2‐6 暗殺は専門外だ
月が山間に沈んでいき、新しい朝が日差しと共に訪れる。宿を出た俺たちはジバの街中を歩いていると、バックパックを宿に置いたまま、城下町の向かって歩いていった。これからの旅で、必要になるものを買いそろえるためだ。
「必要なものって、具体的に何があるんだ?」
店が立ち並ぶ大通りを、昨日と変わらず人目を気にしながら歩いている中、俺はセレナにそう聞いた。
「水と携帯食は絶対として、あとは、店を見ながら色々って感じですかね」
「そんなもんか」
いつもより背中が軽い。無事宿も確保したことで、あのバックパックとサーベルを宿に置いてきていたが、いざ意識すると空に飛べてしまいそうなほど軽く感じる。
「ところで、いつまでここに留まる予定なんだ?」
「明日には出たいと思ってますけど、どうですか?」
「そんなに急ぐ必要あるか?」
俺が聞き返したことに、セレナは手に持っていた小銭入れを開け、中に詰まった金貨を眺め始めた。
「あんまりゆっくりしようとしても、宿代がかかっちゃいますからね。ラディンガルで使う分も残すことも考えると、そんなに長居はできないんですよね」
「金銭的理由か……」
「お金は大事にしないといけませんからね」
袋の紐をきゅっと閉めるセレナ。俺も「仕方ないか」と納得すると、セレナが入ろうとした店を見て足を止めた。
「あの、セレナさん?」
「ん? なんですか?」
セレナは振り返ってきたが、俺は見覚えのあるその茶菓子屋を眺め続けていた。
「文字は読めないから分からんが、とりあえずそこに、俺たちが求めているものは売ってないと思うんだ」
「何言ってるんですか。昨日食べた抹茶団子を、もう忘れたんですか」
「やっぱり昨日の店かよ! さっき金を大事にしようって言った奴が、抹茶団子には使うのかよ!」
「あの味を心行くまで堪能せずして、この都を出られるわけないじゃないですか!」
そう言ってセレナは、さっさと茶菓子店の中へと入っていった。完全に気に入ってる様子だ。金の管理は全面的に彼女に任せているが、問題ないのだろうか。一抹の不安を感じながらも、俺は仕方なく店の中に入っていった。
足を踏み入れて、背中の横開きの扉を閉める。木造の落ち着いた雰囲気の内装が目に映ると、昨日も見たおばあちゃんが「いらっしゃいませ」と丁寧にお辞儀してくれた。それに軽く頭を下げておくと、先に入っていったセレナを追って歩いていった。するとそこで、不意にセレナの足が止まったかと思うと、隣のテーブルに目を向け、これまた見覚えのある顔を見つけていたのだった。
「あれ、アミナさん?」
青いポニーテールが揺れ、アミナがその顔を向けてくる。
「ん? あ! セレナちゃんにハヤマ。また会えたわね」
「アミナさんもここに来てたんですね」
偶然の再会に、俺も一言こう呟く。
「まさかまた会えるなんて。案外、この都も狭いのかもな」
冗談混じりの挨拶。それに反応したのはアミナではなく、またセレナでもなかった。
「はは、それはないだろ。面白いこと言うなぁ、あんた」
俺はアミナの隣に座っていた男に目を奪われる。飄々とした口調でそう返してきた彼は、灰緑色の天然パーマをした、俺より少し年上の男。軽装にこだわってそうな衣服に、腰につけた紐を絡めた剣を身に着けているその姿は、どことなく盗賊のようだった。
「アミナさん。こちらの方は?」
セレナがそう聞くと、アミナはやや不機嫌ぎみに答えてきた。
「あぁ、彼のことは別に気にしなくていいわ。ただの盗人だから」
「あれま。ずいぶんな嫌われようだなぁこりゃ」
男がそう口を挟んできたが、セレナは構わず「なにか盗まれたんですか?」とアミナに聞き返した。
「盗もうとしたのよ。昨日城の保管室に侵入して、都の財産を持っていこうとしたの」
「え!? そうだったんですか?」
セレナが驚きの声を上げたが、俺はもっと気になることに口を出した。
「だとしたら、なんでそんな奴とアミナが一緒にいるんだ?」
それに盗人が口を挟んでくる。
「それは、俺も知りたいくらいだね。あの女王さんは本当にただのお人よしなのか?」
「あなたはしばらく黙ってて」
「へぇーい。黙ってますよ」
アミナにあっさり払われると、盗人は頭の後ろに手を組んで、薄ら笑いを浮かべたまま背中を反らせた。
「ちょっと長くて退屈な話しになるけど、いいかしら?」
「もちろんかまいませんよ」
セレナが受け答えると、アミナが手を伸ばして反対の座布団に俺たちを座らせた。そこに座って聞く体勢を作ると、アミナは事の事情を話し始めた。
「始まりは、昨日の深夜だったわ」
城の中庭で刀の素振りをするのが日課だったアミナ。その日は昼に甘いものを食べた分、いつもよりもっと頑張ろうと思い、普段より多めに素振りを行っていた。
そして、夜遅くに素振りを終えると、自室に戻ろうと保管室の前を通り過ぎた。すると、保管室の中から何か物音がしたのを聞こえた気がした。まさかと思って中に入ってみると、案の定、盗人が天井に張り付いていたのを見つけたのだ。
大声で警備の兵を呼び、すぐにアミナはその盗人を捕らえる。そして日が昇った今日、急ぎ都の女王である、キョウヤの前に突き出したのだ。
「こいつは国の財宝を取ろうとした悪人です。しかるべき罰を下すべできしょう」
そう言ったのは、白髭の中年臣下バルベス。その意見にアミナも賛成の意を示していると、キョウヤは盗人にまずこう声をかけた。
「あなたの名前はなんでしょうか?」
「……ヤカトルだ」
ヤカトルは何食わぬ顔をしたまま答えると、キョウヤは質問を続けた。
「ヤカトル。あなたに問いましょう。あなたはいままでに、人を殺めたことがありますか?」
「いいや、暗殺は専門外だ。俺は物を盗むことしかできない」
その答えを聞いた瞬間、キョウヤは何かを確信したかのようにうなずいた。
「いいでしょう。ならばヤカトル。我が城に侵入するほどの実力をもつあなたに聞きます。今日から私の命に従い、都のために働いてくれますか?」
その言葉に当然、アミナとバルベスは驚きの声を上げた。ヤカトル自身も「はあ?」と腑抜けた声を出していた。
「もちろん、報酬も仕事に見合った分を払います。どうでしょう?」
「なりませんキョウヤ様! こいつが何をしようとしたのか分かっておいででしょう!」
「そうよ! 仕事なんて任せられるわけないわ!」
必死に考え直すよう説得するアミナとバルベス。城に侵入した盗賊を許すだけでなく、腕を見込んで国で働いてくれという、誰もが予想しえない発言を、よもや女王がするとは誰が思うだろうか。しかし、キョウヤは二人の意見を聞かなかったのだった。
「もう一度聞きましょう。ヤカトル。このジバのために、その力を役立ててくれませんか?」
「……で、今は私と一緒に、城下町の警備をしながら、この都について教えるよう命令されてるの」
アミナはそう言って最後まで説明すると、極端に嫌そうな顔を見せた。ヤカトルも「そんなに嫌か?」とからかったが、その間におばあちゃんが抹茶団子を持ってきてくれると、「ごゆっくり」と言って去っていった。
「だからここに、ヤカトルさんと二人でいたんですね」
納得の様子を見せるセレナだが、俺は王女の考え方に疑問を抱いていた。
「盗人をスカウトしちゃうとは、何か盗んでほしいものでもあるのか、女王様は?」
アミナが真っ先に首を横に振る。
「キョウヤがそんなことを頼むとは思えないわ。人目のつかないところで、何かを企むような人じゃないのは確かよ」
「そうか。ヤカトルも、あのキョウヤ様と面識があったりするわけじゃないよな?」
「盗賊の俺と、一国の女王様が出会う場面なんて、想像つくか?」
「まあ、そうだよな……」
いよいよ女王様の狙いが分からなくなると、ヤカトルが軽い口を開いた。
「そんなに難しく考えなくても、女王様が単純に、俺の腕を買ってくれたとかだろ」
「でもあんた、普通に私に見つかってたじゃない」
アミナの素早く鋭い言葉が刺さる。
「んな!? あの時はたまたまミスしただけだ。それに、お前も敏感すぎるだろ。俺が天井に撃剣を刺した音を聞くなんて、そんな人間初めて見たぜ」
「その紐のついた剣、撃剣って言うのね。初めて知ったわ」
「お、そうか……って感心するなよ!」
勝手に盛り上がるヤカトルに、意図的にそつなく接するアミナ。水と油のような会話を聞いていると、抹茶団子を飲み込んだセレナが、別の話題を持ってそこに入り込んでいった。
「ところで、ヤカトルさんはどうして保管室なんかに侵入したんですか?」
「盗賊にそんなこと聞くか、普通。盗むのが俺の仕事なんだぞ」
「やっぱり、大量の金貨が目当てだったんですか」
セレナが理解を示すと、ヤカトルはそれを少し訂正してきた。
「厳密には、金貨を目当てにする奴がいた、だけどな。俺はその人から、この国の財宝を盗ってこいって言われたってわけだ」
「その命令をした人は誰なの?」
そうすぐに割って入っていったのはアミナだった。
「そいつは知らねぇな。何せ俺は、依頼主から直接命令されたわけじゃない。下っ端の人間から伝言で伝えられただけなんだ」
「本当なの?」
「本当さ。この業界ではよくあることだ。親玉ってのは姿を隠すのが上手いからねぇ。俺は依頼主の顔を知らなくて当然ってわけさ。ついでに言うと、今の女王様のが報酬が高かったから、俺はこっちに乗り換えたんだ」
「そう……」と言ってアミナが深いため息を吐いた。それを横目に、俺はしばらくヤカトルの顔をじっと見つめていた。
何となく嘘をついているような。それなのに、なぜか確信できない部分があるような……。
テーブルに頬杖をつき、怪しい目を悟らせないようにしながら、俺は注意深く彼を見つめていたのだった。
「でも、依頼主がいるってのを知れただけましね。これからしばらくは、警備を強化していかないと」
アミナがそう呟くと、ヤカトルがまた冗談を口にする。
「保管室の警備なら、ここに適任者がいるぜ」
「あなたは信用できないから無理よ」
「決めつけが早いなぁ。あそこへの侵入の仕方を知ってるから、これ以上の適任はいないと思うんだけどなぁ」
そう言って、ヤカトルが抹茶団子の一つに直接手を伸ばし、それをペロっと口にした。すると、それを見た瞬間に、アミナの目がぐっと見開いた。
「ああ! それ、私が食べようとしてたやつ!」
「なんだよ。まだ団子は残ってるじゃないか」
「一回り小さいのがいいのよ! 中のあんこがたくさん入ってるんだから!」
それを聞くや否や、セレナが皿に残った団子の中から、俺の前にあった一番小さい団子を瞬時に取っていくと、俺はただ冷めた目を向けておいた。
「そうだったのか? 大して違わないように感じるけどな」
「どうして分からないあなたが食べちゃうのよ! はあ、もったいない……」
今日一番のため息を吐き出すアミナ。渋々座布団に正しく座りなおすと、泣く泣く普通サイズの抹茶団子を口にしていった。
そうしてしばらく茶菓子屋で過ごし、すべての抹茶団子を平らげると、俺たちはその店を後にし、そのままアミナとヤカトルの二人と共に大通りに出ていった。そこでアミナが腕を目一杯空に伸ばすと、「はあ」と息を吐いて体をほぐした。
「ヤカトルは私と一緒に、都の警備に回るとして、二人はどうするの?」
俺たちに聞いてきた質問にセレナが答える。
「私たちは、旅に必要なものを買わないとなので、ここで」
「そう。分かったわ。ここでお別れね」
アミナがそう言った時、彼女の隣でヤカトルも会話を聞いていると、腰のポケットから手を出した拍子に、一枚の金貨を落としてしまった。
「おっと」
金貨はコロコロと車輪のように転がっていき、アミナの足下を通り抜けた先で、コロンと倒れて動きを止めた。
「すまんアミナ。拾ってくれないか?」
「もう、仕方ないわね」
ヤカトルのお願いに嫌々足を進ませるアミナ。金貨の前に上半身を屈め、それに手を伸ばして掴みかけたその時だった。
「キャッ!」
地面に倒されるアミナ。その横を黒服が素早く通り過ぎていくと、アミナの腰から刀を盗み取っていくのがちらっと見えた。
「あいつ!? 刀を!」
俺の叫びにアミナも腰に手を当て、刀がないことに気づく。
「盗まれた!? まさか、昨日と同じ!?」
「急いで取り戻さないと!」
セレナがそう言って手を伸ばすと、緑色の魔法陣を宙に浮かべようとした。だが、その間にも黒服との距離が遠のいていくと、人混みの中へ紛れてようとしていた。
このままでは見失ってしまう。そう思った俺は、とっさに走り出そうとしたが、それより先に誰かが前に飛び出していると、意外にもヤカトルが走り出していた。機敏に足を動かして加速していき、腰にかけてた撃剣をさっと抜きとると、紐をカウボーイの如く扱って真っすぐに投げ放った。それがぶれることなく一直線に飛んでいくと、大通りを駆けていく黒服の片足に引っかかった。ヤカトルはとっさに足を止め、紐をグッと強く引く。するとその反動で、黒服は勢い余って前のめりに倒れた。
「ちょろいちょろい」
ヤカトルの姿を見てセレナが「スゴイ……」と呟いていると、「もう、なんなのよ」と駆け出したアミナに続いて、俺たちもその後を追っていった。そして、アミナが隣を通り過ぎてからヤカトルも走り出し、二人が黒服の元にたどり着こうとした時、立ち上がろうとする黒服が、胸元から小さな白い玉を一つ取り出すと、それを地面にたたきつけるように思い切り投げた。それが地面で破裂した瞬間、その周りは白い煙に覆われていってしまった。
「っぐ、煙玉か!?」
「っけほっけほ。粉が……」
前にいたヤカトルとアミナが煙に包まれていく。俺とセレナもつい足を止めてしまうと、煙のせいで誰がどこにいるのか全く見えなかった。辺りにいた市民たちも巻き添えでせき込んでいるのだけが聞こえていると、やがて煙が晴れていったその場所に、黒服の姿は消えていた。
空になった紐をヤカトルが回収する。
「逃がしたか。刀を盗むだなんて、嫌な人間もいたもんだ」
「あなたが言えるセリフじゃないでしょ? そんなことよりどうしよう。早く取り返さないと」
アミナが焦りながらそう口にするが、とっくに黒服の姿はもう近くにはいない。
「手分けして探しますか?」
セレナがそう提案したが、アミナは否定するように首を振った。
「さすがに四人じゃ無理があるわ。都はかなり広いの。あてずっぽうで見つかるものじゃ――」
そう言い切った時、ヤカトルが一言呟いた。
「こんな大通りでひったくるなら、逃げ道は一つだろうな」
ハッとしたアミナがその顔に振り返る。
「どこに逃げたか分かるの?」
「同じ盗賊なら、同じことを考えるだろうさ。刀を取り返したいんだったら、遅れるなよ」
そう言うと、ヤカトルは返事を待たず、さっさとそこから走り出していった。
「今は、彼だけが頼りね」
眉をひそめてそう言うと、アミナもすぐにその後を追っていった。それを眺めていると、セレナが俺に向かってこう言ってきた。
「私たちも行きましょう!」
「え?! 俺たちも?」
「そうですよ! 早く行きますよ!」
そう言って駆け出してしまうセレナ。心の中でマジかよ、と呟くと、俺も急いで三人の後を追って走り出していった。
挿絵:ヤカトルのドット絵