2‐7 ジバの新たなる王
風のように大通りを駆け抜けていくヤカトル。途中の道を俊敏に曲がると、今度は細い路地裏の中へ入り、また別の通りに出てきては、また路地裏を通って別の通りへ……。縦横無尽に走り抜けていくその身軽さは、盗賊の名に恥じないものだった。
そんな彼に置いていかれないよう、俺はぜえぜえと息を荒くしながらも、アミナとセレナに続いて必死に食らいついていく。そうして、城から離れた住宅街の裏手に入ったところで、ようやくヤカトルが足を止めてくれた。
みんなに追いついたところで、俺は息を整えるセレナの横で、全く同じように膝に手をついて呼吸を整えようとする。やっとの思いで頭を上げてみると、そこは建物が半壊していた、いわゆる魔王の襲撃を受けたままのところで、人の寄り付く気配のな場所だった。
そこでヤカトルが近くの家の壁に背中をつけていると、そこから覗き込むように顔を出していた。奥に何かがいるのだろうか。そう思っていると、ヤカトルは俺たちに顔を向け、人差し指を口に当てて無言で喋るなという合図を送ってきた。それに俺たちも無言でうなずいてみせると、ヤカトルの指さしに従って、壁から顔を覗き込んで奥を見てみた。
全壊した家の中に佇む二人の黒服。一人はアミナの刀を手に持っていると、すっとその場に片膝をつき、もう一人に何か話しかけようとしていた。
「め、命令通り、例の物は盗んできました。こ、これで、私の命は果たされたはずです!」
「一度失敗しといてよくそんな口が利けるな! バルベス様に報告した時、俺がどんなに苦労したのか分かってるのか!」
「バルベス!」
聞き覚えのある名前にアミナが反応する。その男は、アミナと同じ従者の一人だったはず。意外な人物の名前に、ヤカトルもしめたという顔を見せていた。
「こいつは、ヤバい場面に出くわしたかもな」
「刀を寄こせ!」
「は、はいぃ!」
アミナの刀を差しだし、それを奪い取るように取るもう一人の黒服。そこから何をするのかと注意深く目と耳を意識していると、俺の視界に映っていた壁に、一匹の蜘蛛が這っていたのに気づいた。何の変哲もない一匹の小さな蜘蛛。だが、俺はそれに目を合わせてしまった瞬間、記憶から蜘蛛の魔物、リトルスパイダーに食われかけた思い出がよみがえってきてしまった。
「――うッ!?」
「ん?」
黒服の勘付いたような声に、急いで片手で口を塞いで顔を引っ込める。
バレてしまったか――
壁に隠れながら息を殺す。両隣りでアミナとセレナも同じように身を潜めていて、セレナに関しては目を見開いて俺に文句を言ってくるようだった。それに応えられずにいるまま、無音の時間が流れていく。
緊迫した状況が続く中、ふと俺は、さっきまで壁に張り付いていた蜘蛛が、その場で潰れてることに気づいた。それを不思議に思うと、その瞬間、俺たちの体に浮かび上がるように、十字の赤い線が何本も重なって映しだされた。
「これは、索敵の魔法!?」
セレナがそう驚くや否や、黒服も同じように驚きの声を上げた。
「三人!? 引くぞ!」
どうやらこの魔法で存在がバレたらしい。その証拠に、黒服二人の逃げ出そうとする足音が聞こえた。
「逃がさないわ!」
壁から飛び出すアミナ。セレナも俺を通り越して飛び出していくと、俺も流れに乗ってとりあえず後に続いた。そこで背中を見せる黒服が目に映ると、一人があの煙玉を取り出し、それを地面に投げつけようとした。
「これでも――」
腕を上げて今にも投げつけると思ったその瞬間、彼の頭上に一人の影が映った。
「残念。三人じゃなく――」
黒服が顔を上げる。そこには、ヤカトルが飛んできていた。
「四人だ!」
黒服の顔面を片足で適格に蹴り飛ばす。思えば壁に身を潜めた時から姿を見ていなかったが、いつの間に姿を消したのだろうか。俺だけでなくセレナも驚いていると、アミナも同じ表情をしていた。
「ヤカトル!? あなたいつの間に!」
「一応、盗賊だからな」
ヤカトルがそう答えると、黒服が一歩身を引いた。
「すまんが、都の治安を守るのが、今の俺の仕事でな。捕らえさせてもらうぜ」
「ちくしょう!」
黒服が手に握っていたアミナの刀を鞘から抜き取ると、その刃をヤカトルに突き立てた。それにヤカトルも、撃剣を逆手に持って対抗する。
「おらあ!」
一歩踏み込んで刀を突き出す黒服。それに合わせてヤカトルも撃剣を振ってみせると、二つの刃がかち合う音が鳴った。そうして空に何かが浮き上がっていると、それは黒服の握っていた刀だった。
「んな!?」
驚いた黒服が顔を上げる。そこにすかさずアミナが駆け出そうと、腰を落として右足を引いた。
「必殺! 春草突撃!!」
土埃が上がるほど一瞬で地面を蹴り、瞬きする間もなく黒服の前に詰め寄る。そして、勢いをスッと止めて首元の裾を両手でつかんでは、流れるようにその体を自分の背中に持ち上げた。
「はあ!」
黒服の足が地面を離れ、アミナの背中を伝って最後に地面に叩きつけられる。
「ぐはっ!」
見事な背負い投げを見せつけたアミナ。その横に刀が落ちてくると、二人の黒服はあっという間に地面に伸びていたのだった。
「すげえ……あっという間に二人を倒した……」
「さすがです! アミナさん! ヤカトルさん!」
セレナも感心してそう呟き、魔法を撃とう上げていた腕を下げる。その間に、ヤカトルが常備しているのか、縄を取り出して倒れた二人を一緒に縛り上げると、アミナは落ちた刀を鞘に戻していた。
「なんとか取り戻せた……」
安心するようにそう呟いてから、一気に厳しい顔になって黒服に振り返る。
「あなたたちには聞かなきゃいけないことが山ほどあるわ。正直に答えなさい」
「待ってくれ! 俺たちは命令された通りに動いただけなんだ。だから許してくれ! 頼む!」
黒服の一人がそう許しを請うのを、アミナは容赦しなかった。
「一体誰の命令なの! 何が目的だったの!」
「も、もしもそれを言ったら、許してくれるか?」
涙声になりながらそう言う黒服に、もう一人の黒服が「おい!」と叫ぶ。それにアミナも「罪は軽くしてあげるわ」と口にすると、黒服はわなわんと震えた声で喋り出した。
「い、いい、今、起こっている……」
「今? 何が起こっているというの?」
「今も城内で、きっとバルベス様が、謀反の準備を!」
「謀反!?」
――――――
「キョウヤ様、本日も時間魔法の修行、お疲れ様です。城下町では、今も市民たちがあなた様の姿をお待ちしておりますよ」
「ありがとうバルベス……」
天守閣から身を出そうとしたキョウヤ。外に出ようとしたその足を一度止める。
「少しよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「いえ、突然見えた未来予知で、不可解な光景を目にしたのです」
「未来予知と言いますと、時間魔法の効果で、危険な未来を察知できるというあの?」
「そうです。その予知の中に、なぜかあなたの姿が見えたのです。それも、私に向かって剣を突きたててる状態で」
「……」
「おかしな光景ですよね。従者として、母上からも信頼されていたあなたが、私に剣を突き立てるなど、あるわけないと言うのに。そんな未来予知を見てしまうということは、私もまだまだ修行の途中なのかもしれません」
「……キョウヤ様。その未来はきっと訪れますよ」
「バルベス? 一体何を言って……ぐっ!?」
――――――
「バルベスさんが謀反だなんて! そんなこと、あるはずが――」
「皆さん、あれ!」
アミナの声を遮って、セレナがそう叫ぶ。伸びていた腕を追って、俺たちの視線が自然と城に誘導されると、遠くからでもよく見える天守閣から、キョウヤ様の体が、今まさに外に放り出されていたのだった。
「ッハ!? キョウヤ!!」
慌てて駆け出していくアミナ。
「おいおい!?」
「マジかよ!?」
俺とヤカトルも同時に声を上げ、三人揃って急いでアミナの後を追って走り出していく。なりふり構わず走っていくアミナを必死に追い続けると、俺たちは捕まえた黒服に構う間もなく、とにかく走り続けていった。
――――――
「時間よ! 私の時を遅らせなさい!」
落下しながら腕を伸ばし、水色の魔法陣を光らせるキョウヤ。それと同時に体の落下が急激に遅くなると、かろうじて地面に叩き潰されるのを回避する。
「――っはあ。なんとかなりましたね。――ん?」
魔法を解除したキョウヤ。その前に人影が写り込むと、彼女の目には、槍を片手にフードを目元まで深く被り、縦に破れた部分から、真っ赤な目をのぞかせる男が映っていた。
「その目は!?」
――――――
「嫌だよキョウヤ。こんな呆気なくお別れなんて、絶対に嫌だから!」
前を行くアミナから、たびたび胸中の不安を思わせる声が聞こえてくる。しばらく大通りを駆け抜け、やっとの思いで城の前までたどり着くと、街と城を仕切るために閉められていた城門が、あたかも急ぐように開けられていた。その中にアミナが先陣切って中へ入っていくと、俺とセレナ、ヤカトルも門を潜り抜け、本城の入り口前に出ていく。するとそこには、口々に騒ぐ野次馬の市民たちと、白髭をなでながら道の中央に佇むバルベス。そして、いたるところで倒れた複数の兵士と、バルベスの前で体の節々から血を流し、無残に倒れていた女王様の姿がそこにあった。
「女王と言えど所詮この程度。やはり、こんな若いのに、この都は任せられないですな」
そう言ってバルベスはキョウヤ様の横に立ち、起き上がろうとしたその頭を足で踏みつけた。
「ぐっ!」
バルベスの極悪非道な行いに、市民たちが悲鳴を上げる。セレナもそれに混ざっていると、アミナだけは苛立ちの目を向けていた。
「バルベス!!」
名前を叫ぶと同時に、刀を抜き取りながら飛び出していく。
「その足をどけなさ――」
バルベスに向けて刀を振ろうとしたその瞬間、突如横から何者かが現れると、アミナの刃を持っていた槍で受け止めた。
「っく! 邪魔しないで!」
力任せに突破しようとするアミナ。槍を握る男は一歩も引く気配を見せないと、フードから見えていた赤い目に市民たちがまた声を上げた。
「赤目だ! 赤目がいるぞ!」
赤目? ただ目が赤いだけなのに、市民たちは怯えた様子を見せていたが、隣でもヤカトルが「まさかの赤目かよ」と呟いたのが聞こえ、いよいよ只者ではないことを理解した。
「ヤカトル。赤目ってなんなんだ?」
「聞いたことないのか? ざっくり言えば、一般人とは格が違う、めちゃ強え奴ってことだ」
本当にざっくりとした答え。それでもみんなが怯えている理由がはっきりすると、アミナがそのフードの赤目に押し負け、反動に耐えきれずよろよろと下がってきた。
「くっ! 厄介ね!」
一人バルベスが腕を突き出していると、長い袖からいくつかの札が飛んできた。呪符のように、文字や符号が書かれたその札が、意志を持つように向かってくると、アミナの両腕に二枚一組で絡みつき、腹部にも一枚の札がパッと張り付くと、五枚のすべての札の、描かれていた字面を紫色に怪しく光り出した。
「ぐっ! 何これ!? 体が、動かない!」
「ほう。これが呪符の力。普通に魔法を撃つよりも手軽だ」
アミナは必死にもがくように体を動かしていたが、本当に呪符に縛られているようで、十字架のような体勢にされたまま、全く腕や体が動いていなかった。
「アミナさん! 今助け――」
手を出そうとしたセレナを、ヤカトルがとっさに肩を掴んで引き留める。
「今目立ったら危険だ。チャンスを伺うんだ」
こんな状況でも、ヤカトルはとても冷静なようだ。実際、バルベスの横には、人々が恐れる赤目がついていて、今も城から兵士たちがあふれ出てきたかと思うと、彼らが全員バルベスの背後に列をなしていった。
「この都に住む愚民ども! よく覚えておけ。ワシはこの時の都、ジバの新たなる王である! 歯向かう者は、誰であろうと容赦はしない!」
バルベスの演説に、市民の体が凍り付いていく。
「ふざけるな! 誰が貴様についていくものか!」
一人の市民がそう叫ぶ。バルベスの目がそいつを見つけると、片腕を上げて手の平をその市民に見せた。
「言ったはずだ。歯向かう者は、誰であろうと容赦しないと」
手から魔法陣が作り出された瞬間、それは紫色に光り出し、中からナイフのように鋭い真っ黒な棘が飛び出した。その先端が市民の胸に当たると、棘は体の奥まで貫いていった。
「がはっ!!」
胸から血を流して倒れる市民。周りの市民も、今まで以上の悲鳴が都に響いた。意外にも、バルベスについた兵士たちも同じような反応をしており、小声ながら「本当にやりやがった」「あり得ねえ」と呟いているのが聞こえたが、それにバルベスが振り向いた。
「おい。お前たちも同じだからな。たとえ貴様らが歯向かおうと、隣に赤目がいることを忘れるな」
蒼白だった兵士たちの顔が、突然の緊張感に無理やり引き締まっていく。あの男は完全に狂っている。俺は人の死ぬ瞬間を目の当たりにしてしまい、一気に血の気が引いていくのを感じていたのに、更なる吐き気が襲ってくる感覚がした。
「ヤバいだろあいつ。正気じゃねえ……」
「どうしましょうどうしましょう! このままじゃ、女王様が!」
セレナも慌てふためいてしまっていると、ヤカトルも悩むように頭をかいていた。
「あの足がなかったら、いけそうかもなぁ……」
その一言にセレナの耳がピンと立つと、勢いよくヤカトルに振り向いた。
「足をどければいいんですか?」
「ふえ? あ、ああそうだが、何か策はあるのか?」
あると言わんばかりにセレナが口を開こうとする。だが、バルベスの声が聞こえたかと思うと、誰よりも大きい声を上げていた。
「これは見せしめだ。新たな王はこのバルベスである! 時間魔法の有無だけで王を決めてきた時代は、今ここで終わるのだ!」
高らかに宣言した後、バルベスが近くにいた兵士、腰にかかっていた剣を勝手に抜き取り、その刃先をキョウヤ様の首に向けた。
「ここで終わりですよ、キョウヤ様。あの世でご家族と会えるといいですね!」
今にも殺しかねない雰囲気になった時、俺は背後から「走ってください!」とセレナに言われた。いきなりのことで何のことか分からず、意味を知ろうとしたが、俺が振り返るよりも先に背中から強い力が伝わってくると、俺はセレナに押し出されてしまった。
「ちょ!? どういうことだよ!」
「いいから走って!」
俺の体は、押された反動から勝手に足を進ませてしまう。もう人前に出てしまっていた俺は何なんだよ、と半ばやけになりながらも走り出した。当然、バルベスもすぐに俺に目を向けてくる。キョウヤ様を助けるのか、或いはバルベスを止めるのか。何も分からないまま俺は走っていくと、突然かかとから爆発するような衝撃を受け、爆風に押し出されるように体が宙に浮かび上がっていった。
「ぬお!?」
この感覚は、初めて異世界に来た時。空から降ってきた俺を、爆発のような衝撃が受け止めてくれたのとそっくりだ。セレナが風の衝撃波を足下に打ち込んだのだろう。突然飛んだことでバルベスも驚いていると、慌てるように宙にいる俺に剣の刃先を向けてきた。
「邪魔をするな!」
「んな!? ヤベえって!」
俺はまた一瞬で血の気が引くのを感じてしまうと、どこからかセレナの声が聞こえた。
「ウインド!」
風の衝撃波を放つ魔法。そうだと頭が勝手に理解すると、丁度その魔法を体に受けたバルベスが「ぐあ!?」と大きく身を引いた。俺も体の自由が利かないと、引いたバルベスの頭上に迫っていき、ついには彼の体の上に落ちていった。
「ぐおっ!? くっ! クソガキども! 私に歯向かうつもりか!」
近くで苛立ちの声を上げるバルベス。それをうるさく思っていると、俺は腹に叩かれるような強い衝撃を受け、一気に逆流した空気を吐くように思わず「うっ!?」と声が出た。
「さっさとどかんか!」
もう一度腹を蹴られ、耐えきれず体が突き飛ばされてしまう。地面に背中から転んだ俺は、腹を抑えてぐるぐると乱れた呼吸を整えようと咳込んだ。
「ゲホッゲホッ! オエッホッ」
「ハヤマさん!」
セレナが俺の元に駆け寄ってくる。
「お、お前、やってくれたな」
自然に湧いた怒りをつい口にしてぶつける。
「ごめんなさい。でも、おかげで女王様はヤカトルさんが――」
最後の言葉にバルベスのいた地面に目がいく。そこにいたはずのキョウヤ様は、まるで最初からいなかったかのように姿を消していた。立ち上がったバルベスもそのことに気づくと、ただじっとその場を見つめ、剣を持つ手が力むあまり震えだしていた。
「このガキどもが! ワシの邪魔をしよって!」
バルベスが怒りに身を任せ、俺たちに向かって走りながら剣を大きく振り上げた。セレナもすぐに魔法を撃とうとするが、明らかに振り下ろされる瞬間が見えてしまうと、俺はぐっと目を瞑ってこれから来る痛みに思考を止めてしまった。
だが、痛みが来るのとは代わりに、金属がぶつかり合う甲高い音だけが聞こえると、俺はパッと目を見開いた。すると俺たちの前に、バルベスの剣を刀で防ぐアミナの姿があった。
「アミナ!」
「アミナさん!」
思わずセレナと共鳴する。
「貴様! なぜ動いている! さっき呪符で拘束したはずだ!」
「あなたが倒れたときに、その拘束も解除されたのよ!」
「なにぃ!?」
キンッと音をたて、アミナがバルベスとのつばぜり合いを払うと、すぐに振り向いて「逃げるわよ!」と叫び、同時に俺の手をつかみ取って体を起こし上げてくれた。
「さあ早く!」
引っ張られた力に足が持っていかれると、その勢いに無理やり体を運んで走り出す。転んでしまいそうになりながらも、「逃がすな!」という背中からの殺気に恐怖を感じると、もう倒れている場合ではない、走れ、速く走れ、と脳が危険信号を送ってきて、強引に足を進めるのを強要してきた。それに異論を唱えることなく俺は走り続けていくと、俺たちは都の外まで逃げ続けていった。
挿絵:バルベスのドット絵