14‐3 その伏せられたカードが何なのか
「今すぐにでも部屋を変えたい気分です」
昇り切った朝日を眺めながらあくびをこぼしていると、いきなりセレナはそう言ってきた。その横顔には、いかにも俺を変態を見るような目が映っている。
「そう言われても……。だったら今日、他の宿でも探すか――?」
「絶対にそうしましょう!」
俺の言葉を食い気味に、セレナがすかさず返事をしていた。
「はあ……どうしてどこも空いてないんですか……」
がっくりと肩を落とすセレナ。あらゆる宿を巡っていたが、もう夕焼けが差し込んできている時間になっている。
「ない以上は諦めるしかないだろ。というかそもそも、俺がお前に興味なんて持つわけないって」
この言葉も何度も言っているのに、セレナはそれを聞こうとしない。むしろ今も、反射的に自分の胸を覆って俺から数歩距離を取っている。
「興味とか、そんな気持ち悪い言い方しないでください!」
「はあ……」ため息が出てくる。どうしてそこまで過剰に反応するのか。自分に自信でもあるのか?
まあ、今は察してくれないだけマシか。
「今日も行くことにしてるから。ここで解散な」
「はっ! 今日もですか! もしかして毎日行くつもりなんですか!?」
「俺の金貨の使い方に、いちいち口だししないでもらっていいか? それじゃあな」
予めポケットには、昨日からセレナに渡しそびれた金貨袋が入っている。前と同じ路地裏へと入ろうとすると、背後からは「こんなケダモノだったなんて……」と失望の声が聞こえてきたが、俺はそれを完全に無視した。
店に入った瞬間、ローダーの勝鬨が聞こえてきた。
「ハッハ! 俺のボロ勝ちだ!」
「く、くそう……」
向かいに座っていたウサギの獣人が、力なくテーブルを拳で叩く。前にあったチップをローダーが全額持っていくのを見ると、何があったのか想像するに容易かった。
「あの、ローダーさん?」俺は声をかける。
「おおハヤマか。今日も来たんだな。どうだ、早速俺とやっていくか?」
「ぜひ」
会話に耳をピクッと動かしたウサギの獣人が、顔を上げて俺にこう言ってくる。
「君、ローダーとやるのはよした方がいいよ。今日の彼、異様に強いんだ……」
ゲームをやめるよう忠告される。俺がそれを聞き入れる理由はない。
「だったらなおさらです」
そうきっぱり言い切って、俺は諦めるように立ちあがったウサギの獣人と、入れ替わるようにイスに座った。テーブル越しにローダーと向かい合い、彼の手でトランプがシャッフルされる。
「ルールはポーカー。昨日と同じだ」
トランプをシャッフルしながら、ローダーがそう言ってきた。渡されたトランプの山を俺もシャッフルする。ふと横目に、五杯の空のガラスジョッキが並べられているのに気づいた。
「今日は飲んでるんですね」
「当り前よ。今日はもう、元の三倍は稼いでるんだからな」
カードをローダーに渡して、ローダーは五枚ずつ順番に渡してくる。彼の前にはまだ半分残っているビールがある。ローダーは参加のチップ一枚を場に出すと共に、景気づけにと言わんばかりに一口飲む。
「――プハッ。よおし。それじゃ始めるか。そうだな……」
至って素面の顔色で、ローダーが手札を眺める。だが、口から溢れる酒の臭いと、雑にカードを握っている様子は、昨日とはまるで別人だ。
「うーん一枚追加だ」
「……だとしたら僕はコールで」
俺は一枚金貨を出してテーブルに置く。同時にローダーが手札を二枚、伏せた状態でテーブルに出すと、俺はストックから二枚を渡した。俺はもう一度手札を見てみる。現時点の役はワンペア。とりあえず適当に、残った三枚の内、数字的に一番強いクラブのKを残して二枚を交換する。
「二枚ドロー」
ローダーがストックから二枚カードを渡してくる。それを手に取ると、偶然にも一枚がスペードのKだった。これでツーペア。さっきより一段階強くなった。ゲームの最後の賭けに入る。
「レイズ、そうだな……十枚追加だ」
建てるように並べていた金貨のタワー。その内の一つを丁寧に鷲掴みにして前に置くローダー。いつの間に集まっていた野次馬から「うお!?」「マジか!」とどよめく声が聞こえたが、俺は構わず十枚を袋から取り出した。
「……コール」
また野次馬たちが小さく騒ぐ。ローダーも俺が置いたのを見てにやけ顔を浮かべると、
「んじゃ、カードオープン!」と自信満々に手札を公開した。俺のツーペアに対し、ローダーの役はAが四つ並んだフォーカード。中々でない役が揃っていた。
「ヘッ! ちょろい勝負だぜ」
場に出たチップをローダーがすべて持っていく。一回戦目は負け。それもまあまあの大金を持ってかれたが、それでも袋にはまだ金貨は有り余っている。まだ問題ない、と自分に言い聞かせて、俺はトランプをまとめてシャッフルする。それを彼に渡そうとした時、同時に口を開いた。
「ローダーさんは、このラディンガルに住んでるんですか?」
「そうだ。ここで産まれて、ここでずっと育ってきた」
ローダーがカードを配りながら答える。ゲームを続けながら、なおも話しを続けていく。
「レイズ一枚。僕はカカ村っていう田舎村から来たんですよ」
「都会は輝いて見えるか? 実際はそうでもないぜ。コール」
「そうなんですか?」
「ああ。特に魔王が現れた時は、本当に大変だったな」
ちらりと手札を見て、俺は二枚分の交換を要求する。ローダーがストックの上から二枚、一本指でスライドするように飛ばしてくる。
「もしかしてローダーさんは、国の兵士か何かなんですか?」
「城の騎士だったんだ。もう過去の話しだがな。二枚ドロー」
俺はストックから二枚、しっかり丁寧に取ってからローダーの前に置く。それを受け取って目をやり、ローダーは一瞬で「フォールド」と言ってカードを伏せたまま投げた。ゲームは流れることになり、俺は場に出たチップを回収する。ローダーはビールを一飲みしてから、トランプをシャッフルして俺に渡してきた。ストックを切りながら俺は話しを戻す。
「城の騎士ってことは、結構強かったんですね」
「今はもう強くねえ。昔は赤目があったからな」
――赤目!? つい驚愕のまま声に出そうとしたのをぐっとこらえ、俺は冷静に彼の目の色を確認した。水色に近いブルーの瞳。赤とは正反対の輝きだ。
「赤目って、あの赤目ですよね? なくなったりするんですか?」
カードを配りながら慎重に聞いてみる。
「元妻の厄介事に巻き込まれてな。あの女は、頭のネジが一本抜けてたからな。レイズ、一枚追加」
「元妻?」
「離婚してんだ、俺は」
「ああそういうことですか。でも厄介事って。一体、何をしたら赤目がなくなったりするんですか?」
「知りたいか?」
体を前のめりにさせて聞いてくる。まるで、話しを聞ける覚悟があるかどうか、それを確かめるために俺をじっくり見てきている。俺はローダーの瞳を真っすぐに見つめ返し、チップを手に取る。
「レイズ、七枚追加」
「……コール。いい覚悟だ」
ローダーが場に七枚のチップを追加すると、一度ビールに口をつけた。わずかな量を残してジョッキを置き、手札を一枚出してゲームが再開される。
「ログデリーズの前皇帝、ダファーラは知ってるよな?」
彼のカードを交換してやってから、自分の手札からも一枚場に出す。
「ドロー一枚。ダファーラ王と言えば、魔王に洗脳されたあの?」
「お? そこまで知ってるなら話しは早い」
俺に一枚ストックのカードを渡し、そこでやっと自分に渡された確認するローダー。途端にその顔が渋いものになる。
「……赤目の持つ高い身体能力。それはどうしてか分かるか?」
「……いえ、さっぱり」
「元妻曰く、その秘密は血液らしい」
「血液……? 元の奥さんって、一体どんな方だったんですか?」
「元医療従事者の、怖い研究者さ。赤目の力に興味を持って、俺にも接近してきたらしい。嫌な女さ、全く」
「はあ」愚痴をその相槌で聞き流し、すぐに「血液が関係してるというのは?」と追及する。
「生き物が体を動かすために、血は必要不可欠なのは知ってるよな? なんでも赤目の血液には、常人以上の働きをしているらしい。肉体的に無理な動きでも、赤目の血は体の限界を引き出し、そういう動きを軽くできちまう」
「だから赤目の戦士は強いんですね。あ、もしかして、ローダーさんが赤目を失ったのって――」
「レイズ五枚。どうするハヤマ?」
俺の声を遮って、ローダーは新たに五枚のチップをテーブルに出す。勝負するには計十三枚。俺は臆することなく、自分のチップを五枚そこに置いた。
「コール」
「降りなくていいんだな?」
「気になりますから。その伏せられたカードが何なのか」
「……カード、オープン」
互いに伏せたカードを同時に開く。公開されたのは二つのワンペア、最弱から一個上の役。数字での勝負では、俺の5に対してローダーは8だった。
「魔王によって狂わされた皇帝が国に戻った後、あへ顔晒して何をしたと思う?」
ローダーはチップに手を伸ばしながら、ついでに俺のカードの一枚にあったハートのAを持っていく。指をクイクイッとさせて近づくよう合図してきて、俺は前のめりになって頭を近づける。ローダーはAのカードを、自分の手札にあったスペードのKの隣に置きながら、野次馬に聞こえないよう小さな声で囁いた。
「――狂気に侵された王が、本物の狂気に命令した。軍事力拡大という名の、赤目を人工的に作る人体実験をな」
ドクンと、心臓が重く脈を打った。全身の毛穴から汗が出てきそうで、一瞬で体が固まってしまったのを感じる。
彼が言ったのは本当か? 赤目を作る実験、赤目生成実験! それはかつて、フードの赤目のラシュウから聞いた言葉だ。
「その話し……本当なんですか?」
記憶喪失になるほどのショックを与えた人体実験。それが本当だとしたら、俺は……。
「――さあ。まだまだゲームはこれからだぜ」
パッと体を離し、ローダーは陽気な雰囲気を声に纏ってそう言った。少しピリピリしていた俺はすぐに問い詰めようとしたが、彼の頬がいつの間に赤くなっているのを目にした。最後のビールがローダーの喉へと流し込まれる。
「さっさとやろうぜ」
そう言って俺にシャッフルさせるよう指示だししてくると、俺は少し冷静さを取り戻すために間を置いて、オープンされたカードを回収し、ストックをシャッフルするのだった。
この日のポーカーもきっちり五ゲームまで続いた。結果は惨敗。五回中勝てたのはフォールドしたあの時だけだった。上機嫌のローダーはそのまま別の人と勝負をしようと、相手探しに苦労している様子をイスから眺めていたが、酔っ払いの状態を見て諦めがつき、今日はそのまま宿に帰ることにする。
かなりの量のチップを賭けた割に、あれ以上彼から聞き出せた情報はなし。ただ、かつて城の騎士で赤目を持っていて、赤目生成実験の首謀者と関わりがある彼は、決してただの人間ではない。それだけは確かに知り得た情報だ。
扉に手をかける時、俺は胸の奥ではっきり呟く。
――残りは一日だけ。
自分に言い聞かせるように、また戒めるようにはっきりと、その言葉を浮かべて、俺は店の扉を押して出ていった。
――――――
誰かがいる。靄がかかっているように、顔だけ真っ黒な誰かが。
中年の女性。俺はこの人をきっと知っている。
その女性は、何やら俺に怒鳴ってくる。しかし、声は聞こえない。耳が取れてしまったかのように、ただそういう風の態度だけしか伝わらない。
それなのに、この女性がうっとおしい。苛立ちが抑えられないほど、怒りが湧いてくる。
もしも俺が俺だったら。ちゃんとした俺だったら、彼女をどうしてしまおうか。
憤りが抑えられないほど憎らしいと思う彼女を。
吐き気がするほどの嫌悪感を抱くコイツを。
俺なら、どうしてしまおうか――。
「……。……。……」
両目が異様に熱くて、俺はパッと目を見開いた。黒い木材の天井。体を起こし上げてみると、そこは俺たちが泊っている宿の部屋だ。
「ふわ、おはようござい……す」
横からあくび混じりのセレナの声が聞こえてくる。ベッドの奥の窓に、外が土砂降りなのを示すように水の筋が流れている。ふと、胸が痛くて手を当ててみると、妙に心臓の脈打ちが早くなっていた。
なんだか変な調子の目覚めだ。怖い夢でも見たのか? うっすらと覚えているような、でも何も見てなかったような。何かを言われてたような気もするが、頭の中が霧に包まれてるみたいに、非常にぼんやりとした情景しか浮かんでこない。
「なんだか、顔色悪くないですか?」
ふいにセレナにそう言われる。それと同時に、髪の毛から何かが流れてくるのを感じて、俺はそれを指で拭ってみた。感触からしてすぐに、それが汗だったのだと知る。
「……なんだか変な気分だ。熱? ……いや平穏だ。体の調子が悪いわけでもない」
額に触れても熱くなく、お腹を下している訳でもない。本当に何も変化がなくて、なのに気分の悪い目覚めが不思議でしょうがない。セレナも「大丈夫ですか?」と心配そうな顔をしているのを見て、とりあえず俺はベッドから立ち上がった。
「多分大丈夫だ。それより、今日は旅に必要な物を買い揃えておくんだろ?」
「そうですけど、……生憎の雨ですね」
窓を眺めながらセレナがそう言う。窓にせわしなくぶつかっては流れていく雫からは、年に数回しかなさそうな大雨っぷりを想像させてくれる。
不安そうに窓を見つめるセレナ。その予感が当たってしまったのか、昼下がりになっても、雨は勢いよく降り続いていた。
「……ちょっとだけ様子を見るか」
俺がそう言った時には、既に心臓の鼓動は元の速さに戻っていた。