指を伸ばしていて、次に口を開くと、
「村にやって来た詐欺師さんを逆に騙して、道を踏み外さないよう忠告しれくれた」
そう言って中指を伸ばす。何かの数を数えているのだと気づくと、俺はまさかと思った。
「時の都で度胸を持って、悪行を為す人に恐れを知らずに大声で注目を浴びてくれた」
薬指が伸びて、数字の三が表される。
「おい……セレナ……」
――記憶喪失の人の事情を知って、感情に寄り添ってあげた。
母親が亡くした少年のために、自分らしく生きる方法を教えてあげた。
魔剣のダンジョンの中で、ちゃっかり私の前に立ってくれた。
「やめろ……」
胸がざわめくのを感じる。彼女が指を伸ばし、左手も使っていく度、得体の知れない感情が、俺の中に安心感を与えようとしてくる。
――戦場で散った人たちの思いを、はっきり口にした。
自分の可能性に気づいて努力した。そして努力した分を、本番で成功してみせた。
海辺で幽霊さんの前に出された時は嫌でしたけど、けどまあ、掴んでくれたおかげで結果的には上手くいきました。
「やめろって……」
胸のざわめきが収まらない。過去を振り返る彼女の、俺に寄り添おうとするその言葉で、俺が求めていたものが見つかりそうになる。
――誰かを助けたいと願うシスターさんに、本気の想いを受け止めて手伝ってあげた。
風邪を引いた私のために、一人で薬を買ってきてくれた。
神と呼ばれた子のために、自分を犠牲にしてその子を解放してあげた。
「俺は、そんな人間じゃない……」
消え入りそうな声で、俺はそう言う。知ったような口を利くんじゃないって、そう言いたかった。それを、セレナは遮ってくる。
「私は分かってますよ。ハヤマさんが、どれだけイデアちゃんのこと気にかけてあげてたのか。助ける必要なんてないって言ったのも、助けられない時が怖くてそう言ったんでしょうし、今回の事件を起こしたのだって、目の前で何もできなくて、悔しかったからですよね」
「……違う。そんなつもりじゃ……」
胸が勝手に温かくなっていく。今まで感じてこなかった感情。母親からは感じられなかった優しさが、どうしてコイツの言葉で……。
「嘘を言っても分かりますよ。私これでも、ハヤマさんと一年間、同じ屋根の下で寝た仲ですからね」
「嘘じゃない……嘘なんかじゃ……」
口にしながら、自分でも理解してしまう。けれど、俺は怖い。怖くて仕方ない。自分に正直になったら、今の自分がどうなるのか分からないから。今までの俺が、まるで否定されてしまう気がするから。
だけど、心のどこかでは、ずっと求めていたものがある。
すべてを打ち明けた瞬間、心の中で、何か重りが外れたような気がした。
セレナがクスッと笑ってくれた瞬間、拍子抜けして安心してしまった自分がいた。
セレナが俺の優しかった部分を羅列していた時、嬉しかった自分がいた。
「嘘、ですよね?」
「……やめてくれ。……やめてくれよ。……俺は、葉山明人は、そんなんじゃないんだよ……」
葉山明人。俺も知らないその存在に、俺はなろうとしていた。そんなことも、今になってやっと理解したんだ。誰かから認められるために。俺を見てもらうために。
「ハヤマさん」
セレナが俺を呼ぶ。俺は瞼から何かが溢れ出てきそうで、顔を上げられない。
「私、この世界に来てからのハヤマさんしか知りません。元の世界のハヤマさんがどうだろうと、私には関係ないんです。私にとってハヤマさんは、とっても優しい心を持ってる人なんです」
彼女の手が頭に触れる。そっと優しい力で、俺の頭を膝の上に乗せてきて、そのままそうっと頭を撫でてくれる。そうしているうちに、俺の涙が今にも溢れ出てきそうになる。それでも俺は、葉山明人であろうとして。失望したはずの母親が求める、理想の彼であろうとし続けて、それをこらえる。
だけどそれは、ふと頭の上に降った水滴と、鼻をすする音。そして、彼女の哀しみに震えた声で、限界を迎える。
「私は……ずっと見てましたよ。ハヤマさんのこと、ずうっと隣で……」
彼女の膝の中で、とうとう涙が流れる。シクシクと、嗚咽を交えながら、溢れんばかりに涙が膝を濡らしていく。本物の優しさを知って、俺自身が優しくされてることを痛感して、こみ上げてくるものたちが止まらない。
「だからもう、いいんですよ。もう、自分を、許してあげてください……」
彼女に優しくされた時、俺は初めて自分の小ささを知った。人に共感してもらうだけで、俺は弱さを晒されてしまうことを知った。
そして、ずっと求めていたもの。セレナが一緒にいてくれて、やっと気づけたこと。
俺はただ、
――自分の居場所を、誰かに見つけてもらいたかったんだ。