14‐2 ポーカーは知ってるか?
店の中は、とても穏やかな雰囲気に包まれていた。天井についた淡い光のランプ。大量のアルコール飲料の前でグラスを磨くカウンターの犬の店主。こういう場所ではマスターと呼ぶんだっけか。指で数えられるほどしかないカウンターかテーブル席に座って酒を飲む客たちは、人間獣人含めて十人もいない。
警察が従えてそうな犬のマスターが、ちらりと俺を見るだけ見て目をそらす。ご自由にどうぞって感じか。不慣れな俺は逆に困ってしまうと、すぐ斜め前にあったテーブル席から、あの男が顔を見せてきた。
「初めて見る顔だな、お前」
紫色の髪のスポーツ刈り。肩幅も大きくて中年。やっと見れた顔は鼻が高いハンサム系で、顔のシワが様になっている。
「なんだ、緊張してんのか?」
「い、いや。そういうつもりでは」
いざ会えた時、その後のことを何も考えてなかったことに気づく。頭の中であたふたしてしまうと、男は俺を怪しむように目を細めてきた。
「お前、まさか未成年じゃねえだろうな?」
ギクッと、頭の中でそんな音がこだました。思わず体に出てしまいそうなのをとっさにこらえ、いつかセレナに口にした、嘘つきの精神を心に宿す。
「いえ、前まで通っていた店と随分と雰囲気が違うので、それで少し驚いてただけですよ」
「……嘘だな」
突き刺すような一言が、男の口から飛び出た。想定外の言葉に俺は思わずポカンとするように目を見開いてしまう。男はイスから立ち上がり、俺の目の前まで来て高い目線から威圧するように見下してくる。
「ここは子どもの来るところじゃねえぞ。さっさと帰んな」
俺は男の目をじっと見つめ返す。取り繕ったような態度は、果たして気のせいだったのだろうか。ひとまず自分の勘を信じることにする。
「……失礼。あなたは嘘がお上手なんですね。この顔で子どもっぽく見られたのは初めてですよ」
そう言い切った瞬間、店内の物音が一瞬にして消え去った気がした。マスターのグラスを磨いていた音や、話しをしていた客。飲んだグラスを机に置く音など、何もかもがスッと消えて明らかに雰囲気が変わっていた。すると次の瞬間、目の前の男はいきなり「プッ!」と吹き出して笑った。
「アッハッハッハ! こいつはおもしれえや! 俺の嘘に引っかからなかった。それどころか言い返してきやがったぞ!」
それを聞いて、俺は心の中で一息つく。とりあえずはしのげたらしい。まさかいきなり嘘だと言われることになるとは。それにこの男、俺の予想が外れてなければきっと、嘘をつき慣れてる。ふとした瞬間に揚げ足を取ってきそうな気配を、俺は感じ取っていた。
男は笑ってる間、周りの人たちがなんだか感心するような目で俺を見ているのに気づいた。嘘を見破ったのがそんなに珍しかったのだろうか。いまいち彼らの表情にピンと来ないと、マスターが見た目より年老いた声で喋り出した。
「これは期待のできる挑戦者かもしれませんね、ローダー様」
そう言われて目の前の男が反応を返した。
「ああ。ちょっとやってみたいかもしれねえな。マスター。用意してくれ」
マスターはグラスを横に置いてその場にしゃがみこむ。そしてすぐにまた立ち上がると、手に持っていた中身が入ったカードケースをカウンターの上に置いた。男はそれをさっと手に取って座っていたイスに戻ると、俺に向かいの席を示しながらケースを開けた。俺は指示に従ってイスに座る。
「小僧、名前は?」
「ハヤマアキト。みんなからはハヤマって呼ばれてます」
「俺はローダーだ。何か頼まないのか?」
「ああっとそうですね……」
もちろんアルコールに詳しくない俺は、少し焦ってしまう。テーブルの横にあるメニュー表を見てもどうせ読めないだろうし、何も頼まないわけにもいかないだろう。ふと、ローダーの前に、飲みかけのワインらしき飲み物があるのが目に入った。
「それじゃ、ローダーさんと同じものを」
犬のマスターがすぐに動き出し、後ろに並んでいる中から適当な一本を手に取る。専用の栓抜きで蓋を抜いてグラスに注ぎ、すぐに俺の元まで運んできた。軽く会釈してお礼をすると、ローダーがまた口を開いてきた。
「突然だが、ポーカーは知ってるか?」
「名前だけしか……」
何かと思えば聞きなれた言葉が出てきた。俺が知っているものと一緒なのか怪しく、とりあえず知らないフリをしておいた。
「そうか。最近流行り出したゲームだから、知らなくてもおかしくないかもな」
そう言ってローダーは、飲みかけのワインを隅っこにどかし、慣れた手つきでカードをバサッと横に広げた。
「ルールは簡単だ。五枚のカードで相手より強い役を作れば勝ち。それだけだ」
恐らくルールは知っているものと同じなようで、「どんな役が強いんだ?」と肝心な部分を俺は聞く。ローダーは実際にカードを指で選びながらそれを説明してくれた。
同じマークで10、J、Q、K、Aが並ぶロイヤルフラッシュを頂点に、フォーカードやフルハウス、フラッシュにストレート、ワンペアの下の、役のないハイカードまで。役の強さは俺の知ってるものと全く同じものだった。
「ここからは、実際にやりながら説明してやろう」
ローダーは五十二枚のトランプを回収して細かくシャッフルしていく。そして自分と俺の手元に、五枚のカードを順番に渡していった。それに加えて、テーブルの隅に置いてあった袋から、三枚の金貨を俺の前に置いてくる。
「今回は練習用だ。終わったら返してもらうからな」
「これは……もしかしてチップか?」
「分かってるじゃねえか。この店は表面はバーだが、裏ではゲームで賭け事をするカジノさ」
そう言って、ローダーは手元の金貨一枚を山札の前に置いた。
「チップは最初に一枚、それからはカードを配られた時と、カードを交換した時に追加でかけることができる。まずはお前も一枚出しな」
言われた通りに金貨を一枚、山札の前に出す。するとローダーは手札を一度見て「レイズ、一枚追加」と言って新しい金貨を一枚出してきた
確か、互いに同じ金額をかけないとゲームができないんだっけか。うる覚えの知識のまま、とりあえず練習だと見様見真似で金貨を一枚出す。
「コールだな」
聞き慣れない言葉を呟き、ローダーは手札の二枚を捨て、山札の上から新たに二枚引いていく。そこも同じか。そう思いながら俺も、揃っていたワンペア以外の三枚の内、最も強いAを残して二枚を交換する。やってきたのは使い物にならないものだった。
「ローダーさん。交換って何回できるんですか?」
「一ゲーム一回までだ。レイズ、一枚追加」
ローダーは金貨を一枚真ん中に追加し、また口を開く。
「もし勝負できないってんなら、フォールドして試合から降りることができる。その場合、試合は流れて場に出た金貨は相手のものになるが、余計に失うことはなくなる」
「流れるってことは、互いのカードは見せないってことですか?」
「そういうことだ。物分かりがいいな」
名前からしてその通り、ここのポーカーは俺の知ってるポーカーそのものだった。それも日本で広まってるルールそのものだ。俺は金貨一枚を出してローダーと同じ金額に合わせる。
「カードオープン」
ローダーの声に合わせて同時にカードを表にする。俺のワンペアに対して、ローダーはスリーカードだった。
「俺の勝ちだ。こうなったら、場に出ている金貨は全部俺が持っていくことができる。……と、こんな感じだ。分かりやすいだろ?」
「そうですね。それに、自分の金貨をかけるってなったら、かなり面白そうです」
手元に残っていた金貨をローダーに返しながら、俺はそう言った。ローダーはまた笑い出す。
「ハッハハ! 気に入ってもらえたようで嬉しいぜ。そしたらいっちょ、俺とやってみねえか?」
顔をにやつかせるローダー。その笑みには裏が見えそうで、でも何も隠してなさそうに純粋に見えた。俺は「ぜひ」と返しながら、ポケットの中に入れた金貨袋をテーブルの隅に置いた。途端にローダーが口笛を吹く。
「ヒュー。全部でいくらだ? こいつは気合を入れねえとな」
ローダーがそう言ってカードをまたシャッフルしようとした時、突然静かに飲んでいた他の客たちが立ち上がった。そしてマスターの前で、
「俺はローダーに十枚」「あの新人に二十枚」「ポーカー界のアストラルに四十枚だぜ!」と金貨を置いて、一斉に俺たちの席の周りに集まり出すのだった。突然の視線に俺は体が固まってしまうと、ローダーがシャッフルしたカードを俺の前に置きながら、シャッフルするよう手でうながしながら話してきた。
「さっきも言った通り、この店では賭け事が日常茶飯事なのさ。まあただの野次馬だから、気にせず俺たちは楽しもうぜ」
「はあ……」
適当にカードをシャッフルしながら答え、それをもう一度ローダーに戻すと、最初にチップを一枚ずつ出しあいゲームが始まった。
「内のルールでは、一ゲームを五回繰り返すことになっている。つっても、それを気にするのはこの野次馬たちだけだから、俺たちは自分の持ち金と相談すればいい」
ローダーから渡された五枚のカードを見てみる。ペアのないハイカード。最初から運が悪いスタートだ。
「先攻はお前だ。どうする?」
「……パスだ」
「チェックだな。そしたら俺はレイズ、一枚追加だ」
チップを一枚追加される。
「さあハヤマ。ここはどうする?」
「……コールだ」
ローダーのあからさまな煽りを受けながら、俺は一枚チップを場に置いてみせる。
「よし。それじゃドローだな。交換したいカードを場に出しな。ついでに交換でストックからカードを引くのは、常に相手が引くってここでは決まってんだ」
俺はもう一度自分の手札を見てみる。役を作れる可能性があるとすれば、同じハートである3と4からの役だろうか。正直交換しても勝てる望みは薄かったが、まだゲームは始まったばかり。とりあえず、その二枚を残して俺は三枚を交換した。
ローダーがストックと呼んだ山札に手を伸ばし、上から三枚を俺に渡してくる。見てみると、クラブの3が含まれていた。さっきのハートの3と合わせればワンペア。役なしのハイカードよりはマシになった。
「そしたら、俺も三枚ドローだ」
ローダーの手札から三枚が場に出てくる。それを確認して俺はストックの上から三枚、ローダーに渡す。引いたカードを見たローダーは、何も動じないポーカーフェイスを演じていた。
「さあ、二回目の賭けだ。お前が選べるのは、レイズかチェック、一応フォールドもあるな」
「……チェックで」
「そうか、チェックか……」
俺の言葉を復唱したローダーが、真剣な表情で自分のカードを見つめる。勝負に出るか悩んでいるのだろうか。そう思った途端、ローダーが急ににやりと笑った。
「俺はレイズだ」
ローダーの手から五枚の金貨が追加される。強気な攻めだ。手札にあるカードがそれだけ強いことを表している。ただ、それが本当かどうかは見るまで分からない。
「さあ、どうするハヤマ? このカードと勝負するか?」
俺はローダーの顔を見てみる。自信に満ちた表情。だがそれは、明らかにわざとだと素人目にも分かるものだ。罠かもしれないが、俺は乗るだけ乗ってみることにする。
「チェック」
五枚自分の金貨を置いて勝負する。
「カードオープン」
ローダーの声と共に、俺たちの手札が公開される。俺のワンペアに対し、ローダーは役なしのハイカードだった。
「ワンペアで乗ってきたか。さすがだな」
ローダー笑みを浮かべながら、自分の賭けた分のチップを俺に渡してくる。その顔が作り笑顔であることは、俺には楽に見破れた。
「全く最初から運がねえな。ちょっと不安だが、残り四ゲーム、さっさとやっていくか」
その後も、俺とローダーのゲームは続いていった。俺はあまり経験のないゲームに馴染んでいきながらも、常にその目はローダーの顔を逃さなかった。俺の特技がここでも武器になりえるかどうか、確かめるように。
それを意識しながらやっていると、四回残っていたゲームはあっという間に終わっていた。最後に、お互いのテーブルの前に積みあがったチップを見てみると、六枚差で俺のが少なかった。野次馬が各々喜んだり悔しがったりする。
「いやあなんとか勝てたか。でもハヤマ。お前いい線いってるな。やってて面白かったぜ」
「強いんですね。僕も面白かったですよ。またやりたいです」
「お? いいねえ。そしたら明日も来てくれよ。俺はいつでも挑戦を受けてやるからさ」
「はい。ぜひまた明日」
俺はそう言うと、ローダーは飲みかけのワインを一息に飲み干し、イスから立ち上がってマスターへの支払いを済まし、そのまま店を出ていった。彼が帰ったなら用はない。俺はそそくさとイスから立ち上がると、金貨袋を手に取って会計へ進もうとした。途中、賭けをしていた男性客に話しかけられる。
「君すごいね。あのローダーとやり合うなんて」
「ローダーさんは強い方なんですか?」
「強いも何も、ポーカー界のアストラルって呼ばれてるほどの猛者だ。この都の中では、多分一番なんじゃないかな」
「……そうですか。道理で強かったわけです」
それだけ言って、俺は会計へと進んでいく。結局、ワイングラスには一口もつけていなかったが、マスターは特に何か言うわけでもなく、俺の金貨を受け取ってくれた。