12‐2 来たれゲート。扉の先は、かの元へ
扉を開けると、見た目以上に広々とした空間が目に入る。木材で作られた床に黄色味がかったバタークリームの漆喰が塗られた室内は、異国であるという緊張感を薄れさせ、まるでカフェのように落ち着いた雰囲気を生み出していた。そんなスイーツ店の奥の席に、俺たち四人はクラシックなイスに腰掛けると、真っ先にリュリュが店員の女性に口を開いた。
「この店一番のクレープをお願いしま~す」
店員は笑顔で「かしこまりました」と言ってその場から去っていく。クレープとはまた新鮮味のないものが出てきた。
「クレープってなんですか?」と聞くセレナに対し、リュリュが生地に果物やらクリームやらを詰め込んだ夢のスイーツと答える。一瞬でセレナの空想の世界へと羽ばたいていき、その目を輝かせた。そいつは置いといて俺はサウレアに話しかけようとした。が、目を合わせただけで緊張させてしまい、仕方なくリュリュへと変更する。
「サウレアは友達が欲しいって、彼女が望んだことなのか?」
「そうだよ~。人見知りを克服したいーって自分で言ってたの。リュリュは丁度いい感じの人いないかなーって考えてたけど、今日二人に会ってビビーっと来たんだ~」
「ふうん。この顔の人間をよく選べたな」
「変な顔してる人の方が接しやすいでしょ?」
「変な顔?!」
先に皿を配っていた店員さんに驚かれる。この犯罪者のような暗い顔を、変な顔と呼ばれるのは初めてだ。
「りゅ、リュリュは、私たちとちょっとズレてて、怖いもの知らずだから……」
サウレアが勇気を出すようにそう言ってきた。「なるほど」と自然に納得し、今度はなるべく緊張させないように意識しようとすると、意識を戻していたセレナが口を挟んだ。
「お二人はどうやって知り合ったんですか?」
「たまたま街中で、リュリュがサウレアちゃんを見つけたんだ~。その時もおどおどしていて不安だなーと思って話しかけたの。そしたら外は慣れてなくてって言うから、色々連れまわしてみたんだ。今ではすっかり仲良し~」
「偶然出会ったんですね」とセレナ。その次に口を開いたのはサウレアだった。
「私、普段あまり外に出れなくて、一人で出るのが憧れで。それで、その日初めて外に出たんですけど、今度は周りの人たちのことが怖くなっちゃって……」
自分の殻に閉じこもりがちというか、極度に人目を気にする性格のようだ。なんとなく俺に通ずるところがある気がして、さては家庭環境に何かあるなと憶測が立つ。さすがにストレートに聞くのは気が引けるし、別にわざわざ聞かなくても俺たちは彼女の友達になってあげればいいだけだ。あまり踏み込まないでおこうと思った時、シーンとなっていた空気にサウレアが「ご、ごめんなさい! こんな話し、つまらないですよね……」と謝った。セレナが慌てて首を横に振ってあげていると、俺は空気を変えようとまたリュリュに聞いた。
「リュリュは普段何をやってるんだ?」
「リュリュはお散歩しかしてないかなー。一応貴族の家だから、寝ているだけで生活できるから」
「え? 貴族だったのかお前! あいや、リュリュ様って言うべきか?」
「やだ~ハヤマ君。リュリュはリュリュ。リュリュエル・フォン・リュークロンだよ~」
「リュリュエル・フォン……なんだって?」
「リュリュでいいってこと。『お前』とかも別にいいから、様はやめてね~」
そう忠告され、俺はリュリュへの見方を改める。彼女の性格上、きっと俺は自然にお前呼びになるんだろうが、無礼は働かないよう忘れないよう頭の片隅に強く刻んでおこう。
「でも、そうだったんですね。リュリュさんはなんだか親しみやすくて、全然気づきませんでした」
セレナがそう言って、サウレアもうんうんと同意するようにうなずく。リュリュは「えっへへ~」と笑っているが、俺は彼女のふわふわした雰囲気に子どもを見守る大人のような杞憂が湧いた。
「貴族の子が、街中を一人で歩いてて大丈夫なもんなのか?」
「ダイジョブだよ~。リュリュはか弱くないもん」
そう言って、リュリュは自分の前に置かれた、皿の上の銀のスプーンを手に取った。女の子らしい小さな手で何をするのかと思えば、いきなりそのスプーン全体を覆うように強く握り出した。その力は尋常ではなく、手の中からメキメキと音が鳴っている。華奢な腕からは到底想像できない物騒な音。彼女の顔はずっと笑顔でい続けると、リュリュはパッと手を開いてグニャグニャに丸くなったスプーンを俺たちに見せた。
「リュリュ、結構力持ちなんだ~。危ない人とかに誘われても、握手してあげればみんな逃げてくれるから、全然問題ないよ~」
「そ、そそそうっすか」
奥歯がガタガタいいそうになるのをこらえながら俺は答えた。丁度店員さんが「お待たせしました」と大皿に乗ったクレープを出してくると、リュリュは「これ、新しいのくださ~い」と言ってその人の顔をひきつらせた。
「す、すぐに代えをお持ちします!」
「こ、これは!」
口からフォークを離した瞬間、セレナがそう叫ぶ。そして途端に幸せそうな顔になって、両の頬っぺたに手を当てた。
「ここが、天国だったんですね……」
「成仏すな」
相変わらずのスイーツバカだ。だが、それだけ皿に盛られたクレープに魅力があるのも確かだった。チョコとバナナの匂いが乱れの一切ない協奏を奏でているようで、生地いっぱいに敷き詰められ生クリームが、主に女性陣の胃袋を誘発させている。セレナを始め、既に女三人は幸せそうな顔をして有頂天な様子だった。
食べっぷりも見事なもので、甘い物好きが三人も集まれば一つの減りも速い。一つをペロリと平らげまさかの二つ目、三つ目と追加注文していく。イチゴのような果実のクレープも半分が減ると、さすがに感想の共有会が終わってペースも下がり、やっと俺は口を利けたのだった。
「なあ。このコルタニスには転移魔法の妖精がいるって聞いたんだが、二人は詳しいこと何か知らないか?」
そう質問をすると、リュリュは首を傾げて「転移魔法?」と聞き返したが、その隣の席でサウレアは丁度口に入れたフォークを慌てて抜き取って、喉元を詰まらせたかのように咳込んだ。
「だ、ダイジョウブ?!」
リュリュが背中を叩いてあげる。しばらくすると、サウレアは何とか落ち着きを取り戻していった。
「っはあ……ごめんなさい、急に」
「もう、サウレアちゃんったらせっかちさん。そんなに急いで食べなくても、クレープはまだ残ってるよ~」
リュリュはそう言ったが、既にクレープは三日月のように減っている。各々取りたいところだけ取って、見事に生地のみがそこに残っている。
「別に急いでいたわけでは……」とサウレア。さっきの慌てぶりから、俺はふとこう聞いてみる。
「もしかして、転移魔法について知ってるんじゃないか?」
「そ、それは……」
サウレアは一瞬ハッとして、明らかに俺から目をそらした。さすがに誰でも気づく動揺だ。「何か知ってるんだな?」と追い打ちをかけるように聞くと、サウレアは諦めるようにこう言った。
「転移魔法なら、知ってます。使えますから……私は……」
「へ? サウレアさん、使えるんですか!?」
ぐいっとセレナが顔を近づける。反射的にサウレアが「ご、ごめんなさい!」と謝って慌てて身を引くが、まさか使える人と出会えるとは。それもこんな早くにだ。リュリュも知らなかったのか驚いたような顔をしていて、「サウレアちゃんって、転移魔法使えたんだ~」と呟いていた。
「実はそうなんです。私は、転移魔法を使える、魔法使いなんです」
今度ははっきりとそう口にするサウレア。それにセレナは握っていたフォークを置いて、真剣な顔つきになって体を正面に向ける。
「サウレアさん。私、サウレアさんにお願いしたいことがあります」
「は、はい。なんですか……」
サウレアは怯えるように身を引いたが、セレナは彼女の目をしっかり見て、誠意を見せつけるようにはっきり喋る。
「私に転移魔法を教えてください。転世魔法のために、その魔法の使い方が必要になるそうなんです。なのでぜひ、お願いします!」
イスに座ったままセレナは頭を下げた。それにサウレアは「え? ええ?!」とたじろいでしまうが、笑みを浮かべているリュリュを見て安心したのか、ずっと持っていたフォークを両手に強く握りしめた。
「わ、分かりました! わ、私でよければ」
「はっ! ありがとうございます、サウレアさん!」
セレナは晴れ晴れとした顔を上げ、サウレアの握られた手に自分の手を重ねた。サウレアが自分の頭を遠ざけるのを気にせず、セレナは「私、頑張ります!」と意気込みを伝えるのだった。
あれから店を出て、俺たちは「いい場所知ってるよ~」とリュリュに連れられて、街外れにある空き地にやって来た。丸太の束を隅に追いやっていたその場所は、茶色く寂れた手つかずの空間で、たまに子どもの声が近くを通るだけで人が寄り付かない場所だ。
「ここなら、練習にうってつけだよ」
自慢げにリュリュがそう言うと、セレナは頭を下げる。
「ありがとうございます。ここなら人もいないし、存分に魔法が使えます」
「どういたしまして~。ところで、さっき言ってた転移魔法? ってなあに?」
リュリュがそう聞くと、サウレアが口を開いた。
「て、転移魔法とは、人や物を瞬間移動させて、別の場所に移すことができる魔法です。ちょっと試しに……」
サウレアは両腕を真っすぐに伸ばし、その手の平を俺に向ける。
「来たれゲート。扉の先は、かの元へ」
詠唱が唱えられると、俺の足下に一瞬で灰色の魔法陣が浮かび上がって光を発した。急なことに腕で目元を覆っていると、次に周りが見えた時には、俺は丸太の上に立っているのだった。
「おお~、ハヤマ君の瞬間移動だ~。スゴイね、サウレアちゃん」
俺が丸太から降り、みんなの元へ戻ろうとしていると、リュリュの言葉にサウレアは少し照れた様子を見せていた。
「そ、そんな大層なものでは……」
その横でセレナは考え込むように呟く。
「うーん、人や物を移すっていうのは、やっぱり転世魔法と似てますね。となるとやっぱり、私に転移魔法の力が既にあるっていうのは本当?」
ボソボソ喋り続ける彼女に俺は近づく。
「死神さんの言葉か。その真意を確かめるためにも、早速やってみたらどうだ? できないならできないで、嘘つき爺さんのクソッタレってことで妖精を探せばいいし」
セレナは俺の冗談に笑いながら「そうですね」と言った。相槌を打つ様子を見てサウレアもうなずくと、転移魔法の習得のための段取りを説明してくれた。
最初から人間では難しいから、まずは軽く小さなものから。今回は道端に転がっていたつまめる程度の小石を使う。サウレア曰く、転移魔法は転移させる物の質量が大きいほど、発動が難しくなるらしい。セレナの目標は俺であるため、最終の目標は俺よりも大きい七十キログラムの物体だと言われた。
「七十キロ……結構な重さですね……」
「慣れてしまえば、百キロまでは簡単です。むしろ一番の難関は、対象を移動させたい場所に移動させることで、セレナさんはまず、それに慣れなければいけません」
「慣れですか。でも、折角村からここまで来たんです。やってやりますよー!」
魔法の基礎はイメージを具現化させること。転移の場合は小石を魔力で包み込むのをまず思い浮かべ、その次に転移させたい場所の風景をしっかり思い浮かべる。そのイメージを形にする際に便利な詠唱が――。
「来たれゲート。扉の先は、かの元へ」
セレナは教えられた言葉を実際に口にした。すると次の瞬間、小石の周りに灰色の魔法陣がガビガビと、画質の悪いテレビのように浮かび上がった。
「あ! 灰色の魔法陣! 私の手から、転移の魔法が出ようとしてますよ!」
「デリンの言ってたことは本当だったのか」
興奮するセレナと冷静に分析する俺。結局その魔法陣は消えてしまうが、サウレアは「いけますよ!」と乗り気になって指導を続けてくれた。
――小石を魔力で包み込んで、転移させたい場所を浮かべて。そうして集中したら、小石にかけた魔力を頭の中の風景に一気に全部吸い取るイメージで。
サウレアはその言葉を何度も続けて教えたが、これが中々上手くいかなくて失敗が続いた。何度も何度も魔法陣がガビガビになって現れるが、それが光を発するまでが遠い道のりのようで、夕暮れ時が近づいてくると、サウレアも助言や実演むなしく、この日はなんの進展もなく終わってしまった。
「はあ……また駄目……。もう、魔力を全部吸い取ってって部分が、いまいち感覚としてつかめない……」
「す、すみません。私の教え方が悪いせいで……」
サウレアが謝ろうとしてセレナは慌ててそれを止めに入る。
「あ、いえいえいえ。サウレアさんのせいじゃないですって。私、元々使える魔法が二種類だけで、ずうっと慣れ親しんだ感覚が染みついてるせいです。複数の魔法を使うとよくあることなんですよ」
「そう、だったんですね。私は転移の魔法しか使ったことがないので、知りませんでした」
「サウレアさんは悪くありません。問題は私にあるんです。むしろ、サウレアさんの教え方、とってもわかりやすかったですよ」
「あ、ありがとうございます」
照れるようにお礼を言うサウレア。それまでずっと空き地の隅で見ていた俺とリュリュは二人に近づいていき、暗くなっていく空を見上げてからリュリュが二人の腕に手を回した。
「お疲れ~。いやー二人とも頑張り屋さんだね。きっとすぐに上手くなるよ。今日は暗いからもう帰ろ~」
まるで友達のように気安く二人を引っ張り、三人は先に歩いていこうとする。俺も後を追って歩いていくと、リュリュは二人の腕から手を離し、代わりに彼女らの手を握ってサウレアに笑顔を向けた。
「今日はサウレアちゃんの記念日だね~」
「え? 私の?」
「うん。お友達できた記念日だよ」
「あ。と、友達……」
恥ずかしそうにそう口にするサウレアに、セレナは前のめりになって彼女の目を見る。
「また明日もよろしくね、サウレアちゃん」
「あ! ……うん!」