14‐1 魔王が死んでから一年か
イデアの死から二日たった今日。俺たちは目の前に立ち並ぶ赤基調の壁と屋根、その間を何十もの人々が行きかうあの王都を歩いていた。
ここに寄った目的は、単純に次の目的地までの寄り道だ。セレナ曰くおよそ一年ぶりにここに戻ってきたらしい。ラディンガル魔法学校でアルトたちと会ったのが、もはや当分昔のことのように思い返される。思えばエングへの道しるべを示してもらえたのも、この王都でアストラル旅団と出会ったからだった。
エングから示してもらった目標。その内の一つの転移魔法は、先のコルタニスで簡易的ながら習得できた。派手に目立ってしまったためしばらく戻れないが、時間とセレナの努力次第で転移魔法は完璧に習得できるらしい。
あとの時間魔法は、前にも行った時の都、ジバの女王様が会得している。幸い知り合いでもあるから、とりあえずそこを目指して彼女を頼る予定だ。
手がかりを探るだけでも一年とかかってしまったが、それでも俺たちは着々と進んでいる。色んな面倒事に巻き込まれたりはしたが、まあなんとかまだ生きているし、セレナとも仲良くやれている状態だ。
「あ! 見てください。街の修復、結構進んでますよ!」
セレナが指差した方向を見てみると、前来た時には修復中だった建物が、新しく整った状態で並んでいた。相変わらず赤い中華風建築が強調されている。
「あれから随分時間が経ったからな。魔王が死んでから一年か。……セレナ?」
返事がなくて振り向いてみると、セレナは何かを見つけたのか、ある店の前で何かを見つめていた。横に近づいてみると、店の壁に一枚の張り紙が張られていた。異世界文字が書かれているポスターのようだが、俺が分かるのはせいぜい赤や黄色の明るいカラーが賑やかさがアピールされていること。そしてアストラル旅団の五人のイラストが可愛らしく描かれていることだった。
「なんて書いてあるんだ?」
「魔王討伐記念祭、だそうですよ」
「魔王討伐記念祭?」
「魔王が倒されてから丁度一年の記念日だそうです。それで近いうちに、王都を上げて祭りが開かれるみたいですね」
「へえ。祭りね」
「アストラル旅団のパレードや、たくさんの屋台。花火も打ちあがるそうですよ」
「これはまた賑やかそうなことで」
セレナは歩き出し、俺を見ながら「折角だしそれまでここにいませんか?」と聞いてきた。まあそう言うだろうなと予想していた俺は、特別嫌がる理由もなく普通に「そうだな」と答えた。一年前、まだ人混みが苦手だったころに比べたら、きっと俺はそう答えなかったんだろうなと密かに思ってみる。
「あっという間だったな。よく一年でこの世界を回ったもんだ。以外と小さいのか、この世界は?」
「私たちは別に、全部の街や都市を回ってきたわけじゃないですからね。明確な目的地を定めて、そこに向かって一直線に行っただけですから」
「ああそうか。確かに地図で見たら、ログデリーズ帝国なんてもっと色々あるもんな」
「あ、新しい宿ですよ! 結構綺麗じゃないですか?」
話しを無理やり切って指で示したセレナの宿は、白黒と焦げ茶色の木を使った、レトロで落ち着いた雰囲気の外見だった。確かに前来た時には見なかった宿で、傷一つない仕上がりの壁や屋根は、どう見ても新築のものだ。
「いい感じだな。でも高そうじゃないか?」
金額の心配をするが、セレナはにやけ顔を浮かべる。
「いやあハヤマさん。私たち、今までどんな人たちを助けてきたか覚えてないんですか? 国や都の王様たちですよ。今更金銭に困ることなんてありませんよ」
胸を張って偉そうにそう言う。実感はないが、いつの間に俺たちは結構な大金を稼いでいたらしい。まあそれだけ体も張ってきたし、当然と言えば当然なのか?
「ハヤマさんも自分の力で賞金を手に入れたわけですし、もし自分で使いたいって思ったら、いつでも言ってください。今もちゃんと取っておいてますから」
適当に「分かった」と言ってうなずき、俺たちは宿の中へ入っていく。振り子のついた古時計や、褐色に枯れた植物。白色なのにまるで暗く見えるような雰囲気のカウンターで、口元を髭で隠したのっぽな店主がしゃがれた声で迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
「一人部屋を二部屋お願いします」
セレナはいつもの決まり文句を口にする。普通ならここで金額を言われ、何日滞在かを聞かれるのだが、今回は違った。
「申し訳ありません。ただいま一人部屋は残っていない状態です」
「そうなんですか?」
「はい。三日後に迫った魔王討伐記念祭の影響で、観光客の方が多いのです」
三日前なのに大盛況だ、と俺は無駄な感心をしてしまう。
「二人部屋ならありますが、どうなさいましょう?」と店主が続ける。セレナは俺に振り向いて「どうします?」と聞いて、他を探す手段もあると言ってきた。
「二つベッドが分かれてるなら、別に気にすることはないんじゃないか? どうせいつも、一つの土魔法の中で寝てるんだし」
「それもそうですけど……本当に何もしませんよね?」
ものすごく怪しんでるような目を俺に向けてくる。いやらしい目線と貧相な胸に当然何も感じられず、俺は呆れるように息を吐いた。
「絶対にあり得ないよ。それに多分、他の宿も満員になってる可能性が高いだろうから、探すとしたらそれこそ土魔法で窮屈な寝袋を覚悟しないといけない」
「仕方ないですね」
そう言ってセレナは店主に「二人部屋をお願いします」と伝える。
「お若いですね」と囃し立てる店主を二人して華麗にスルーし、セレナはバックパックから金貨袋を取り出し「四日間お願いします」と言う。店主は俺たちからは見えないカウンターの下で羽ペンを動かし、金貨六枚を請求してきた。セレナは金貨を六枚しっかり渡すと、入れ替わりに店主が一つの鍵を差し出してくる。
「部屋は二階になります。どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
鍵を貰い、俺たちはカウンターのすぐ横にある階段から二階に上っていく。窓のついた廊下の一番奥の扉で鍵を使い、黒い木材の床と白い漆喰の壁の部屋で荷物を置いた。部屋の内装は宿の外見と同じく、土台が黒いベッドや古びた様子の机、窓の前に置かれた枯れた苗木など、レトロの印象を強く押し出している。落ち着くにはもってこいな雰囲気で気に入ったが、すぐに空腹だった俺の腹が鳴った。
「腹減ったな。荷物も置いたし、どこか外で食べないか?」
「そうですね。そしたら久しぶりに来たわけですし、懐かしのあの店に行きましょう」
「お待ち」
店主の灰色の猫であるドッグが、目の前のカウンター席に座っている俺にステーキハンバーグを出してくる。
「お嬢ちゃんも」
セレナの前にはカツサンドが出される。相変わらず声はとても低くて渋く、目に切り傷がついている風貌はコックに見えない。けれど料理が出てくる速さは天下一品。そして、獣人向けに作られた俺たちの料理は、やはり分厚つくジューシーなものだった。
「ありがとうございます……あれ? 何か別のものが……」
セレナの皿をよく見てみると、カツサンドの隣に小さなミートパイが添えられていた。
「そいつはおまけだ。再会の歓迎ってやつさ」
「ドッグさん……! はい! ありがとうございます」
まさか俺たちを覚えてくれてたとは。ドッグはコック帽を目元まで被ると、そのまま俺たちに背を向けて皿洗いの作業を始めた。ここまでクールにされると、男の俺でも惚れてしまいそうだ。
バターの香り溢れるステーキにナイフを入れていく。三センチほどある厚みから、一斉ににじみ出てくる肉汁と、顔をのぞかせてくるローズ色の焼き加減。一枚の肉を口に運ぶと、それは人間の口でも柔らかく味わえるものだった。
空っぽだった腹の中は瞬く間に詰まっていき、俺は着々と食欲を満たしていった。そうしてあっという間にすべてを完食し、丁度セレナもすべてを食べきっていた。
「またいつでも来な」
「ごちそうさまでした!」
ドッグと別れを告げ、セレナが紫の毛をした猫の獣人と会計を済ます。
「またのお越し、お待ちしてますニャ~」
店の外に出ると、いつの間にか夕陽が沈もうとする時間になっていた。暗くなっていく街中を、屋根をかぶせたような中華風デザインの街路灯ランプが照らす。さすがは王都と言うべきか、その明るさはまるで東京などの都会のようで、行きかう人の数が減ることを知らない。
「腹いっぱいだ~。しばらくはこの街に留まるってことでいいんだよな?」
俺がそう聞き、セレナは膨れたお腹をポンポンと叩きながら答える。
「祭りが三日後ですから、それまではここで休憩ですね」
「三日か。思う存分、のんびりするか――」
ふと言葉が引っかかる。人がごった返している中、俺は前を歩いている彼を見つけていた。紫色のスポーツ刈りの、肩幅が大きい中年の男。
――可能性のある男だ。
「そうですねぇ。折角の機会ですし、思いっきり羽を伸ばしたいですよね~」
セレナの言葉を聞き流しながら、俺は男に目を留めたまま歩いていく。進んでいく方向が丁度俺たちの泊まっている宿と同じであると、男は人のいなかったレトロな宿の前までいき、宿とは反対側の、街灯の光が届かない路地裏へと消えていく。そこから先に感じる匂いは、強いアルコールだった。
「……さん。ハヤマさん!」
セレナに呼ばれていたのに気づき、ハッとするように顔を向ける。
「ああすまん。どうした?」
「どうしたじゃないです。もう宿までついてますよ。今日は早めに休みましょう」
「あっとそうだな。……なあセレナ」
進ませようとした足を止めながら、俺はセレナに一つお願いをする。
「ちょっと興味のある店があるんだ。夜にしかやってないから、俺の分の金貨をくれないか?」
「え? 一人で行くんですか?」
「ああそうだ。セレナには入れない店だからな」
「ええ! なんなんですかその店! 大丈夫なんですか?」
「大丈夫な店ではあるな」
曖昧な回答に、セレナは疑い深い目を向けてくる。それに俺は彼女の耳元に口を寄せ、周りに聞こえないように片手で壁を作ってこう囁く。
「――お前にはちょっと、刺激的な店なんだよ」
「へえっ!?」
大声を出し、脅威の反射スピードでセレナは後ずさりした。そして顔を真っ赤にして「ま、まままさかハヤマさん! そんないやらしいところに行くんですか!」とうろたえながら聞いてくる。俺はまた危ない臭いをにじり出すように小声で呟く。
「俺も男なんだよ。分かってくれ」
セレナの顔がだんだんと引き始めていく。男慣れしてない人特有の反応だ。それでもセレナは咳払いを一つ入れると、胸に手を当てて深呼吸してからうなずいた。
「わ、分かりました。ハヤマさんのお金ですし、私がどうこう言えるものでもないので。こ、こここ、心ゆくまで楽しんできてくださいね!」
そう言ってセレナはパンパンの金貨袋をそのまま俺に渡してくる。
「え? これ全部かよ――」と言い返した時には、セレナは既に俺から逃げるように宿へ駆け込んでいた。そこまで動揺するか? 俺は頭をかきながらそう思い、とりあえず袋の中身を目で確認する。金貨と銀貨がぎっしり詰まっている。これから行く場所には十分足りそうだが、金と銀の違いってなんだ? まあ分からなくてもなんとかなるか。
袋の紐を閉め、俺は路地裏の中へ入っていく。街灯の光は消え、店の窓から差し込む光を頼りに真っすぐ奥へ。まだ残っている匂いを辿ってずっと進んでいくと、ある店の扉の前でそれは途絶えた。
足を止めて顔を上げ、ひっそりたたずんでいた木造の店をしっかり見る。目に映るのは読めない文字と、端っこにワイングラスのようなものが描かれた看板。雰囲気からして恐らくバーのような店だった。
きっと未成年は立ち入り禁止なのだろうが、構わず俺は扉の鉄に手を伸ばす。一瞬、言葉にしがたい不安が全身を巡っていく感覚がした。知らない世界への恐怖心か。けれどもそれに立ち止まっている場合ではない。息を呑み、真実を知る覚悟を持って、俺は扉を引いた。