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14‐10 迷子かい?

「おい、ハヤマ!」


 俺の耳に、ヴァルナ―の怒号が入る。


「お前、セレナちゃんに何言ったんだ!」


「別に。何も」


 彼から目をそらしながらそう答えると、ヴァルナ―はガシッと音が鳴るほど強く檻を掴んだ。


「女の子が泣いて走ってったんだ! 何もないわけないだろ!」


「さっさと帰るよう言っただけだ」


「本当にそれだけか!」


「ああ、何度も聞くな」


「ッチ。見下げ果てた奴だ!」


 俺に向かって敵意むき出しの睨みを利かせて、ヴァルナ―は檻から手を離して一目散に駆け出していく。


 俺は元々、人から失望される人間だったんだ。この異世界でも、それは変わらない。異世界に来ようが、俺自身が生まれ変わるわけではないのだから。


 だから、このままでいいんだ。


 俺はそれ以上何も考えず、ただベッド代わりのマットに横たわる。


 一切の騒音が響かない、心地いい沈黙。人の自由を奪うはずのこの空間は、俺にとって特別困ることは何もない。むしろずっと一人にしてくれるのがありがたいとさえ思う。


 飯は気にしなくても勝手に出てくるし、寝る時間も自由でいい。眠りにつけない時でも、ただじっと天井を見つめているだけで時間が過ぎ去ってくれるのだ。


 何もしなくてもいい。する必要だってない。外の世界にいるより、よほど有意義な生活だ。引きこもりだった自分にとって、願ってもないことだ。


 引きこもりだった、自分にとっては……。


 瞼が重くなる。それでも俺は無駄に抗うように天井の石の間をなぞるように見つめていく。意味もなく、ただすることもないからそうする。そうして、深い眠りの世界へ連れてかれそうになる。ウトウトと、瞼を塞いで開けてを繰り返す。


 ……後悔なんて、するもんか。




「セレナちゃん!」


 歩いていたセレナの背後を追いながら、ヴァルナ―が名前を叫ぶ。どんよりとした曇り空の下、セレナは振り返ることなく歩き続けていて、ヴァルナ―はその隣をついていく。


「大丈夫か? 傷ついてないか? あいつに何を言われたんだ?」


 セレナから返事はない。表情が見えないくらい顔を俯かせ、ただ機械的に足を動かし続けていく。


「セレナちゃん? セレナちゃん!」


「……すみません、ヴァルナ―さん」


 静かにそう言われて、ヴァルナ―は足を止めてしまう。伸ばそうとしていた腕も止め、悔しそうに握りこぶしを作る。


「……お前たち、このまま終わっていいのかよ……」



 ――――――



 もう走る気力も、泣く気力もなくなった。たった今振り出した雨の中、ラディンガルの適当などこかを一人で歩いていく。何も考えず、濡れる髪や冷たい体温なんか気にしないまま、トボトボと歩き続ける。こうして歩いておかないと、そのまま倒れてしまいそうだったから。


 何も考えたくない。思い返したくない。ただこうして、どこか知らない場所まで歩いて行ってしまいたい。


 ふと、俯いていた頭に、毛深い何かとぶつかった。灰色の毛を生やした獣人。恐らく傘を持っていて、当たっていた雨の感触が忽然と消えている。


「あ、すみません……」


 その人の顔を見ないまま、私は隣を通り過ぎようとする。その時、私の肩に猫の肉球が触れてきた。プニッとした弾力のある感触。顔を上げてその人を見てみると、そこには、あのドッグフードの店長で、私たちに料理振る舞ってくれている獣人。いつものコック帽を被っていないドッグさんがいた。店で見る時よりも身長が低く、私と目線が大して変わらない。


「お嬢ちゃんも迷子かい?」


 見かけによらず渋い声でドッグさんは言ってくる。ふと彼の腕の中に、白い毛を生やした私の手ほどしかない小さな子猫が、私の顔を覗き見ていた。


「迷子……そうかもしれません。これから、どうすればいいのか……」


 力なく私はそう呟いた。何も考えられなくて、つい素直な気持ちを口にしていた。


「全く。今日は休みだってのに、困った子猫ちゃんたちだ」


 ドッグさんはそう呟くと、私に背を向けた。


「ついてきな」と言って、そのまま前に歩き出す。棒立ちでいた私は、また体に冷たい雨を受ける。途端に体が冷えていくのを感じて、その時になって傘の下にいた時の温かさを思い出した。


 気がつくと私は、ドッグさんの後ろについて歩いていた。雨をしのぎたくて、少しでも温かくありたかったから。ただ本能に従うように、私は下を向いたまま歩き続けた。




 閉店中だったドッグフード。ウエスタンドアを開けたドッグさんが、私を先に中に入れてくれる。暗い店内へ私は入り、ドッグさんは傘を閉じて軽く払って奥へと進んでいく。厨房の入り口横についていたスイッチを押すと、真っ暗だった店に電気がともった。すると、いつも店で働いているもう一人の獣人、紫色の毛をした猫の女獣人さんが、丸い木イスの上で、腹を見せるようにだらしなく寝ているのが目に映った。


「起きろ、ニール」


 ドッグさんが近づいて、その女獣人さんに声をかける。


「……ぅぇ、てんちょう? こんにちあ……」


 目をこすりながら寝起きの声を出す。ドッグさんは「こいつの面倒を頼む」と言ってニールと呼んだその人の顔に抱きかかえていた白猫を降ろすと、ニールさんは「フガッ!?」と息が詰まる反応を一瞬見せつつ、すぐに両手で猫を抱き上げて明るい表情を浮かべた。


「んにゃ、子猫だぁ! 可愛い!」


 そのまま体を起こしてイスに座り、ニールさんが子猫を抱きしめてほおずりする。ドッグさんは吹き抜けの厨房に入っていき、皿洗い場の横に置いてあったコック帽をかぶる。そして、冷蔵庫の中から適当に食材を取り出すと、そのまま調理道具を持って料理を始め出した。私はそれを棒立ちのまま眺めていたが、前からニールさんが近寄ってきた。


「休みの日だってのに二人もお客さんが来ちゃったんですね。ささ、座って座って」


「あ、どうも……」


 ニールさんが引いてくれたカウンター席に、私はとりあえず流れで座る。座ったと同時に、前の厨房からドッグさんがホカホカのオムライスを出してきた。


「お待ち」


「え? はや!?」


 あまりの早さに驚いていると、ドッグさんは私の隣に小皿に入れたミルクを置いた。そこに、ニールさんが子猫をテーブルの上に置くと、子猫はおもむろにそのミルクをペロペロと舌を使って飲み始める。


「嬢ちゃんも食べな。冷めちまうぜ」


「え? あ、はい……」


 ドッグさんにそう言われ、ニールさんにもスプーンを渡されて、私は手を進めようとする。ふんわりとした黄身と、端から端まで上下に揺れるようにかけられたケチャップ。でも、あまり食欲がないことに気づいてついその手を止めてしまう。


「食べないのにゃ?」


 ニールさんが心配そうに、顔を覗きこんでくる。


「すみません。あんまり食欲がなくて」


「そうにゃんだ」


 陽気な口ぶりでニールさんは軽くそう言って、ドッグさんに目を向ける。


「ところで店長。どうしてこの人も連れてきたにゃ? 迷い猫以外に連れてくるにゃんて初めてにゃ」


 使った調理器具を洗い場に置いてから、ドッグさんはコック帽に手をやって深くかぶる。


「ちょうど今、店の看板娘が欲しかったところだ。それも、人間に受け入れられやすい、可愛らしい人間の女性をな」


「……え? それって……」


 いきなりのことで反応が贈れるが、私は嫌な予感を感じていた。


「看板娘ならニールがいるのにゃ。私一人でもう充分じゃにゃいにゃ?」


「よく考えてみろニール。お前と嬢ちゃんの二枚看板娘だ。それはつまり、元々あった売上が倍になるってことで、お前の給料も倍になるってことだ」


「給料……倍!」


 ニールさんは歓喜の叫びをあげたかと思うと、いきなり私のイスに座ってきて急に両手を取ってきた。


「ぜひやるにゃ!」


「ええ!? ええっと――」


「あなただったら私大歓迎しちゃうにゃ。にゃからお願い!」


「い、いきなり言われましても……」


「大丈夫にゃ! 内は三食まかにゃい出るし、毎晩店で寝泊まりもできるにゃ!」


「で、ですが――」


「ちゃんと週一で休暇もあるのにゃ!」


 私はとても働こうとするような気分じゃないのに、ニールさんが福利厚生の話しを宣伝して強引に誘い続けてくる。


「私、今はとてもそんな気分じゃ……」


「気分にゃらお金でにゃんとかにゃるにゃ!」


「売り上げが倍になっても、倍になった分は私に入るんじゃ――」


「倍じゃにゃくても、増えるにゃら全然問題にゃいにゃ!」


 何を言ってもすぐに言葉を返されてしまう。私は困り果ててしまう。本当に、今は何かをする気力が残っていないから。


「やるにゃやるにゃ~! 気分が暗いんにゃったらにゃおさら、人とたくさんおはにゃしして、明るくにゃるまでここにいるのがいいにゃ!」


 何か心を揺さぶられた気がして、私は顔を上げた。明るくなるまでここにいるのがいい。その言葉を聞いた瞬間、ふいにあの時一緒に見た景色を思い出していた。


 ――夜空に浮かぶ何百もの輝き。いくら私が焦っても、その景色は常にそこにあり続ける。


 ……また私は、空にある景色が見えなくなっていたんだ。大好きなあの景色が、いつだってそこにあることを。


「どうかにゃどうかにゃ? 先輩看板娘のニールには分かるのにゃ。あにゃたは絶対、いい看板娘ににゃるって」


 暗い表情をしていたはずの私に、ニールさんはなんの躊躇もなく明るく声をかけてくる。その温度差がおかしく感じて、私はちょっとだけ心の中で笑ってしまう。


 時間ならある。別に今すぐ、何かを決めないといけないわけじゃない。落ち着いて時間をかければ、いつか納得のいくものが見つかるはず。


「じゃ、じゃあ。少しの間だけ……」


「やったにゃあ!」


「――うわ!」


 ニールさんが喜んで手を挙げると、それまでずっと掴んでいた私の手も一緒に挙げられた。嬉しそうにブンブンと手を振ってから、ニールさんは私に聞いた。


「名前はなんて言うにゃ?」


 冷静になって、なるべくいい顔をしようとしながらはっきり答える。


「……セレナです」


「私はニール。よろしくにゃ、セレナちゃん!」


「は、はい。よろしくお願いします」


 こうして私は、ひょんなことからここでしばらく働くことになった。これからどうするかの予定は決まっていなかったし、ここにいくらいてもお金さえあれば問題はない。ここで働きながら、考えていけばいいんだ。これから私は、どうするべきかを。


 それから次の日。私はニールさんと二人で店に寝泊まりし、昨日の子猫にミルクを与えて飲ませる。そして、ニールさんに呼ばれて更衣室へ入っていくと、何やら派手な色の服を渡された。


「ニールさん。この服は?」


「ドッグフードの制服で、チャイナドレスって言うにゃ」


 チャイナドレスと言われたその服は青色で、片足のふとももまでが見えるように切れている。少し色っぽい雰囲気の制服に、私は少し恥ずかしさを覚える。


「これを着るんですか?」


「制服にゃから当然にゃ」


 そう言いつつ、ニールさんもいつも見ているあの真っ赤なチャイナドレスに身を包んだ。私は迷いながらも、最後には首を振って羞恥心を捨て、いつも着ているワンピースを脱いでチャイナドレスに身を包んでいった。


 それからいつも客として見てきたホールに出ていき、ニールさんが壁にかけられた時計を見る。


「開店まで三十分前。今のうちに色々説明しておくのにゃ」


「あ、はい。お願いします!」


 そこで私は、ニールさんから仕事の内容とおおまかな流れを教えてもらった。お客さんに呼ばれたらすぐに駆け付け、予め持っておいた紙にオーダーを間違いなくメモすること。メモした紙は、ドッグさんにオーダーの内容を言うのと一緒に、厨房前の壁に貼り付けておくこと。厨房前の吹き抜けの壁に、ドッグさんの料理があったらそれをすぐに注文した人のテーブルまで運ぶこと。ここまででも、初めて仕事をする私にとっては覚えることがたくさんだった。


 けれど、何より大事だと言われたのが一つあった。たとえ他が失敗したとしても、それだけは欠かしてはいけないこと。そう釘を刺してまで言ってきたことは、挨拶だった。


「い、いらっしゃいませにゃ……」


「うーん、もっとこんな感じにゃ。いらっしゃいませにゃあ!」


 恥ずかしそうに言った私に比べて、ニールさんは猫の手をあざとく顔の下まで上げ、自信に満ちた笑顔でそうはっきり口にした。そのキラキラとした輝き具合は、私のしている挨拶とは到底かけ離れている。


「せ、せめて、語尾を普通にしても……」


「ダメにゃ。ドッグフードの看板娘たるもの、ちゃんと獣人向けの店としてアピールするのにゃ」


 私は人間なのですが、とつい口にしたくなる。人がやっているのは可愛く見えるけれども、自分がやるとなると心臓が飛び出しちゃいそうで、それも人前でやるとなったらもうお嫁にいけないような恥ずかしさを感じてしまう。


「大丈夫にゃ。恥ずかしがらずに言えばみんなに受けるはずにゃ」


「恥ずかしがらずにって言われても……」


「うーん。そしたら一回、一緒にやってみるにゃ」


「一緒に、ですか?」


「そうにゃ。それじゃ、いくにゃ? せーの」


 うろたえる私を置いて、ニールさんは掛け声を出す。そうして流れるようにさっきの挨拶をしてみせると、その声に押されるようにして、私もたどたどしく手を猫のように丸めてみた。


「「いらっしゃいませにゃあ!」」


 そう言った瞬間、目の前にあった店の扉が開き、ドッグさんが入ってきた。


「あ、店長!」とニールさん。私は次第に顔が赤くなっていくのを感じると、ドッグさんは何も言わずにグッと親指を立ててくれた。


「っかああぁぁ……は、恥ずかしい!」


「でもできたにゃ! その調子でいけば、今日中に立派な看板娘になれるはずにゃ!」


 看板娘への道のりが、こんなに険しいものだなんて。とても厳しい世界だと痛感しながらも、無情にも開店時間は迫っていくのだった。




「い、いらっしゃいませにゃあ!」


 裏声になりながらも一人でなんとかそう口にし、あざとく猫のポーズをとる。お客さんの反応はまちまちでも、これは仕事だと割り切り、なんとかその後に「何名様でしょうか?」「お好きな席、どうぞ」と接客をこなしていく。朝方こそ客足は少なかったものの、お昼ごろになるとそれはどんどん増えていき、気がつくと店中はほぼ満席になるほど埋まっていた。


 息つく間もなく私は歩き回る。小さなホールに見えたこの場所でも、普段の旅と変わらないくらい歩いているような気がする。そんな体力的にも大変な仕事だったが、それに加えて、もっと多くのことを同時にこなさないといけない。


「お待たせしました!」

「ん? これ、頼んでないですよ?」

「え? そうなんですか?」

「おーい、それはこっちのだ」


「ダゴの豚肉は品切れだ。さっきも言ったぞ」

「ああ、すみません! すぐに伝えてきます!」


「セレナちゃんお客様来てるにゃ!」

「ああ今行きます!」


「すみません。お釣りが足りないんですが」

「え!? あ! 本当だ! ええっとええっと――!」


 仕事一日目。目が回るようなせわしない初日は、外の日が完全に落ちた時にやっと解放されるのだった。


「休憩なのにゃ、セレナちゃん」


「はあ……」


 私は深く息を吐きながら、近くのイスに座りこんだ。これだけてんやわんやが続いた一日は初めてだ。


「にゃはは! 結構疲れたみたいなのにゃ!」


「はい……大変でした……」


 体がだるい。頭も疲れた。働くというのはこんなに大変なことだったんだ。


「まかない食べて元気だすにゃ! 今日失敗した分は、明日につにゃがるから!」


 ニールさんはそう励ましてくれて、ドッグさんも仕事が終わってもせっせと私たちのまかないを作ってくれている。まるで私だけ倍の仕事をしたかのようにぐったりしているのだった。


 こんなに忙しい日々が続くのなら、これからどうするか考える余裕はどこに……。新しい生活の幕開けは、そうやって始まるのだった。

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