14‐6 見たくなかった嘘も散々目にした僕とは
文字の読めない看板。ワイングラスが描かれていたその店の前に立つと、俺はその扉を引いて開ける。淡いランプの光の中、いつものようにグラスを磨くマスター。いつになくガラリとした店内だったが、この日もそいつは一人で飲んでいた。
「ローダーさん。今日もいたんですね」
俺がそう声をかけると、ビールを飲もうとした彼はその手を止めてこちらを向いた。
「お? こんな日だってのに来たのか。さっさと座れよ退屈してるんだ」
頬を赤く染めた顔で、かなりの酒臭さでそう指示してくる。俺は空いていた隣のイスに座り、ひとまずマスターに「彼と同じのを一つ」と頼む。マスターは無言ですぐに動き出すと、出てくるまでの間にローダーが喋ってきた。
「世間はお祭り騒ぎでいい気分だろうな。全く。あのちんけなギルド以外にも、俺もしっかり働いてたって言うのに、誰も見向きもしねえんだ」
誰に向かって言うでもなく、自虐混じりに言葉が吐き出される。それに俺は何も返さずにいるとテーブルの上に、ジョッキ一杯に注がれたビールと、ケースに入れられたトランプをマスターは出してくる。
「え? トランプはなぜ?」
すかさずそう聞くと、犬のマスターは何気ない素振りでこう言ってきた。
「ハヤマ様がお越しした目的は、きっとそれなのかと」
俺は返す言葉を失う。ローダーが「なんだ? 今日もやる気か?」と言ってくると、おもむろにケースからトランプを取り出し、勝手にシャッフルを始めようとした。その手を止めるようにマスターがローダーの前に手を差し出す。それを見てローダーも理解すると、トランプをマスターの手に渡し、受け取ったマスターがそれを手慣れた素早さでシャッフルをしてくれた。
「ルールはポーカーで、ゲームは五回。お二人とも、チップのご用意はよろしいですか?」
そう言われて、俺とローダーは一緒に金貨袋をテーブルの上に置いた。そして、互いに一つの金貨兼チップを真ん中に置くと、マスターは混ぜきったストックから五枚、俺とローダーに順番にして渡してきた。
俺たちの真ん中にストックが置かれ、ゲームが始まる。ここを出る前の最後のゲーム。そうとも知らずにローダーは、手札を見ないままいきなり十枚のチップを出してきた。
「レイズ十枚! まずは景気づけだ!」
彼の言葉を聞き流して自分の手札を見る。そうして、哀れだと思いながらも俺は枚数分チップを掴む。
「コール」
互いに同じ額をかけ合い、カード交換の時間に入る。そこで初めてローダーが自分の手札を見ると、五枚すべてを投げ捨てるように出した。
「フォールドですか?」とマスターが聞く。
「いや、五枚ドローだ」
ローダーははっきりそう答えた。俺は感心するように「今日は豪快ですね」と呟いてみる。ローダーはただ俺に目線を送ってパッと見開いてみせると、マスターから五枚カードを受け取った。
「僕は交換なしで。ローダーさん、どうぞ」
そう言って順番を渡すと、ローダーはカードを見てにやりと笑いだした。それをなんとも思わないような目つきで見つめ返すと、ローダーは親指と人差し指、中指の三本を使って新たにチップを掴んだ。
「レイズ。追加で十枚だ!」
強気すぎる攻めだ。さすがにブラフにもほどがあるだろうと疑う。
「随分と強気ですね。五枚交換でそこまでいい手札が来るでしょうか?」
「運命とは残酷なものよ。五枚すべて変えても、運命の女神様は俺を見捨てなかったらしい」
自信に満ちた表情と威勢のいい眼光。迷いを見せず、一切ブレないその瞳に、俺は意志を貫くようにチップに手をかけた。
「……コール」
先に置いた十枚の隣に自分のチップを置く。おかげで金貨袋の中身は半分より少なくなっていたが、俺には確信があった。
「いい度胸だなハヤマ。一応、最後のチャンスをやってやってもいいぞ? 負けたくなかったら、そのチップを下げるんだな」
「いいえ、ここは勝負です。――カードオープン」
俺は伏せたカードを表にする。そこにあった役はフルハウス。交換なしでこれができるのは相当運がいい役だ。対するローダーは俺の手札を見て、露骨に嫌そうな顔をしながら自分の手札を明かした。そこにあったのは予想通り、役なしのハイカードだ。
「さっさと持ってけ、この野郎」
「それじゃ、遠慮なく」
ローダーの出したチップ、計二十一枚を頂いていくと、ローダーがビールを一飲みしてから、すぐに二ゲーム目が始まった。
「カードオープン」
二ゲーム目の結果は、俺のスリーカードに対し、ローダーのツーペアで俺の勝利。チップが六枚増えた。
「レイズ、三枚追加」
「……フォールド」
三ゲーム目はローダーの三枚に対し、この手札では見合わないと俺は判断して降りた。犠牲は一枚のチップに留められる。
「レイズ、五枚追加」
「……フォールドだ」
四ゲーム目、俺のレイズに対し、ローダーが下りた。ここで四枚のチップが増える。
そして、迎えた五ゲーム目。一ゲーム目で手に入れたチップを俺がまだ保守しきれている状態で、俺たちは最後のゲームを迎えた。
マスターがカードを配り終える。ローダーは新しく注文したビールをすべて飲み干そうとグイッとジョッキを上げる。最初よりもゲームに集中している分、酔いは覚めているようだったが、それでも頭のふらつきはなくなっていない。
「最後のゲームですね、ローダーさん」
俺は自分の手札を見ながら、そう話しかける。
「ったく。お前に負けるのだけは勘弁だ。手加減はしないぜ」
「それならこっちも――」
俺はそう言いながらチップに手を伸ばし、十枚。その数を正確に数えながら掴み取り、半ば叩きつけるように場に置いた。
「レイズ。十枚追加」
しばらく氷のように固まるローダー。その反応に俺は追い打ちをかけるように声を発する。
「あなたが最初のベットで大金をかける時は、自分の手札が強い時か、ブラフをかける時のどちらかでした。僕はたとえブラフだろうと散々乗ってきましたが、ローダーさんは乗ってくれますかね?」
挑発的に彼を誘おうとする。ローダーは表情変わらず、それでも見開いている目からは驚きを表しているようで、それで急に吹き出したかと思うと、店中に響き渡るような笑い声をあげた。
「プッ、アッハッハッハ! バカだぜお前! 最後の最後にそんな虚勢を張るだなんて!」
散々に笑った挙句、ローダーは荒っぽくチップを取って握ると、乱雑にテーブルの上に叩きつけた。その数は俺の賭けた倍の二十枚。攻撃的な姿勢を見せてから、ローダーはねっとりとした口調で喋り出す。
「俺には分かる。お前が何を考えてるのか。何を見てるのかを。……手札を見てからさっきのブラフを思いついたんだよな?」
コールを宣言しようとした瞬間、ローダーは核心をついてくるようにそう言ってきた。思わずチップに伸ばしかけた手をピタッと止める。
「……どういうことでしょう?」
「とぼけるなよ。とっさの判断ってのは目に表れる。話しながら言葉を想像してたんだろう? お前の瞳が何もないところに空想を広げるように、左上をチラチラ見てたぞ?」
嘘の見抜き方。俺の知っている方法と、まるで同じことを彼も知っていた。つい彼から目をそらし、ため息を一つつく。そして、無言のままチップを取り直し、追加の十枚をストックの横に置くと、ローダーはあざ笑うようにそれを見ていた。
「おいおい強がるなよ。俺は一年もこのゲームをプレイしてるんだ。嘘を嘘だと見抜ける技術は本物なんだよ」
「……あなたの番ですよ」
少しイラついたように、俺は呟く。ローダーはじっとりとした目でずっと俺を見下していると、自分の手札をテーブルに伏せたまま、トントンと人差し指でそれをつついた。
「ドローはナシ。特別に教えてやるよ。俺の持ってる役はフルハウスだ。一発で当たるなんて運がいいだろ?」
また俺の目を覗き込むように見てくる。執拗な視線を感じながらも、俺は手札の一番右のカードをマスターの前に渡し、ストックから一枚新しくいただく。
「一枚だけでよかったのか? 強がってるつもりなら、もうそれはなんの意味もなしてないぞ?」
煽りを平然と聞き流し、貰った一枚をチラッと見る。一秒もかからずそこに描いてあった数字とマークを確認すると、俺は金貨袋を掴んでそのままストックの横にポンッと置いた。
「レイズ。僕の全額を賭けます」
「……ああ?!」
唖然とした口から、突如甲高い声が耳を刺してきた。驚愕の表情はやがて、俺を嘲笑するものへと変わっていく。
「……ッハハハ、アッハハ! お前正気じゃねえぜ! チップの価値がなんなのか、もはや分かってないだろ?」
「僕は勝てると思っただけですよ」
「だからって全部賭けるやつがいるかよ? 目視でも百枚、いいや二百枚以上入ってるのが分かるが、そんだけあったらこの王都の一戸建てを買えるんだぜ? 今すぐ控えた方がいい、特別に見なかったことにしてやるから」
ゲームを降りろと、ローダーはそう言ってくる。まるで自分が優位な立場でいるようなつもりで、彼は傲慢で大きな態度を取り続ける。
「……ローダーさん。あなたは一つ、勘違いをしていますよ」
まずは現状を理解してもらわなければ。俺が本気であるということを、射るような視線と共に知らしめる。
「嘘をついた時、人の目は相手を避けるように動き出す。それで最も多くみられるパターンは、あなたがさっき言ったように左上に動く時。でも、それって実は違うんですよ」
わずかにローダーの眉が真ん中に寄る。それでもじっと俺を捉えて離さないその瞳を、俺も正面から、瞳の中の瞳孔のもっと向こう、彼の心の奥底を覗き込むように見つめていく。
「人は嘘をついた時、相手の目をじっと見てみるんです。嘘がバレてないか、勘付かれてないか確かめようとして。今のあなたのように、じっくりと」
「ッフ。でたらめ言っても俺には通用しねえって。ポーカーをどれだけの回数こなしてきたと思ってるんだ」
目をそらして素っ気ない態度で呟かれる。まるで俺の発言を馬鹿にしているかのような目線を送ってくるが、それを見て俺は、彼との決定的な違いがあることに気づく。とても単純で、しかし、彼には一生気づくことはない真実。
「あなたは、見たい嘘だけを見てきたんでしょうね。僕とは違う。見たくなかった嘘も散々目にした僕とは、まるで違う」
落ち着き払った声で、聞き逃したなんてことのないようにはっきりとそう口にした。ローダーは静かに俺を睨んでくる。次に呟いた言葉は、今までよりも少し早口だった。
「その話しが全部嘘だとしたら?」
「……嘘だと思いたいなら、別に」
自分の出した金貨袋に目をやりながらそう返す。どちらにしろ、攻めているのは自分だ。勝負に乗るか乗らないか、彼は決断しなければならない。
「ローダーさんの手元の金額じゃ、きっと僕の賭けた分には足りないのでしょうね。だからこうしてお茶を濁そうとしている。だけどローダーさん。僕は降りませんよ」
駄目だしにそう言葉を付け加える。さすがのローダーもそれを聞いて俺の本気が伝わったようで、とうとう涼しい顔を崩して、苦しそうな笑みを浮かべた。
「マジかよハヤマ。俺に借金を背負う覚悟を持てって言うのか……」
頭を抱え出す。もはやローダーは内なる不安をもう隠そうとせず、突きつけられた現実に正面から向き合っているようだった。自分の技術がお墨付きのものだろうと、それを上回るほどのインパクトがこの袋一つに込められている。呼吸が荒くなっていくのも無理はない。俺のブラフかどうかなど、飾りでしかないのだ。
「……やってやるよ」
震えた声で、ローダーはそう言った。たった一言のために、冷や汗までも流している彼に、俺は忠告するように「いいんですね?」と聞く。ローダーは既に手札に手をかけて、いつでもめくれる準備をした。それを見てマスターの口が開く。
「それでは……カード、オープン」
重りでも乗っかったような手を捻って、五枚の手札を互いに公開する。この一瞬のための、そのためだけのせめぎ合い。俺自身、心臓の脈打ちが独りでに早くなっていると、それは結果を見てから更に加速した。
俺の役は10までのハイカード。そしてローダーの手札は、Aが一つついた役なし、俺と同じハイカードだった。
「「んな!?」」
お互いに声を張り上げた。互いにブラフであり、そして互いに意地を張った虚勢であったと分かった瞬間、勝利と敗北をそれぞれ表すように背もたれに体を預けるのだった。
「っふう……! おいおいマジかよ、心臓に悪いってお前。ハイカードで全額かけるんじゃねえよ焦ったじゃねえか」
「ローダーさんも、まさかハイカードなのに勝負に乗ってくるなんて。せめて役があるから乗ったのかとつい」
「ッハ! 結局は自分の感覚を信じただけだ。けどまあ、ふう……」
もう一度ローダーが息を大きく吐き出す。詰まりに詰まっていた緊張感が、温泉につかった瞬間のようにほどけていく。加えて俺は敗北という事実を突き付けられ、全身の鳥肌が止まらない。けれどそのどこかには、いっそすべてを出し尽くした清々しさが残っている。
「いい勝負でした。どうぞ、僕のチップを持ってってください」
「言われなくても。あれだけ気持ちの悪い戦いをしたんだ。ありがたくいただくぜ」
安心しきった表情で、ローダーは俺の金貨袋を手にしていく。そして、思い出したかのようにジョッキに手をかけ、半分ほど残っていたビールを一気に飲み干した。
「ップハァ! ああもう胸がバクバクでヤベえ。けど、たまにこういう緊張感があるのが、ポーカーの止められねえところだよな」
「気が合いますね。僕もこういうギリギリのせめぎ合いが好きなんですよ」
興奮混じりに俺はそう返す。
「若いのにぶっ飛んだことしやがる。ああでも緊張し過ぎた。マスター、釣りはいらねえ」
そう言って場に出ていた金貨を適当に三枚、マスターの前に置いた。そうして立ちあがりながら、俺にも一言口を開く。
「面白いゲームがやれたお礼だ。今回の支払いは俺ので済ましてやる。さっさとそいつ飲み干して、新しい金を稼いでくるんだな」
「あ、ありがとうございます。もう帰るんですか?」
「そうだよ。ここにいたら体がおかしくなりそうだ」
歩きながらローダーはそう吐き捨てる。「待ってください」と俺は立ちあがると、マスターに「ごちそうさまでした」と適当に挨拶しておいて、ビールに一口もつけないまま、店を出ていったローダーをすぐに追いかけようとした。
……。
閉まりかかった扉に手をかけて、慌てた様子で外に出る。そうして俺に見向きもしないまま、路地裏を真っすぐ進んでいく彼の背中を俺は追いかける。
……めろ。
誰かの声が聞こえた気がした。けれど、そんなものが気にならないほど、俺はローダーの背中を一心に追い続ける。
「待ってください!」
声を上げた瞬間、一つの花火が空に大きく爆発する。赤と緑の光がパッと咲いて、俺の声がその音にかき消される。
「ローダーさん!」
近づきながらもう一度、彼の名前を呼ぶ。ふと、自分の心臓と両目が焼けるように熱くなるのを感じた。全身の血の流れが鮮明に感じられるほど、なんだか体が敏感になる。それでも俺は、彼の肩に手を伸ばしてその足を止めようとする。
予想通り外に出てくれたローダー。上機嫌な今の状態を逃してはいけない。ここまでの流れを無駄にしないために。本来の目的を果たすために。
――目覚めろ。
積み重なった殺意が、胸の奥からせり上がっていく。